はじめに

 最近、台湾海峡を巡る議論が騒がしい。このIINAにおいても、台湾海峡有事における日本の準備や対応についての議論が始まっている[1]。

 辛亥革命110周年大会における習近平中国国家主席の台湾への言及は、国際社会の懸念に配慮したのか、武力統一に触れないなど例年に比べて穏便なトーンで台湾統一を呼びかけた[2]。しかしその一方で台湾海峡を越えて台湾に接近し、あるいは台湾を周回する人民解放軍(PLA)軍用機による飛行はその回数や機数を日増しに増加させるなど、軍事力による示威行為はますます顕著になってきている。

日本だけの問題ではない台湾海峡有事

 これまでの歴史的経緯や、台湾が日本の南西域で接する位置にあるがゆえに、日本における台湾海峡を巡る議論は、えてして日中、日台、日米の視点で論じられることが多い。しかし地図を広げて台湾の周囲を見れば、台湾は東シナ海と南シナ海を結ぶ海上交通の要衝に位置し、バシー海峡を挟んだフィリピンの島は、与那国島より近い距離にあることが確認できる。その上、南シナ海には台湾が実効支配する島嶼が存在するなど台湾問題は南シナ海諸国の安全保障にも密接に関係している。

 台湾には新型コロナウイルス感染症が世界的問題になる以前、2019年末当時で約1.5万人の日本人が居住していた。同様に約25万人のインドネシア人、約22万人のベトナム人、約15万人のフィリピン人、約6万人のタイ人など日本とは比較にならない数の南シナ海諸国の人々が台湾で生活している[3]。

 台湾海峡有事の際の台湾在住邦人の退避については、一部の識者やシンクタンクなどで議論が行われているが、上記諸国等における同様な議論はほとんど見られない。しかし、中台関係の変化如何によってはいつでも顕在化し得る問題であり、南シナ海諸国にとっても想定外の事態とは言えまい。

 在留外国人の保護責任は在留国にあるが、当該国の保護が困難あるいは不能になった場合の退避活動は、一義的には在留者の国籍国政府にその責任がある。しかし、イラクやレバノン、最近のアフガニスタンの事例にみられるとおり、日本も欧米諸国やトルコなどから多大な支援を受けたように、実際には輸送力や近傍に活動拠点を有するなどの高い活動能力を持つ国の支援に、多くの国は期待し頼らざるを得ない。

 万が一、台湾から自国民を退避させる必要が生じた場合、「台湾から退避する多くの外国人の一時退避は日本になる可能性が高い」[4]と関口元防衛大学校准教授が分析しているように、国際社会とりわけ南シナ海諸国が米国の軍事力や日本の支援に期待を寄せることは想像に難くない。

 最近のASEANによる域内世論調査によれば、「世界の平和と安全、繁栄とガバナンスに貢献するために『正しいことをする国』として日本をどの程度信頼するか」との問いにおいて、ASEAN全体で61.2%、インドネシアで60.2%、ベトナムで59.9%、フィリピンで84.6%など、米国(30.3%)、中国(25.3%)、インド(15.7%)、EU(38.7%)などの国や地域機構への回答と比較してダントツで高い信頼を得ていることからも、日本に対する期待の大きさが窺える[5]。

 しかし、残念ながら慶応義塾大学SFC研究所の中村上席所員が指摘するように、日本の行う非戦闘員の退避行動(Noncombatant Evacuation Operations: NEO)と諸外国が行うNEOとの間にはかなりの距離があり[6]、台湾海峡有事において自衛隊機や艦艇を使用する場合の問題については、防衛研究所の門間地域研究部長が詳しく論じている[7]。

台湾からの外国人退避は中国であれば可能

 最も期待されている日本が、南シナ海諸国の期待に応えられない場合、彼らが日本に代替して頼り得る国はどこか?それは中華人民共和国に他ならないだろう。当然、中国は台湾海峡を巡る問題における一方の当事者である。しかし、以下の点において中国が南シナ海諸国の期待に応える可能性があることも無視することはできない。

 第一に、中国は台湾海峡を挟んだ対岸に位置し、中国大陸から台湾本島まで最短で約130㎞であり、バシー海峡、与那国島に次いで台湾に近い距離にある[8]。

 第二に、2008年に中台間の海運と空運の直行拡大の合意により、基隆(台北北部)、高雄、台中をはじめ11の港が中国側に開港されて以来、連日のように数多くの中国の商用船舶が台湾海峡を往来して台湾の主要港湾を日々の活動の場としている。例えば、中国最大の海運企業である「中遠集団(COSCO)」の関連サイトを検索してみると、新型コロナウイルス感染症の影響がいまだに残る2021年10月の時点においてすら、カーフェリー「中遠之星(COSCO Star)」[9]が大陸側の厦門等と台湾側の基隆、台中を週3往復で貨客の定期運航を行い[10]、また、上海、天津、大連、青島、寧波などから基隆、高雄及び台中に常時2隻の大型Ro-Ro船が週単位の貨物の定期運航をしていることが確認できる[11]。

 第三に、商業輸送に従事する中国の航空会社や海運会社は、「国防動員法」等の国内法令に従い、平素から随時動員され、PLA等の指揮を受けて第一線部隊と一体となって訓練や実際の作戦に従事している。こうした様子は米海軍大学のケネディ研究員が詳解している[12]。平素からの動員訓練は戦闘作戦のみならず、NEOにも活かされており、2011年のリビア内戦の際には、PLA海軍艦艇とともに中国国際航空の航空機やCOSCOの船舶が参加して約3万人の在リビア中国人の退避活動を成功させた[13]。それらの実績をもとに筆者も朝鮮半島有事における中国の退避活動について論じたことがある[14]。

 第四に、平素からの動員訓練によって、派遣のための意思決定とそれぞれの企業の派遣準備のスピード感は、リビアにおける救出活動を見るまでもなく、日本の比ではない速さで実現可能である。その上、第二に挙げた通り、台湾海峡と台湾の主要港湾は動員される船舶にとって平素から活動の場としている慣れ親しんだ海域と港湾でもある。

 第五に、緊張状態から本格的な中台武力衝突に至るまでのエスカレーションがどの程度のスピードで変化するかに左右されるが、たとえ事態が悪化した場合でも台湾側さえ許容すれば、中国のフェリーやRo-Ro船が台湾海峡を横断して台湾の港湾に入港することは可能である。少なくとも「台湾は中国の一部であり、中国の許可なく台湾領海への侵入は認めない」といった警告がこれらの船舶に対して発せられることはない。さらにインドネシアやベトナムなど退避を希望する国民を多く抱えた南シナ海諸国が望めば台湾もそれを拒むことは困難であろう。

 最後に、上記のような危急の状況の中で、中国が南シナ海諸国の退避要望に手を差し伸べることは、中国の台湾に対する主張の正統性を喧伝することにもつながる。例えば、「一般社団法人日本戦略研究フォーラム」による台湾海峡危機を想定した政策シミュレーションにおいては、中国政府が「台湾は中国の一部であり、台湾省内に居住・滞在する外国人の保護は中国政府が責任をもって管理し、必要があれば、中国の民航機、民間船あるいは中国軍用輸送機及び艦艇による中国本土あるいは日本、フィリピンなど希望する近隣諸国に移送する。したがって在台外国人は中国政府が指定する地域に移動待機することを期待する」と声明するシナリオが盛り込まれていた[15]。現実には、日本への移送は想定しづらいが、他の国に対して中国が主体性の確保に動くことは十分に想定できる。

外国人退避活動に従事するフェリーも海上民兵

 以上のとおり、台湾海峡における有事に際して、COSCOをはじめとする商用船舶や航空機を動員することによって中国が南シナ海諸国や国際社会の期待に応える立場を手にする可能性がある。

 しかしここで忘れてならないことは、このような中国における動員の枠組みはPLAや人民武装警察部隊と並んで中国の軍事力を構成する「民兵制度」に依拠しているという事実である。ケネディの分析を繰り返すまでもなく、COSCOなどが企業単位で船舶や航空機を「海運大隊」や「空運大隊」等に編成して動員されることは、明らかに「民兵工作条例」に基づく企業民兵の一類型である。たとえ企業のロゴやファンネルマークがカラフルに彩られた平和的な船舶の外観を呈していても、その実態は軍事作戦に従事している民兵部隊であることを忘れてはならない。中国国際航空の旅客機は航空民兵であり、COSCOのフェリーは海上民兵である。

 当然、ここで論じている活動は、中台間の危機的状況下で行われるものであり、善意に基づく外国人の退避支援とは異なる意図も含まれているであろうことを国際社会は考慮しておく必要がある。2018年に笹川平和財団が実施した安全保障机上演習においても、台湾で発生した大規模災害に対して、中国は人道支援・災害救助活動と称して侵攻兵力を派遣するといったシナリオが盛り込まれていた[16]。近年ではRo-Ro船の車両搭載用ランプが水陸両用作戦に適した構造に改造が進められていることも確認されている[17]。

まとめに代えて

 本稿では、台湾海峡有事が日米のみならず南シナ海諸国にとっても自国民の安全にかかわる重大な安全保障上の問題であることを再確認し、中国のふるまいについて一つの可能性を議論した。冒頭で述べたとおり、日本における台湾海峡有事に関する議論が日本を中心としたものにならざるを得ないのは致し方ない。しかし一方で、台湾を挟んだ向こう側に、日本の役割に期待を寄せる南シナ海諸国が同様な問題を抱えていることも忘れてはならないだろう。

 一方、2021年8月、「民兵工作条例」の上位法令であり、民兵の身分などを規定していた「兵役法」が改正されて民兵に関する規定が削除された[18]。全国人民代表大会では民兵活動に関する新たな規則が法制化される旨が予告されてはいる[19]。

 新たな民兵の姿が今後どのように位置付けられるのかは未だに定かではないが、毛沢東以来の「人民戦争」を堅持し、「軍民融合」を推し進める習近平政権の現状を見れば、民兵部隊が今よりさらにPLAとの一体化に向かうとの予測に大きなズレはないだろう。

 海上民兵と言えばついつい怪しげな漁民を想像しがちではあるが、漁船と同様に中央政府の命令一つで、フェリーも海上民兵に瞬時に変身する。海上民兵が主に活動する場は国際公共財たる海洋である。したがって曖昧な民兵制度、とりわけ海上民兵について、中国政府はもう少し丁寧に国際社会に説明する必要があるのではないか。

 ※本論で述べている見解は、執筆者個人のものであり、所属する組織を代表するものではない。

(2021/11/5)

脚注

  1. 1 中村進「台湾有事における日米共同-日本はどう準備・対応すべきか?」笹川平和財団『現実的な対中戦略構築事業 ワーキングペーパー Vol.1』2021年10月18日。
  2. 2 习近平「在纪念辛亥革命110周年大会上的讲话」新华网、2021年10月9日。
  3. 3 中華民国内政部移民署「7-1-10812外僑居留人数統計表」2019年12月。
  4. 4 関口高史「朝鮮半島及び台湾海峡有事における退避活動-想定されるモデルケースの検討」武田康裕編『在外邦人の保護・救出-朝鮮半島と台湾海峡有事への対応』東信堂、2021年、253-252頁。
  5. 5 なお、この世論調査では、日本に対する高い信頼感の一方で、日本が信頼できないとした回答者の半数近くが「日本にはリーダーシップを発揮する能力や意思がない」と挙げているのに次いで、「日本の内政や東アジアの近隣諸国との関係にとらわれすぎている」が第2位の理由に挙がっていることは本稿の議論を深める際に参考となる興味深い回答と言えよう。The State of Southeast Asia: 2020 SURVET RPEORT, ISEAS Yusof Ishak Institute, January 16, 2020.
  6. 6 中村進「台湾有事における日米共同-日本はどう準備・対応すべきか?」;
    同「アフガン事例で問われる台湾有事における「在外邦人等の輸送」(後編)―アフガンの教訓を台湾有事に生かすための課題―」笹川平和財団『国際情報ネットワーク分析 IINA』2021年10月5日。
  7. 7 門間理良「台湾海峡有事における課題と方策」武田康裕編『在外邦人の保護・救出-朝鮮半島と台湾海峡有事への対応』東信堂、2021年、227-252頁。
  8. 8 大陸沿岸部にある、金門・馬祖地域を除く。
  9. 9 カーフェリー「中遠之星(COSCO Star)」(香港籍)は、「さんふらわあ みと」として三菱重工業で建造され大洗・苫小牧航路で運航していた旧日本籍船舶である。(idyllicooeanの海と船の情報ポータル「中遠之星」では現在地も確認できる)。
  10. 10 中远海运(厦门)有限公司「大三通航线」、厦门远洋 大三通航线 (coscoshipping.com)
  11. 11 上海泛亚航运有限公司「两岸航线」
  12. 12 Conor Kennedy, “China Brief Report No.4: Civil Transport in PLA Power Projection,” U.S. Naval War College, December 6, 2019.
  13. 13 人民日報日本語版「中国 リビア在留中国人救出、陸海空で全面展開」2011年2月。
  14. 14 拙稿「海洋安全保障雑感~米国東海岸便り(No.7)~中国の在外自国民退避救出作戦と朝鮮半島」海上自衛隊幹部学校『コラム』no.095、2017年11月28日。
  15. 15 「台湾海峡危機・政策シミュレーション-日本は如何に抑止し対処すべきか」『正論』令和3年10月号、42‐63頁。
  16. 16 「安全保障机上演習プロジェクト2018年度報告書-大規模災害を端緒とする台湾危機に対する日米共同対処を巡る課題」笹川平和財団、2019年11月。
  17. 17 Conor Kennedy, “China Brief: Ramping the Strait: Quick and Dirty Solutions to Boost Amphibious Lift,” The Jamestown Foundation, China Brief, July 16, 2021.
  18. 18 中华人民共和国国防部「中华人民共和国兵役法」。
  19. 19 全国人民代表大会「关于《中华人民共和国兵役法(修订草案)》的说明」、
    关于《中华人民共和国兵役法(修订草案)》的说明_中国人大网 (npc.gov.cn)