はじめに

 今世界は地殻変動的な変化を経験しつつある。世界各国がコロナ禍の第三波に翻弄される中、米国の大統領選挙の結果は、トランプ氏あるいはバイデン氏のいずれが勝利し、どのような政策をとるかということよりは、アメリカ社会が深く分断されているということを明らかにした。他方、米中対立は根深く、新政権の下で米中関係が急速に改善される兆しは見られない。伝統的な意味での国際関係上あるいは地政学上の問題の他にも注目すべきグローバルな潮流がある。冷戦終焉から30年余を経て、冷戦に勝利した西側諸国が標榜してきた民主主義や自由市場といった価値観に陰りが生じていることはその一つである。さらに、時代の基調として、デジタルトランスフォーメーションに着目せずにはいられない。AIやIOTが役割を増す中、人間社会の生活、国家の統治、国際政治は大きく変化するに違いないからである。一方、我が国周辺に目を転じれば、強大な軍事力が対峙する朝鮮半島情勢に大きな変化が起きる可能性を無視することはできない。そのような中、1. 民主主義的な価値観の陰り、2. アメリカの指導力に対する懸念、そして3.朝鮮半島における新しいタイプの不測事態について考えておくことの意味は大きい。

1. 民主主義的な価値観の陰り

 日米両国をはじめとする西側諸国は、冷戦期〜ポスト冷戦期を通じて、いわゆる「普遍的な価値観」がアプリオリに是であるとしてきた。民主的な統治、自由な市場、人権擁護といった信条であるが、これらの価値観に陰りが生じていることを意識しなければならない。

 各国がコロナ感染対策を講じるにあって民主的統治の限界が論点となった。例えば都市封鎖のように強力な政策をとるためには、リベラルな統治よりも強権的な統治の方が有効に見える。また、感染防止策が奏功しない場合に世論の不満を抑制し、社会不安を防止する上でも強権的な統治が魅力的に映る場合もある。中国は、新型ウィルスの発生源という批判を受けたが、都市封鎖などの施策によって比較的早期に収拾し、人口当たりの感染者数、死者数では、最も少ない国の一つである。

 とはいえ、これをもって強権政治を必然とするのは短絡だ。民主的統治下にある台湾の対応が極めて的確かつ有効だったことは広く知られており、また、韓国や日本の国内における伝染の規模は、欧州諸国などに比して桁違いに小さい。日本の場合を考えると、国民の多くが政府や自治体の(強制力のない)要請に従ったことや、第二次大戦直後に公衆衛生体制が急速に改善されたため国全体としての衛生環境の水準が高かったことなどが背景にあろう。いずれにせよ、民主的か強権的かという点よりも、そもそもガバナンスが良好に機能しているのか、また、国民が統治を信頼してその指示に自ら従うかという点が鍵となる。

 一方、より長期的なスパンでこの問題の本質を考えれば、ポスト冷戦期を通じて旧東側諸国が民主主義や市場経済から享受できたものが期待に反して小さかったという事実を直視すべきである。ポスト冷戦期を通じて民主化や自由市場から得られる利益を実感できず、むしろ、所得格差の拡大や計画経済の安定感喪失などから「貧しくも平等であった過去の方がまし」だと感じがちだという点に対する答えが必要である[1]。

 この点、東南アジアの開発過程は対照的に好例である。インドネシアやミャンマーにおける軍事政権からの脱皮と民主化、フィリピン経済の発展などは、少なくとも20年スパンで見た場合には大きな飛躍である。また、その過程でいわゆるセカンドベストとはいえ「開発独裁」的な統治が国内の安定をもたらし、民主化と豊かさを実現する上での前提を整えたという経験には意味がある。これに反して、例えばアフリカで強権政治が豊かさに繋がる例を見つけることは容易でない。貧困と専制を脱して民主化と経済成長を目指す新しいモデルを提示することが求められている。

2. アメリカの指導力に対する懸念

 トランプ政権における一種明け透けな米国第一主義は、超大国としての余裕を失った証と受け止められてきた。この方向が続けば、米国が同盟の中心的存在としての求心力を失う恐れがあり、特に米欧関係の希薄化は懸念すべき水準にある。ブレグジットによって欧州統合の道が逆行したという現実への失望や、ロシアのクリミア併合という19世紀的な挙に対して決定的な措置を講じることができなかった無力感と相まって、アメリカを中心とする同盟のネットワークが弱体化しているとの印象は否めない。

 今回の大統領選挙では、アメリカ社会の分裂が根深いということが明らかになった。両陣営を支持する人々は、政治信条や主張が異なるだけでなく、判断の基準となる情報源も全く異なる。フェイクニュースという言葉が示唆することは、同じ事象を全く違う情報として捉えることが日常化したことを意味する。言い換えれば、異なった情報に基づいて二つの全く違う世界を作り上げ、それぞれの中で生きる全く違う人々の集団を作るということでもある。このことは、SNSを代表とする新しいメディアの普及によってより深刻になっている。この種メディアは、視聴者の関心傾向に関するデータの蓄積・分析に基づいてプッシュ方式で情報を送付するため、視聴者は、自分の好みに合う情報をより頻繁に手にすることになり、この好みの違いによって、得られる情報とそれに基づく判断に大きなギャップが生じるからだ[2]。

 このため、バイデン氏が大統領に就任したとしてもその支持層は最大でも有権者の半数、残りの半数は動かし難い反対勢力となる。新政権の政治基盤は脆弱で、決定力・実行力を欠いたものとなる懸念を払拭することはできない。分断が先鋭化する結果、教科書的な民主主義の手続きは機能しなくなる。すなわち、選挙や議会での議論の結果としての結論に対し、大同団結してその実現を目指すということが困難になるということだ。バイデン政権が誕生するとしても、トランプ氏やその支持者の負の影響力が強く残ることを予期しなければならない[3]。

 さらに米国の民主主義や豊かさに対する夢が色褪せてきたことにも意を用いなければならない。Black Lives Matter(BLM)を巡る市民運動が暴徒化する様子や、ニューヨークの一流ブランド店が大統領選挙を巡る暴力行為を恐れてショーウィンドーを木材で覆う様子などは、米国への幻滅すら感じさせる。BLMを巡ってのデモを鎮圧する場面には、香港での民主化運動取締りを彷彿とさせるものがあった。

 米国が標榜し、その同盟国・友好国が憧憬を抱いてきた自由、民主主義、人権といった理念に陰りが見られるという点を看過してはならない。ロシアのクリミア併合はもとより中国の香港に対する強権的な統治姿勢に対して、米国をはじめとする西側社会として有効な手立てを講じることができなかった経験は、この陰りをより深刻なものとする。人類が築き上げてきた現在の国際秩序を維持し、さらに新しい世界により適合するものとしていくためには、国際的努力の精神的支柱となってきた民主主義を中心理念とする価値観こそがこれまでになく重要になる。他方、少なくとも当面の間、これまでリーダーであり続けた米国に過去と同様の決定的な役割を期待することは難しそうだ。だとすれば、米国の同盟国とパートナー国は、同じ志を抱くものとして、共有すべき価値観をより普遍的かつ説得力あるものとするための努力を惜しんではならない。

3. 朝鮮半島における新しいタイプの不測事態

 世界全体を襲う激震のマグニチュードに幻惑されてか、朝鮮半島の情勢は不気味に静かに映る。他方、北朝鮮の核・ミサイル計画は引き続き進められているであろうし、金正恩の強権的な指導体制に変化はないはずだ。北朝鮮は、コロナ禍に際して中朝国境を厳格に管理して、感染防止策を徹底しているように見える。その反面、北朝鮮国民の栄養事情を考えれば、ウィルスに対する抗性が強いとは思えず、惨禍が起きていたとしても不思議ではない。そもそも北朝鮮国内の情勢は極めて不透明であり、測り知ることは不可能に近い。とはいえ、北朝鮮も他国と同様この地殻変動的な変化に翻弄されていると考えるのは妥当だ。だとすれば、近い将来に朝鮮半島の情勢が大きく変化する可能性を否定することはできない。

 1990年代前半に始まった北朝鮮核危機以来、日米韓三国をはじめとする関係諸国にとっての関心の中心は、北朝鮮の暴発や内部爆発といったシナリオにどう対処するかという不測事態対処を巡る問題であった。当時、朝鮮半島統一は、将来的な目標として語られたことはあったものの、切迫した課題として真実味を持って議論されたことは寡聞にして聞かない。現在世界が直面しつつある地殻変動的変化が北朝鮮に強く影響を及ぼす場合には、想像以上に早い時期に統一に向けてのステップが始まると考えるべきであろう。きっかけはともあれ、また、平穏であるか大きな混乱を伴うかは別として、北朝鮮が国際社会に対して門戸を開く可能性を考え始める時期に来ているように思われる。

 近年の研究によれば、1945年に朝鮮半島が38度線を境に分断されたのは、偶然の産物だったと考えられる[4]。米国は日本本土への上陸侵攻の準備に全力を費やしていた。当時、日本の降伏時期をあれほど早いとは予期しておらず、早期に降伏する場合の占領・統治計画策定に着手したのは終戦の2ヶ月ほど前のことだった。このため、朝鮮半島の占領・統治の計画にまでは手が回っていなかった。一方、終戦直前に参戦したソ連にとっては、満洲・樺太への侵攻が作戦の焦点であり、朝鮮半島でどの程度南下するという点は一義的な問題ではなかった。米ソともに、躊躇しつつ朝鮮半島に入ったというのが現実だろう。たまたま両者とも38度線を超えるつもりはなく、あの線で落ち着いたという。もし米国が朝鮮半島の占領・統治を全く計画していなかったら、あるいは、もしソ連の侵攻計画の進出目標が釜山であったら、と考えると戦慄を覚える。

 米国にとって日本の早期降伏は僥倖であった。その僥倖を上手く活用できず、逆にソ連が漁夫の利を得るという事態になれば我が国とって悪夢となったはずだ。これを近未来の北東アジアに当てはめてみる。北朝鮮が国際社会に開放する方向に向かうとすれば、国際社会全体として歓迎すべきニュースである一方、その朗報に我が国がしっかりと対応できない場合には百年の禍根を残すということだ。一刻も早く、頭の体操だけでも始めなければならない。

結び

 この地殻変動は我々に脳漿を絞ることを求めている。これまで以上に深く考えるだけでなく、考えられないことを考える(Think unthinkable)ことが強く求められる。さらに、個別の事象を深く考えるだけでなく、思いもつかない他の事象と組み合わせて考えることも求められる。SNSが人々の心理、国内政治情勢、さらには国際関係にまで影響を及ぼすことは本文で触れた。政治・経済・社会・文化・宗教といった人間の営みの諸分野や自然・科学技術・資源などの営みを支える要素だけを考えても組み合わせは無限にある。その中からどのような組み合わせの問題を取り上げるかということが問われている。おそらくA Iが最も不得手することの一つである。

(2020/12/14)

*この論考は英語でもお読みいただけます。
The Ongoing Paradigm Shift under Shifting Geopolitics and Covid-19

脚注

  1. 1 例えば、近藤晶は、東側では最先進国であった東ドイツですら、西ドイツとの経済的・政治的格差を埋め切れていないことを指摘する。「ドイツ統一30年 いまだ消えぬ東西格差、心の壁」『東京新聞』2020年10月3日東側で最も貧困であった国の一つであるルーマニアの惨状に関しては、NH KのB S1ワールドウォッチング「『ベルリンの壁』崩壊30年 東欧諸国はいま」2019年11月14日が詳説している。
  2. 2 人間は自分が信じたいと望む情報を探して信じる傾向がある。J・ナイ及びD・ウェルチは、国際関係を論じる上での個人のレベルについて、認知心理学(cognitive psychology)の視点から触れており、「人々は(生の情報を理解しようとする際)既に知っているか、そう信じているもの(と)の間の共通点を探る」としている。J・ナイ、D・ウェルチ『国際紛争:理論と歴史 [原書第10版]』田中明彦、村田晃嗣訳、(有斐閣、2017年)、73頁。
  3. 3 バイデン政権の指導力を疑う論説は数多い。例えば、エドワード・ルースは、タイトルの通り、バイデン政権が就任前からレームダック状態になる可能性を指摘している。Edward Luce, ”Biden risks being a lame duck president,” Financial Times, November 5, 2020また、トーマス・ウォルコムは、トランプが去ってもその考え方はアメリカから去らないと主張している。Thomas Walkom, “The man is departing, but Trumpism is not going away,” The Star, November 26, 2020.
  4. 4 小此木政夫は、1945年7月から8月にかけて38度線が南北の境界として設定される過程を詳しく解説している。小此木によれば、米軍が日本の「突然の崩壊ないし降伏」にともなう占領のための進駐(ブラックリスト作戦)計画策定に着手したのは終戦2ヶ月前の6月中旬であった。小此木政夫『朝鮮分断の起源:独立と統一の相克』(慶應義塾大学出版会、2018年)