2018年11月のシンガポールでの日露首脳会談を受け、北方領土をめぐる交渉がさまざまに行われるなかで、返還された北方領土への米軍駐留をめぐる議論が再び注目を集めている。この問題は以前から存在し、各種報道もあったが、何が問われており、いかなる対処が考えられるのかについての理解が進んでいるようにはみえない。
 
 まず、四島のうち、たとえ一部ではあっても北方領土の返還が現実にあり得るとした場合に、その軍事的地位をどうするかは当然の課題であり、米軍の駐留や活動の可能性に対するロシア側の懸念をたとえば単なる「誤解」であると片付けるべきではない。日本側がいくら誤解だと考えても、ロシアの側にはこれを懸念する十分な論理が存在しているからである。
 
 さらに、米国が北方領土への米軍展開を求めていないといった反論も無意味である。現在必要ないことと、将来に渡っての制限を受け入れることとは全く異なるからである。日米安全保障条約や日米地位協定上も日本は米軍の北方領土駐留を拒否できるといった、いわば日本独自の法解釈の提示でも問題の解決にはなりそうにない。政治的にも法的にも、日本の拒否権を担保するものが、少なくともロシアの視点ではないからである。「信じてくれ」では対露交渉はできない。
 
 どちらの立場が「正しい」か否かの問題ではなく、双方が受け入れ可能な着地点を探すという現実的観点が求められる。
 
 返還された北方領土への米軍駐留問題は、端的にいって、領土交渉(平和条約交渉)において最も重要かつ困難な議題であり、これが交渉の成否を左右するといってよい。つまりこの問題によって領土交渉が頓挫することもあれば、返還の形態が重大な影響を受けることもあり得る。
 
 米軍の駐留やあらゆる活動を含めて何の制限も認めるべきではないとの議論も、原理原則論としては可能であろう。それが実現すれば最善だが、現実的には難しいといわざるを得ない。そのため、問われているのは、米軍の駐留や活動の制限を設けるか否かではなく、いかなる制限をどのような形式によって受け入れるかである。そして、これらは日本が独自に対処できるものではなく、日米間の交渉に加え、問題の性質上、米露間での何らかの合意・了解の成立を要する課題でもある。
 
 主権国家間の日露交渉のために、日米合意に加えて米露合意が必要であるとの現実は、日本人にとっては心地の良いものではないが、これが現実であり、この構造を踏まえなければ日露交渉も妥結には至らないことを認識する必要がある。
 
 以下では、まず本件に関して何が問われているのかを整理する。そして、ロシアとの間の類似の問題への対処として、ドイツ統一とNATO(北大西洋条約機構)拡大を事例に、いかなる問題解決の方法が必要であり、可能なのかを2回に分けて検討したい。

 

 

何が問われているのか



 この問題を考える際に必要となる出発点は、返還された北方領土への米軍駐留の可能性とこれに対するロシアの懸念は荒唐無稽な議論ではないとの認識である。日米同盟の役割に関して、冷戦期とは異なり現在では対ロシアという側面が議論されることは少ない。北朝鮮や中国への懸念の方が大きいからであろう。
 
 しかし、日米同盟の主たる対象がソ連だった時代は長く、ロシアにとっては、NATOとともに日米同盟によって東西から米国に包囲されているとの認識に、冷戦後も本質的な変化はないといってよい。日本ではほとんど意識されないが、ロシアにとっての北方領土返還(ロシアのいうところの「引き渡し」)は、日米同盟の拡大に他ならない。日本人がそう考えなくても、ロシア側からはそのようにみえるのである。
 
 そしてロシアにとって、日米同盟拡大の「悪影響」を和らげるためには、新たな領土に米軍を駐留させないとの保証(assurance)が極めて効果的なのである。宇宙やサイバーといった新たな領域が重視されるなかでは何とも古典的な議論に聞こえるが、ロシアが実際に陸上における軍の配備問題を重視している以上、関係国としてはそうした懸念に対処せざるを得ない。
 
  そこでさらに厄介なのはロシアにおける同盟認識である。ワルシャワ条約機構などの自らの同盟経験に根ざす部分が大きいと思われるが、同盟は盟主と衛星国との上下関係であり、衛星国は、重要な外交・安全保障問題に関して独自の決定をし得ない、すなわち(完全には)「主権」を有さないとの基本的理解がある。
 
 北方領土問題を含めた日露関係全般において、ロシアは常に、「日本はどれだけ米国から独自の行動をとることができるのか」を注視している。プーチン大統領をはじめ、ロシア側関係者が「日本が同盟関係において有する義務」に頻繁に言及する背景には、「同盟関係に照らして日本は一定分野については独自の行動ができないだろう」、つまり「米国にノーとは言えないのではないか」との疑いの眼差しがある。
 
 このことは、返還された北方領土への米軍の不駐留を担保するに際して、首脳レベルではあっても、日本による口頭の保証のみではロシアにとっての解決にはならないことを示している。たとえ日本に悪意はなくても、米国の同盟国である以上、日本の意図に反する行動を米国はするかもしれないし、日本はそれを受け入れざるを得ないとロシアは考えるのである。
 
 その場合に問われるのは、この問題に関していかに拘束力を有する対露保証ができるかであり、その鍵は、米国をいかにコミットさせられるかなのである。領土問題をめぐる日露交渉の本質が実は日米交渉であり、さらには米露交渉である所以である。
 
 なお、この問題に関するこれまでの議論においては、返還された北方領土に日米安全保障条約が適用されるか否かという問題も浮上した。ロシア側からは一時、日米安保条約第5条(米国の日本防衛コミットメント)の適用を除外すべきであるとの声があり、報道もなされた。これがロシアにとって最も望ましい姿であることは論を俟たないが、これが現実的でないことは、ロシア側の多くの関係者はおそらく理解している。ドイツ統一の際もNATO拡大においても、集団防衛を規定した北大西洋条約第5条は、旧東独地域および新規加盟国に制限なく適用されている。
 
 ロシアにとっては、交渉の前哨戦におけるいわば「言い値」だったのであろう。日本政府も、返還された北方領土に日米安保条約第5条が適用されない可能性については完全に否定している。それを認めてしまっては、主権国家としての一体性自体が揺らぐからである。しかし、この主張・要求がさまざまな局面で再浮上する可能性のあること自体は意識しておく必要があろう。
 
 交渉において実際の焦点となるのは、ロシアの懸念を払拭するために、いかなる保証を実現できるかである。形式としては、大きく分けて、効果を期待しにくい首脳レベルによる(口頭での)保証を別にすれば、政治宣言など法的拘束力を有さない文書による保証と、法的拘束力を有する条約による保証の2種類が考えられる。そして、冷戦後に西側陣営がいわば領域を拡大するなかで、欧州方面ではこれら全てに先行事例がある。

 

 

ドイツ統一の事例――「口頭」と「条約」による保証


 
 1989年11月のベルリンの壁崩壊後、ドイツ統一のプロセスは一気に進み、1990年10月にはドイツ統一が実現する。ドイツ統一をめぐる外交交渉において最も大きな焦点となったのは、統一ドイツの同盟帰属問題と、それに付随する旧東ドイツ地域の軍事的地位の問題だった。
 
  東西両ドイツの統一を最終的に規定し、第 2 次世界大戦終結から続いていた戦勝4カ国の法的権利を全て消滅させ、統一ドイツの完全な主権を確立したのは、「2プラス4条約」(東西両ドイツ、および米英仏ソの戦勝4カ国による条約)だった。当時のソ連にとってドイツ統一とは、ワルシャワ条約機構における主要同盟国であった東ドイツの同盟離脱であり、さらにはNATOへの「鞍替え」だった。それはNATO拡大だったともいえる。容易に受け入れられないのは当然だった。
 
  そこで当初議題にのぼったのは、統一ドイツの中立化や、旧東独地域をNATO領域から除外するなどの案だった。しかし、これらに対しては西ドイツの一部に加えて特に米国が強く反対し、統一ドイツのNATO帰属が追求されることになった。
 
 ただしその過程で、「NATOの領域は(旧東独地域にも)拡大させない」、さらには「これ以上の将来のNATO拡大はない」といった議論が閣僚レベルなどにおいて行われた記録が残っている。この問題は今日も尾を引いており、ロシア側からは、ドイツ統一交渉当時、西側はNATO不拡大を約束したにもかかわらず、それが反故にされたとの批判が根強い。NATO側は、そのような約束をした事実はないとの一貫した立場である。当時はまだワルシャワ条約機構が存続していたことを踏まえれば、たとえ一部に上述のようなやり取りがあったとしても、東ドイツを超えたNATOの東方拡大の可能性が体系的に議論されていたとは考えにくい。
 
  しかし、西側が約束の存在をいくら否定したとしても、ロシア側において、「裏切られた」との理解がなされていること自体は事実である。つまり、ロシアからみれば、こうした重要な問題に関して口頭による保証が役に立たないとの教訓が残ったであろう。
 
 一方、当時より実質的な焦点であった旧東独地域に関しては、「2プラス4」条約において、特別な軍事的地位が導入されることになった。同条約第5条は、旧東独地域への「外国部隊の展開および駐留」を禁止している。何が「展開」および「駐留」に該当するかの議論も詰められ、例えば演習の実施やそのための移動は可能とされた。
 
 「2プラス4」条約は法的拘束力を有する国際条約であり、ドイツ国家が存続する限り、無期限に有効である。今日でも旧東独地域に展開・駐留しているのは、ドイツ連邦軍のみであり、NATO(加盟国)部隊はいない。もっとも、旧東独よりもさらに東に位置するポーランドやハンガリー、チェコ、さらにはバルト諸国までもが NATO に加盟した今日、この規定は軍事的意味を完全に失っている。
 
 それでも、ドイツ統一交渉当時は、これこそが最も重要かつ困難な争点であり、統一ドイツの NATO 帰属をソ連が渋々ながらでも受け入れる過程で、旧東独地域への制限の導入は不可欠だったのである。自国の国境線近くへの米軍、ないし米国の同盟国部隊の駐留を嫌うというのは、旧ソ連・ロシアに一貫した姿勢である。しかし、これを逆から見れば、旧ソ連・ロシアの近接地域への外国部隊の駐留の制限という方策が、ロシアに対しては有効に機能するということでもある。そしてこれは、法的拘束力を有する保証が機能した事例でもあった。
 
 なお、旧ソ連近接地域へのNATO部隊の駐留制限は、ドイツ統一時の扱いが初めての事例ではない。冷戦期、NATO内で唯一ソ連と国境を接していたノルウェーは「基地政策」と呼ばれる政策を実施し、平時におけるNATO部隊の駐留を認めない姿勢を維持した。これはノルウェーの側からのソ連に対する保証であったが、当然のことながらその背景には、ソ連からの強烈な圧力が存在していたのである。NATO加盟と隣国としてのソ連との関係維持という、安全保障上の2つの要請に照らしてのぎりぎりの妥協であった。
 

 

(2)に続く

  (2018/12/14)

脚注

【参照文献――(1)、(2)通じての主要関連文献】

  • William Alberque, “‘Substantial Combat Forces’ in the Context of NATO-Russia Relations,” Research Paper, No. 131, NATO Defense College (June 2016).
  • Ronald Asmus, Opening NATO’s Door: How the Alliance Remade Itself for a New Era (New York: Columbia University Press, 2002).
  • Mark Kramer, “The Myth of a No-NATO-Enlargement Pledge to Russia,” The Washington Quarterly, Vol. 32, No. 2 (2009).
  • Mark Kramer and Joshua Itzkowitz Shifrinson, “NATO Enlargement: Was There a Promise?” International Security, Vol. 42, No. 1 (2017).
  • Vincent Pouliot, International Security in Practice: The Politics of NATO-Russia Diplomacy (Cambridge: Cambridge University Press, 2010).
  • Mary Elise Sarotte, 1989: The Struggle to Create Post-Cold War Europe, updated edition (Princeton: Princeton University Press, 2014).
  • Joshua Itzkowitz Shifrinson, “Deal or No Deal: The End of the Cold War and the U.S. Offer to Limit NATO Expansion,” International Security, Vol. 40, No. 4 (2016).
  • Michito Tsuruoka, “Strategic Considerations in Japan-Russia Relations: The Rise of China and the U.S.-Japan Alliance,” in Shoichi Itoh, et al., Japan and the Sino-Russian Entente: The Future of Major-Power Relations in Northeast Asia, Special Report, No. 64, National Bureau of Asian Research (NBR) (April 2017).
  • Philip Zelikow and Condoleezza Rice, Germany Unified and Europe Transformed: A Study in Statecraft (Cambridge: Harvard University Press, 1995).
  • 小泉悠「ロシアの秩序観――『主権』と『勢力圏』を手掛かりとして」『国際安全保障』第45巻第4号(2018年3月)。
  • 竹澤由記子「ノルウェーの基地政策とその意義についての考察――1950年代から60年代前半までを中心に」日本国際政治学会2018年度研究大会報告ペーパー(2018年11月4日)。
  • 鶴岡路人「NATOにおける集団防衛の今日的課題――ロシア・グルジア紛争と北大西洋条約第5条の信頼性」『国際安全保障』第37巻第4号(2010年3月)。
  • 鶴岡路人「統一ドイツのNATO帰属への道――冷戦と冷戦後の狭間」『法学政治学論究』(慶應義塾大学大学院法学研究科)第51号(2001年12月)。