2023年秋、モルディブでインド重視の現職ソーリフが大統領選で「インド出て行け」を掲げたムイズに敗北を喫したことは記憶に新しい[1]。その後南アジアに辛うじて残っていたバングラデシュとスリランカの二つの重要な「親印派」政権が、ここにきて相次いで倒れる事態となり、インドでは衝撃が広がっている。

「学生革命」の波に呑まれたバングラデシュ

 なかでもバングラデシュの政変はインドにとってはまったくの想定外であった。2008年末の総選挙以来、連続して権力の座にあったハシナ首相率いるアワミ連盟(AL)政権は、2024年1月の総選挙で勝利を収め、異例の4期目に入ったところだった。ALはバングラデシュのパキスタンからの独立を導いた古参政党で、独立の際にインドの支援を得たという経緯もあり、元来、世俗主義的で、親印的な性質をもつ。これに対し、のちに形成されたバングラデシュ民族主義党(BNP)は、イスラームのアイデンティティがより強く、パキスタンや中国との関係を重視する傾向がある。それゆえ、15年という長期にわたるハシナ政権の存在は、ネパールやスリランカ、モルディブなどでたびたび親中派の政権が誕生するなか、バングラデシュはインドからみて、ブータンと並んで安定的な近隣パートナーのはずだった。

 しかしそうした楽観こそが落とし穴にはまる要因だった。親印的なハシナ政権に対し、インドはマンモハーン・シン前会議派連立政権、モディインド人民党(BJP)政権のいずれも、バングラデシュの長年の要望である河川の共同管理・利用協定の締結に関し、隣接州の反対を前に先送りし続けてきた[2]。BNPをはじめ野党は、当然ながらハシナ政権の親印路線が成果をあげていないと批判したものの、ハシナ政権は強権的な手法で異論を封じ込めた。さらにジア元首相含めBNPの関係者を投獄し、選挙前の慣例であった選挙管理内閣の設置も拒否して野党を選挙プロセスから排除することで、権力を維持してきた。米欧は「非民主的」と批判し、選挙の正当性すら認めようとしなかったが、インドは「親印派」のハシナ政権を全面的に支持してきた[3]。

 ところが、バングラデシュ国民のあいだでは強権的なハシナ政権への反発が渦巻いていた。インドは隣国のそうした兆候を軽視していたか、そもそも掴んでさえいなかったようだ[4]。

 バングラデシュ国民が怒りを爆発させるきっかけになったのは、公務員採用枠をめぐる高裁の決定であった。事実上、AL関係者・支持者の優遇に繋がる優遇枠はいったん廃止されていたが、6月に高裁がその再開を求める判決を出したことに、ただでさえ就職の厳しい学生たちが抗議運動を開始した。ハシナ首相がこうした反対派の学生について、独立戦争時にパキスタン側についた裏切り者を意味する「ラザカール」と切り捨てたことで怒りは頂点に達した。警察との衝突で多くの犠牲者が出たことも、学生のさらなる反発を招いた。首都ダッカの大統領公邸に迫りくる学生を前に、軍への動員要請も拒否されたハシナは、8月5日、隣国インドにヘリと輸送機で急遽脱出した。

 長期安定と信じていた「親印派」政権の突如の幕引きに、インド政府と社会の狼狽ぶりは隠しようがなかった。SNS上には、バングラデシュの少数派、とくにヒンドゥー教徒が襲撃されているとか、ハシナ退陣は米国の、はたまた中国とパキスタンの陰謀だといったような情報が溢れた。主要メディアも真偽を確かめないままそれらをこぞって報じた[5]。ジャイシャンカル外相やモディ首相はじめ政府は、9日に学生に推挙されたノーベル平和賞受賞者のユヌスの率いる暫定政権に対し、ヒンドゥー教徒の安全を確保するよう強く求めたが、バングラデシュ側はインド国内で流れる情報と発言は誇張され、事実に反すると反論している[6]。

 バングラデシュでついに公然化した反ハシナの空気は、独裁者ハシナを支え、いまでは匿ってさえいる大国インドに対する憎悪の発露に繋がる[7]。インド社会で拡散された偽情報や陰謀論が、インドへの不信感を一層増幅させてしまった[8]。

緊縮財政と旧来型政治を拒絶したスリランカ

 バングラデシュに比べるとある程度は予想されていたことではあるが、2024年9月のスリランカ大統領選で、現職ウィクラマシンハの退陣が決まった。「親中派」として知られたラージャパクサ一族による多額の債務と放漫財政で破綻した経済を再建すべく、2022年の劇的な政変で大統領となったウィクラマシンハは[9]、国際通貨基金(IMF)の融資を受けるため、日印を含む債権国との交渉をまとめ上げた。しかし緊縮財政を余儀なくされた国民の不満は強く、再選は容易ではないと当初からみられていた。だからこそ、選挙前にスリランカを訪問したインドのドヴァル国家安全保障顧問は、現職だけでなく有力候補者すべてに面会しておいたのである[10]。

 それでも、インドにはウィクラマシンハと同じ、親印的な統一国民党(UNP)の系譜をくむプレマダーサが有力との見方があった。ところが蓋を開けてみると、その甘い期待は裏切られる。プレマダーサを凌ぐ票を集めて新大統領に就任したのは、これまでのスリランカ政治を牛耳ってきた二大政党とは無縁の左翼指導者、ディサーナーヤカであった。彼の人民解放戦線(JVP)は、かつて多数派のシンハラ民族主義を煽ってインドと繋がりのあるタミル人との融和を拒否し、インドの平和維持部隊派遣に抗議して武装反乱さえ起こしたという経緯があるため「反印」に、またマルクス主義を信奉してきただけに「親中」に傾斜するのではないかとの懸念が広がっている[11]。

 とはいえ、ウィクラマシンハやプレマダーサではなく、ディサーナーヤカが選択されたのは、財政破綻の一因を作ったラージャパクサ時代の「反印親中」路線への回帰を市民が求めたからではない。スリランカの政治学者も指摘しているように、今回の結果は2年前の政変劇に続く動きであり、旧来型のエリート政治に辟易した市民の反乱とみるべきだろう[12]。実際のところ、ディサーナーヤカが選挙戦中からモディ政権に近いインドのアダニによる電力プロジェクトの再検討などを主張していたことはたしかだが、彼も対印関係の重要性を否定したことはないし、バングラデシュとは違い、社会のなかに「反印」ムードが拡散しているわけでもない。

インドのプラグマティックな対応とそれを妨げるナショナリズム

 隣国の政治変動へのインドの対応は、バングラデシュとスリランカで様相が異なる。バングラデシュとの間では、インドは長くハシナのALのみとの関係に依存し、BNPなど他の勢力はすべてイスラーム主義者として敵視してきた[13]。それだけに、そのハシナの想定外の失脚に狼狽して根拠のない陰謀論を持ち出したり、政府与党までもがヒンドゥー教徒の苦境を誇張し、ロヒンギャと並べてバングラデシュ人の越境侵入への警戒感を煽るような演説を繰り返している。もちろん、これにバングラデシュ側は強く抗議した[14]。

 これでは、バングラデシュをパキスタンや中国の側に追いやってしまいかねない。そんなことはジャイシャンカル外相はじめ、インド外交のプロフェッショナルは十分認識している。バングラデシュ駐在のインド大使が暫定政府側のみならず、BNP幹部とも接触を始め[15]、ニューヨークの国連総会の機会に外相会談を行ったのは[16]、ハシナ後の現実に向かい合うプラグマティックな外交として評価できよう。問題は、モディ政権が自ら煽ってきたインド国内のヒンドゥー多数派のナショナリズムが、そうしたプラグマティックな外交の推進を困難にさせている点だ[17]。

 この点で、スリランカのウィクラマシンハからディサーナーヤカへの政権交代に関しては、インドはこれまでのところ冷静で、プラグマティックに対処しているといえる。実は、ディサーナーヤカがそれなりに人気のあることはインドも事前に把握しており、2024年2月にはデリーでジャイシャンカル外相が会談に応じていた[18]。つまり、バングラデシュと違い、早くから政権外のアクターとも接点を作っていたのである。同外相はディサーナーヤカの大統領就任後、いち早くスリランカを訪問し、経済回復と成長を「全面支援」することを約束し、大統領が最初の訪問先としてインドを選ぶよう道筋をつけた[19]。

 スリランカでは、ある程度インドの想定の範囲内の展開で準備もできていたこと、またディサーナーヤカ自身もたしかにタミル人地域ではほとんど票を獲得できなかったとはいえ、民族融和を唱えていることなどから、ナショナリズムが抑制され、プラグマティックな対応ができているものと思われる。

 インドにとっては、本音では厄介な政権であっても、関与することで少なくとも「反印」にさせないという政策の萌芽は、すでにモルディブでもみられる。ムイズ大統領が選挙戦で掲げたスローガンに一時は激高したインドだが、その後ムイズの要求を呑んで駐留部隊の撤退に応じ、規制していたコメや小麦の輸出をモルディブには今後も認める決定をし、さらには印総選挙後のモディの就任式典にムイズを招待するなど「大人の対応」を示した。そんななか、モルディブの巨額の対外債務を警戒した中国がさらなる融資に慎重になり始めたこともあって、ムイズ政権も「反印親中」の旗を降ろし、バランス外交を展開するようになってきている[20]。複数の閣僚の訪印に続き、ムイズ自身も2024年10月、ついに二国間会談のための訪印を果たした。これに対し、インド側は、7億5千万ドル相当の通貨スワップ協定の締結で応じた[21]。

 中国との間で地域における影響力をめぐる競争が激しさを帯びるなか、インドが同様のプラグマティックな外交をハシナ後のバングラデシュに対しても貫徹できるのかが注目される。

(2024/10/21)

*こちらの論考は英語版でもお読みいただけます。
India Suffers from Successive Collapses of "Pro-India Regimes" in Neighboring Countries

脚注

  1. 1 伊藤融「「選挙イヤー」の南アジア情勢とインド」国際情報ネットワーク分析IINA、2024年2月27日。
  2. 2 詳細については、伊藤融『新興大国インドの行動原理』慶應義塾大学出版会、2020年、98-105頁参照。
  3. 3 2024年総選挙について、米国務省は野党指導者の逮捕や不正に懸念を示し、野党の参加しない今回の選挙は自由・公正でなかったと批判した。U.S. Department of State, “Parliamentary Elections in Bangladesh,” January 7, 2024.; 対照的にモディ首相は「選挙を成功させた」として、ハシナ首相に即座に祝意を伝えた。Rezaul H Laskar, “’People-centric partnership’: PM Modi congratulates Sheikh Hasina on re-election,” Hindustan Times, January 8, 2024.
  4. 4 バングラデシュの有力シンクタンクのトップによれば、ハシナの人気低下の現状と彼女に依存することの危険性をインドに伝えてきたが、印側は理解しようとしなかった、という。Kallol Bhattacherjee, “India must engage with all sides in Bangladesh: Top policy analyst,” The Hindu, September 1, 2024.
  5. 5 “Western plot against Sheikh Hasina? What she revealed in May,” The Economic Times, August 5, 2024.
  6. 6 Kallol Bhattacherjee , “PM Modi speaks to Yunus, calls for safety of Hindus in Bangladesh,” The Hindu August 16, 2024.
  7. 7 その後ハシナはインドを出国し、UAEなど第三国に潜んでいるのではとの見方もあるが、所在の詳細はわかっていない。 “Hasina’s whereabouts not confirmed: Foreign Adviser,” BSS News, October 8, 2024.
  8. 8 Ahmede Hussain, “India’s ‘Sheikh Hasina Problem’ is Not Going Away Easily,” The Wire, August 25, 2024.
  9. 9 伊藤融「揺れるスリランカをめぐるインドと中国の影響力争い―クアッドは役割を果たせるか?」国際情報ネットワーク分析IINA、2022年8月19日。
  10. 10 Meera Srinivasan, “NSA Doval meets key Presidential aspirants in Colombo ahead of Sri Lanka’s September 21 polls,” The Hindu, August 30, 2024.
  11. 11 Gulam Jeelani, “Leftist, pro-China Anura Dissanayake is new President of Sri Lanka. What it means for India. Explained in 5 points,” Mint, September 23, 2024.
  12. 12 Jayadeva Uyangoda, “A break from the past, a new beginning in Sri Lanka,” The Hindu, September 25.
  13. 13 バングラデシュ暫定首相は、インドPTI通信のインタビューに応じ、AL以外はイスラーム主義者で、ハシナなしにはこの国はアフガニスタンのようになってしまうという物語をインドに超えるよう求めた。“Hasina must stay silent in India till Bangladesh seeks her extradition: Yunus, The Daily Star, September 5, 2024.
  14. 14 “Dhaka strongly protests against Amit Shah’s remarks on ‘Bangladeshi infiltrators’,” The Indian Express, September 24, 2024.
  15. 15 Kallol Bhattacherjee, “India reaches out to Bangladesh opposition BNP, envoy meets party leader,” The Hindu, September 22, 2024.
  16. 16 “In a First Since Sheikh Hasina's Ouster, India and Bangladesh Foreign Ministers Meet,” The Wire, September 24, 2024.
  17. 17 伊藤融「岐路に立つインド外交―モディ政権下の10年の評価と課題 」『国際問題』718号、2024年4月。
  18. 18 Meera Srinivasan, “Sri Lankan Opposition JVP leader meets Jaishankar, Doval,” The Hindu, February 6, 2024.
  19. 19 Meera Srinivasan, “Jaishankar meets President Dissanayake, reaffirms India’s ‘full support’ in Sri Lanka’s economic recovery,” The Hindu, October 4, 2024.
  20. 20 Harsh V. Pant and Aditya Gowdara Shivamurthy, “From China Tilt to a Balancing with Beijing and Delhi,” The Hindu, June 25, 2024.
  21. 21 Suhasini Haidar, “India Gives Maldives a $750 Million Currency Swap Arrangement,” The Hindu, October 9, 2024.