はじめに

 2024年は世界各国で重要な選挙が行われる「選挙イヤー」だ[1]。なかでも、南アジアではインド、パキスタン、バングラデシュという主要3カ国の総選挙が2024年の1~5月に集中する。このほか、ブータン、モルディブ、スリランカでも議会選挙や大統領選挙が行われる。本稿では、これらのうちすでに選挙が実施されたパキスタン、バングラデシュ、ブータン、そして昨秋大統領選挙が行われ、近く議会選挙が予定されるモルディブの国内政治情勢と地域大国インドとの関係を論じる。

「親印」と「親中」で政権交代が繰り返されるモルディブ

 近年、インドが圧倒的な影響力を誇ってきた南アジアでも、中国の影響力が拡大・浸透していることはよく知られている。そんななかで、南アジアでは程度の差こそあれ、インドと中国とそれぞれどのような関係を築くべきかという論点が、各国の内政対立のなかにも入り込んでくるようになった。とりわけ、小国ほどその傾向は強く、党派間の権力闘争が「親印派」と「親中派」というかたちで展開されてきた。

 モルディブはその典型的な事例である。2008年の初めての民主的選挙で30年に及ぶガユーム独裁に勝利したナシードのモルディブ民主党(MDP)はインド重視策をとった。しかしナシード大統領は2012年の「クーデター」騒ぎで失脚し、翌年の大統領選挙で就任したモルディブ進歩党(PPM)のヤミーン大統領は、ナシードら反体制派を徹底的に弾圧するとともに、中国との間で自由貿易協定を締結したほか、一帯一路にも参画して多額の融資を受け入れた。ところがそのヤミーンも、2018年の大統領選挙でナシードの腹心、MDPのソーリフに敗れるという波乱が起きた。インドは「民主主義の勝利」と評価し、ソーリフの就任式典にはモディ首相が主賓として招かれた。

 しかし「親印政権」は続かなかった。2023年9月の大統領選挙でソーリフはPPMを中心とした野党連合候補のムイズに敗れる。選挙戦で「インド出て行け(India Out)」というスローガンを掲げたムイズ新大統領は就任後、自国に駐留してきた70名余りのインド軍兵士の退去を公約通り求めた。インド軍は、離島の医療支援のための航空機やヘリを運用してきたのだが、ムイズは国民のナショナリズム感情を煽り、外国軍の駐留は認めないと譲らなかった[2]。両国間での協議の結果、インド側は軍人を文民に置き換えることに合意した[3]。くわえて、モルディブ側は自国領海内でインドがこれまで行ってきた水路測量協力の終了も通告した[4]。

 関係悪化のなか、2024年1月、モディ首相がモルディブ近くのインド領ラクシャディープ諸島を訪問したことにムイズ政権内から侮辱的発言が飛び出しことを受け、インドでもSNS上などで「ボイコット・モルディブ」キャンペーンが展開され、インドの旅行サイトのなかにはモルディブ行きの航空機の取り扱い停止するものも出た[5]。そんななか、ムイズ大統領は慣例を破ってインドではなく、中国を最初に訪問し、中国人観光客の誘致や投資拡大を求めた[6]。さらに戦略的パートナー宣言とともに、中国の安全保障イニシアチブへも参加を表明した[7]。こうしたムイズ大統領の中国傾斜に対し、議会で多数を占める野党は批判を強めている。モルディブでは3月に任期満了を迎える議会の選挙が予定されているが[8]、インドとの関係悪化を懸念する観光業界などの動きもあり、ムイズ政権の「反印親中」政策の是非が大きな争点となろう。

インドとの距離感が争点となるブータン

 モルディブほどではないが、最もインドに忠実な国といわれてきたブータンにおいても、インドからの自立を図ろうとする動きが出ている。王政から2008年の立憲君主制への移行に伴い誕生した調和党(DPT)のティンレイ政権は、インドの頭越しに中国との国境問題解決と国交樹立に意欲を示した。これに対しインドは、意図的なものではないとしているが、2013年総選挙の決選投票の際、ブータンへの家庭用燃料補助金を停止する措置をとった。燃料価格高騰のなか、当時野党であったトブゲイの人民民主党(PDP)はDPTの対中接近を厳しく批判して政権を奪取する[9]。この親印的なトブゲイ政権に中国は圧力を加え、2017年には係争地のドクラムで一方的な道路建設を開始し、トブゲイ政権を支援するインドが部隊を派遣して対峙する事態にまでなった。

 しかしこのドクラム危機の翌年の総選挙で、初めて政権を担った協同党(DNT)のツェリン政権は再び中国との国境問題解決に乗り出し、インドでは懸念が広がりつつあった[10]。そんななかで行われたのが2024年1月9日の総選挙決選投票である。この結果、親印的なトブゲイ政権が復活することとなり、インドはこれを歓迎している[11]。このように、ブータンでもモルディブ同様、各政権が地域における印中の影響力争いに翻弄される現象が観察できる。

印中双方から支持を得て長期化するバングラデシュのハシナ政権

 これに対し、影響力を競う印中を同時に巧みに引き込んでいるのが、バングラデシュのハシナ首相である[12]。ハシナ率いるアワミ連盟(AL)は2008年末に行われた総選挙でライバルのジア元首相率いるバングラデシュ民族主義党(BNP)を破ってから、異例の長期政権を維持してきた。その間、バングラデシュは縫製業などを軸に高い経済成長を続け、2026年には後発開発途上国(LDC)からの卒業も予定される。しかしその一方で、BNPをはじめとする野党指導者やメディアなどを厳しく弾圧・排除し、権威主義化が進んだのも事実である。ハシナ政権が連続4期目をかけて臨んだ今回の総選挙でも、選挙管理内閣への移行などを求める野党の抗議運動を抑え込んだ。

 BNPほか主要野党ボイコットのなかで強行された1月7日の総選挙は、当然のことながらALの圧勝に終わり、ハシナ政権は2029年まで続く見通しとなった。欧米諸国が自由・公正な選挙とは言えないとして批判を強める一方[13]、中国はもちろんのこと、インドも沈黙を貫いた。中国にとって、ハシナ政権は一帯一路の重要なパートナーであり、バングラデシュには巨額の投融資を注ぎ込まれ大規模なインフラ建設が進められている。くわえて多くの中国製兵器を購入してくれるお得意様でもある[14]。同時にインドにとっても、ハシナ政権のALは歴史的経緯もあり、バングラデシュで最も親印的な政党と捉えられている[15]。イスラム過激主義に厳しく、反印勢力の取り締まりにも積極的なハシナ政権はインドの治安の観点から望ましいし、モディ政権の掲げる「アクト・イースト政策」やベンガル湾多分野技術経済協力イニシアチブ(BIMSTEC)推進にも、ハシナ政権の政策とは親和性がある。だからこそ、モディも習近平も即座にハシナ再選の祝意を伝え、両国とも駐在大使がハシナにいち早く面会を果たしたのである。中国はもちろんだが、インドも選挙プロセスの問題には一切触れず、モディは「選挙を成功させた」とハシナを絶賛した[16]。

 完全に同床異夢だが、強権化を批判する欧米との距離が広がるなか、ハシナ政権はインドと中国を味方に引き込んで反体制派を封じ込め、自身の権力維持に繋げているのである。

軍が実権を握るパキスタン文民政権

 インドと「宿命の対立関係」にあるパキスタンの場合はやや事情が異なる。どの政党もあからさまな親印政策を掲げることはない。それでも、1990~93年、97~99年、2013~17年の3度にわたって首相を務めたナワズ・シャリフのパキスタン・ムスリム連盟シャリフ派(PML-N)は、インドとの対話や和平に前向きな姿勢を示してきた。しかしそのたびに軍の公然・非公然の介入によって挫折あるいは失脚させられてきた[17]。軍は2018年の総選挙で元クリケット選手の英雄、イムラン・カーン率いる新政党パキスタン正義党(PTI)を支持し、成立したカーン政権と蜜月関係を築いた[18]。ところがその後、陸軍参謀長の後任人事等をめぐって軍と対立したカーンは退陣に追い込まれ、2022年からは事実上の亡命中のシャリフの弟、シャバズ・シャリフを首班とする連立政権となっていた。

 そんななかで迎えた2月8日の総選挙を前に、軍はカーンとPTIを徹底的に排除した。軍が主導してカーンに汚職や機密漏洩の疑惑などをかけ、裁判所から有罪判決を引き出して選挙への出馬を封じたほか、選挙管理委員会を通じて選挙でのPTIの政党としての登録すら許さなかった。他方で軍は何度も対立してきたナワズ・シャリフには帰国を許し、大規模な選挙活動を可能にさせた。軍との間で何らかの取引があったとみられ、PML-Nの圧勝は確実と思われた[19]。

 ところが蓋を開けてみると、無所属での出馬を余儀なくされたPTI系の候補が第一勢力となる予想外の事態となった。若者を中心に軍への不信感が高まっており、カーンへの根強い人気があると指摘される。それでも陸軍参謀長はシャリフらを中心にした連立を支持する考えを早々に示した[20]。その思惑通り、シャリフの弟シャバズ・シャリフを首相とし、そこにブットー=ザルダリ家率いるパキスタン人民党(PPP)などPTI以外の主要政党が加わる連立政権が成立する見込みである。

 インド国内には対話に前向きなシャリフ政権を歓迎する声もあった。しかし、政権基盤がきわめて脆弱で、軍の影響力がますます強まるパキスタンとの関係構築には、モディ政権としては自国の総選挙前はもちろん、選挙後でも慎重にならざるをえないだろう。

おわりに

 いずれにせよ、南アジア各国ではそれぞれ程度の差こそあれ、地域大国インドとの関係が国内政治の争点になっている。これに対し、4~5月に行われるインド総選挙では、南アジア周辺国との関係は、パキスタンとの関係についてですら、まったくといっていいほど争点にならない。たしかに野党は、モルディブなどの関係悪化をモディ政権の失政として挙げてはいる。しかし、モディ政権と与党は、G20議長国として誇示した「世界のグル(偉大な指導者)」としてのモディのイメージや2027年までに世界第3位のGDP大国となることなどをアピールし、そちらのほうが国民の多くの共感を呼んでいるようだ。足元の南アジアがどうなろうとも、われわれは世界大国へ向かうという自信がインドを覆っている。

(2024/02/27)

脚注

  1. 1 アジア・パシフィック・イニシアティブ地経学研究所のサイトで各国の選挙日程などが取りまとめられている。
  2. 2 “Foreign troops must leave Maldives, president-elect Muizzu says,” Reuters, October 4, 2023.
  3. 3 “India to replace military personnel in Maldives with civilian technical people,” The Telegraph online, February 24, 2024.
  4. 4 Anirban Bhaumik, “After asking New Delhi to withdraw its troops from Maldives, Prez Muizzu stops India from conducting hydrographic surveys,” Decan Herald December 15, 2023.
  5. 5 EaseMyTripのXポスト。
  6. 6 Meera Srinivasan, “Maldives President Muizzu urges China to reclaim top spot in tourist arrivals amid boycott campaign in India,” The Hindu, January 9, 2024.
  7. 7 Meera Srinivasan, “Maldives, China agree to ‘elevate’ strategic cooperation,” The Hindu, January 11, 2024.
  8. 8 モルディブ選挙管理委員会は 3月17日に議会選挙を予定しているが、ラマダンの時期と重なるため、投票率低下を懸念する野党は延期を要求している。Meera Srinivasan, “Maldives parliament votes to postpone general election,” The Hindu, February 12, 2024.
  9. 9 伊藤融『新興大国インドの行動原理―独自リアリズム外交のゆくえ』慶應義塾大学出版会、2020年、123頁。ブータンの総選挙は、全政党が参加する予備選ののちに上位二党による決選投票が行われる。
  10. 10 Aadil Brar, “Why India Is Worried About the China-Bhutan Border,” Newsweek, November 1, 2023.
  11. 11 Dipanjan Roy Chaudhury, “Pro-India Tshering Tobgay set to be Bhutan's PM for 2nd time,” The Economic Times, January 10, 2024.
  12. 12 Syed Munir Khasru,”Elections in Bangladesh: Why both India and China are backing Sheikh Hasina,” The Indian Express, January 7,2024.
  13. 13 U.S. Department of State, “Parliamentary Elections in Bangladesh,” January 8, 2024.
  14. 14 SIPRIデータベースによると、ハシナ政権が発足した2009年から22年までの間に、バングラデシュの兵器輸入全体に占める中国の割合は、72%にものぼる。SIPRI, IMPORTER/EXPORTER TIV TABLES.
  15. 15 アワミ連盟がパキスタンからの独立を求めて立ち上がったのを支える形でインドが軍事介入し、バングラデシュは独立を果たした。ハシナは独立時および父がクーデターで失脚して軍事政権となったときにインドで暮らした。
  16. 16 Rezaul H Laskar, “’People-centric partnership’: PM Modi congratulates Sheikh Hasina on re-election,” Hindustan Times, January 8, 2024.
  17. 17 たとえば1999年にはムシャラフ陸軍参謀長のクーデターが起きた。2017年には汚職疑惑により、最高裁判所から失職判断が下され、その後有罪判決が出されたが、その背後には軍の圧力があったとみられている。G Parthasarathy, “Why Pakistan Army wanted Nawaz Sharif out and here's what may happen,” The Economic Times, July 31, 2017.
  18. 18 Christophe Jaffrelot, “Imran Khan, the Army’s Choice,” The Nation, September 4, 2018.
  19. 19 “Army looms large as Nawaz Sharif eases towards fourth term in Pakistan,” The Guardian, February 5, 2024.
  20. 20 “Pakistan Army chief backs Nawaz Sharif’s call to form coalition government,” The Hindu, February 10, 2024.
  21. 21 Lokniti-CSDSがデリーで今回初めて有権者となる若者を対象に行った世論調査では、モディ支持は81%に達し、その理由のトップ3は話術、インドの国際イメージ向上、カリスマ性であった。”Behind the numbers: Delhi’s youth ahead of 2024 elections,” The Hindu, February 13, 2024.