2024年5月2日、ベトナム国会は臨時国会を召集し、ブオン・ディン・フエ国会議長の解任を可決した。この1か月あまり前には、ボー・バン・トゥオン国家主席が同じく解任されたばかりであった。ベトナムの政治指導部人事において、5年毎に行われる党大会の開催時ではなく、任期の途中で辞任や交代が起こることは「歴史的には」異例のことである。ただ近年の状況に限れば、こうした異例の事態はむしろ「常態化」している。ベトナムの政治変動の背景には何があり、そして内政の不安定化は対外面にいかなる影響を及ぼすのか。本短評は、政治指導部の相次ぐ辞任劇の背景と、経済や対外政策への影響を探る。

政治指導部のドミノ辞任――かまどに火をくべ続けたらかまど自体が燃え出した?

 いわゆる「4つの柱」(Tứ trụ)と呼ばれる政治トップ4役(共産党書記長、国家主席、首相、国会議長)からなる政治指導部の辞任劇は、2023年から始まった。同年1月、グエン・スアン・フック国家主席が辞任し、党政治局員兼党書記局常務書記であったボー・バン・トゥオンが代わって就任した。そのわずか1年余り後、トゥオン国家主席は辞任し、その1か月後にはフエ国会議長が辞任した。2021年の第13回党大会で発足した政治指導部は、3年間で3人が交代することとなったが、任期途中に死去ではない辞任によって政治指導部の成員が交代することは、前代未聞の出来事であり、かつその頻度も前例のないものであった。

 辞任劇は政治指導部にとどまらず、その周辺にも及んだ。フック国家主席辞任直前にはファム・ビン・ミン副首相兼外相とブー・ドゥック・ダム副首相が辞任し、トゥアン国家主席辞任直前の2024年1月にはチャン・トゥアン・アイン政治局員が、そしてフエ国会議長辞任直後にはチュオン・ティ・マイ書記局常務兼中央組織委員長が辞任した。これで、第13回党大会で選出された18人の政治局員のうち3分の1にあたる6人が辞任したことになる[1]。

 相次ぐ辞任劇の背景には、グエン・フー・チョン共産党書記長が強力に推し進める反汚職キャンペーンがある。これは「かまどに火をくべる」(đốt lò)「戦役」(chiến dịch)と呼ばれており、チョン書記長就任直後に開始され、その後10年以上続いている。同キャンペーンは近年過激化しているが、その直接の原因はコロナ禍を背景にした2件の大規模な汚職スキャンダルであった。1件目は、医療機器メーカーによる新型コロナウイルス検査キットをめぐる汚職事件であり、ハノイ市人民委員会主席や保健相をはじめ、100人ものメーカー関係者や公務員が逮捕された。2件目は、コロナ禍で停止されていた定期航空便に代わって運航された帰国者向け特別便の許認可に関わる事件であり、外務次官をはじめとする外務省他の省庁関係者や旅行会社職員30人余りが逮捕されるに至った[2]。先述した2人の副首相の辞任は、ダム副首相は保健省、ミン副首相は外務省の監督責任を問われたものである。フック国家主席の辞任はその延長線上にあり、そしてトゥオン国家主席やフエ国会議長の辞任は、別の汚職事件の責任を取った形である。

 こうして、自らの管轄下にある組織や人物が重大な汚職事件を起こした場合、その責任を取って辞任する、という「辞任の文化」が、チョン書記長のイニシアチブによって半ば強制的に定着していった[3]。汚職一掃のキャンペーンの過激化により、政治のトップクラスが逮捕されないまでも次々と辞任するに至り、「かまどに火をくべる戦役」はさながら「かまどに火をくべすぎて、かまど自体が燃え始めた」状況である。

次期党書記長をめぐる権力闘争の気配

 反汚職キャンペーンは、党の綱紀を粛正し、国民の党に対する信頼を保つ目的ではあったが、同時に権力闘争の様相を帯びている。異例の3期目を務め、高齢で健康不安が取り沙汰されているチョン書記長は、2026年に予定されている第14回党大会で交代する可能性が濃厚となっている。政治指導部の相次ぐ辞任劇の前には、フエ前議長やトゥオン前国家主席が次期書記長として有力視されていたが、現在ではトー・ラム前公安相、現国家主席が有力な候補者として急浮上している。ラム国家主席は、反汚職キャンペーンにおいてチョン書記長の右腕として辣腕を振るい、大型の汚職案件を次々と摘発してきた。その実績が評価され、公安相から国家主席へ抜擢されたと考えられている。

 ただ、公安畑からの書記長就任は例がない、党中央委員からの信任を得ることは容易ではない、といったマイナス要因も指摘されている[4]。政治指導部内で現在「生き残っている」ファム・ミン・チン首相も書記長の座をうかがっていることであろう。党書記長レースは通例党大会前に激化する。公式には党中央委員の投票を経て書記長は選出されるが、そのプロセスに関する情報は徹底的に秘匿され、部外に漏れる情報はごくわずかである。あと約1年半の書記長レースの結果は、依然として不透明なままである。

経済への影響

 1980年代半ばからのドイモイ(刷新)政策以降、ベトナム経済は目覚ましい発展を遂げてきたが、その原動力となった外国直接投資を呼び込むためにベトナムがアピールしたのが、政治の安定性であった。共産党一党独裁のベトナムは、政治体制が変化せず、政治指導部が党大会を境に整然と交代することを「安定性」と読み替え、こうした政治環境の継続性は外国投資に適していると訴えてきた。今、その安定性は揺らいでいる。現在、政治の不安定化を嫌って外国からの投資が減少、ないしは資本の逃避、といった兆候は特に見当たらないが、そうした状況が生じる懸念が、ベトナム・ウォッチャーからは指摘されている[5]。

 反汚職キャンペーンより明らかな弊害として顕在化しているのは、官僚機構のマヒである。官僚たちは、摘発を恐れ、行政手続きに尻込みしているという。また派生的な影響として、許認可ラインにいる行政官が逮捕され、手続きが遅滞するといった現象が生じているという[6]。

対外政策への影響

 ベトナムは近年、「竹外交」と銘打ち、対外環境や国内状況に応じて柔軟な政策をとることにより、国益の増進を図りつつ、かつ特定の国に与することなく、戦略的自律性を維持する外交姿勢を推進している[7]。反汚職キャンペーンの激化と政治の不安定化のなかでも、この対外政策の基本方針自体には変化はない。ラム国家主席も就任時の演説で、「対外関係の多方面化、多様化の外交路線を効果的に堅持、展開し、『ベトナムの竹』の外交の特色を保持し、国際関係に主体的かつ積極的に参入する」と述べ、チョン路線の継承を明言した[8]。

 しかし、竹の揺れ方のニュアンスは変化している。国内の政治情勢が不安定なため、現在の政治指導部にとって、対外関係、特に中国との関係が不安定化した場合、それに効果的に対処する余裕はない。そのため、ベトナムは中国に対し専ら恭順の姿勢を示している。潜在的な緊張をはらむ南シナ海でも、中国に対して強い姿勢に出ることは厳に慎んでいる[9]。

 一方、対外関係の大胆な動きも鳴りを潜めている。2023年に包括的戦略パートナーシップの関係を結んだ米国との関係は、その後大きな進展はない。むしろ、伝統的なロシアとの関係を再確認する動きが目立った。6月19~20日、プーチン大統領が越ロ友好関係条約締結30周年を記念してベトナムを公式訪問したが、その際政治トップ4役すべてと会談した。プーチン大統領の訪越は優れて象徴的なもので、両国間で新規の協力事項は特に見当たらないものの、共同宣言において「ロシアはウクライナ問題に関するベトナムのバランスの取れた、客観的な立場を高く評価する」と明記されるなど、ウクライナ侵攻を続けるロシアの立場に理解を示すベトナム、の立ち位置を再確認するものであった[10]。中ロとの関係安定化を優先するベトナムの姿勢は、保守派イデオローグとしてのチョン書記長への権力集中と相まって、内外両面におけるベトナムの「保守化」を示すものと言えるであろう。

 ※本稿の見解は筆者個人のものであり、筆者の所属組織の公式見解ではない。

(2024/07/02)

*こちらの論考は英語版でもお読みいただけます。
Vietnam's Domestic and Foreign Policies: Successive Leadership Resignations and Their Impact on Foreign Policy

脚注

  1. 1 「共産党指導部の序列5位が辞任、党則違反に問われる(ベトナム)」日本貿易振興機構(ジェトロ)ビジネス短信、2024年5月24日。
  2. 2 石塚二葉、坂田正三「2022年のベトナム――大規模汚職事件に揺れる一方で高度成長を達成」アジア経済研究所編『2023アジア動向年報』199-200頁。
  3. 3 石塚二葉「ベトナム国家主席辞任劇にみる反汚職闘争の論理」IDEスクエア『世界を見る眼』(アジア経済研究所)2023年2月。
  4. 4 “Chủ tịch nước Tô Lâm: Ghế tổng bí thư có dễ dàng?” BBC Tiếng Việt, May 25, 2024.
    (トー・ラム国家主席――書記長のイスは簡単に獲得できる?)
  5. 5 Le Hong Hiep, “Two Presidents Ousted in One Year: What Lies Ahead for Vietnam’s Political Outlook?” Fulcrum (ISEAS Yusof Ishak Institute), March 20, 2024.
  6. 6 「政治局員相次ぎ失脚――ベトナム、汚職摘発強化」『読売新聞』2024年6月9日。
  7. 7 庄司智孝「大国間競争とベトナムの『竹外交』――全方位外交の温故知新」国際情報ネットワーク分析IINA、2023年8月31日。
  8. 8 “Toàn văn Phát biểu Nhậm chức Chủ tịch nước của Đồng chí Tô Lâm,” Nhân dân, May 22, 2024.
    (トー・ラム氏の国家主席就任演説全文)
  9. 9 庄司智孝「ベトナムの対中政策――恭順と牽制」国際情報ネットワーク分析IINA、2024年2月5日。
  10. 10 “Tuyên bố chung giữa Cộng hòa XHCN Việt Nam và LB Nga về làm sâu sắc hơn quan hệ Đối tác chiến lược toàn diện trên cơ sở thành tựu 30 năm thực hiện Hiệp ước về những nguyên tắc cơ bản của quan hệ hữu nghị Việt Nam-Nga,” Nhân dân, June 20, 2024.
    (越ロの友好関係の基本原則に関する条約締結30周年を礎とした、包括的戦略パートナーシップの深化に関するベトナム社会主義共和国とロシア連邦の共同宣言)