はじめに
2023年3月、豪英米の3カ国は、AUKUSを通じた豪州への原子力潜水艦の供与に関する「最適の経路(optimal pathway)」を発表した。それによると、まず2023年以降、米英による豪軍要員への訓練が行われるとともに、早ければ2027年にも米英は原潜の豪州への前方ローテーションを開始する。次に、2030年代初頭から、米国が豪州にヴァージニア級潜水艦3隻を売却し、必要に応じてさらに2隻を売却する。さらに2030年代後半、英国が最初のAUKUS級原潜を豪海軍に引き渡すとともに、2040年代前半には、豪海軍が自国で建造された最初のAUKUS級原潜を入手することになっている[1]。
以上の決定を受け、豪政府は豪州潜水艦庁の発足や、潜水艦建造ヤードの取得、訓練や研修を目的とした米英への職員の派遣や、原子力保安に関する関連法案の整備といった、原潜の調達に向けた体制や取り組みを着々と強化している。2023年12月に米国議会で可決された国防権限法(NDAA)には、豪州へのヴァージニア級潜水艦3隻の譲渡に関する実質的な許可条項が盛り込まれた。これにより、AUKUSの懸案の一つであった、米共和党の原潜供与への反対という障害が取り除かれることになった。NDAAはまた、豪州と英国に対し、米国の防衛輸出管理ライセンスからの免除を与えることで、両国への物品と技術のより迅速な移転を可能としている[2]。
このように、2023年中にAUKUSを通じた豪州の原潜取得に向けた動きに大きな進展があったものの、同時にその課題も徐々に浮き彫りになっている。これらの課題はAUKUSの発足当初から指摘されていたものだが、それらがより鮮明になるにつれ、豪州の国内外で原潜の調達に対する懐疑論も広がりつつある[3]。本稿では、そうした課題の中でも特に重要と思われる、労働力不足と政治的要因という二つの問題に着目し、その内容について二度に分けて論じてみたい。そこからは、豪州の安全保障にAUKUSが大きな利益をもたらす反面、そのリスクも甚大であること、そしてそうしたリスクは、今後の豪州や米国の国内情勢により、さらに大きなものとなる可能性のあることが浮かび上がってこよう。
民間の労働力不足
原子力潜水艦の調達に向けた課題の中でも早くから指摘されていた問題が、原潜の建造や維持に携わる民間の労働力不足である。前述の「最適の経路」では、原潜の建造のために向こう30年間で2万人の労働力が必要となると見積もられている。その中には、南オーストラリア州のオズボーンでインフラを建設するための4,000人、南オーストラリア州の建設基地で潜水艦を建造するための5,500人、そして西オーストラリア州のHMASスターリングでインフラを整備するための今後10年間の3,000人が含まれる。これら労働力の育成のために、今後5年間で2000名の豪州の労働者が米英いずれかの潜水艦建造現場で研修を受ける予定である[4]。
もっとも、豪州がこうした需要に見合うだけの労働力を供給できるかは、定かではない。中小企業が大半を占める豪州の産業は、すでに生産能力を上回る需要に直面しており、豪州の産業界は、職人、技術者、労働者ほど顕著な技能不足に直面している[5]。さらに、豪州は教育や能力開発の面でも苦戦している。豪州の高校の最終学年度の学生のうち、高度な数学を専攻する者はわずかに9%であり、その割合はむしろ減少傾向にあるという。ある報告書によると、世界100カ国の技能と資格の状況を評価した結果、豪州はザンビア、オマーン、ニュージーランドのすぐ下、世界第59位にランクされていた[6]。
こうした状況を受け、豪政府は2023年11月に労働力の育成に向けたロードマップを発表し、特にSTEM分野での人材育成に力を入れ始めている[7]。だが、これらの技能を身につけた人材が全て国防関連の職種につく保証はない。また原潜の建造やインフラの建設には、これら建設の「頭脳」となるSTEM人材のみならず、現場の労働力を育成していく必要もある。この点を踏まえ、12月に豪シドニー大学の米国研究センターが発表した報告書は、労働力の「多様化」を一つのキーワードとして掲げ、高度の技能を有した移民や女性及び先住民族の労働市場への参入の強化を提言として掲げている[8]。
もっとも、報告書が指摘するように、これらの施策には多くの困難も伴う。例えば国防産業に移民労働者を導入する上では厳格なクリアランスが求められるが、それら労働者の背景や交友関係等を逐一調査するのは容易ではない。また豪州の資源業界では多くの移民労働者が従事しているが、それらの労働者はビザやスポンサーシップの取得、現地の資格の欠如、技能認定を受けるための財源不足等多くの法的・文化的・金銭的困難にも直面しているという[9]。同様に、豪州のエネルギー業界は近年女性の参入を積極的に奨励し、その結果女性労働者の数は着実に増えているものの、同時にセクシャル・ハラスメントの問題なども表面化しており、さらなる女性労働者の参入には企業文化そのものを見直す動きも求められる[10]。結局のところ、豪州の労働力不足解消に向けた即効性のある解決策は今のところ見つかっていないのである。
軍の要員不足
民間の労働力不足と同様に深刻な問題が、軍の人員不足である。2022年3月、前モリソン政権は豪国防軍の常備人員を 2040 年までに30%増の約 8 万人に拡大するという野心的な計画を発表した。この発表は、新たな能力、プラットフォーム、装備を運用するために大幅な人員増が必要であるとの判断に基づくものであり、当時野党であった労働党も賛成している[11]。モリソン政権の2022-23年度国防予算で示された計画人員配分によると、2020-21年の60,330人から、2025-26年には64,532人へと、豪州軍の兵力が着実に増加することが見込まれていた[12]。
ところが、こうした期待とは裏腹に、2022-23年度の豪軍入隊は目標の72.8%であり、その結果人員はむしろ1,161人減少し、58,642人となった。これは、国防省が同年の目標として掲げた62,000人よりも5.5%も低いものである。その原因として、過去50年間でもっとも低いと言われる失業率や、離職率の増加などが挙げられている[13]。すなわち、軍の人員不足は前述した民間における労働力市場の供給不足と密接に連関した問題であり、この問題が解決しない限り、今後もこうした傾向は続くことになる。そもそも近年の豪軍の純増は年平均で300名程度であり、離職を含めると、過去7年間で417名しか純増していなかった[14]。さらに国防省の文官に至っては、2012年から2021年の間に23.6%も減少したという統計もある[15]。
軍の人員不足の影響は、すでに各方面に及んでいる。特に深刻な問題が、艦船の乗員や整備のための人員不足である。豪州にとって、6隻のコリンズ級の潜水艦の乗組員不足の解消が長年の課題であったが、2023年11月には、アンザック級フリゲートの一隻が乗組員不足で稼働できないという事態が報じられた[16]。さらにその後の報道では、乗組員不足からさらに2隻のアンザック級フリゲートを任務から外すことや、2023年中に予定されていた同艦の延伸工事を延期することを国防省が検討していることも報じられた[17]。2023年12月に紅海上でフーシ派の攻撃から商船を守る有志連合を米国が組織した際、豪州は不参加を表明したが、その一因にこうした乗組員不足の問題があったことを指摘する声もある[18]。
このような状況で、コリンズ級の2倍以上とも言われるヴァージニア級やAUKUS級原潜の乗組員を育成するためには、相当な時間と工夫を要するであろう。また原潜の運用のためには、現在900名程度と言われる潜水艦の運用に携わる人員を2,000名にまで増やす必要があると言われているが、現在米英の原潜プログラムで学んでいる豪州人は10人に満たない。さらに、単に数を増やすだけでなく、それらの乗組員は原子力推進システムに関する訓練を受け、また通常型の潜水艦と比べ長期の任務にも耐えうるだけの能力を持たなくてはならない[19]。
豪州はまた、将来の原潜のみならず、現行の戦力の維持を図る必要もある。現在の潜水艦建造に携わる豪州の労働力は1,200名程度と言われているが、それらの人員はおよそ30年前に就役した現行のコリンズ級潜水艦の10年間の延伸工事に回される可能性がある[20]。同工事は潜水艦を半分に切断し、装備を軒並み交換するものであることから、相当な時間と労力を要すると言われる。また豪州が過去に大規模な艦船を建造してから既に10年が経つことから、それら技能と労働力の維持・回復することも容易ではない[21]。労働力不足はまた、艦船を建造するためのインフラの建設等にも影響を及ぼすことになる。
軍の人員不足の解消のため、既に政府や国防省は様々な施策を打ち出している。例えば2023年5月、マールズ国防相は、軍の離職率を減らすための新しいボーナス制度の概要を発表した。この制度では、最低4年間勤務し、義務期間の終了が近づいている正職員は、さらに3年間勤務し続ければ、5万豪ドル(約480万円)のボーナスを受け取ることができる。これにより、3年間で約3400人の隊員が継続ボーナス制度の恩恵を受ける見込みであるという[22]。豪政府はまた、女性や先住民族を積極的な雇用を奨励するとともに、設備保守や不動産管理、IT議場等で外注を増やすことで、人員不足に対応しようとしている[23]。
もっとも、既に見たように豪州軍の人員不足は豪州の労働力市場全体に起因する問題であり、これらの施策が政府の求める大幅な人員増につながるとは考えにくい。そのため豪州では、引退した退役軍人を引き戻したり、あるいは米国やカナダが行なっているような市民権との引き換えに外国人兵士を雇用する案なども検討されている[24]。またAUKUSの「第二の柱」を通じた自律型無人潜水機の開発等による、軍の省人化に向けた動きも進んでいる。2023年11月には、豪英米の3カ国による海軍の自律技術や無人システムの実験が、豪州東部沿岸で行われた[25]。とはいえ、これらの施策や技術革新が豪軍の要員不足の解消に向けた根本的な手段となりうるかを判断するには、まだ一定の期間を要するであろう。
(2024/03/14)
脚注
- 1 Australian Submarine Agency, “Optimal Pathway.”
- 2 Australian Government Defence, “Passage of priority AUKUS submarine and export control exemption legislation by the United States Congress,” December 15, 2023.
- 3 See for instance, “Dead in the Water: The AUKUS Delusion”, Australian Foreign Affairs, February 2024.
- 4 Australian Submarine Agency, op.cit.
- 5 Peter Dean, Alice Nason, Sophie Mayo and Samuel Garrett, “AUKUS inflection point: Building the ecosystem for workforce development,” United States Studies Center, December 11, 2023.
- 6 Ibid.
- 7 Australian Government Defence, “Investing in our defence industry workforce for the future,” November 10, 2023.
- 8 Peter Dean et al., op.cit.
- 9 Ibid.
- 10 Ibid.
- 11 Parliament of Australia, “The state of Australia’s defence: a quick guide,” July 27, 2022.
- 12 Ibid.
- 13 Jennifer Parker et al., “The big squeeze: ASPI Defence budget brief 2023-2024,” Australia Strategic Policy Institute, May 2023.
- 14 Marcus Hellyer, “Defence Budget 2023-24 -nervous times ahead,” Australia Defence Magazine, June 12, 2023.
- 15 Parliament of Australia, “The state of Australia’s defence: a quick guide,” July 27, 2022.
- 16 Ben Packham, “Frontline frigate out of action as personnel crisis bites,” The Australian, November 23, 2023.
- 17 Ben Packham, “Workforce crisis threatens to put two more Anzac frigates out of service,” The Australian, January 15, 2024.
- 18 Greg Sheridan, “ADF’s military incompetence, counter-drone failings exposed”, The Australian, December 20, 2023.
- 19 Nick Childs, “The AUKUS Anvil: Promise and Peril,” IISS, October 5, 2023.
- 20 Jess Malcolm, “Defence and unis partner for AUKUS subs plan,” The Australian, November 6, 2023.
- 21 Nigel Pittaway, “Shipbuilding goal: recruit, train, retain,” The Australian, November 7, 2023.
- 22 Andrew Tillett, “Troops to get $50k bonuses to stay in army life,” AFR Online, May 1, 2023.
- 23 Marcus Hellyer and Ben Stevens, The cost of Defence: ASPI Defence budget brief 2022–23, Australian Strategic Policy Institute, June 2022, p.50.
- 24 Mattew Knott, “Government considers poaching defence talent from overseas in major shift,” The Sydney Morning Herald, January 6, 2024.
- 25 Fatima Bahtić, “AUKUS partners test uncrewed undersea tech in Australia”, NAVALTODAY.COM, November 13, 2023.