前編では、AUKUSを通じた豪州の原潜取得に向けた課題として、原潜の建造や維持のための民間の労働力や、軍の人員不足という問題を扱った。後編では、原潜の取得をめぐる豪州の国内政治状況や、米国の政治要因について考えてみたい。
豪州国民は原潜の取得をどう見ているか
豪州の世論は、政府による国防力の強化を概ね支持している。2022年の連邦選挙の前後に実施された世論調査では、インフレ等による生活費の圧迫にもかかわらず、国防費の増額を望む国民が2019年から12%も増加し、41%になっていた。これは10年以上ぶりの大幅な増加であり、東ティモール危機と9.11以来の急上昇であると言われる[1]。また2022年にローウィー研究所が実施した世論調査では、AUKUSが豪州をより安全にすると答えた回答者が5割以上(52%)を占め、「変わらない」(22%)もしくは「安全ではなくなる」(7%)とする回答者を大きく上回っていた[2]。同調査ではまた、豪州の原潜の取得についても7割の回答者が支持を表明している[3]。
その一方で、AUKUSの進展に関する調査や費用に関する報道などが伝えられるにつれ、そのリスク要因により関心が集まっている。特に維持費や運用コストを含めると総額2680億〜3680億豪ドル(日本円で約26兆〜36兆)にも上るとも言われる巨額のコストとその費用対効果については、疑問の声も少なくない。2023年3月にガーディアン紙が実施した調査では、原潜が必要であり、コストに見合う価値があると考える人は26%しかいなく、必要だがコストに見合わないと考える人の27%、必要ないと考える人の28%を下回っていた[4]。また前述のローウィー研究所による2023年の調査では、国防費の増加を支持する割合が41%となり、前年比で10%も低下した[5]。原潜の調達についても、支持が前年比で3%低下した反面、不支持が3%上昇している[6]。
こうした中、2023年5月にはAUKUSに批判的な議員や元議員、元軍人、専門家等による公開レターが出され、豪州の主要紙に掲載された。同レターは、AUKUSの決定や内容に関する不透明性を指摘し、予算コストや計画期間、労働力や技能不足、豪州の主権と戦略的政策への懸念、核廃棄物と不拡散条約の義務といった懸念事項を列挙した上で、これらの事項に対する政府側の回答を求めている[7]。
さらにアルバニージー政権は、AUKUSをめぐる党内の反乱にも直面した。労働党内では、左派議員を中心とした約40(最終的には50以上)の地方支部がAUKUSに全面的に反対、あるいはその見直しを求め、8月の党の全国大会でこの問題について討議することを求めた[8]。これに対し、リチャード・マールズ国防相とパット・コンロイ国防産業相は原潜計画の国家的利益についての説明と、安全性や地元雇用の確保を約束した32段落にも及ぶ声明を党の綱領に入れることで、反対派の宥和を図った[9]。最終的に、8月の党大会では党の綱領にAUKUSへの支持を入れることについて、参加者の8割が賛同の意を示し、この問題は一旦は収束した。しかしながら、国内生産をめぐる今後の進展具合や、財政状況によっては、党内でAUKUS反対論が再燃する可能性も否定できない。
米国の国内状況
より深刻な問題は、米国内の動向であろう。前節で見たように、米国議会は12月に豪州への原潜供与に同意したものの、潜水艦の譲渡が「米国の海中能力を低下させず」、「米国の外交政策と国家安全保障上の利益に合致する」ことを米大統領が証明すること、また米国が自国のニーズを満たすために「十分な潜水艦の生産・保守投資を行う」こと、そして豪州が同艦を運用する能力を持つことなど、多くの条件がつけられた[10]。また、豪州は潜水艦の購入費用とは別に、米国の潜水艦産業育成のために30億米ドル(日本円で約4400億円)を支払わなければならない。
ここでもっとも大きな問題となるのが、米国の原潜の生産能力の問題である。現在の米海軍の弾道ミサイル搭載原子力潜水艦以外の潜水艦は50隻前後で、長期目標である66〜72隻には遠く及ばない。ある分析によると、豪州に提供する分を踏まえた場合、米国は現在から2030年代にかけてヴァージニア級原潜を少なくとも年間2.3隻のペースで建造する必要がある。もっとも、ヴァージニア級の引き渡し速度は現在、年1.4隻程度であり、2隻に達するまでには5年かかると見られている[11]。
米議会予算局の報告書によれば、造船所を維持するために投資を30-40%増加する必要があるというが、投資を増やせばこの問題が解決するわけでもない。特に米国の造船業界は豪州同様に深刻な労働力不足に悩んでいる。例えば米国の原潜の主要メーカーのひとつであるエレクトリック・ボートは、10年以内に必要とされる合計7,000人の新規労働者のうち、4,000人しか獲得できていないという[12]。労働力不足の問題は、潜水艦の建造のみならず、維持と修繕にも影響を及ぼす。ある指標によると、米海軍の攻撃型原子力潜水艦の稼働率は、60%にまで低下したとも言われる[13]。
仮に米海軍が国内生産で自国のニーズを満たせなくなれば、AUKUS計画に対する米海軍や議会の支持は再び低下する可能性がある。さらにそうした軍や議会の意向を汲んだ将来の大統領が、豪州への原潜の供与の判断を覆す可能性は全く否定できるものではない。特に2024年11月に行われる米大統領選挙でドナルド・トランプが大統領に返り咲いた場合、その可能性は一層高まることになる。次期トランプ政権入りが噂される有力な安全保障アドバイザー候補の一人は、AUKUSに支持を表明しつつも、米の原潜生産ライン強化を最優先すべきことを主張している[14]。こうした点から、豪州でも米大統領選の行方とその影響について懸念が高まっている[15]。
AUKUS挫折のリスクと「プランB」の可能性
仮にAUKUSによる原潜計画が頓挫した場合、特に豪州にとっての政治的リスクは甚大である。その場合、豪州の防衛の信頼性が低下するばかりか、米国や英国との関係はほぼ間違いなく悪化することになろう。また米国が豪州への原潜供与を拒否すれば、他の同盟国はそれをワシントンの戦略的コミットメントに対する不確実性の証拠とみなすかもしれない[16]。さらに英国にとっても、米国との「特別な関係」にヒビが入るのみならず、AUKUSが提供する産業機会を失うことで、自国の原子力潜水艦計画はますます弱体化し、維持が困難になる可能性すらある[17]。
それでは、豪州はAUKUSを通じた原潜の取得が挫折した場合の「プランB」を持っているのだろうか。実は豪州の国防専門家の間では、数年前からAUKUSが成功したなかった場合に備え、米国の保有する長距離ステルス爆撃機B-21の取得を求める声が存在した。そうした声によると、B-21は原潜よりもずっと短い期間かつ低コストで調達が可能であり、原潜と同等ないしそれ以上の対中抑止力をもたらす[18]。またB-21は核廃棄物処分場を必要とせず、さらに高濃縮ウランの再利用に関する核拡散の懸念を引き起こすこともない[19]。こうした声は、米国の国内政治状況の動向によっては、今後さらに強まっていく可能性もある。
もっとも、豪州政府や国防省は今のところこうした声に耳を貸すそぶりを見せていない。2023年4月に公表された「国防戦略見直し」も、豪州の戦略状況や国防戦略へのアプローチ、そして能力開発という観点からB-21の取得が適切な選択肢ではないとして、その可能性をはっきりと否定した[20]。すでに見たように、アルバニージー政権は原潜の取得に向けて国を挙げた体制を敷いており、その方針転換は、場合によっては政権を転覆するほどのインパクトをもたらすであろう。前政権時代とはいえ、豪州はすでに次期潜水艦の選定において一度決定したフランスとの合意を覆すという決断を下している。米英との関係を考えても、そうした決断を豪州が再び下す可能性は今のところ考えにくい。むしろ、トランプ政権が誕生した場合でもあらゆる政治的な資源を用いて、原潜の導入を成功に導くよう働きかけていくことが、現政権の方針となるであろう。
おわりに
このように、AUKUSを通じた原潜の取得は豪州の国防に大きなメリットをもたらす可能性がある反面、失敗した場合のリスクも甚大であり、その意味で豪州にとっては「諸刃の剣」と言える。なお、本稿では労働力の問題と政治要因を取り上げたが、これ以外にも対中関係を含む戦略的なリスクや、技術面での問題等も指摘されている。特に後者に関しては、豪州のみならず、英国による建造能力を疑う声は多い[21]。仮にAUKUS級原潜の建造が遅れたり頓挫した場合には、豪州の国内建造も不可能となり、その結果ヴァージニア級を継続的に購入し続けるという事態に陥る可能性もある。あるいは場合によっては、米英による原潜の寄港の実現のみで終わってしまう可能性も否定できない。
無論、こうした事態を防ぐためにも、AUKUSが存在しているということもできる。AUKUSの目的は、豪州への原潜供与だけではない。むしろ、豪英米がより効率的な武器・装備品の開発や技術革新を行うために、国防部門での貿易や投資の促進に加え、技術や資源、サプライチェーン等の防衛産業基盤の強化や一体化を図ることこそが、その究極的な目標となる。特に前編で見たように、AUKUSの「第二の柱」である新興技術分野での協力は、技術面のみならず、労働力不足の問題を解消する上でも鍵を握る。こうした協力が今後も進み、AUKUSとしての「成功事例」が積み重なれば、AUKUSやそれを通じた豪州の原潜供与に対する政治的な支持も強化されるであろう。その意味でもAUKUSによる「第二の柱」の成功は、「第一の柱」である原潜協力の成否にも深く関わっているのである。
(2024/03/18)
脚注
- 1 Peter Dean and Hayley Channer, “Time to tap the huge investment opportunity of defence private sector”, AFR Online, May 30, 2023.
- 2 “Lowy Institute Poll 2023.”
- 3 Ibid.
- 4 Paul Karp, “Guardian Essential poll: support for Aukus and Indigenous voice declines,” The Guardian, March 20, 2023.
- 5 Ryan Neelam, Lowy Institute Poll 2023, June 21, 2023.
- 6 Ibid.
- 7 The Australia Institute, “Labor, Greens & Defence Experts call for AUKUS Parliamentary Inquiry”, May 18, 2023.
- 8 Troy Bramston, “Labor faces growing grassroots party revolt over AUKUS pact”, The Weekend Australian, August 7, 2023.
- 9 Phillip Coorey, “Marles moves to douse ‘damaging’ Labor AUKUS dissent”, Financial Review, August 17, 2023.
- 10 Ben Packham, “Congress gives US ammo to torpedo AUKUS deal”, The Australian, December12, 2023.
- 11 Nick Childs, “The AUKUS Anvil: Promise and Peril,” Institute for International Affairs, October 5, 2023.
- 12 Peter Dean, Alice Nason, Sophie Mayo and Samuel Garrett, “AUKUS inflection point: Building the ecosystem for workforce development,”, United States Studies Center, December 11, 2023.
- 13 Ibid.
- 14 Adam Creighton, “Donald Trump’s top defence advisers warn against selling nuclear subs to Australia”, The Weekend Australian, January 1, 2023.
- 15 “A Trump return could upend AUKUS plans”, The Sydney Morning Herald, January 6, 2024.
- 16 Nick Childs, op.cit.
- 17 Ibid.
- 18 Marcus Hellyer, “B-21 bomber could be Australia’s best long-range strike option”, The Strategist, Australian Strategic Policy Institute, May 24, 2021; Peter Jennings, “Getting the most out of AUKUS could require Plan B-21”, The Strategist, January 21, 2022.
- 19 Michael Shoebridge, “An AUKUS remix delivering greater military power faster: the B-21 Raider”, Defence Connect, November 15, 2023.
- 20 Australain Government Defence, National Defence: Defence Strategic Review 2023, Canberra: Commonwealth of Australia, 2023, p. 61.
- 21 Peter Briggs, “AUKUS: A solution to the risky UK gambit,” The interpreter, February 20, 2024.