1 はじめに

 8月31日の米軍の撤退期限が迫った15日、アフガニスタンのほぼ全域を勢力下に置いたタリバンが首都カブールを制圧した。この事態を機にアフガニスタンにおける最大の懸案事項が、それまでの米軍撤退後のアフガニスタン国内の安定からアフガニスタンからの人の退避にシフトした。

 筆者は、先に本サイトにおいて台湾有事に際しての日本の事態対処法制を念頭に各事態に応じた対処の枠組みについて検討した[1]。一方で、メディア等においても台湾有事と日本の対応について数多く言及されていたが、それらの対象も事態対処の枠組みに集中するなかで、日本政府、自衛隊のほか関係行政機関を含めて対応すべきもう一つの重要な対応についてはほとんど触れられることはなかった。それは、「在外邦人の保護・輸送」である[2]。

 一般に、国籍上所属している母国とは異なる国に在留している外国人の安全確保については、その在留国が責任を負っている。しかし、大規模災害や政変・暴動等による国内の治安悪化などに際して当該国が在留する外国人を保護する能力を失った場合には、当該外国人の母国が在留国に代わって自国民の安全確保のための行動をとることがある。この行動は、一般に「在外自国民の保護(protection of nationals abroad)」[3]といわれ、民間機や商船による自国民の退避が困難な場合には軍隊による退避行動が行われ、日本では、自衛隊が「在外邦人等の保護・輸送」として行う。

 そこで本稿においては、アフガニスタンの事例(以下、「アフガン事例」)で注目された自衛隊の「在外邦人等の輸送」(以下、「邦人等輸送」)について考察するにあたり、まず前編において一般的な「在外自国民の保護」として軍隊が行う「退避行動」の概念を整理したうえで、過去に最も事例の多いアメリカの「退避行動」の概要と外国によって在外邦人が退避できた事例を分析する。続いて次稿(後編)においては、台湾有事を視野に入れて、アフガン事例から見えた日本の「邦人等輸送」に内在する問題点について考察する。

2 在外自国民の保護

 「在外自国民の保護」が派遣先国の同意を得て実施される場合には国際法上の問題とはならない。そこで、派遣先国の同意なしに行われる場合に援用される正当化の根拠はケースによって異なるが、一般には、他の救済手段が失敗するか、あるいは成功の見込みがないときには、原則的に加盟国による武力による威嚇・行使を禁じた国連憲章の第2条4項の例外として自国軍隊を派遣することが正当化されるという。そして、その条件としては、「外国にいる自国民に対する生命または身体への重大な侵害が差し迫っていること」、「当該地域を管轄する官憲がその保護をできないか、又はその意思がないこと」また「適切な保護に必要な手段が試みられたが、秩序の崩壊によって失敗又は効果がないこと」が挙げられている[4]。

 通常、このような場合には、自国民と同様に危機に瀕している他国の国民についても同様に保護することが一般的であるとされ[5]、欧米諸国間では、このような緊急事態に際し協力して対応する枠組みが定着している。

3 アメリカの「非戦闘員の退避行動」

 米国は、国際社会における「在外自国民の保護」のための行動を慣習的な権利として、「非戦闘員の退避行動(Noncombatant Evacuation Operations: NEO)」と称し、その正当性の根拠としている[6]。

 NEOの具体的な運用については、行政命令[7]により緊急事態における対策の責任が割り当てられ、これに基づき国務長官と国防長官の合意が交わされている[8]。そして国防総省では、NEOの計画から実行までの枠組みを国防長官の指令[9]に定めており、各軍は、この指令に基づき「NEO」に備えるというように極めて精緻な体制がとられている[10]。

 米海軍協会(U.S. Naval Institute:USNI)によると、戦後から2021年までに自然災害によるものも含めたNEOが実施された事例は下表のとおりである[11]。

表:米海軍協会の記事を基に、筆者作成

実施年 対象国 実施年 対象国 実施年 対象国 実施年 対象国
1950 韓国 1975 ベトナム
カンボジア
1990

1991
リベリア 1991 フィリピン
ソマリア
ハイチ
ザイール
1994 ルワンダ 1996 リベリア
中央アフリカ
1997 アルバニア
ザイール
シエラレオーネ
カンボジア
1998 ケニア
タンザニア
エリトリア
ギニアビサウ
クウェート
2002 シエラレオーネ 2003 トルコ
リベリア
2004 ハイチ
バーレーン
2006 レバノン
ウェーキ島
2010 ハイチ 2011 リベリア
日本
2014 リビア
南スーダン
2021 アフガニスタン
ハイチ

 このような体制の下で行われる米国のNEOの作戦規模は大小様々であるが、時には極めて大規模な軍事作戦として行われることもある。例えば、 “Operation Sharp Edge”と呼ばれた1990年のリベリアでのNEOでは、ハリアー戦闘機や大型ヘリを艦載した強襲揚陸艦、ドック型揚陸艦、輸送艦、駆逐艦が各1隻、2,300名の海兵隊員と海軍の1,900名のほか、要員・機材の交替等のためのホテル・シップとして湾岸戦争に派遣された2隻の大型揚陸艦も投入され、作戦決定後の計画策定から実行までの間に入念な事前演習が実施されるという、極めて大規模な作戦も行われている。この作戦は1990年8月5日から翌年の2月15日まで続けられ、この間、米軍はリベリア、イタリア、カナダ、フランスなど59か国の2,439人を退避させたが、このうち米国人の占める割合は10%に満たないとされる[12]。

 なお、今回のアフガニスタンにおけるNEOの成果について、米軍撤退期限の8月31日のホワイトハウスにおける記者会見において、サキ報道官は100人から200人のアメリカ市民が残っているものの、5,500人以上のアメリカ市民とその家族および115,000人をアフガニスタンから退避させ、12万人以上が空港に向かうか、避難することができたことを明らかにした[13]。また、アフガニスタンのNEOが進行中の8月14日に発生したハイチのマグニチュード7.2の地震災害に際しては、同地におけるNEOにも対応している[14]。

4 諸外国に依頼した邦人退避の事例

(1) イラン(1985年)[15]

 1980年9月のイラク軍の全面攻撃に始まったイラン・イラク戦争は、85年3月に至り相互に都市攻撃を行う事態にまで発展した。当時、イランは日本にとってサウジアラビアやUAEに次ぐ原油輸入国で約500人の商社員、技術者らが滞在していた。そうしたなか3月17日、イラク政府は19日の午後8時以降はすべての民間航空機が攻撃対象になるという警告を発した。これにより、各国の在留者が退避を急ぐ一方、各国の航空会社は自国民の登場を優先させたため、現地日本人会は事態の悪化に備え大使館に日本航空の特別機の派遣を要請するよう申し入れた。15日午後に政府の依頼を受けた日本航空は、19日のタイムリミット前に在留邦人が退避できるように独自にジャンボ機1機を待機させた。しかし一方の政府は、イラン、イラク両政府から輸送の安全の保障がない限り日航機といえども飛ばせないとして両国との外交折衝を進めたが、イラク政府からの回答のないまま19日のタイムリミットが過ぎた。こうしたなかで大使館員が各国の大使館や航空会社と折衝に奔走した結果、トルコが本国に臨時の救援機の増派を要請してくれ215人がトルコ航空機に搭乗できた他、エール・フランスの37人をはじめ、ドイツなど4か国の航空会社により、260人余りが19日の最終便でイランを脱出できたが、36人の邦人は、テヘラン郊外に避難していたため情報入手の遅れでこの退避に間に合わなかった。これらの邦人は、旧ソ連の国営アエロフロートの航空券を持っていたため空港に向かったが、アエロフロートが自国と東欧諸国の退避者を優先し搭乗を拒否したため残留を余儀なくされた。

(2) 中央アフリカ(1996年)

 1996年4月、中央アフリカで給料の未払いによる国軍の一部の反乱に端を発した暴動が5月には首都バンギにまで波及する。この事態に対して、米国など各国が自国民の退避活動を発動するが、その活動は、旧宗主国として現地に軍隊を駐留させていたフランスを中心に行われた。フランスは、バンギ空港に隣接する駐留基地を拠点として、自国民のみならず各地に点在する在留外国人が空港への移動する際の護衛支援や、空港から近隣のガボン、カメルーン等への輸送支援などの活動を展開した[16]。

 このとき、日本政府は確認された43人の邦人の国外退避のため、当時ゴラン高原のUNDOFへの物資輸送のためオマーンからモルディブに向けて飛行中のC130輸送機の展開や政府専用機の派遣も検討したが、既にフランス政府がチャーター機による救出作業に入っており、フランスに要請した方が迅速に退避できるとの判断から派遣は見送られた。この結果、邦人は仏軍の護衛を受けて空港に移動するなどして、32名の邦人がフランスのチャーター機のほか、仏軍や米軍の航空機により脱出した。フランス軍、米軍による、外国人のカメルーンなどへの移送は順調に行われ、外国人の死傷者の報告はない。日本人16人の脱出は後回しにされたとも伝えられたが[17]、仏軍及び米軍の航空機は、それぞれ8名の邦人を救出し、さらに大使館員の家族ら5人が仏軍機でガボンの首都リーブルビルに退避できた[18]。

(3) アルバニア(1997年)

 1997年3月、ネズミ講の被害に端を発した暴動によって、アルバニアは無政府状態と化し、首都のティラナ空港も閉され民間機の脱出が不可能となった。この事態にドイツは、コール首相(当時)の決断で、連邦議会の関係委員会の委員長及び各党代表者等への説明を経て議会の事後承認を取ることで、連邦軍による救出作戦を決断した。

 一方この事態に日本は、外務省から関係国の大使館を通じて英、米、独、伊等の現地大使館に避難を求める邦人の輸送支援を要請するなどの努力が続けられた。この結果、10名の邦人が独軍機に、1名が米軍機によって、無事ケルン・ボン空港に退避することができたが、この作戦中に離陸した独軍ヘリ機が暴徒の銃撃により被弾し、独軍兵士が直ちにこれに反撃を加え暴徒1名が負傷するという事態も生起している。

 この事態に出動した独軍が救出した116名のうちドイツ人はわずかに21名であり、95名は23か国の外国人であった[19]。

 この作戦終了後、ドイツ国内ではコール首相の決断に対しては連邦議会から、ドイツ連邦軍の単独作戦であり、連邦憲法裁判所判決が示した派兵要件に該当せず、法的根拠を欠くとともに、アルバニア政府の同意の有無も不明確であり、国際法上の問題も指摘された。しかし、結局議会での法律論は深入りすることなく、この作戦が成功裏に終わり、国内のメディアや諸外国の評価が好意的であったこともあり、将来のNATO解体や連邦軍の15万人への削減を主張する左派の同盟/緑の党も議員48名中反対は1名というように連邦議会でも圧倒的な支持を得た[20]。

(2021/9/28)

(後編に続く)

脚注

  1. 1 拙稿「台湾危機と日米の対応(後編)― 日本はどう準備・対応すべきか? ―」笹川平和財団『国際情報ネットワーク分析 IINA』2021年5月28日。
  2. 2 この問題については、機会を改めて笹川平和財団の公開セミナーにおいて報告したところである。「台湾有事と日本の対応」笹川平和財団『第3回SPF安全保障セミナー』2021年7月12日。
  3. 3 Robert Jennings, Arthur Watts, Oppenheim’s International Law, 9th ed. Vol.Ⅰ, Peace, Introduction and Part 1 (Longman Group, UK Limited, 1992), p.440.
  4. 4 Robert Jennings, Arthur Watts, Oppenheim’s International Law, p.439.
  5. 5 Ibid., pp. 441-442.
  6. 6 Operational Law Handbook, National Security Law Department, The Judge Advocate General‘s Legal Center & School, U.S. Army, 2020, p.5.
  7. 7 Executive Order 12656, "Assignment of Emergency Preparedness Responsibilities," November 18, 1988. この命令は、緊急事態対処の各行政機関の関する責任範囲を指定するものであり、Sec. 502に国防総省の責任範囲が指定されている。そのなかで(2) がNEOに関して、「海外での危機に瀕した合衆国市民の保護、退避及び本国送還のための計画において、国務長官はじめ他の政府行政機関の長に対する適切な助言と支援すること」を定めている。また、sec.1301には国務省の責任範囲が指定され、その(2)(f)には、「海外の米国市民及び国民とその財産の保護又は退避に関して国防長官及び保健福祉長官と協議すること」を定めている。
  8. 8 The Memorandum of Agreement Between the Departments of State and Defense on the Protection of U.S. Citizens and Nationals and Designated Other Persons from Threatened Areas Overseas, 1997.
  9. 9 DoD Directive 3025.14, (hereinafter, DoD Directive), Protection and Evacuation of U.S. Citizens and Designated Aliens in Danger Areas Abroad, November 5, 1990.
  10. 10 例えば、休戦状態の韓国においては在韓米軍第8軍が韓国在住の米国市民等を対象としたNEOの教育参考資料を作成し、一般にも公開されている。その内容は、退避する場合の集結要領や集結場所での出国手続きを始め、化学防護マスク着用のビデオや手荷物・所持金の限度、ペットの取扱いに至るまで詳細かつ一般人にも分かり易い内容となっている。在韓米軍では、こうした資料の公開にとどまらず韓国在住の米国市民に対して定期的な避退訓練等も実施している。このような国を挙げての在外自国民を保護する体制の整備は、世界中に在外基地展開する米国にとって、そこに勤務する大量の政府職員やその家族の安全を確保する上で不可欠である。8th Army Headquarters U. S, Forces Korea, “Noncombatant Evacuation Operations [Unclassified].“
  11. 11 Gidget Fuentes, “Afghanistan Exit Latest in Long History of U.S. Noncombatant Evacuation Missions,” USNI News, August 17, 2021.
  12. 12 James G. Antal, R. John Vanden Berghe, On Mamba Station U.S. Marines in West Africa, 1990-2003, U.S. Marines in Humanitarian Operations, History and Museums Division United States Marine Corps, 2004, p.63.
  13. 13 The White House, “Press Briefing by Press Secretary Jen Psaki,” August 31, 2021.
  14. 14 Gidget Fuentes, “2,000 Marines Now in Afghanistan Assisting Evacuation as More Head to Haiti,” USNI News, August 19, 2021.
  15. 15 「テヘラン、怒りの邦人 トルコ機でやっと脱出」『毎日新聞』1985年3月20日。
  16. 16 「中央アフリカ暴動 邦人救出検証 有事対応「法の壁」くっきり」『産経新聞』1996年5月30日。
  17. 17 同上。
  18. 18 「邦人脱出、21人に 兵士の暴動で治安悪化の中央アフリカ」『朝日新聞』夕刊、1996年5月24日。
  19. 19 神余隆博「アルバニア救出部隊派遣とドイツ連邦議会の意思決定過程」議外政治研究会『議会政治研究 第48号』2001年、53頁。
  20. 20 同上。