はじめに

 2023年10月7日に行われたパレスチナの武装組織ハマースなどによるイスラエル攻撃と、それを発端としたイスラエル軍によるガザ地区への大規模侵攻は、中東地域情勢を大きく揺るがしている。本稿では、「10月7日」以降の中東におけるエスカレーション・リスクを分析し、紅海地域の不安定化に伴うエネルギー安全保障やサプライチェーンへの影響について考察する。

 現状では、中東の地域大国や米国のいずれも紛争のエスカレーションは望んでおらず、直接介入を明確に否定し、全面戦争を回避してきた。しかし、イスラエルは10月7日の事件によって破られた抑止を回復させるために、ガザ地区への大規模な軍事侵攻を継続するとともに、イランや親イラン勢力を挑発して米国を引きずり込もうとしており、この試みが暴発する危険性は無視できない。また、非国家主体という「ワイルドカード」が軍事衝突や偶発的エスカレーションの引き金になり得る。

 米国やイラン、その他の地域大国が抑制的に行動する限り、複数の国を巻き込む全面戦争が発生する見込みは短期的には低いが、「戦争状態には至らずとも域内諸国が緊張状態にあり、武力衝突が突発的に発生し、邦人や日本権益が巻き込まれる」という状況は継続している。局所的な対立がエスカレーションを引き起こし、中東域内で「意図せざる戦争(unwanted war)」を引き起こすリスクには常に注意が必要である[1]。

 これらの不安定な状況は、エネルギーの安定供給やサプライチェーンを脅かしている。現下の中東情勢が直接的にエネルギー(特に石油、天然ガス)の供給途絶を起こす可能性は限定的であると見られるが、フーシー派の軍事攻撃が止まらない紅海地域では既にエネルギー輸送や物流に支障が出ており、緊張状態が続く以上予断を許さない。軍事衝突にイランや米国がより直接的に巻き込まれる事態となれば、そのインパクトはこれまでと比較にならないレベルで拡大するだろう。

エスカレーション・リスク:非国家主体という「ワイルドカード」

 イスラエルのガザ侵攻による大規模な人道危機に対して、中東諸国はイスラエルを強く非難しつつも直接介入は避け、軍事衝突の拡大やエスカレーションの防止に努めている。アラブ諸国はパレスチナ支持で結束力を高めるものの、イスラエルと断交する国は出ていない。イランですら、ハーメネイー最高指導者がハマースのハニーヤ政治局長に対して、イランとして戦闘に直接介入しない意志を明言したと報じられる[2]。なお、10月7日の事件の翌日にWall Street Journalはイランの革命防衛隊がハマースに作戦の指示を下したと報じた[3]が、その明白な証拠は現在でも見つかっていない。

 イスラエルの行動を変えられる地域大国は存在せず、停戦に向けてイスラエルに実質的な圧力をかけられるのは米国のみだと言える。しかし、イスラエル・パレスチナ紛争は既に2024年米大統領選挙の重要イシューになっており、米国内政と深く絡んでいる以上、バイデン政権としても容易に事態の沈静化を行える状況ではない[4]。

 他方で、意図せぬエスカレーションのリスクは決して低くない。特にイスラエルは10月7日の攻撃によって破られた抑止の回復を最優先させており、大規模な人道被害を顧みずにガザへの軍事侵攻を継続するほか、北部ではヒズブッラーと交戦、またシリアなどでイラン政府・軍関係者を殺害している[5]。この背景には、イランおよび非国家主体による反撃を促し、米国を軍事的に引きずり込むことで、脅威を排除すると同時に抑止力を高める狙いがあると推測される。しかし、これらのイスラエルによる軍事行動は情勢の予測不可能性を高めており、今後のエスカレーション・リスクとなり得る。

 さらに、非国家主体が様々な軍事活動を行なっており、これがエスカレーションのリスクを高める「ワイルドカード」となっている。イランはハマース、レバノンのヒズブッラー、イエメンのフーシー派、イラクのシーア派民兵組織など、周辺国の非国家主体を支援しているが、これらの組織は高い戦略的自律性を有しており、イランの完全な指揮統制下にはない。また、各組織が相互に連携・調整して活動しているわけでもない[6]。非国家主体がイランの意図や利害と一致しない軍事行動を取り、その結果イランが衝突に引きずり込まれる事態は生じ得る。

 シリア・イラク周辺ではシーア派武装組織による米軍基地への攻撃が相次いでおり、2024年1月28日にはヨルダン北東部で、イランのものと思われる無人機攻撃により米軍の拠点が攻撃され、米兵3人が死亡、40人以上が負傷した[7]。イランは関与を否定したものの、米軍は報復として、2月2日にイラクとシリアのイラン革命防衛隊および関連組織の拠点を空爆した[8]。

エネルギー供給への短期的影響

 奇しくも1973年10月の第4次中東戦争と、それをきっかけとした第1次石油危機から50年目となる2023年10月、ハマースなどによるイスラエル攻撃が起き、これを発端としてイスラエルとパレスチナの紛争が拡大した。2022年2月からのウクライナ・ロシア戦争が国際エネルギー情勢に大きな影響を与える中、中東情勢の不安定化が国際社会のエネルギー安全保障を脅かし得る状況が、改めて浮き彫りになった[9]。

 上述の通り、10月7日以降のイスラエル・パレスチナ紛争や非国家主体による攻撃は中東情勢を流動化させているが、他方で現下の情勢が直接的にエネルギー(特に石油、天然ガス)の供給途絶を起こす可能性は限定的であると見られる。

 下記の原油価格の推移をみてもわかる通り、10月7日のハマースによるイスラエル攻撃直後には価格が上昇したものの、上昇の幅や期間は限定的であった(下図ハイライト部分)。イスラエル軍によるガザ地区への地上侵攻が開始されたとみられる10月27日以降も、中東産油・ガス国が直接戦闘に巻き込まれていないこと、世界経済の減速に対する不安、OPECプラスの生産調整の協議難航[10]などが主要因となって価格は下落した。

 中東の産油・ガス国も、パレスチナ支持とイスラエルへの批判を明示する一方で、1973年の第四次中東戦争の際に行われたような、イスラエルを支持する国への禁輸を行う動きは見られない。ただし、一部の国では議会や政治勢力が禁輸措置を主張するなど、各国の内政と連動した輸出制限への圧力が存在する点には注意が必要である。例えばリビアでは2023年10月下旬、議会が政府に対してイスラエル支援国(特に米・英・仏・独・伊)への石油・天然ガス輸出の停止を要求した。

出典:各種資料をもとに筆者作成

紅海地域の不安定化によるエネルギー供給制約

 10月7日以降、紅海地域の安全保障環境を揺るがしている最大の要因は、イエメンのフーシー派である。同組織は「パレスチナ支援」を掲げてイスラエル南部に弾道ミサイル攻撃を行ったほか、紅海を航行する船舶へのミサイル攻撃や拿捕を続けている[11]。2023年10月19日にはイスラエルに向けて巡航ミサイルとドローンを発射したが、米駆逐艦によって紅海で撃墜された。同組織は既に50隻以上の船舶を攻撃したと報じられ、11月19日には日本郵船の運航する貨物船が拿捕された[12]。

 フーシー派はイスラエルに関係する船舶が標的と主張するが、実態は無差別攻撃に近い。この結果、日本の海運大手を含む各企業が紅海航路を回避する動きが加速している。バーブル・マンデブ海峡やスエズ運河を通過する船舶数が大幅に減少し、代わりに南アフリカの喜望峰を通過する船舶の積載量数が増加していると報じられる。

 2023年12月18日、米国は紅海を航行する商船を保護する多国間安全保障イニシアチブ「繁栄の守護者作戦(Operation Prosperity Guardian)」を開始[13]、同作戦には10数か国が参加している。2024年1月11日には、米国と英国がイエメンの首都サナアやホデイダにおけるフーシー派関連施設への空爆を行った。米英はその後も共同でフーシー派への軍事作戦を行なっており、豪州、カナダ、デンマーク、オランダ、ニュージーランド、バーレーンが支援を提供したという。

 紅海は、アジア・中東・ヨーロッパ・アフリカを結ぶ交通・物流の結節点であり、「戦略的動脈」[14]と表現される。世界貿易の約12%は、紅海と地中海を結ぶスエズ運河に依存しているとされる。国連貿易開発会議(UNCTAD)は、2023年12月からの2か月間でスエズ運河を通航するコンテナ輸送が82%減少し、液化天然ガス(LNG)の減少幅はさらに大きかったと明らかにした。イスラエル・パレスチナ紛争を受けた紅海情勢の不安定化は、エネルギー安全保障やサプライチェーンにも大きなインパクトを与えている。

 イエメンの対岸に位置する「アフリカの角」地域やスーダンも、内戦、民族対立、テロリズム、クーデターなどが絶えず、政治・治安面で不安定である。中東諸国に加え、中国、インド、ロシアなども「戦略的動脈」である紅海周辺地域に強い関心を抱いており、重層的な地政学的駆け引きが激しく行われてきた[15]。

 国際エネルギー機関(IEA)によると、2023年には海上輸送される石油の約1割、日量700万バレル強が紅海を経由した。また米エネルギー情報局(EIA)によると、2023年前半のLNG輸送の8%が紅海経由だという。2022年以降、欧州はロシア産石油・天然ガスの輸入を停止・削減し、代わりに中東からの輸入を増加させており、その多くが紅海経由で輸送されている。日本向けの原油やLNGの大部分は紅海経由で輸送されておらず、エネルギー供給への影響は限定的との見方もあるが、石油・ガス価格のボラティリティ(変動性)や輸送コストの上昇という形で、日本を含む世界経済に影響を与えていることを認識する必要がある。

 2023年12月以降、英石油大手BPは紅海を経由する全ての輸送を一時停止している。また2024年1月、世界最大級のLNG輸出企業であるカタール・エナジーは紅海経由の輸出を一時停止した。同月、IEAは紅海経由のエネルギー輸送の減少による、欧州での石油価格上昇の可能性を指摘した。

おわりに:求められる強靭なエネルギー供給体制の構築

 石油危機から50年が経過した現在、日本の石油輸入における中東依存度はむしろ高まり、2024年1月時点では約93%となっている[16]。現下の情勢が直ちに中東からの石油・天然ガス供給を途絶させるものではないとしても、イスラエル・パレスチナ紛争を起点とする「不測の事態」が発生した場合の「コンティンジェンシープラン」を整備し、強靭なエネルギー供給体制を構築することが肝要であろう[17]。

 日本としては、中東域内の複雑な政治・安全保障ダイナミクスを理解した上で、エネルギーの供給途絶を未然に防ぐためにも、緊張緩和やエスカレーション防止に向けて関係諸国・アクターに関与することが求められる。この点において、日本政府が国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への資金拠出再開に向けて最終的な調整を行うと発表した[18]ことは、人道危機の改善や緊張緩和に資する動きとして評価されてよい。

(2024/04/02)

脚注

  1. 1 Robert Malley, “The Unwanted War: Why the Middle East is More Combustible Than Ever,” Foreign Affairs, vol.98, No.6, pp.38-46, November/December 2019.
  2. 2 Parisa Hafezi, Laila Bassam and Arshad Mohammed, “Insight: Iran's 'Axis of Resistance' against Israel faces trial by fire,” Reuters, November 16, 2023.
  3. 3 Summer Said, Benoit Faucon, and Stephen Kalin, Follow “Iran Helped Plot Attack on Israel Over Several Weeks,” Wall Street Journal, October 8, 2023.
  4. 4 渡部恒雄「ウクライナ・イスラエルでのバイデンの苦境―背景に民主党の分裂」笹川平和財団『アメリカ現状モニター』2024年1月12日。
  5. 5 Blaise Misztal, “Israel’s Strategic Challenge,” War On the Rocks, October 30, 2023; Lawrence Freedman, “How Israel’s deterrence policy came undone,” Inside Story, November 1, 2023; Zvi Hauser, “Victory is Incomplete Without Deterrence,” Israel Hayoum, January 23, 2024.
  6. 6 溝渕正季「ハマス・ヒズボラ『抵抗の枢軸』とは何か――中東における親イラン勢力の成り立ちと動向」『シノドス』2024年2月12日。
  7. 7 C. Todd Lopez, “3 U.S. Service Members Killed, Others Injured in Jordan Following Drone Attack,” DOD News, U.S. Department of Defense, January 29, 2024.
  8. 8 Joseph Clark, “U.S. Strikes Targets in Iraq and Syria in Response to Deadly Drone Attack,” DOD News, U.S. Department of Defense, February 2, 2024.
  9. 9 保坂修司「石油危機50年 日本と中東は」NHK『解説委員室』2023年10月30日。
  10. 10 「OPECプラス、減産協議難航 サウジ要求にアフリカ反発」『日本経済新聞』2023年11月23日。
  11. 11 10月7日以降のフーシー派の軍事活動については、以下に詳しい。吉田智聡、清岡克吉「イエメン情勢クォータリー(2023年10月~12月)——国際社会に拡大するフーシー派の脅威と海洋軍事活動の活発化」『NIDSコメンタリー』第295号、2024年1月16日。
  12. 12 詳細については、中村進「日本は国際航路の保護にどう向き合うのか(前篇)――フーシ派による商船攻撃と国際社会の対応」国際情報ネットワーク分析IINA、2024年3月29日を参照のこと。
  13. 13 U.S. Department of Defense, “Statement from Secretary of Defense Lloyd J. Austin III on Ensuring Freedom of Navigation in the Red Sea,” December 18, 2023.
  14. 14 アレックス・ドゥバール「湾岸とアフリカの角:紅海周辺地域における戦略的争い」『国際問題』第682号、2019年6月、6頁。
  15. 15 小林周「サウジアラビア、UAE、エジプトの紅海への関与」日本国際問題研究所『反グローバリズム再考―国際経済秩序を揺るがす危機要因の研究 グローバルリスク研究』2020年8月、197−201頁。
  16. 16 経済産業省「石油統計速報 令和6年1月分」2024年2月29日。
  17. 17 「資源国との関係強化、供給源の多角化、調達リスク評価の強化等の手法に加え、再生可能エネルギーや原子力といったエネルギー自給率向上に資するエネルギー源の最大限の活用、そのための戦略的な開発を強化する。同盟国・同志国や国際機関等とも連携しながら、我が国のエネルギー自給率向上に向けた方策を強化し、有事にも耐え得る強靭なエネルギー供給体制を構築する」内閣官房「国家安全保障戦略」2022年12月16日、26頁。
  18. 18 外務省「上川外務大臣とラザリーニ国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)事務局長との会談」2024年3月28日。