インド太平洋地域のディスインフォメーション研究シリーズ掲載のお知らせ

 この度、IINA(国際情報ネットワーク分析)では、笹川平和財団プロジェクト「インド太平洋地域の偽情報研究会」(2021年度~)において同地域のディスインフォメーション情勢について進めてきた調査研究と議論の成果を「インド太平洋地域のディスインフォメーション研究シリーズ」として連載いたします。IINA読者のご理解のお役にたてば幸甚です。


1.はじめに

 政治的な偽情報の拡散は、アジアでは目新しいことではない。世界ではBrexitや米国大統領選挙を契機として[1]、2016年から2017年にかけて「ポスト・トゥルース」や「フェイクニュース」といった言葉が日常会話に登場するようになった[2]。しかし香港、インド、インドネシア、フィリピン、韓国、台湾、そしてその他のアジアの国々では、それ以前の2012年頃から、選挙や政治危機において、完全な誤りや憎悪に満ちたものではない言説も含め、疑わしい政治的メッセージを用い、デジタル空間で世論に影響を及ぼそうとする一連の試みが懸念されてきた[3]。

 特にこの数年においては、社会で広く流布している疑義言説の妥当性を調査することが、アジア地域におけるこのような出来事への対策の一つと見なされることが増えてきた。筆者が2020年末に行った調査によると、ファクトチェック団体や各種のファクトチェック・プロジェクトはアジア全域で100以上あった[4]。その後、その数はさらに増え、2021年末の時点では、調査リストに110を超える団体が含まれている[5]。 ファクトチェックの急激な拡大が加速しているように思われるが、これは注目すべき動向である。

 この新しいジャーナリズム形態の国際的な展開の状況を2016年からモニタリングしているデューク大学のReporters' Labによると、アジア(Labの定義では中東諸国を含む)のファクトチェック団体やプロジェクトは、2018年に22、2019年には35にとどまっていた[6]。 彼らの最新データでは、2021年には89のファクトチェック団体やプロジェクト(中東諸国を含む)が活動中であるとされているが[7]、この数字からは、政府主導のファクトチェックなどが独立性に欠けるとして除外されており、政府の取り組みも集計に加えた前述の筆者の調査とは数字が異なっている[8]。

 アジアの多くの国では、独自のファクトチェック・メディアを運営する政府部門を設立している。この分野での公的機関の関与の強さは、アジア地域特有のものである。おそらく最も長く続いている取り組みは、シンガポールの通信情報省が2012年に始めた「Factually(事実について)」という取り組みであろう[9]。 マレーシアでは、「Sebenarnya(実際)」という取り組みが、2017年に始められ、通信マルチメディア省によって運営されている[10]。

 インド(PIB Fact Check)とタイ(Anti-Fake News Center)は2019年後半に政府主導のファクトチェック活動部門を設立し、ベトナムも続いて2020年にタイの取り組みと同名のAnti-Fake News Centerという大規模な部門を設立している。中国政府は独自にファクトチェック部門を有しているわけではないが、「Piyao(辟谣)」というプラットフォームを運営し、政府機関や国有企業を含む様々なメディアから、政府が虚偽だと見なした言説に関するニュース記事を収集、提供している(piyaoは噂に反論するという意味)[11]。

 こういった状況は、ファクトチェックのプロセスと実践を、政府機関が誤情報や偽情報に対抗するという名目で濫用する可能性があり、懸念される展開である。報道の自由が制限されており[12]、法規制の枠組み強化(いわゆる「フェイクニュース法」[13])も活発になっているこの地域では、「正確でない」情報を定義することからして、非民主的な動機、(政治的な)色合いを帯びる可能性がある。

 しかし、先に述べたように、この地域全体では新たに設立された独立無党派のファクトチェックの取り組みも同じように盛んになっている。伝統的な報道機関だけでなく、NGOやNPO、学術機関も、世界の他の地域の動きに追随して、日々、こうしたジャーナリズムの形に取り組んでいる[14]。 こういった組織が偽情報に対抗するために選挙においてどのような役割を近年果たしたかを考察することは、ファクトチェックの有効性、あるいはその限界を考える上で役立つのではないだろうか。

2.選挙関連の共同プロジェクト

 選挙における誤情報および偽情報に対抗する世界初の協調的な取り組みがなされたのは、2017年2月のことだった。CrossCheckと名付けられたプロジェクトでは、フランスとイギリスの37の報道機関とIT企業が協力し、フランス大統領選挙までの10週間、オンラインで流布された疑わしい情報の検証を行った[15]。 誤解を招く主張や虚偽の内容による影響を緩和するための協力体制が試行されたわけだが、これは他の国々でも見習うことのできる成功モデルとして、ジャーナリストや研究者から大いに注目された[16]。

 それ以後、アルゼンチン(Reverso[17])、オーストラリア(CrossCheck[18])、ブラジル(Comprova[19])、ナイジェリア(CrossCheck[20])、スペイン(Comprobado[21])などで、選挙の際に同様のプロジェクトが敢行された。アジアでは、インドネシア大統領選挙(CekFacta[22])、フィリピン中間選挙、および大統領選(Tsek.Ph[23])、日本では比較的小規模なプロジェクトではあるものの、沖縄県知事選挙の際に、報道機関とその他のファクトチェック機関が協働でファクトチェックを行った[24]。

 アジアでおこなわれたこれら三つの事例(フィリピン、インドネシア、日本)は、選挙中のファクトチェックの本当の効果を測ることの難しさを物語っている。そもそも、誤情報や偽情報が人々の政治的傾向や投票行動に与えた実際の影響を突き止めることは難しい。誤情報の流布の有無、そして虚偽や誤解を招く言説に対抗するためのファクトチェックの有無にかかわらず、選挙結果に変わりはないと主張することもできる。

 中傷戦術など従来からある政治運動といわゆる「フェイクニュース」の境界が曖昧なことも、評価を複雑にしている。例えばフィリピンでは、11の報道機関と3つの大学が参加した「Tsek.Ph」が、2019年の中間選挙期間中に合計131件の疑義言説、情報をファクトチェックし、結果を公表した。

 フィリピン大学の2人の研究者の分析によると、二人の野党候補者が虚偽言説の明確な標的となり、彼らに関する誤情報がソーシャルメディア利用者だけでなく、国営メディアやプレスリリースによっても流布された。選挙前の調査では、二人は野党の中で当選する可能性が高いとされていたが、(誤情報を正す)大規模な合同ファクトチェックが行われていたものの、当選には至らなかった[25]。

 2022年には30以上の団体により[26]、大統領選挙に向けた「Tsek.Ph」が再結成された[27]。候補者の一人であるレニー・ロブレド氏が、大規模で組織的な虚偽情報戦の標的となっているという報道がなされ[28]、その背後には彼女のライバルであるフェルディナンド・マルコス氏の支持者がいると言われた[29]。必然的に多くのファクトチェック報道はロブレド氏に関する虚偽の情報を指摘するものであったが、結果は父と同じ名前を持つ故独裁者の息子、マルコス氏の地滑り的勝利となった。

 2018年に日本で行われた沖縄県の知事選は、やや対照的な結果を示している。こちらの選挙では明らかにネット上の中傷や誤情報のターゲットとなっていた候補者が最終的に当選した[30]。しかし、研究者によっては、有力な地元紙2紙を含むファクトチェック・プロジェクトは、片方の政治的立場に傾き、激しく二極化したこの選挙でネット利用者から「悪用」された可能性があると指摘している。また、日本の政治では伝統的なマスメディアが大きな影響力を持つと言われているが[31]、このファクトチェックの取り組みはソーシャルメディアにほぼ集中していた点もあり、公正な選挙への貢献があったと言い切ることはできない。

 2019年にインドネシアで行われた大統領選挙をめぐる「CekFacta」は、アジアにおけるこの分野では、これまでで最大規模の共同イニシアチブであったといえるかもしれない[32]。 最も人気のある全国日刊紙を含む計25団体が約一年にわたって協力し、1000以上のファクトチェック報道がなされた。

 競争の激しいメディア市場でライバルとなる報道機関が協力できたのは、恐らくは2017年のジャカルタ知事選における経験が一因だろう。こちらの選挙では、偽情報が多くの有権者に目に見えて影響を与えた。改変された虚偽の演説のビデオを元に、現職の知事が選挙期間中、不敬罪(イスラム教の冒涜)を犯したと糾弾され、その後二年の禁固刑を言い渡されたのである[33]。

 投票に至るまで誤情報や偽情報が横行したものの[34]、2019年のインドネシア大統領選挙は比較的スムーズに行われ、結果も概ね影響を受けなかったというのが観測筋の見解のようである[35]。 ファクトチェック報道が相当量あったことが要因とも考えられるが、ファクトチェック以外にも、例えばサイバー犯罪対策を通じて政府がネット上の会話の監視や取り締まりに直接関与したことなど[36]、さまざまな他の要因で、今回は(疑義言説の)影響があまりなかったとも考えられる。

(2022/7/5)

(後編に続く)

*この論考は寄稿者が英語で執筆したものを和訳したものです。

*こちらの論考は英語版でもお読みいただけます。
【Indo-Pacific Regional Disinformation Research Series Vol.1】
Fact-checking as a means to fight disinformation: Trends and challenges amid political turmoil and elections in Asia

脚注

  1. 1 Hannah Marshall and Alena Drieschova, “Post-Truth Politics in the UK’s Brexit Referendum,” New Perspectives 26, no. 3 (October 1, 2018): 89–105.; Jason Schwartz, “Trump’s ‘fake News’ Mantra a Hit with Despots,” Politico, December 18, 2017.
  2. 2 BBC, “‘Post-Truth’ Declared Word of the Year by Oxford Dictionaries,” BBC News, November 16, 2016.; Alison Flood, “Fake News Is ‘very Real’ Word of the Year for 2017,” The Guardian, November 2, 2017.
  3. 3 Masato Kajimoto and Samantha Stanley, eds., Information Disorder in Asia and the Pacific: Overview of Misinformation Ecosystem in Australia, India, Indonesia, Japan, the Philippines, Singapore, South Korea, Taiwan, and Vietnam, 2018.; For Hong Kong, see Masato Kajimoto, “Fact-Checking in Hong Kong: An Emerging Form of Journalism and Media Education amid Political Turmoil,” in Handbook of Media Misinformation, ed. Julian McDougall and Karen Fowler-Watt (Palgrave Macmillan, 2022). Upcoming.
  4. 4 Masato Kajimoto, “Faster Facts: The Rapid Expansion of Fact-Checking,” News in Asia (Judith Neilson Institute, September 2021).
  5. 5 Masato Kajimoto, “Politics and Fact-Checking: Overview in Asia” (2021亞洲事實查核專業論壇: 政治與事實查核 [Forum on Fact-Checking in Asia 2021: Politics and Fact-Checking], Taiwan, 2021).
  6. 6 Mark Stencel, “Number of Fact-Checking Outlets Surges to 188 in More than 60 Countries,” Duke Reporters’ Lab, June 11, 2019.
  7. 7 Mark Stencel and Joel Luther, “Fact-Checking Census Shows Slower Growth,” Duke Reporters’ Lab, June 3, 2021.
  8. 8 Kajimoto, “Faster Facts”; Kajimoto, “Politics and Fact-Checking: Overview in Asia.”
  9. 9 Carol Soon, “Singapore,” in Information Disorder in Asia and the Pacific: Overview of Misinformation Ecosystem in Australia, India, Indonesia, Japan, the Philippines, Singapore, South Korea, Taiwan, and Vietnam, ed. Masato Kajimoto and Samantha Stanley, 2018.
  10. 10 Nuurrianti Jalli, “COVID-19 Infodemic in Southeast Asia,” ASEAN Focus, September 2020.
  11. 11 Kajimoto, “Faster Facts.”
  12. 12 Keith Richburg, “Press Freedom under Attack across Asia” (Australian Strategic Policy Institute, August 10, 2020).
  13. 13 Lasse Schuldt, “The ‘War on Fake News’ and the Emergence of Truth as a Public Interest in Malaysia, Singapore and Thailand,” in Asian Constitutional Law Recent Developments and Trends, vol. 1 (Hanoi, Vietnam, 2019); Lasse Schuldt, “‘Fake News’ Laws Need Strict Scrutiny to Ensure Public Rights Are Preserved,” South China Morning Post, May 5, 2021.
  14. 14 Lucas Graves and Alexios Mantzarlis, “Amid Political Spin and Online Misinformation, Fact Checking Adapts,” The Political Quarterly, August 31, 2020, 1467-923X.12896.; See also Lucas Graves, “Boundaries Not Drawn: Mapping the Institutional Roots of the Global Fact-Checking Movement,” Journalism Studies 19, no. 5 (April 4, 2018): 613–31.
  15. 15 First Draft, “CrossCheck: Our Collaborative Online Verification Newsroom,” First Draft, accessed February 19, 2022.
  16. 16 Nikos Smyrnaios, Sophie Chauvet, and Emmanuel Marty, “Journalistic Collaboration as a Response to Online Disinformation,” Sur Le Journalisme, About Journalism, Sobre Jornalismo 8, no. 1 (June 15, 2019): 68–81.
  17. 17 https://reversoar.com/
  18. 18 https://firstdraftnews.org/tackling/crosscheck-australia-2019/
  19. 19 https://projetocomprova.com.br/
  20. 20 https://firstdraftnews.org/articles/crosscheck-nigeria-launches-to-fight-information-disorder/
  21. 21 https://firstdraftnews.org/articles/first-draft-supports-comprobado-a-collaborative-verification-project-in-spain/
  22. 22 https://cekfakta.com/
  23. 23 https://tsek.ph/
  24. 24 https://archive.fij.info/wordpress/project/okinawa2018
  25. 25 Yvonne Chua and Jake Soriano, “Senate Bill Goes after Online ‘Fake News,’ but Tsek.Ph Data Point to Wider Problem,” Vera Files, September 13, 2019.
  26. 26 https://www.tsek.ph/about/
  27. 27 Bryan Manalang, “Tsek.ph expands alliance, underscores fact checking crucial ahead of May polls,” Vera Files, January 24, 2022.
  28. 28 AFP, “Pro-Marcos accounts dominate online misinformation in Philippine polls,” ABS-CBN, May 7, 2022.
  29. 29 Camille Elemia, “In the Philippines, a Flourishing Ecosystem for Political Lies,” The New York Times, May 6, 2022.; see also, Kayleen Devlin, “Philippines election: 'Politicians hire me to spread fake stories',” BBC, May 8, 2022.
  30. 30 Ken Aoshima and Mami Yamada, “Okinawa Dailies Fact-Check, Debunk Rumors Spread during Gubernatorial Race - The Mainichi,” Mainichi Daily, October 1, 2018.
  31. 31 Hiroyuki Fujishiro, Kayo Mimizuka, and Mone Saito, “Why Doesn’t Fact-Checking Work? The Mis-Framing of Division on Social Media in Japan,” in International Conference on Social Media and Society, 309–17.
  32. 32 Irene Jay Liu, “CekFakta: Collaborative Fact-Checking in Indonesia,” Google, June 26, 2018.; Astudestra Ajengrstri, “Collaborating to Combat Mis-/Disinformation around Indonesia’s Elections,” International Journalists’ Network, accessed October 13, 2019.
  33. 33 Yenni Kwok, “Indonesia,” in Information Disorder in Asia and the Pacific: Overview of Misinformation Ecosystem in Australia, India, Indonesia, Japan, the Philippines, Singapore, South Korea, Taiwan, and Vietnam, ed. Masato Kajimoto and Samantha Stanley, 2018.
  34. 34 Nuurrianti Jalli and Ika Karlina Idris, “Fake News and Elections in Two Southeast Asian Nations: A Comparative Study of Malaysia General Election 2018 and Indonesia Presidential Election 2019,” in Proceedings of the International Conference of Democratisation in Southeast Asia (ICDeSA 2019).
  35. 35 Nithin Coca, “How Indonesia Beat the Misinformation Scourge (For Now),” Pressland: News-to-Table (blog), June 14, 2019.; Amy Gunia, “Using Social Media to Bring Transparency to Indonesia’s Vote,” Time, April 17, 2019.
  36. 36 Resty Woro Yuniar, “Can Indonesia’s New Cybercrime Unit Win Its War on Fake News?” South China Morning Post, February 18, 2018.