はじめに
日本の有事の際に防衛大臣が海上保安庁を統制する際の要領、いわゆる統制要領の概要が2023年4月に公表され[1]、5月末に初の机上訓練が、6月22日には伊豆大島東方で実働訓練が実施された[2]。防衛大臣による海上保安庁の統制は1954年の自衛隊法制定時から定められていたが[3]、その具体的な内容を定める統制要領はこの約70年間の間、作成されてこなかった。本稿では統制要領の概要、策定の背景と今後の課題について述べる。
自衛隊と海上保安庁の協力関係と防衛大臣による統制
自衛隊法101条は、自衛隊と海上保安庁は平時から相互に緊密な連絡を保ち、自衛隊の任務遂行上特に必要があると認める場合には海上保安庁に協力を求めることができることを定めており、海上保安庁法も2条と5条19項において、関係省庁との協力、共助及び連絡に関することを任務として定めている。これに基づき、以前より海難救助や災害支援などの分野においては、海上保安庁と海上自衛隊は緊密に連携して業務にあたってきたことに加え、後述する不審船やソマリア沖海賊問題などを契機にさらに連携を深めている。
一方、日本に対する武力攻撃に際しての防衛出動や治安出動が発令されるような事態においては、異なる対応が必要となる。広大な日本の海域における治安を維持するためには、通常の協力関係に加えて、防衛省に集約された情報に基づき海上自衛隊や海上保安庁の船艇航空機などのアセットを効果的に運用することが必要不可欠となる。そこで、自衛隊法80条は、日本に対する外部からの武力攻撃事態における防衛出動[4]もしくは78条1項の命令による治安出動が発令された場合[5]であって、内閣総理大臣が特別の必要があると認める場合には、海上保安庁の全部又は一部を防衛大臣が統制することを定めている。すなわち、海上保安庁の統制は、このような事態において現場海域の状況等の情報が集約される防衛大臣の一元的な指揮により、自衛隊と海上保安庁が相互に有機的に運用されることで、限られた勢力により広大な日本の海域の治安を維持することを目的としている。
なお、防衛大臣が海上保安庁を統制する場合においても、海上保安庁を自衛隊に編入するのではない。防衛大臣による統制は、防衛大臣が海上保安庁の船艇や航空機などに対して直接的に指揮するのではなく、海上保安庁長官に対して指揮することとされている[6]。すなわち、通常と変わらず、海上保安庁長官が現場の巡視船艇・航空機などを指揮する体制が維持される。また防衛大臣の統制下であっても、海上保安庁に戦闘行為などの軍事的任務の追加や変更が加えられるものではない。このことは、1999年5月11日の参議院日米防衛協力のための指針に関する特別委員会における野呂田防衛庁長官ほか、最近では2022年10月27日の衆議院安全保障委員会における浜田国務大臣、同年11月28日の衆議院予算委員会における岸田総理大臣などの答弁などにおいて繰り返し確認されている[7]。
それでは、統制下における海上保安庁の具体的な任務は何か。今般、発出された資料には、1)住民の避難及び救援、2)船舶への情報提供及び避難支援、3)捜索救難及び人命救助、4)港湾施設等のテロ等警戒、5)大量避難民への対応措置、等が列挙されている[8]。これらの任務は、いずれも海上保安庁法で定められている任務の範囲であるが、有事に防衛省に集約される現場海域の情報を総合的に分析することにより、海上保安庁が単独で実施するよりも安全に任務が遂行することが期待できる。他方、自衛隊も防衛出動や治安出動に専念することができる。とりわけ、文民保護に使用された海上自衛隊の護衛艦は、国際法上、文民保護目的のみに使用しなければならないため[9]、海上自衛隊のアセットの効率的な運用に支障をきたしかねないところ、自衛隊が防衛行動、海上保安庁が文民保護活動などと各機関の役割分担を明確化することにより、それぞれの活動をより効果的に実現することが可能となる。
統制要領策定の背景
なぜ、この時期に統制要領が策定されたのか。2点あげることができる。まず、日本周辺の安全保障環境の変化があげられる。2022年12月には国家安全保障戦略など三つの文書が定められたが、そこでは日本周辺における安全保障環境の悪化が指摘されている[10]。とりわけ、2012年9月以降、中国海警に所属する海警船がほぼ周年に渡り尖閣諸島周辺海域に存在を示し、定期的に領海内へ侵入してくるようになった。昨今は、尖閣諸島の領海内で漁業を行う日本漁船に対して執拗に接近し、嫌がらせ行為を行っている。海警船の領海内への侵入時間も長期化する傾向にあり、日本の主権が及ぶ領海内において、このような活動は許容されるものではない[11]。さらに事態がエスカレートした場合には、海上保安庁と自衛隊のシームレスな対応も求められることから、海上での実働訓練も実施されている[12]。
次に、海上保安庁と自衛隊の信頼関係と連携が強化されてきたことで統制の準備が整ってきた点があげられる[13]。海上保安庁と自衛隊の連携は、海難救助や通信などの分野から始まり、1999年の不審船事件における反省から共同対処マニュアルを作成し、当該マニュアルに基づく訓練を行うなど連携強化に取り組んできた。さらに、2009年からはソマリア沖海賊対処のために護衛艦に海上保安官が乗艦し、共同オペレーションが実現したことにより、相互に任務を補完する関係が構築された[14]。昨今は尖閣周辺海域における情報共有のほか海上保安庁が運用する無人航空機シーガーディアンで得られた情報を同時に共有するなど、連携がますます強化されてきている。
これらの連携強化に従い、複雑で難易度の高い運用が可能となってきた。昨年実施された合同訓練においても、捜索救難や不審船対応などの訓練のほか、いわゆるグレーゾーンを念頭に置いた訓練も実施されている。このように文民機関である海上保安庁と自衛隊の間で十分な信頼関係が醸成され、有事の際の緊迫した雰囲気の中でもお互いの機能を尊重しつつ活動できるという実績が統制要領の策定に結びついたものと考えられる。今後は策定された統制要領に基づく訓練が実施され、ますます両機関の連携が強化されることが期待される。
すなわち、安全保障環境の悪化により統制要領の策定が求められるようになったことに加え、海上保安庁と自衛隊との連携強化の実績が積み重ねられ、信頼関係が強化されたことにより、統制要領の策定に至ったと考えられる。
今後の課題
ここまで論じてきたとおり、今般の統制要領の策定は時宜にかなった意義深いものだといえる。それだけに新たな課題もまた生じていることを最後に確認しておきたい。
それは、有事においても海上保安庁の活動は非軍事的なものであると国際社会に強く訴えていく必要があるということである。今般の統制要領は、紛争時においても海上保安庁を文民機関とするという政府方針を反映している。一方、米国の沿岸警備隊など海上保安機関が軍の一部である組織や、英国のように海軍が海上法執行機能を遂行する国もある。そこで、こうした組織との認識の混交を避けるためには、海上保安庁は武力紛争時にあっても文民機関であること、とりわけ、国民保護に従事する巡視船が特殊標章を掲示することを周辺国に広く周知し、軍事目標とされる可能性を低減する努力が欠かせない。統制要領の策定が実現した今や、次に求められるのは、こうした課題に取り組むことではないだろうか。
(2023/07/10)
*こちらの論考は英語版でもお読みいただけます。
The Significance of and Issues Regarding the Formulation of the Japan Coast Guard Control Guideline
脚注
- 1 「海上保安庁の統制要領」令和5年4月28日 内閣官房(事態)、国家安全保障局、外務省、海上保安庁、防衛省。
- 2 「防衛省・海保:防衛省・海保が机上訓練 「統制要領」で初、連携確認 武力攻撃想定」『毎日新聞』2023年06月1日; 「海自と海保実働訓練 統制要領想定 国民保護標識章を検証」『産経新聞』2023年06月23日。
- 3 2007年に防衛省が設置されるまでは防衛庁長官が統制することと定められていた。
- 4 自衛隊法76条第1項1号。なお同項2号の存立危機事態における海上保安庁の統制は規定されていない。
- 5 なお、今般の統制要領には治安出動の場合は含まれていない。
- 6 自衛隊法施行令第103条。
- 7 『第145回国会 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会会議録4号』1999年5月11日、38頁; 『第210国会 衆議院安全保障委員会議録第3号』2022年10月27日。
- 8 注1参照。
- 9 ジュネーブ条約追加議定書は、第61条の(a)に文民保護を定義したうえで、第67条1項は「文民保護組織に配属される軍隊の構成員及び部隊は、次のことを条件として、尊重され、かつ、保護される」とし、その条件として「(a)要員及び部隊が第六十一条に規定する任務のいずれかの遂行に常時充てられ、かつ、専らその遂行に従事すること」と定める。
- 10 2022年12月16日に国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画が定められた。内閣官房「国家安全保障戦略について」。
- 11 拙稿「東シナ海における中国のさらなる現状変更の試み−中国公船の日本漁船追跡事件で考えるべき日本の対応」国際情報ネットワーク分析IINA、2020年10月20日。
- 12 「海上自衛隊との合同訓練の実施について」海上保安庁、2021年12月23日。
- 13 拙稿「中国海警船と対峙の10年 海上保安庁と自衛隊との連携強化の必要性」国際情報ネットワーク分析IINA, 2023年1月17日。
- 14 奥薗淳二「海上保安庁―海上自衛隊関係の変化と海賊対処法」鶴田順編『海賊対処法の研究』有信堂、2016年、177-191頁。