2020年5月8日、尖閣諸島周辺海域に配備された中国海警局の船舶(以下、中国公船という)が魚釣島の領海内に侵入し、操業中であった日本漁船に接近し追跡するという事件が発生した。付近で領海警備を行なっていた海上保安庁の巡視船は、日本漁船と中国公船の間に割って入り、中国公船に対して領海外へ退去するよう警告した。中国公船はこの警告を無視し領海内に留まり続け、5月10日の夕刻まで断続的に日本漁船に接近を続けた[1]。中国公船が漁船から離れたのち、海上保安庁は漁船の乗組員に怪我などがないこと、船舶や漁具に異常がないことを確認した。外務省は外交ルートを通じて直ちに抗議したものの、中国側は日本の海上保安庁が中国の中国公船による正当な法執行を妨害したと回答した[2]。

 海上保安庁によれば、平成25年7月に中国海警局が設置されてから過去に同様の事案が4件発生している[3]。これら4件は尖閣諸島の領有権を主張する日本の政治家や活動家などが漁船に乗船し、尖閣諸島に接近した際に発生したものであり、いずれも政策的な背景を窺わせる[4]。一方、今般の事案は、このような政治家や活動家などは乗船しておらず、領海内で操業中のところ、中国公船により追跡を受けたものである。さらに7月2日と8月30日にも同様の事案が発生した[5]。本稿では、繰り返されるこれら日本漁船への干渉事案と尖閣諸島周辺海域に配備された中国公船が頻繁に領海内に侵入する事案と何が違うのか国際法の視点から分析し、中国当局によるさらなる現状変更は看過できないことを指摘したい。

中国公船による尖閣諸島周辺の領海内への接近・侵入事案と日本政府の評価

 尖閣諸島の領海に中国公船が頻繁に接近するという事態は2010年9月に遡る。尖閣諸島沖の日本領海内で操業した疑いのある中国漁船に対して、海上保安庁の巡視船が取締りを行おうとしたところ、中国漁船の船長が意図的に巡視船に体当たりしてきた事件が発生した。海上保安庁が公務執行妨害等で船長を逮捕し検察に送致すると、中国側は強く反発し、この事件を海上保安庁の巡視船が漁船に対して体当たりしたものと主張した。さらに日本向けのレアアースの輸出に関する手続きを遅らせ、中国国内の邦人を拘束するなど、日中関係の緊張を招く事態に発展する[6]。最終的には那覇地方検察庁が「日中関係」を考慮し[7]、船長は処分保留で釈放され中国側が準備した航空機で中国に帰国した[8]。しかしこの事件以降、中国公船が尖閣諸島の領海のすぐ外側に位置する接続水域に頻繁に現れるようになった。

 また、2012年9月に尖閣諸島のうち魚釣島、北小島、南小島の所有権が日本政府に移管されると、中国政府は主権と領土に関して譲歩の余地はないとして大々的な批判を行った。中国各地では暴力的なデモや日本人への暴行事件が発生し、連日のように破壊や略奪が行われる様子が報道された。この事件を契機に尖閣諸島周辺海域では、中国公船が従来以上の頻度で尖閣諸島周辺海域を航行するようになり、領海に接近し侵入する事案が頻繁に発生するようになった。2015年12月に初めて外観上、武器を搭載した公船が確認されると、それ以降、武器を搭載した公船が配備されるようになった。

 ところが、このような中国公船が領海内に侵入する事案を日本政府は「侵犯」とは言わない[9]。国連海洋法条約第2条は領海内における沿岸国の主権を認めているので[10]、領土と同等の法的地位が保障され、沿岸国は国際法に則り排他的な統治権の行使が認められている。他方、同条約は全ての外国船舶の無害通航権を認める[11]。領土であれば出入国管理手続きなしに国内に出入りすることはできないが、領海では、あらゆる船舶に対して無害通航権が認められ、継続的・迅速な通航であって(同18条)、沿岸国の平和、秩序、安全に無害であれば(同19条)事前の許可などがなくても自由に航行することが認められている。日本政府は外国の核兵器を搭載しない軍艦[12]や公船に対しても無害通航権として領海内の航行を否定しない。すなわち無害通航である限りにおいて、中国公船の通航も否定されることはないのである[13]。

 一方、中国公船が尖閣諸島周辺の領海内に侵入する行為は、魚釣島などの周辺を徘徊する行為であり、そもそも通航の要件に該当しない。また中国の外務省にあたる外交部は、「中国公船は同海域において法執行を行なっている」と主張する[14]。これは通航に直接関係のある行為ではないため、無害通航の要件に該当しない[15]。そこで日本政府は、「侵犯」ではなく、中国の公船が尖閣諸島周辺の日本の領海において、国際条約の定める条件に則った無害通航権の行使にはあたらないという評価をするのである[16]。

中国公船による尖閣諸島周辺の領海内への接近・侵入事案と日本政府の評価

日本漁船を追跡する行為の法的評価と日本の対応

 さて、今般の中国公船が日本の領海内に侵入し日本漁船を追跡するという事件はどのように評価することができるであろうか。中国外務省は中国公船による法執行活動を妨害したと回答していることから、中国の漁業に関する国内法により違反を認定し、法執行活動の一環として日本漁船を追跡するという法執行活動をおこなった。すなわち中国側からすれば、尖閣諸島周辺の領海内に侵入して実施される法執行活動と同様の活動という評価かもしれない。

 ところが日本の評価は異なる。尖閣諸島周辺の領海内に法執行を一方的に主張しながら中国公船が頻繁に侵入する行為は、外観上は領海内を徘徊しているのみであり、その評価は、無害でない通航を行う中国公船である。一方、今回の事案は、日本の領海内で操業する個別具体的な日本漁船に狙いを定め、中国公船が中国国内法を適用した上で、違反している疑いのある日本漁船を追跡する行為である。これは国家機関が国内法令の違反について捜査を行い、証拠を収集するために家や船内を捜索・押収し、あるいは容疑者を逮捕するという物理的な強制措置、すなわち執行管轄権の行使に該当する行為と評価され、本質的に異なるものである。

 国際法は国家の執行管轄権の行使について、競合による紛争を避けるため、原則として自国領域内に制限する。したがって、他に一般国際法上の根拠があるか明示的な承認を得ずして国家が他国の領域内において執行管轄権を行使することは許されない。すなわち、日本の立場からは、中国の公船が日本の主権の及ぶ領海内において日本の明示的な承認なく実施すれば日本の主権に対する侵害と評価されうる行為である。反対に中国側の立場からは、執行管轄権を行使しようとした場所が、中国の領域内であることを明示的に主張する行為であるともいえる。いずれにしても、無害でない通航を行う中国公船という評価とは異なる、一段エスカレートした行為であると評価できる。

日本漁船を追跡する行為の法的評価と日本の対応

 中国は海洋においてサラミスライス戦略を実施しているという[17]。すなわち、サラミを薄切りにスライスするかの如く、国際紛争には発展しえない程度の小さな安全保障上の変化を生じさせ、徐々に新たな現状“status quo”に変化させる戦略である。2010年9月の中国漁船による業務執行妨害等被疑事件と尖閣諸島の一部の島嶼の所有権が国に移転したことを契機に、中国公船が頻繁に尖閣諸島周辺海域に接近・侵入するという変化を起こした。そして今、尖閣諸島周辺海域で中国公船が日本漁船を追跡しはじめ、さらに進めば、日本漁船を停船させ中国の関連法違反を確認し、船長を逮捕するというステップに進みかねない。

 このような新たな変化を徐々に拡大していく戦略を許容することはできない。日本政府は、まずは閣議決定に基づく海上保安庁の強化を速やかに実施するべきである[18]。そして中国政府に対しては、今まで以上に強く抗議を行うとともに、国際社会に対しては、中国公船による国際法違反、さらには日本の主権が侵害されていることを強く主張し、海洋においても現行の国際法に基づいた秩序が維持されるべきことを主張していくべきであろう。

(2020/10/20)

脚注

  1. 1 「尖閣沖 日本漁船を追尾 中国公船、一時領海に侵入」『読売新聞』、令和2年5月12日。
  2. 2 “Foreign Ministry Spokesperson Zhao Lijian's Regular Press Conference on May 11, 2020,” Ministry of Foreign Affairs of the People's Republic of China, May 11, 2020.「中国「日本漁船が違法操業」」『朝日新聞』、2020年5月12日。
  3. 3 「尖閣中国公船領海外へ」『読売新聞』、令和2年5月11日。
  4. 4 小谷教授は別件についても指摘する。「尖閣沖で日本の漁船を狙い始めた中国海警局」『ニューズウィーク日本版』、小谷哲男、2020年5月13日。
  5. 5 さらに最近では、10月11日にも同様の事件が発生している。「中国公船2隻、尖閣沖に侵入 11日からとどまる」『朝日新聞』、令和2年10月12日。
  6. 6 中国政府は関連性を否定している。「尖閣諸島をめぐる基本情報及び最近の中国漁船衝突事件」外務省『最近の日中関係』、平成22年10月。
  7. 7 日本経済新聞「中国人船長を釈放へ 那覇地検「日中関係を考慮」尖閣沖衝突、処分保留」(2010年9月24日)。なお、最近の新聞報道では、政府の関与を仄めかす報道がある。「尖閣中国漁船衝突10年「政府関与」裏付けた前原氏証言 教訓に尖閣対応強化を」『産経新聞』2020年9月8日。
  8. 8 「尖閣諸島周辺領海内における我が国巡視船に対する中国漁船による衝突事件(中国側とのやりとりを中心とした経緯)」外務省『最近の日中関係』、平成22年10月。
  9. 9 「中国公船には退去警告、尖閣周辺領海に侵入、政府、「侵犯」の表現は使わず、沿岸国の主権制約意識(国際法ルールと日本)」『日経新聞』、2020年8月25日。
  10. 10 国連海洋法条約第2条第1項「沿岸国の主権は、その領土若しくは内水又は(中略)領海といわれるものに及ぶ」。
  11. 11 国連海洋法条約第17条「すべての国の船舶は、(中略)領海において無害通航権を有する。」。
  12. 12 日本政府は核兵器を搭載した艦船の無害通航権は否定する。三木武夫外務大臣『第 58 回衆議院外務委員会議録 第 12 号』1968年4月17日、8頁。
  13. 13 小松一郎『実践国際法』(信山社、2011年)。例えば、2017年7月に中国海警局の公船が長崎県対馬と福岡県沖ノ島周辺の領海に、その後津軽海峡の領海部分に相次いで一時侵入する事件が発生したが、日本政府は外交ルートを通じて「関心の表明」を行ったが抗議は行わなかった。
  14. 14 “Diaoyu Dao, an Inherent Territory of China,” Ministry of Foreign Affairs of the People’s Republic of China, 2012.09.26.
  15. 15 国連海洋法条約第19条第2項(l)。
  16. 16 例えば、平成23年8月に中国公船「漁政」2隻が尖閣諸島周辺の領海に侵入した際には、松本外務大臣から程永華駐日中国大使に対して中国公船の領海何おける航行は無害通航とみなせないとの申し入れがなされている。「松本外務大臣から程永華駐日中国大使への申入れ」、外務省、平成23年8月25日。
  17. 17 サラミスライス戦略については、例えば、Bonnie S. Glaser, “People‘s Republic of China Maritime Disputes,” Testimony before the U.S. House Armed Services Subcommittee on Seapower and Projection Forces and the House Foreign Affairs Subcommittee on the Asia Pacific, January 14, 2014.
  18. 18 海上保安体制強化に関する各回の関係閣僚会議については、下記の官邸HPを参照。
    「海上保安体制強化に関する関係閣僚会議」。