ヴァンス・共通善・イラン戦争
―カトリック社会思想研究者が語るアメリカ政治―
山岸 敬和
前回の論考では、政治学の視点からアメリカの「カトリック票」を考えた。カトリック有権者はしばしばまとまった政治勢力のように語られることがあるが、実際には政治的に多様であり、単一の投票ブロックとして行動しているわけではないことを見てきた。
今回は視点を変え、カトリック社会思想の側から現在のアメリカ政治を見てみたい。
この問いについて、カトリック社会思想の研究者に話を聞く機会があった。イエズス会司祭であり、ボストン・カレッジで長く教えた後、現在はジョージタウン大学で教鞭をとるデイヴィッド・ホレンバック(David Hollenbach)である。
ホレンバックは、共通善(common good)や人間の尊厳(human dignity)などといったカトリックの概念、移民・難民問題、そして戦争倫理をめぐる研究で国際的に知られ、カトリック社会思想研究の第一人者の一人である1。また彼は、選挙権を得て最初に投票した大統領選で、史上初のカトリック大統領となったジョン・F・ケネディに票を投じた経験を持ち、半世紀以上にわたり、アメリカにおけるカトリックの位置付けを自らが経験してきた人物でもある。
対話の中で浮かび上がってきたのは、アメリカ政治とカトリックの関係が単純なものではなく、歴史的にも思想的にも複雑な変化の上に成り立っているという事実だった。
特に興味深かったのは、近年のアメリカ政治においてカトリック社会思想の語彙がしばしば登場する一方で、それが必ずしもカトリック神学の理解と一致しているわけではないという点である。
以下では、ホレンバックの語りを手がかりに、アメリカ政治におけるカトリックの歴史、カトリック内部の分裂、ヴァンスやAOCの位置付け、そしてイラン戦争をめぐる倫理的議論について整理してみたい。
労働運動とカトリック
前回の論考で述べたように、アメリカのカトリックは、もともと社会の主流ではなかった。19世紀から20世紀初頭にかけて、信徒の多くはアイルランドやイタリアからの移民であり、社会的には労働者階級に属していた。そのためカトリック教会は早くから社会問題と深く関わるようになる。
20世紀初頭の神学者ジョン・A・ライアンは「生活賃金(living wage)」の概念を提唱し、労働者が人間らしい生活を送るための賃金を保障することは道徳的に不可欠であると主張した。こうした思想は労働運動と結びつき、カトリック教会は社会正義の擁護者としての役割を果たすようになる。
20世紀前半にカトリック教会が労働運動と非常に強く結びついていたことにより、カトリックは民主党を支持する傾向が強くなった。実際、ニューディール政策を推進したフランクリン・D・ルーズヴェルトの政治連合の中で、カトリックは重要な役割を果たした。
しかしこの構図は次第に変化していく。カトリック信徒の社会的上昇が起こり、中産階級化が進むにつれて政治的立場は多様化していったのである。こうして、前回の論考でアントコヴィアクが述べたように、カトリックは一枚岩の政治勢力ではなくなっていくのである。
中絶問題とカトリック内部の分裂
1973年のロー対ウェイド裁判の判決(Roe v. Wade)は、アメリカ政治に多大な影響を及ぼし、政治の中のカトリック教会の立ち位置も変化させた。この判決は女性の中絶を憲法上の権利として認めたものであり、カトリック教会はこれに強く反対した。
その結果、カトリックの一部は共和党と結びつき、反中絶運動(pro-life movement)の中心的勢力となっていく。そして、ホレンバックはこの出来事が、カトリック有権者が民主党と共和党に引き裂かれる重要な転換点となったとする。
しかし近年、この構図にも変化が見られる。2022年6月に最高裁でロー対ウェイド判決が覆されたことで、中絶問題は依然として重要ではあるものの、「最重要争点」ではなくなった。
その代わりに浮上しているのが移民・難民問題である。この争点がカトリックと政党との関係性に変化を生み出したとして、ホレンバックは以下のように述べる。「最近では移民や難民の問題で、カトリック教会は移民・難民に対して厳しい政策を続けるトランプ政権に対して非常に批判的になっています」。教会の政治的関心は再び広がり始めている。
ヴァンスとAOC
前回の論考でも話題にした共和党と民主党で大統領候補と目されている、副大統領のJ.D.ヴァンスと、アレキサンドリア・オカシオ=コルテス(AOC)についても、ホレンバックに聞いてみた。
ヴァンスに対するホレンバックの評価は厳しい。「ここは必ずしっかりと書いてくれ」と念押しもされた。
彼はヴァンスについて以下のように述べる。「ヴァンスはカトリックの正しい例ではありません。彼はカトリックを理解していません」。特に問題であるとしたのは、「愛の秩序(ordo amoris/order of love)」という概念を移民排斥の正当化に用いたことである。前教皇フランシスコはヴァンスの解釈を明確に否定した。ホレンバックも、ヴァンスはその概念を「完全に誤解している」と強調した。そして、ヴァンスは政治的な目的を果たすために、カトリックの語彙を利用しているだけだと批判する。
一方、AOCはカトリック家庭で育ったものの、政治の場で信仰を全面に出すことはほとんどないこともあり、ホレンバックはAOCをカトリックであると強く意識したことはない、と述べた。しかし、貧困や移民、社会的弱者の尊厳を強調する政治姿勢には、カトリック社会思想と重なる部分もあるとも指摘する。
イラン戦争と正戦論
ホレンバックとの対話の最後に議論が及んだのは、トランプ政権によるイランへの軍事行動であった。彼は、この戦争は、移民・難民の問題に加えて、カトリック教会にとっては大きな挑戦であると指摘する。そして、この戦争はカトリックの倫理的枠組みの中で正当化されるものではないと主張する。
この点について彼は、3月9日に『Catholic Standard』誌に掲載されたロバート・マケルロイ枢機卿のインタビュー記事を示しながら、自身も同様の見解を共有していると説明した2。マケルロイ枢機卿はインタビューの中で、カトリックの「正戦論(just war tradition)」という長い倫理的伝統に照らすならば、アメリカがイランとの戦争に入ることは「道徳的に正当化できない」と述べている。
カトリックには1500年以上の歴史を持つ正戦論がある。この伝統は、古代末期の神学者アウグスティヌスや、中世神学を体系化したトマス・アクィナスによって発展させられた。正戦論は、戦争が無制限に正当化されることを防ぐため、正当な理由、正当な権威、であるかなどの厳しい条件を提示してきた倫理的枠組みである。
もちろん正戦論は、政治権力によって戦争を正当化する道具として利用されてきた側面もある。しかしその本来の目的は、戦争を正当化することではなく、むしろ戦争を倫理的に厳しく制限することにあった。もし直接的な脅威が存在せず、自衛とは見なされない軍事行動が起こされれば、その正当性は認められず侵略に近いものとして批判の対象となる。
つまりカトリックの正戦論は、国家の行動を無条件に支持するものではない。むしろ国家権力の行使を倫理的基準によって評価し、必要であればそれを批判するための枠組みとして機能してきたのである。
共通善をめぐる神学者のジレンマ
今回の対話の中で印象的だったのは、ホレンバック自身が感じているある種のジレンマである。
彼は2002年に著書The Common Good and Christian Ethicsを刊行し、キリスト教倫理の中心概念として「共通善」の重要性を改めて提示した。そこでは、個人の権利や自由だけではなく、社会全体の善をどのように追求するのかという倫理的視点が、現代社会において不可欠であると論じられている。
ホレンバックにとって、この概念は単なる神学用語ではない。むしろ、分断が深まる現代社会において、人々が共通の政治的責任を考えるための倫理的枠組みである。
たしかに今日のアメリカ政治では、「共通善」や「人間の尊厳」といった言葉がしばしば政治的議論の中で使われるようになっている。問題は、それらが必ずしもカトリック社会思想を深く理解せずに使われ、言葉だけが流通している点である。
対話の中でホレンバックは、こうした状況に複雑な思いを示した。共通善という概念が政治の中で語られること自体は歓迎すべきことである。しかしその一方で、それが個々の政治的主張を正当化するための言語として断片的に使われる場合、本来の意味が失われてしまう。ヴァンスについても、ホレンバックは以下のように述べる。「共通善をアメリカ人のためのものとして語っているのは誤りです。そもそも共通善という概念は、国境を超えてすべての人々に適用されるものなのです」。
言い換えれば、ホレンバックはカトリック思想の内部から、分断を深めるアメリカ社会をはじめ世の中に必要な倫理的言語として「共通善」を提起したのだ。しかしその言葉がアメリカ政治の場に近づくにつれ、概念そのものは必ずしも神学的文脈に沿って理解されない現実にも直面しているのである。
神学者が社会に倫理的言語を提供しても、その言葉がどのように使われるのかを最終的に決めるのは政治である。インタビューを終えた後、私の中にはそんな複雑な思いが残った。
(了)
- 聞き取り調査は、2026年3月13日にジョージタウン大学で行われた。ホレンバックの経歴については以下を参照。Georgetown University, “David Hollenbach,” <https://gufaculty360.georgetown.edu/s/contact/00336000014TTTwAAO/david-hollenbach>, accessed on March 11, 2026.(本文に戻る)
- Mark Zimmermann, “In Interview, Cardinal McElroy Says U.S. Entry into War with Iran ‘Not Morally Legitimate,’ Citing Catholic Just War Teaching,” Catholic Standard, March 9, 2026,<https://www.cathstan.org/us-world/in-interview-cardinal-mcelroy-says-u-s-entry-into-war-with-iran-not-morally-legitimate-citing-catholic-just-war-teaching>, accessed on March 13, 2026. (本文に戻る)