アメリカ政治とカトリック
―「カトリック票」は存在するのか―
山岸 敬和
アメリカでは長らく、カトリックは「危険な宗教」と見なされてきた。1960年の大統領選で、ジョン・F・ケネディが立候補した際、「アメリカがバチカンに支配される」といった言説が広がったことは象徴的である。自由と個人主義を重視してきたプロテスタント国家アメリカにとって、国家の外部に権威の中心を持つカトリックは、主権と民主主義を脅かしかねない存在に映っていたのである。
しかし、21世紀のアメリカにおいて、こうした構図は大きく変化している。宗教離れが進む一方で、ヒスパニック系移民の増加に加え、改宗者も少なからずいるということを背景に、カトリックは全人口の約2割を占める主要宗教として定着している1。選挙になると、カトリック票はどのように動くのか、という報道がなされる。
果たしてアメリカ政治の中に「カトリック票」と呼べるような政治勢力が存在するのだろうか?カトリックは一つの政治勢力としてまとまった行動をとっているのだろうか。
この問いについて、アメリカにおける宗教政治を研究する政治学者ローラ・S・アントコヴィアク(Laura S. Antkowiak)に話を聞いた。彼女はカトリック有権者の政治行動を研究する政治学者であり、自身もカトリック信徒として教会と政治の関係を観察している2。
「カトリック票」は存在するのか
アントコヴィアクの答えは明快だった。「アメリカには『カトリック票』と呼べるようなまとまった投票ブロックは存在しません。カトリックは政治的に非常に多様だからです」。
彼女は「カトリックは政治的に一枚岩ではない」という3。民主党支持のカトリックもいれば、共和党支持のカトリックもいる。政治エリートのレベルでも同様で、共和党にも民主党にも多くの政治家を出している。
この状況には歴史的背景がある。19世紀から20世紀初頭にかけて、アメリカのカトリックは、主にアイルランドやイタリアなどからの移民によって持ち込まれ拡大した宗教であり、「プロテスタントの国」では長年、社会の周辺的存在として扱われていた。カトリックはしばしば「外国の宗教」とみなされ、政治的にも疑念の目で見られていた。
しかし20世紀後半になると状況は大きく変わる。カトリック信徒は社会の中産階級へと上昇し、政治・経済・社会の各分野で重要な役割を担うようになった。その結果、カトリック社会内部の政治意識も多様化していった。
二大政党とカトリック政治
さらに重要なのは、カトリック社会教説の政策的立場が、アメリカの二大政党のどちらにも完全には一致しないことである。
カトリックの社会教説は、社会政策においては弱者保護や富の再分配を重視する一方で、生命倫理や家族の問題においては伝統的な立場を維持している。例えば、貧困、移民、医療、環境といった分野では政府に対して積極的な関与を求めるが、中絶や家族倫理の問題では保守的な姿勢をとる。
しかしアメリカ政治は二大政党制であり、これらの二つの立場を同時に代表する政党は存在しない。その結果、カトリック有権者は共和党か民主党のどちらかを選ばざるを得なくなる。
アントコヴィアクは以下のように述べる。「近年の研究では、政治行動を説明するうえで宗教アイデンティティよりも政党アイデンティティの方が遥かに強い影響力を持つことが示されています」。
つまり宗教が政党選択を決めるというより、むしろ政党政治の枠組みの中で宗教的立場が形成されていると指摘する。政党のエリートの政治的言説が、有権者の価値観の形成に影響しているという側面に注目すべきだとする。
カトリック有権者の分裂
また、カトリック有権者の一枚岩でない政治行動を理解するうえで重要なのは、人種による投票行動の違いである。アントコヴィアクは以下のように言う。「白人カトリックは長い間共和党に傾いてきた歴史があります。他方でヒスパニック系カトリックは民主党支持が比較的強い傾向があります」。
この違いは、アメリカ社会における移民の歴史や社会経済的地位とも関係している。ヒスパニック系カトリックは移民政策や社会福祉政策を重視する傾向があり、その結果として民主党に近い政治的立場を取ることが多いのだ。
ただし近年は変化も見られる。以前の論考で紹介したように4、2024年大統領選挙では、共和党候補に投票したヒスパニック系カトリック有権者が増加した。移民政策や経済問題、文化的価値観をめぐる政治環境の変化が影響していると考えられている。
つまり「カトリック票」というまとまりは存在せず、カトリック有権者の政治行動には人種や社会経済的背景が大きく影響しているのである。
カトリック内部の対話
では、カトリック教会内部でも政治的な分裂が進んでいるのだろうか。アントコヴィアクによれば、司祭や司教の政治的立場には実はそれほど大きな違いはない。多くの聖職者は、移民政策や社会福祉については比較的リベラルであり、中絶や同性婚については保守的である。
対立が生じるのは政策そのものではなく、どの問題を最も強調するのかという点である。ある司教は中絶問題を中心に語り、別の司教は貧困や移民問題をより強調する。この「強調点」の違いが、教会内部の政治的対立として捉えられる。
つまりカトリック内部の政治的議論は、教義そのものの対立というより、社会問題の優先順位をめぐる議論として現れるのである。
ヴァンスとAOC
こうした背景の中で興味深いのが、同じカトリックの文化的背景を持ちながら、全く異なる政治的立場をとる政治家たちの存在である。
副大統領のJ.D.ヴァンスは、比較的最近(2019年)になってカトリックに改宗した政治家として知られている。彼はしばしば「共通善(common good)」という言葉を使い、家族や共同体の価値、秩序の維持を重視することを主張しながら、国境管理の厳格化や社会福祉予算の削減を打ち出している。
ヴァンス同様カトリック教徒で、民主党側で将来の大統領候補として見られている一人が、アレキサンドリア・オカシオ=コルテス(AOC)である。AOCはプエルトリコから移住してきたカトリック家庭で育った政治家であるが、宗教について公の場で語ることはそれほど多くない。しかし彼女はしばしば「人間の尊厳(human dignity)」という言葉を使い、貧困問題や社会的不平等を強く批判する立場をとっている。
「人間の尊厳」や「共通善」といった概念は、カトリック社会思想において長い歴史を持つ概念であり、二人は共にカトリック的伝統を意識しているとも言える。
カトリック語彙とアメリカ政治
しかし、こうしたカトリックの宗教的概念が政治の中で使われていることは、必ずしもカトリックの政治的な重みが増していることを意味するわけではない。アントコヴィアクはこう説明する。「カトリック教義は、異なる政治的立場を倫理的に正当化するための言語として使われているという面が強いと思います」。
つまりカトリック思想が特定の政治的立場を形作っているというよりも、政治家たちが自らの主張を正当化するための倫理的言語として、カトリックの語彙が用いられているというのだ。
アメリカ政治は長らくプロテスタント文化の影響を受けてきた。そこでは個人の信仰や道徳、個人責任といった価値が強調される傾向が強かった。こうした文化は、アメリカ的な自由主義、資本主義、民主主義の形成を支えてきたとも言える。しかしその一方で、国家、市場、共同体、家族といった社会制度について、包括的に論じる倫理的枠組みが強調されてきたとは言い難い。
これに対してカトリック社会思想は、こうした制度間の関係を長い思想史の中で体系的に議論してきた。人間の尊厳や共通善といった概念は、国家と社会の役割をめぐる倫理的議論を整理するための言語として発展してきたものである。
もし近年、政治家たちがカトリックの語彙を使い始めているとすれば、それは宗教の復活、カトリックの政治的台頭というよりも、アメリカ政治が新しい倫理的言語を模索している兆候と理解すべきなのかもしれない。カトリック社会思想は、その模索の中で参照される知的資源の一つとなっているのである。
(了)
- アメリカ人の宗教所属については以下を参照。Pew Research Center, “Religious Landscape Study,” <https://www.pewresearch.org/religious-landscape-study>, accessed on March 14, 2026.(本文に戻る)
- 所属先のメリーランド大学ボルティモアカウンティ校で、2026年3月12日に聞き取り調査を行った。(本文に戻る)
- アントコヴィアクによる議論の詳細は以下の論文を参照。Laura S. Antkowiak, “Are Catholics Uniquely Cross-Pressured?,” Politics and Religion Journal 17, no.2 (2023), <https://politicsandreligionjournal.com/index.php/prj/article/view/466>, accessed on March 10, 2026.(本文に戻る)
- 山岸敬和「トランプを支持したヒスパニック系移民の「裏切り」―1人の学生から見たアメリカー」, SPF アメリカ現状モニターNo.177 (2024年12月27日) (本文に戻る)