ヒルビリー・エレジー的言説がどうしても必要だった理由
中山 俊宏
試しに「ラストベルト」と検索してみると、次々と検索結果が表示される。「錆びた工業地帯」とも訳されるこの語は、2016年の米大統領選挙を説明するキーワードとして一気に認知度が上がった。トランプ現象の震源地。ラストベルトに住む「忘れられた人々(forgotten people)」の叫びをただ一人聞き取ったのはトランプ候補だったという説明。この言説を説得的に裏づけたのがラストベルトの叙事詩、J・D・ヴァンスの『ヒルビリー・エレジー(Hillbilly Elegy)』(2016年)だった。
同書冒頭には次のような一節がある。「僕は白人かもしれないが、北東部のワスプの一員とは違う。僕は大学をでていない何百万といるアイルランドからきたスコットランド系白人労働者階級のアメリカ人の一員だと感じている。彼らはずっと貧困のうちに暮らしてきた ... 普通のアメリカ人は彼らをヒルビリー、レッドネック、もしくはホワイト・トラッシュ[白いゴミ]と呼ぶ。僕は彼らを隣人、友人、そして家族と呼ぶ」。『ヒルビリー・エレジー』にトランプの名は一度も出てこない。しかし、『ヒルビリー・エレジー』は、トランプ現象の底流にある叫び声を世界に伝えた。
オバマ時代の声は、オバマ大統領自身が『父から受け継いだ夢(邦題:マイ・ドリーム)』で雄弁に語ったが、トランプ時代の声は疑いなくこのヴァンスの著作だろう。彼の著作は完全に時代と共鳴しあった。しかし、なぜこれほどの共振現象を起こしたのか。それは、人々がトランプ現象の勢いと最終的な勝利に戸惑いつつも、ヴァンスの説明が腑に落ちたからだろう。というよりも自分たちを納得させる説明を欲していたといった方が実態に近いかもしれない。
破天荒で型破りなだけではない。おそらくこれまでアメリカ人が大統領に求めてきた資質をことごとく欠くトランプが大統領に選出されたことを、どうにか常識的な言説内に収める機能をヴァンスの著作は果たしたのではないか。つまり、ラストベルトに住む忘れられた人々の叫びをただ一人聞き取ったのはトランプ候補だったという説明は、ぎりぎりのところで「アメリカン・デモクラシー」を救済する。トランプを受け入れられなかった人たちにも、ヴァンスの描いた人々の存在には心を痛めざるをえないし、その彼らの声を聞き取ることができなかったという反省材料を提供する。
ヒルビリー・エレジー的な言説は、異形の政治家トランプからアメリカン・デモクラシーを救出し、その正当性をぎりぎりのところで維持する言説的な効能ゆえに、これほどの共振現象を引き起こしたとはいえないか。勿論、これはヴァンス自身が狙った効果ではない。ヴァンスは、隣人、友人、家族たちのありのままの姿を伝えたかっただけだろう。インタビューの動画を見ていると、彼の真摯な人柄が伝わってくる 。その率直さゆえに、ヴァンスの言葉は心に響く。それは想いが溢れてくるようなエレジーであり、アメリカン・デモクラシーをぎりぎりのところで救済するには、こうした言葉が必要だったのだろう。問題は、このヒルビリー・エレジー的な言説が何かアメリカ自身が見たくないものを隠蔽してしまっているのかどうか、ヴァンスは意図せずして何かの共犯者になっているのか、ということである。
ヴァンスがラストベルトの白人労働者階級について果たしているのと同様の役割を、アフリカ系アメリカ人が直面している問題に関して担っている気鋭の作家にタナハシ・コーツ(Ta-Nehisi Coates)がいる。オバマ時代は予想されたような人種融和の時代ではなく、ブラック・ライブス・マター運動に象徴される難しい時代になった。2015年に出版された『世界と僕のあいだに(Between the World and Me)』は、トニ・モリスンからも絶賛され、「ブラック・エレジー」の語り手として、オバマ時代のアフリカ系アメリカ人に新たな言葉を与えた。そのコーツが、アトランティック誌に掲載した「初の白人大統領(The First White President)」(コーツの新著 We Were Eight Years in Power (2017) からの抜粋)という長文エッセイが話題になっている 。この文章は、明示的には述べていないものの、ヒルビリー・エレジー的な言説は、トランプ現象の本質的な部分を隠蔽していると論じる。「トランプの台頭を、文化的な憤りと経済的な破綻に起因するものだとする主張は、白人の評論家と知的リーダーたちの間では定型の説明になってしまっている。しかし、その証拠は危うい」と。
「初の白人大統領」とは、トランプ大統領の意だが、いうまでもなく、これは事実としては正しくない。ジョージ・ワシントンからジョージ・W・ブッシュに至るまで、アメリカの大統領はずっと白人だった。しかし、コーツはこう言う。「トランプは真の意味において新しい。それは彼が全政治的存在を黒人大統領[オバマ大統領]という事実に負っている初の大統領だからである。そうであるから、トランプはこれまで大統領にまで上り詰めた他の白人と同じだというだけでは不十分である。彼はそれに相応しい敬称で呼ばれなければならない、アメリカ初の白人大統領と」。
確かにヴァンスが描いた世界に住む人々は、選挙においてトランプが重要州を反転させる上で、つまり最後の数パーセントを積み上げる上では重要な役割を果たした。また、「忘れられた人々の叫び声」は、トランプ現象の「最初の一押し(first push)」であったことも間違いないだろう。彼らがいなければ、トランプは予備選を勝ち抜くことはできなかったであろう。その意味で、ラストベルトがトランプ現象の「震源地」であるとする指摘は間違っていない。しかし、そもそもなぜトランプが予備選を勝ち抜き、本選で互角に戦えるところまで持っていけたのか。
コーツは、あまり多くが語ろうとはしない黒人から見えた世界をあえて語った。オバマが初の黒人大統領であったという意味よりもさらに強い意味でトランプは初の白人大統領であり、それこそが決定的であったと。そして、ヴァンス的な言説は、そのことを封印してしまっていると。オバマは、初の黒人大統領として、人種を乗り越えなければならなかった。しかし、トランプは、初の白人大統領として、人種を呼び戻したのである。コーツは、白人という属性を絡めると、ほぼすべてのカテゴリーにおいてトランプがヒラリー・クリントンに勝っていたことを示している。
コーツの議論に対しては、あまりに単純な人種決定論だとの批判も少なくない。また、それは人種問題のみには還元できない格差の問題などを逆に隠蔽してしまうとの批判もある。コーネル・ウェストは後者の視点からコーツを激しく突いた。
誰もが、コーツの描く世界は、行き止まりの世界であることを直感的に感じ取っている。それはトランプに批判的な人々も踏み込むことを躊躇する領域だ。つまり、昨年の選挙の結果を人種の問題に還元してしまうと、紆余曲折を経ながら240年近くかけて構築してきた「アメリカ」という概念が大きく揺らいでしまう。それをぎりぎりのところで抑えているのが、「ヒルビリー・エレジー的な言説」だ。『ヒルビリー・エレジー』が、トランプ時代に必要とされたもう一つの理由がここにある。
(了)
- "J.D Vance, Best-Selling Author Opens Up About His Painful Childhood And The Future Ahead" NBC News, January 26, 2017. [https://www.youtube.com/watch?v=Jv5pGTG_Kjc&feature=youtu.be](最終検索日:2017年12月25日)
- Ta-Nehisi Coates, "The First White President: The foundation of Donald Trump's presidency is the negation of Barack Obama's legacy.", The Atlantic, October 2017. [https://www.theatlantic.com/magazine/archive/2017/10/the-first-white-president-ta-nehisi-coates/537909/] (最終検索日:2017年12月25日)