はじめに

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が猛威を振るった2020年は、さまざまな場面において、多国間主義(multilateralism)をめぐる問題について考えさせられる年であった。例えば、感染症対策を主導する世界保健機関(WHO)をめぐってさまざまな政治的対立が繰り広げられ、いまだ効果的な国際協力体制を築くことができていない。こうした対立を深刻化させている要因として、メディアではトランプ米大統領の言動や「米国第一」を掲げた外交に注目が集まっているが、多国間主義の原点に立ち帰れば、第二次世界大戦以後に独立を果たした途上国と先進主要国との政治的、経済的な格差、つまり国際関係における不平等性の問題が依然として深刻であることが大きく影響している。

 本稿では、多国間主義に対する歴史的な視点、COVID-19が与える影響について言及した上で、バイデン次期大統領に求められるリーダーシップについて検討したい。

国際社会の不平等性と多国間主義

 コロナ禍ということもあり、あまり注目を集めなかったが、昨年9月に、国連設立から75周年を記念した式典が国連総会で開催され、「多国間主義は選択肢ではなく、持続可能な世界へのよりよい復興を遂げるために必要不可欠なものである」[1]と明記された決議が採択された。また、この決議では、国際社会の安全と平和の維持、経済社会開発の推進、人権の擁護という国連の3つの柱は、同等に重要なものであり、相互関係性を持ち、相互依存的関係にあることを強調し、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」(SDGs)の達成に向けた取り組みを加速させるため、「誰一人取り残さない(leave no one behind)」など12個の行動原則が示された[2]。

 国際機関を中心とした多国間主義を擁護するという文脈において、「持続可能な開発」が言及されている背景には、第二次世界大戦後の国際社会の規範の変化に伴い、主権国家に求められる要件が修正されてきた事実がある。広く知られているように、1960年に、国連総会において「植民地独立付与宣言」が採択され、「政治的、経済的、社会的または教育的準備が不十分なことをもって、独立を遅延する口実としてはならない」[3]と新しい規範が示された。それまで自助能力を持つ文明的な国家のみが主権を主張できたが、この新しい規範に従えば、従属地域であっても自決の権利に基づいて、遅滞なく主権を獲得できるようになった。

 この結果、国際関係は大きく変化することとなった。主権国家数の増大に加えて、基本的価値観の対立、主権国家間の格差拡大、地球規模課題の深刻さなどによって、主権国家間の同質性と相互作用の伝統的なルールや原則の有効性が失われ、多様な分野で利益対立が顕著化した。現代の多国間主義は、こうした弱体化された主権国家間関係を補強することを目的としており、多数国が国際制度やあるいは制度化されていない協議を通じて特定のイシューに関する政策合意を取り付けようとする考え方なのである[4]。

多国間主義の停滞とCOVID-19の影響

 1960年代以降、さまざまな開発援助の取り組みや目標設定が行われ、中国やインドなどのように、新興国として、また地域大国として国際社会に影響力を持つ国が登場するようになったが、グローバリゼーションから取り残された国や地域も多く、人々が抱いた期待に応えるほどの格差是正を成し遂げることはできなかった。こうした状況について、グテーレス国連事務総長は「信頼欠乏症(Trust Deficit Disorder)」[5]という言葉を用いて、多国間主義の停滞の根源には、取り残された人々の失望があるのではないかと指摘している[6]。

 COVID-19の世界的蔓延は、こうした状況を悪化させる懸念が報告されている。実際に、国連開発計画(UNDP)は、世界の教育・健康・生活水準を総合した尺度である人間開発指数について、1990年に策定されて以来、初めて後退が強いられる見込みであることを明らかにした[7]。今回のシミュレーションの結果は、教育におけるインターネットアクセスについての格差が大きく反映されているようであるが、COVID-19の対策においても国際的な公平性を政策目標に含めることを怠れば、格差が拡大する可能性を指摘している[8]。

 また、一部の国で摂取が始まっているワクチンについても、途上国に適正に供給されるか不透明な状況が続いている。ワクチンの開発やその公平な供給を目的とした「COVAXファシリティー」という多国間枠組みが構築され、加盟国が約200億ドルを共同出資し、2021年までに20億回分の安全で効果的なワクチンを提供することを目指しているが、アメリカを含む一部の国々は参加を表明しておらず、この枠組みが機能するかどうかは不透明である。

バイデン新政権に対する期待と課題

 バイデン次期大統領は、昨年11月24日の記者会見で、早くも次期政権の外交政策について語り、新型コロナウイルス感染症対策はもちろんのこと、トランプ政権の「米国第一」に基づく外交を刷新し、国際協調路線へ回帰する姿勢を示し、地球温暖化を巡る「パリ協定」やイラン核合意などに復帰する方針を掲げた[9]。

 バイデン次期大統領が提示した外交政策は、世界各国や国際機関のリーダーたちによって歓迎され、再びアメリカが国際社会においてリーダーシップを発揮することに期待が高まった。特にグテーレス国連事務総長は、昨年11月30日にバイデン次期大統領と電話会談を行い、「パンデミック、気候変動、平和及び安全の維持、人権の促進、人道的ニーズへの対応など、今日世界の前に立ちはだかる多くの緊急の問題を解決するための我々のパートナーシップを強化するために、次期大統領とそのチームとの協力に期待している」[10]と談話を発表した。

 しかしながら、バイデン新政権の課題は山積しており、国内における民主主義の再建から、国際社会におけるアメリカの指導力の回復などハードルは高い。オバマ政権で国家安全保障担当大統領次席補佐官をつとめたベン・ローズは、バイデン新政権に対して、パンデミックの対処、技術政策、移民政策、気候変動対策におけるアメリカが果たすべき役割について明らかにした上で、「新たな例外主義」として、これまでとは異なり、アメリカがルールを押し付けることなくリーダーシップを発揮し、他国に求める基準に自らも従い、グローバルな格差と戦う世界秩序を推進することを求めている[11]。

 多国間主義という考え方が、単なる多国間外交交渉の場でなく、同質性や対等性が失われた国際社会において、その脆弱性を補完しようとする考え方であったことからもわかるように、バイデン次期大統領には、一国主義的な強いリーダーシップを発揮するのではなく、主権国家間、またグローバルな格差と正面から向かい合い、多国間主義を支える社会的条件の整備を行うことが求められていると言えるだろう。

おわりに

 本稿では、多国間主義について、トランプ米大統領の言動や外交理念などの論争的な視点ではなく、歴史的な視点から国際社会が抱える不平等性について問題提起を行い、バイデン新政権に求められるリーダーシップの形態について検討を行った。

 1月20日に発足するバイデン新政権であるが、民主党内の左派勢力の台頭や、根強いトランプ主義共和党の板挟みになることは避けられず、バイデン新政権でも「自国第一主義」の流れに変化はないという声も聞かれるなど[12]、今後どのように展開されていくか明確ではない部分も大きい。今後、アメリカが国際社会に向かってどのようなメッセージを発し、どのようなリーダーシップを発揮していくのか注目したい。

(2021/1/18)

脚注

  1. 1 UN General Assembly, “A/RES/75/1, Declaration on the commemoration of the seventy-fifth anniversary of the United Nations,” p.2, para.5, 28 September 2020.
  2. 2 Ibid. p.3-5, para.7-18.
  3. 3 UN General Assembly, “A/1514(XV). Declaration on the granting of independence to colonial countries and peoples,” p.67, para.3, 14 December 1960.
  4. 4 多国間主義に対する評価はさまざまであるが、本稿では大畠英樹「国家間関係」川田侃・大畠英樹編『国際政治経済辞典』(改訂版)、東京書籍、2003年の定義を踏まえている。
  5. 5 António Guterres, “Address to the General Assembly,” UN General Assembly, 25 September 2018.
  6. 6 この点については、中満泉「多国間主義の現在と未来、日本への期待」日本国際問題研究所『国際問題』No.678、2019年1月・2月、p.3を参照のこと。
  7. 7 国連開発計画(UNDP)駐日事務所「新型コロナウイルスの影響で、人間開発は1990年以来、初の後退を強いられる見込み」(プレスリリース)、2020年5月20日。
  8. 8 同上。
  9. 9 永沢毅「バイデン氏「米国第一」転換、「同盟国と連携、米は最強に」、外交・安保に実務布陣」『日本経済新聞』2020年11月26日。
  10. 10 Office of UN Secretary-General, “Readout of the Secretary-General's phone call with US President-elect Joseph R. Biden,” 30 November 2020.
  11. 11 ベン・ローズ「バイデン政権の課題――米外交の再生には何が必要か」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2020年10月10日、52-59頁。
  12. 12 例えば、会田弘継「新政権でも基調は「自国第一」」『日本経済新聞』2020年11月26日。