11月23日に、ローマ教皇フランシスコが来日し、被爆地の長崎と広島、そして東京を訪れ、核廃絶や平和に対する思いを語った。フランシスコの力強いメッセージは、カトリック信者だけでなく、これまで核廃絶運動に携わってきた人々に大きな勇気を与えたと言えるだろう。
 ローマ教皇は、バチカンという小さな独立国の国家元首であるが、世界中に約13億人いる信者を束ねる宗教的権威であり、国際社会に対する発信力は国の大きさからは想像できない[1]。また、日本ではあまり知られていないが、ローマ教皇は国際機関と歴史的な関係性を有している。
 本稿では、国際政治におけるカトリック教会の位置づけについて論じた上で、教皇フランシスコの取り組みについて検討したい。

ローマ教皇フランシスコが支える国際秩序

国際政治の中のカトリック教会

 上で述べたように、カトリック教会をまとめるローマ教皇であるが、国際政治のアクターとして近現代の国際政治において重要な役割を果たしてきた。
 カトリック教会は2つの世界大戦の終戦工作にも関わったほかにも[2]、国際的緊張の中にあって他の主権国家とは異なるユニークな役割を果たしてきた。例えば、1962年のキューバ危機では、教皇ヨハネ23世がソ連外交官とのネットワークとアメリカのカトリックロビーを活用して、米ソ首脳を仲介し、核戦争を防ぐことを助けた。また、冷戦末期には、教皇ヨハネ・パウロ2世が、母国ポーランドに、初めて教皇として共産主義国を訪れ、民主主義運動「連帯」を支えた。その後、教皇暗殺未遂事件が発生したが、1989年にポーランドで総選挙が行われ、共産党政権は崩壊した[3]。民主化運動が東欧に広がるきっかけを作った教皇の取り組みは、冷戦終結にも貢献したと言うことができるだろう。
 近年では、フランシスコが、オバマ前大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長との橋渡し役を担い、2015年の国交正常化に貢献した功績もある[4]。また、今年2月にも、内紛が続くベネズエラのマドゥロ大統領が、対立するグアイド国会議長との仲介を教皇に要請したこともあった[5]。
 国際機関との関係性も軽視できない。伝統的に国際社会の動きを拒絶してきたカトリック教会であったが、1891年に、レオ13世が発出した回勅[6]「レールム・ノヴァールム(新しき事柄について)」を契機として、カトリック教会の政治、社会運動への関与を本格化させた。第一次世界大戦の終戦工作を通して、国際連盟の設立に影響を与え、国際労働機関(ILO)などの国際機関との関係性を構築してきた[7]。
 第二次世界大戦後、1962年に、ヨハネ23世が第二バチカン公会議を開いた。この公会議を通して、カトリック教会は、他宗教、他宗派に開かれた教会であることを目指すようになり、現代社会の戦争と平和、富と貧困といった問題も教会の問題として捉えるようになった[8]。バチカンの「聖座(Holy See)」としての国連加盟もこの時期に実現した。ヨハネ23世は、この公会議の閉会を見届ける前に他界したが、後任の教皇パウロ6世によって、回勅「ガウディウム・エト・スペス(喜びと希望)」が発表され、公会議を総括するように、国際課題に対して、国連やその関係機関と協力し、聖職者も俗人もともに協力して行動する必要性が高らかに宣言された[9]。その後、労働問題、貧困問題、核開発の問題などを通して、カトリック教会と国連の関係性が強化されてきた。
 教皇の外交活動を振り返ると、他の主権国家とは異なる役割を担っていることにも注目する必要があるだろう。カトリック教会のネットワークを活用した対立国同士の仲介、移民や環境などの深刻化する国際課題に対する取り組みは、主権国家でありながら、世界各地に有するカトリック教会のネットワークでもあるからこそなしえる取り組みと言えるだろう。

国際政治の中のカトリック教会

フランシスコのアジア重視と来日の意義

 イエズス会出身であるフランシスコにとって、今回の日本訪問は特別な意味があるだろう。フランシスコは、16世紀にフランシスコ・ザビエルなどの著名なイエズス会士が活躍した国として、また戦後大きく発展した国として日本に大きな関心を持っており、日本での布教活動を希望していた[10]。また、核廃絶運動に力を入れているフランシスコにとって、核兵器の惨状を知る被爆地を訪れることの意味は大きい。
 今回の来日は、もちろんフランシスコの個人的な問題意識や関心だけではない。カトリック教会のアジアを重視した活動も、今回の来日に深く結びついている。近年、カトリック教会は、ヨーロッパでの信者増加の伸び悩みの問題を抱えており、また相次いで明らかになった聖職者による性的虐待の問題も影響して、逆風にさらされている。カトリック教会にとって、キリスト教が主流でないアジアは開拓余地が大きい。前教皇ベネディクト16世が一度もアジアを訪問しなかったことに対して、フランシスコは韓国やフィリピンなどを訪問し、アジア重視の姿勢を示している[11]。

教皇フランシスコが描く国際秩序

 フランシスコは第二バチカン公会議を開いたヨハネ23世の立場を継承し、積極的に地球規模課題に関わっている。特に、フランシスコは回勅「ラウダート・シ(共に暮らす家を大切に)」を発表し、地球環境問題に力を入れ取り組んでいる[12]。この回勅は、カトリック信者だけでなく、「すべての良心に基づいて生きている人々」に語りかけられていることが特徴的であり、全ての人間が自ら住む地球環境の破壊に対して、エコロジカルな責務を自覚するよう促されている[13]。
 核廃絶に向けた取り組みも、地球環境問題とも結びついている。長崎市の爆心地公園で行ったフランシスコのスピーチの中でも、核兵器が人々の安全を守るものではなく、人道及び環境の観点から、核兵器がもたらす壊滅的な破壊考える必要性が述べられていた。そして、「持続可能な開発のためのアジェンダ2030(SGDs)」の達成や人類の全人的発展という目的を達成するためにも、核廃絶に対して真剣に検討するべきであると強く主張した[14]。

教皇フランシスコが描く国際秩序

おわりに

 ローマ教皇の来日は、1981年にヨハネ・パウロ2世が来日して以来のことであり、カトリック教会関係者にとっては待望の来日であった。また、今回の来日では、新たに即位された天皇陛下との会見や安倍首相との会談が行われ、日本にとってもバチカンとの関係性を強める機会となっただろう。これまで日本では、国際政治の中のバチカンの取り組みやカトリック教会のネットワークについて、ほとんど注目されてこなかった。しかし、カトリック教会のネットワークを例に見たように、地球規模の課題は主権国家同士の問題だけではなく、宗教も含めて多種多様なアクターが複雑に関係し合っているという点は、今後の日本外交を考える上でも、重要な視点となってくるだろう。

(2019/12/10)

脚注

  1. 1 バチカンの基本情報については、外務省ホームページ「バチカン(Vatican)基礎データ、2019年11月20日」を参照した。
  2. 2 1916年に、教皇ベネディクト15世が「平和の方程式」を提示し、国際仲介を試みていた。バチカンの国務長官であったガスパリ枢機卿も国際機関設立に向けた働きかけを行っていた。第二次世界大戦では、ルーズベルト米国大統領の特使であるマイロン・テイラーと密接に連携し、戦後国際秩序の再建に向けた取り組みを行っていた。
  3. 3 松本佐保「法王は国際政治の〈アクター〉」『産経新聞』、2019年11月22日。
  4. 4 「法王の思い、対立崩す 初の中南米出身、側近に情勢精通者 米・キューバ国交交渉」『朝日新聞』夕刊、2018年12月22日。
  5. 5 「グアイド氏側、バチカン訪問 「承認」巡り意見交換か ベネズエラ問題」『朝日新聞』夕刊、2019年2月12日。
  6. 6 「回勅」とは教皇から各国司教に対して発せられる公的文書のことで、信仰や社会課題に対しての教皇の立場が示されている。
  7. 7 松本佐保『バチカンと国際政治』千倉書房、2019年、81—87頁。
  8. 8 同上書、94頁。
  9. 9 同上書、96−98頁。
  10. 10 乗浩子『教皇フランシスコ:南の世界から』平凡社、2019年、75頁。
  11. 11 「アジア活路、教皇動く」『読売新聞』、2019年11月24日。
  12. 12 回勅「ラウダート・シ」に見られる教皇フランシスコの立場については、以下を参照のこと。若松英輔・山本芳久・中島岳志「〈偉くならない〉教皇フランシスコの来日」『論座』2019年11月23日。
  13. 13 教皇フランシスコ『回勅 ラウダート・シ(ともに暮らす家を大切に)』カトリック中央協議会、2016年、176頁。
  14. 14 「教皇の日本司牧訪問 教皇のスピーチ 核兵器についてのメッセージ」、カトリック中央協議会、2019年11月24日。