台湾海峡両岸の総合国力の大きな差と中国共産党政権の全体主義的な性格を考えると、我々は戦争か平和かを決定する発言権を持っていない。
しかし、少なくとも敵が戦争のリスクを考慮し、戦争を始めないほうが良い、と思わせるように、天秤が戦争の方向に傾くのを止める力は我々にはあるはずだ。
2023年9月12日、台湾が公表した「国防報告書」[1]の巻頭を飾る邱国正国防部長(防衛大臣に相当)の言葉である。「国防報告書」は日本の「防衛白書」に相当し、李登輝政権下の 1992 年以降、国防部が隔年で公表しているもので、台湾の国防政策や軍事戦略、さらには中国の軍事力全般を評価する上で最も権威ある政府報告の一つとされている[2]。「防衛白書」や「国防報告書」といった政府報告は、主権者・納税者である国民に理解を求めるための説明であると同時に、自国の主張の正当性を国際社会に理解を求めるためのツールでもある。では、台湾は国際社会に何を訴えようとしているのか。
今回の「国防報告書」が訴えるメッセージは冒頭の邱国防相の言に集約されている。それが意味するものは中台関係において戦争開始の決定権は台湾にはなく中国にのみにあり、台湾ができることは、中国に戦争を思いとどまらせるための努力をすることである。そして台湾が支援を得るに値する国家・社会であることを国際社会に訴えるメッセージである。
戦争開始の決定権は中国側にある
前回の「国防報告書」[3]が公表された2021年から、今回の公表に至るまでの大きな変化の第一は、ロシアによる武力侵攻によってウクライナ戦争が始まったことである。ロシアによるウクライナ侵攻の教訓として、邱国防相は巻頭言において「全体主義政権は、自国の国益や政治的主張のために国際ルールを無視して侵略を開始することができる」のだと評した。その上で、第1章「戦略環境」において、台湾は「両岸の平和と安定を維持することが最優先であり、緊張をエスカレートさせたり挑発したりはしない」と述べることにより、中国が台湾に対して武力を行使するか否かは、台湾への武力行使を放棄しないと繰り返す習近平主席[4]の意思次第であり、中国による台湾侵攻は台湾の意図に関わらず生じうるものであることを警鐘した。
第二に、邱国防相が同じく巻頭言の中で「中国からの容赦のない現実的な軍事侵略の脅威にさらされている」と述べている通り、台湾への武力行使の決断を可能とさせる意図と能力を有する中国の行動が既に常態化しているという深刻な認識がある。第2章「安全への挑戦」では、さらに具体的に中国の脅威を分析する。まず特筆すべきは、民用の航空機や船舶等を動員した上陸作戦[5]やメディアやインターネットを使った認知戦などを含んだ「台湾侵攻作戦」を想定した様々な演習を繰り返すことにより実現可能な作戦の検証を中国が進めている点だ。さらに、グレーゾーンにおける軍事・非軍事の様々な手段による中国のハイブリッド戦が既に常態化しているとの認識を示し、中国が台湾海峡の現状を一方的に変更し、地域の緊張をエスカレートさせるとともに、台湾内部における政府と国民との関係及び台湾と国際社会との関係に楔を打ち込もうと試みていると指摘している。
全民防衛による戦争抑止
ウクライナ戦争が、プーチン大統領の当初の目論見をたがえて1年を超える長期戦となっている点は、台湾にとっての抑止と対処にとっても示唆的だ。ウクライナ国民の抵抗によってウクライナが善戦し戦争が長期化していることを念頭に、邱国防相は巻頭言において「全体主義政権であっても、プーチンの悪夢のように、戦争の泥沼に深入りすることを恐れるかもしれない」と述べて、「戦争に備えることによって戦争を抑止し、戦争を止めるために戦争に備える」こととし、台湾軍が多層的な抑止・拒否力の構築を進めるとともに、社会全体の防衛システムと国家の強靭化を一層進めていることに言及している。
前者については、第4章「防衛力向上」において、台湾海峡の地理的優位性を活かした台湾軍の非対称戦力構築と指揮統制機能を分散した作戦遂行のレジリエンス(回復力、弾力性)の向上について詳述するとともに、縦深性に乏しい国土を考慮し、装備の「機動化、小型化、無人化、AI化」について強調している。
また、後者については、第5章「兵役制度改革」において義務兵役期間[6]の延長や、現役兵と予備役などの役割分担を進めるとともに、第6章「後方改革」では、台湾軍のみならず、市民、地方自治体、企業などが一致協力した「全民防衛」[7]での対処について強調している。特に、中国による侵攻が発生した場合の一般市民の対処法について、平時における準備や避難、敵味方識別、正確な情報入手などを網羅した「全民国防ガイドブック」[8]を交付するとともに、市民や企業参加の動員演習、有事における継戦能力向上のための軍用機や軍艦などの国産化の推進、民間工場の軍事転用や生産力拡大など、ウクライナ戦争の教訓を反映した施策について詳述している。
全体を通して、たとえ中国による台湾侵攻が現実化しても、軍のみならず全国民の一致した努力によって「領土と主権は一寸たりとも譲らず、民主主義と自由を守り抜く」(巻頭言)という明確なメッセージを送っている。
国際社会への期待とアピール
ウクライナ戦争は侵攻から国家を守るためには、国際社会の支持と支援が不可欠であることを再認識させた。前述の通り、自主防衛を追求する姿勢を堅持している一方、台湾自身の努力のみで中国による脅威を排除できないことも自明だからだ。さらに台湾には、日米同盟やNATOなどのような集団防衛のための枠組みがない上、頼みにしてきた米国は、台湾の防衛について「戦略的あいまい性」を否定しない。さらに最近は、米国の国内政治の動向によっては、米国の同盟国やパートナー国に対するコミットメントが変化し得るという見方もある[9]。日本や韓国などのフォーマルな同盟国においても米国による軍事支援の不確実性をめぐる懸念を払拭できないことを考えれば、台湾としての懸念がより深刻だとしても不思議ではではない[10]。
そのため、「国防報告書」は、国際社会にとって台湾が如何に守るべき・支援すべき価値があるのかという点をアピールしている。巻頭言は、台湾は「中国による東部太平洋への海洋進出を封じ込めるための要」であり、政治的にも「権威主義と対峙する民主主義の最前線」にあたるとしたうえで、歴史的にも「台湾海峡のみならず国際社会の岐路にある」と強調する。その上で、第1章「戦略環境」においては次のように国際社会にとっての台湾の価値を挙げている。
第一に、台湾がインド太平洋地域の第一列島線という地理戦略上重要な位置にあるという点だ。具体的には、①台湾直近のバシー海峡と我が国の宮古海峡は中国が第一列島線を突破するための重要な戦略水路であること、②世界の貨物船の約5割が台湾海峡を通過し、台北飛行情報区[11]には重要な18の飛行ルートがあるなど、東南アジアと北東アジア、米国、カナダと往来するのに不可欠な交通路であることなどを指摘し、台湾(海峡)の平和と安定が世界の経済発展に密接に結びついていることを強調している。
第二に、台湾があらゆる国際規範を支持・遵守するインド太平洋地域における信頼できるパートナーであるという点だ。特に、①民主主義や多様性、人権尊重のライフスタイルを堅持していること、②中台関係の平和と安定を維持することを第一の目標として冷静に対応していること、③南シナ海問題についても国際法に従い、地域社会と協力すること、などを例示し、台湾(海峡)の平和と安定が地域の平和と安定に極めて重要であることを強調している。
そのうえで、①地域の平和と安定に極めて重要である台湾海峡の現状維持のために、台湾の総合的な防衛力を強化して台湾海峡周辺の安全と海上・航空交通路の自由航行を確保し、②(コロナウイルスなど)世界のリスクに責任あるリスク管理者として国際機関の活動に積極的に参加し人道支援を行っていること、及び③平和・安定・互恵の原則の下での民主的で自由なライフスタイルを守るために理念を共有する仲間と協力していくことを強調している。
前回の「国防報告書」が民主主義や自由な社会、開放的経済や高度な情報技術を全面的に強調していたのに比し、今次報告書は、台湾が他国や国際社会にとって国際交通路の要衝であることや、国際法など既存の秩序を守ることなどを強調している。この変化は、ロシアのウクライナ侵攻以来の西側の支援に国ごとの温度差が見られることや、いわゆるグローバルサウスの中にはロシアの所業を容認する向きもあることから、台湾を巡る有事に際する国際社会の姿勢にも温度差があり得るという見方を反映していると考えることができよう。
まとめに代えて
台湾は、「国防報告書」を通じて自国の防衛に対する自助努力を強調する一方、国際社会にとっての台湾の意義を強調して有事に国際社会の支援を得るための布石としてきた。中国の脅威が顕在化してきたという危機感と、ウクライナの善戦が国際社会の支援を受けてのことだという認識が背景にある。このことが日本にも当てはまることを見逃してはならない。例えば、南西地域防衛の戦略的意義を丁寧に説明するなどによって国際社会にとっての日本の価値をアピールし、国際社会を味方として惹きつける工夫を施す余地は大きい。
(2023/10/20)
*こちらの論考は英語版でもお読みいただけます。
The Defense White Paper of Taiwan Exposed to the Threat of China ― The Impact of the War in Ukraine and the Emphasized Value of Taiwan in
the International Community
脚注
- 1 中華民国国防部「112年國防報告書(ROC National Defense Report 2023)」2023年9月。
- 2 門間理良「台湾による中国人民解放軍の対台湾統合作戦への評価と台湾の国防体制の整備」『安全保障戦略研究』第2巻第2号、2022年3月、1-22頁。
- 3 中華民国国防部「歷年國防報告書專區(歴代国防報告書コーナー)」。
- 4 中国では、台湾に対する武力行使を放棄しない旨を習近平国家主席のみならず多くの国家指導者や官製メディアが繰り返し公表している。
- 5 拙著「日本が警戒すべき中国「軍民融合」知られざる怖さ-民間カーフェリーをいつでも強襲上陸に使える-」東洋経済オンライン、2021年11月19日。
- 6 台湾では2018年に4か月間の軍事訓練の義務(徴兵)を残した志願兵主体の兵役制度に変更されていたが、情勢変化に伴い、2024年以降、軍事訓練の義務期間が1年間に延長される。これにより、2024年から5年間、1年間の義務服務に就く男性は、毎年9000人から5万3000人に増加すると見積もられている。
- 7 日本でいう「国民保護」に相当する。(内閣官房「国民保護ポータルサイト」。)中国の場合は、拙著「米中武力衝突を覚悟した習近平の本気度バロメータ-中国版「国民保護」、人民防空の再活性化-」国際情報ネットワーク分析IINA、2023年6月19日を参照のこと。
- 8 「全民國防手冊專區(全国民国防手帳コーナー)」。「全民防衛動員」のサイトには、全国民向け、各市町村に特化したもの、英語版など、一般市民の理解に容易なガイドブックが入手できるように準備されている。また、このガイドブックには「敵味方識別」の項目があり、台湾軍、警察・消防などの被災者救助にあたる隊員たちの制服のほか、敵である「人民解放軍」の戦闘服や徽章などもカラーで明示されている。
- 9 Jeffrey W. Hornung, et al., “Like-Minded Allies? Indo-Pacific Partners’ Views on Possible Changes in the U.S. Relationship with Taiwan,” RAND Corporation, 2023.
- 10 「如果中共武力犯台,國人對美國派兵協防台灣的信心(もし中国が台湾に武力侵攻したら、台湾防衛のために米国が派兵すると台湾国民は信じているか)」(世論調査)『財團法人台灣民意教育基金會』2023年2月21日。ロシアのウクライナ侵略の調査以降、台湾防衛のために米軍が台湾海峡に出兵すると考える世論の比率は大きく下がっており、この時点でようやく40%強に回復している。
- 11 飛行情報区(FIR)とは、国際民間航空機関 (ICAO) が航空交通業務を提供する各国の分担を決めた空域であり、領空や防空識別圏(ADIS)とは異なる概念。日本の領空のほとんど及び北東太平洋の一部については福岡FIRが管轄し、国土交通省(福岡航空交通管制部)が管制しているが、石垣島と西表島の間、小浜島東端付近を通る東経124度線以西は、台北FIRの管制エリアに入っている。