海上民兵は世界の潮流に逆行する南シナ海の巨大なブラックホール

  • 国防の近代化や軍人のプロフェッショナル化が強調される現在、民兵を正規軍と同等に配置し続けている国は少ない。
  • ベトナムの海上民兵は、島の主権を守り、海の管轄権を主張することが任務であり、外国船舶や海上の状況を監視して、ベトナムの主張する水域に侵入した外国船舶を探知して駆逐することなどの海上軍事活動を行っている。
  • ベトナムの海上民兵は、それぞれの漁船に基幹民兵を配置して漁民の軍事的活動を指揮する場合と、漁船に基幹民兵を紛れ込ませて漁を隠れ蓑にして特殊任務を遂行する場合の2つ方法を採っている。
  • 南シナ海でのベトナム漁船の活動は、国民皆兵制度の下での軍事的闘争任務が優先されている。
  • 政治的に適格な漁民を一定の資金援助によって選抜して海上民兵小隊を編成し、人員や船舶のレベルを大きく向上させ、装備の質も大幅に向上している。
  • ベトナムが海上民兵を大規模に組織する背景には、広く分散した多数の漁民を通じて、海洋権益を主張し、特にパラセル諸島をめぐる「紛争」を起こすという政治的・安全保障的思惑がある。
  • 海上民兵による隠密の軍事作戦は、経済的コストを大幅に削減することにもなる。
  • 民間人を使って軍を援護するというベトナムの戦略は、中国と力の差や、中国の「強者による弱者いじめ」という道徳的な問題を最大限に生かし、中国の国際的な評価を低下させ、国際社会からの同情や支持を得ようとする意図がある。
  • ベトナムの「漁船による民兵」戦略は、南シナ海の状況に巨大な「ブラックホール」を生み、南シナ海の将来の発展にも危険を潜ませている。関係国が進めている「南シナ海行動規範」協議に対する難題であるとともに、世界の潮流に逆行するものである。

 国家が主導する怪しげな海上民兵による活動を「ブラックホール」と揶揄し、世界の潮流に反すると唱える上記の文章をご覧になった読者には、この記述を「中国の海上民兵」に対するものとの誤りではないかと思われた方もいるに違いない。

 しかし、これは2020年に中国南海研究院が行ったベトナムの海上民兵に対する分析とその評価である[1]。中国南海研究院は、海南省政府の指揮を受ける南シナ海問題に関する中国の国益を守るためのシンクタンク[2]であり、エリクソン米海軍大学教授たちがこれまで繰り返し警鐘を鳴らしてきた中国の海上民兵[3]のお膝元でもある海南島に所在している。

G7、ADMM Plusを前にベトナムは海上民兵の増強を公表

 2021年6月9日、ベトナムは海上民兵を増強したことを公表した[4]。11日からのG7コーンウォール・サミットや16日の拡大ASEAN国防相会議を目前に控えた中でのこうした公表に、ベトナムの意図が奈辺にあるのか定かではないが、この発表に対してG7諸国やASEAN諸国から特段の反応があったとの報道は確認できていない。

 中国による海上民兵の活動については、日米両国はじめ海洋安全保障に関心を持つ識者は多く、南シナ海における中国の一方的な活動については、ベトナムやフィリピンなど直接の影響を受けていると思われる国々により、繰り返し報道されている。一方で、ベトナムの海上民兵については注目度も低く、またその全貌も明らかになっていない。

ベトナムの海上民兵も中国の海上民兵と同様に国家の軍事力である

 ベトナムの海上民兵は、中国の海上民兵と同様に、国家の正規の軍事力であり、中東やアフリカ地域で民兵(Militia)と呼ばれている私兵や反政府武装勢力とは全く異なる軍事力である。

 ベトナムの民兵の正式名称は、「民兵自衛隊(Militia and Self-Defense Force)」であり、ベトナム人民軍(Viet Nam People’s Army)とともにベトナム社会主義共和国の軍事力(the armed forces of the Socialist Republic of Viet Nam)の主要構成要素に位置付けられている。民兵自衛隊は、コミューンと呼ばれる市区町村単位で編成される部隊を民兵と呼び、政府機関や社会団体、経済組織等で編成される部隊を自衛隊と、編制の基準となる単位によって呼び分けられているが任務や活動に違いはない[5]。

 ベトナムの民兵自衛隊は、ベトナム共産党の前身であるインドシナ共産党によって1935年にその前身となる武装集団が創設されて以来、平素は生産活動に従事しつつ、災害救援などに参画するとともに、平時においても国境警備隊や海軍及び沿岸警備隊と協力してベトナムの国家主権や領土保全及び国境警備に従事し、戦時には、全ての人民による敵対戦闘活動(the movement of fighting the enemy by the whole people)の中核的戦力として戦闘に直接参加することとされており、インドシナ戦争やベトナム戦争などに従軍してきた歴史も有している[6]。

 海上民兵自衛隊は、2018年にベトナム中央軍事委員会によって沿海部に位置する14の省(日本の都道府県に相当)に創設することが提案されて南部地域から順次設立されている[7]。6月初旬の報道もその一つと考えられている。

 ベトナムには海軍(Vietnam People’s Navy)のほかに、2013年に海軍から独立した沿岸警備隊(Vietnam Coast Guard)[8]や、同じく2013年に設立した漁業取締りを行う漁業資源監視局(Vietnam Fisheries Resources Surveillance)などがあり、巡視船艇の供与など日米はじめ友好国の支援を受け防衛力や海上法執行能力の構築と向上が図られている。こうした中で、ベトナムが海上民兵自衛隊の増強を必要であると考えている主たる要因には、冒頭の中国南海研究院の分析にあるように、中国とベトナムとの力の差が歴然としており、海軍や沿岸警備隊などの増強が、まだまだ十分でないとの認識によるものなのであろう。

海上民兵は世界の潮流に逆行するもの

 以前の拙稿でも論じてきた通り、その国の法律によって規定され、国際法を遵守した活動を行う限り、たとえ漁民であっても国家の軍事力として活動することを第3国が非難や否定をすることはできない[9]。特に、人的資源や経済力に制約がある国が、自国の主権や国民の安全を守るために、軍事力や警察力の圧倒的な劣勢を、持てるあらゆる資源を用いて補完しようと考えることを単純に否定することはできるものではない。

 しかし、南海研究院も言うように、国防の近代化や軍人のプロフェッショナル化が強調される現代国際社会において、民兵を正規軍と同等に位置付ける国家は少なく、民兵を用いる国家の軍事戦略は、世界の潮流に逆行するものである。とりわけ、国際公共財である海洋における国益衝突の最前線に、海軍や沿岸警備隊のさらに前方で、漁民に民兵活動を強いることは、人権や人道を重視する21世紀の国際社会の価値観とは相容れないはずである。

 中国の海上民兵のみならず、ベトナムの海上民兵自衛隊やフィリピンの市民軍海上部隊(M-CAFGU(Maritime - Civilian Armed Forces Geographical Unit))[10]など、漁民を武装させることに国際社会が異を唱えないままでいれば、南シナ海で活動している大半の漁船が武装しているという状態もそう遠い未来ではない。南シナ海が「自由で開かれたインド太平洋」の結節点に位置することを考えれば、南シナ海の今日は、インド洋や太平洋の明日であるとも限らない。

漁業従事者が安心して操業できる海洋であるために

 近年、人民解放軍や中国海警は質量ともに急速に増強されているにもかかわらず、中国漁民を盾にしたような活動も日本周辺海域で起きている[11]。自衛隊や海上保安庁の能力を補完するために日本政府が日本漁船や商船を利用することなど、今日の日本社会では想像することさえ困難である。しかし、武装漁船が自然状態の国や社会では往々にして他国も同様であると考えたとしても不思議ではない。しかし、それはまるで近代以前の海洋への逆行と言えなくもない。

 海上民兵自衛隊やM-CAFGUの活動に懸念を伝え、漁民などに頼らずとも十分な防衛力及び法執行力のさらなる充実や、漁民等海洋を生活の場にする文民の人権意識の高揚や漁民保護に関する国際約束化など、ベトナムやフィリピンなどの漁民が漁業に専念できる環境づくりに日本をはじめとする国際社会が協力することは、日本漁船の安全な操業を守り、海洋で活動する日本船舶の安全を維持する重要な取り組みとなるのではないだろうか。

※本論で述べている見解は、執筆者個人のものであり、所属する組織を代表するものではない。

(2021/8/2)

脚注

  1. 1 陈相秒、「南海的『黑洞』‐越南海上民兵(南シナ海のブラックホール:ベトナム海上民兵)」中国南海研究院、2020年4月30日、南海的“黑洞”——越南海上民兵-中国南海研究院 (nanhai.org.cn)。
  2. 2 「探访中国南海研究院:揭秘南海问题智库成长史(中国南海研究員訪問:南シナ海問題のシンクタンク成長史を明らかに)(人民網から転載)」、环球网、 2012年11月6日、南シナ海研究所を訪問:南シナ海問題のシンクタンクの成長の歴史を明らかにします (huanqiu.com)。
  3. 3 Anderw S. Erickson, Conor M. Knenedy, “Tanmen Militia: China’s ‘Maritime Rights Protection’ Vanguard,” the National Interest, 6 May, 2015, Tanmen Militia: China’s 'Maritime Rights Protection' Vanguard | The National Interest,ほか。
  4. 4 “Vietnam sets up more maritime militias,” Vietnam Net, 11 June, 2021, Vietnam sets up more maritime militias (vietnamnet.vn).
  5. 5 「民兵自衛隊法(Law on Militia and Self Defense Forces)」第3条。
  6. 6 Viet Nam Ministry of National Defense, 2019 Viet Nam National Defense, HỌC VIỆN CHÍNH TRỊ (mod.gov.vn).
  7. 7 “Vietnam to build maritime militias in 14 coastal provinces,” Vietnam Net, 23 January, 2020, Vietnam to build maritime militias in 14 coastal provinces (vietnamnet.vn).
  8. 8 Vietnam net, “Vietnam to reinforce Coast Guard from now to 2030,” 8 January, 2021, Vietnam to reinforce Coast Guard from now to 2030 (vietnamnet.vn).
  9. 9 拙稿「EEZに居座る中国漁船群にフィリピンはどう対応すべきか?」『国際情報ネットワーク分析 IINA』笹川平和財団、2021年5月17日。EEZに居座る中国漁船群にフィリピンはどう対応すべきか? | 記事一覧 | 国際情報ネットワークIINA 笹川平和財団 (spf.org)
  10. 10 同上。
  11. 11 拙稿「尖閣は人道主義をめぐる中国と世界の価値観対立の最前線」『国際情報ネットワーク分析 IINA』笹川平和財団、2020年9月9日。尖閣は人道主義をめぐる中国と世界の価値観対立の最前線 | 記事一覧 | 国際情報ネットワークIINA 笹川平和財団 (spf.org)