バッドニュース:米国のソフトパワーを損なう

 トランプ政権の暴露本であるトランプ政権の内幕を描きだした「炎と怒り」が年頭に出版され、トランプ大統領自身が「出版を差し止める」と発言したことが逆効果となって関心を呼び、世界的ベストセラーとなっている。日本語の翻訳も間もなく出版される。この書籍の内容に目新しい事実はない。ただし、これまでのトランプ政権の成り立ちついて、世界が漠然と想像していたことが、政権内部に入りこんでかなり自由に取材した著者のマイケル・ウルフ氏の記述に「やはりそうだったのか」と腑に落ちることだ。

 この本に書かれたトランプ政権の恥部は、世界における米国の魅力を源泉とする「ソフトパワー」を損ない、これまで米国が支えてきたリベラルな国際秩序への支持を弱め、それに挑戦するリビジョニスト(修正主義勢力)の力を強めるという意味で、地政学的なリスクを高めるものである。

 例えば、米国のコンサルティング会社「ユーラシアグループ」が発表した2018年のグローバルリスクの第一位は、「中国は空白を好む」(China loves a vacuum)だ。その理由は「トランプのアメリカ・ファースト外交と欧州の指導者が域内に気を取られているうちに、(リベラルな)価値観を共有しない中国が、商業と外交での世界的な影響力が強める」からだと説明している。[1] 日本のシンクタンク、PHP研究所のグローバルリスク2018でも、第一位は「『支持者ファースト』」のトランプ大統領が溶解させるリベラル秩序」であり、第二位が「中国が主導する新たな国際秩序形成の本格化」だ。[2]

 「炎と怒り」の中で、トランプ氏が大統領選挙に期待していた本当の目的は、当選することではなく、世界で最も有名な金持ちになることであり、世界の最強国をコントロールする意思はなかったという点は重要だ。トランプ氏自身が政策や政権運営、イデオロギーに関心はなく、自分を目立たせることだけに関心がある、という点が関係者の証言を交えて記述されている。だからこそトランプ政権は、選挙中に明確な安全保障政策をスタッフと共有しなかったし、そこから政権に起用されるべき専門家の政治任用も遅れたのだろう。

グッドニュース:トランプとバノンとの決別は現実主義者の影響を強める

 ただし、まったくの「悪い知らせ」ばかりではない。実にトランプ自身に政策やイデオロギー志向がないという点は、「炎と怒り」によりもたらされた「グッドニュース」でもある。筆者は、トランプ政権の外交・安全保障政策の最大の問題は、ジョン・ケリー首席補佐官、H・R・マクマスター国家安全保障担当補佐官、ジェームズ・マティス国防長官という軍人出身の現実主義者(国際関係において力の要素を重視し、世界秩序維持のための米国の関与に積極的な立場をとる人たち)による現状維持の政策に対して、「アメリカ・ファースト」と「反エスタブリッシュメント」のイデオロギーで、米国の世界関与を否定するスティーブン・バノン元大統領首席戦略官やスティーブン・ミラー上級顧問らの現状否定派が邪魔をすることにあると考えている。そしてトランプ大統領は、これまで状況によって立場を変えて、両方を支持してきておりその本心はわからなかった。

 「炎と怒り」が明らかにしたことは、トランプ大統領に特定のイデオロギーや政策的意図はない、ということである。つまり、トランプ大統領が政権初期にバノン氏を重用したのは、彼が中間選挙や自身の再選に役に立つからであって、イデオロギーや信念に基づいた関係ではなかった。「炎と怒り」の中の、大統領の長男、ドナルド・トランプJr氏がロシア人女性弁護士とトランプ陣営の面会を設定したことについて、国家反逆罪だと批判するバノン氏の発言が掲載されたことについて、トランプ大統領はバノン氏が「気がおかしくなった」と強く非難した。バノン氏は最終的にはトランプ大統領に謝罪をしたが、その決別は決定的となった。

 この政治ダイナミクスの変化の意味するところは、トランプ政権の現実主義者たちの影響力増大だ。これは「グッド・ニュース」である。直近では、朝鮮半島や日中両国を含む東アジア政策の責任者で、実務的な評価が高いスーザン・ソーントン東アジア太平洋担当国務次官補代行が、正式に国務次官補となる途が拓けたことだ。これまで、ソーントン氏は、バノン氏から中国に近いという理由で批判され、次官補代行のままだった。
米国政府では、大統領に指名された政治任用職か、そうでないかは、影響力において雲泥の差がある。オバマ政権において、アジア重視の「アジアリバランス政策」を主導したのは、政治任用職で国務次官補の現実主義者のカート・キャンベル氏であった。

 実は、トランプ政権内での現実主義者の影響力は、2017年8月に海兵隊出身のケリー国土安全保障省長官がトランプ大統領の首席補佐官に就任したときに潮目が変わった。今回のトランプ・バノンの決別は、その動きを強めているようだ。

自由の女神

国家安全保障戦略文書が示す現実主義と国際関与

 国家戦略レベルでみても、昨年12月18日に発表された国家安全保障戦略は、現実主義者の影響力の強さを印象づける文書だ。その内容は、トランプ大統領自身の言葉を各章に散りばめ、「アメリカ・ファースト」という化粧はなされているが、本質的には現実主義に基づき、米国の国際関与を再確認したものだ。

 例えば、「中国とロシアは米国の安全と繁栄を侵食することで、我々のパワー、影響力、利益に挑戦している」とし、「これらの挑戦は『ライバル国との関係構築や国際社会への取り込みをすれば、相手は国際ルールを尊重する善意のアクターや信頼できるパートナーになる』というこれまでの過去の米国政府の前提に再考を迫るものだ」と指摘する。[3]

 この表現は、過去のどの政権でも使わなかった厳しいものだが、ロシアによるウクライナ内戦介入とクリミア併合および中国による東シナ海と南シナ海での拡張姿勢を経験した現在の世界認識としては正当なものといえよう。特に、同盟国の日本や欧州諸国に安心感を与える内容だ。これは2016年の大統領選挙中にトランプ候補が示した一連の同盟国軽視の内容とは大きく異なる。大統領選挙中のトランプ候補は、NATO(北大西洋条約機構)加盟国であるバルト諸国を念頭に、米国のNATOの集団防衛への参加は無条件ではなく、同盟国の貢献を考慮すると発言したり、日本の駐留米軍基地の負担の額に不満を表明するなど、アメリカ・ファーストを極端な形で推し進めた同盟国軽視の発言が多かった。

 しかし新しい国家安全保障戦略文書では、アメリカ・ファーストの戦略の一つとして、「力による平和」を掲げ、「同盟国とパートナーは我々の力を強くする」という伝統的な同盟観に回帰した。[4] すでに安倍首相がトランプ大統領と良好な関係を築いているとはいえ、トランプ政権の中国への脅威認識と同盟国重視は大きな安心材料である。トランプ政権暴露本「炎と怒り」は、米国のソフトパワーを損ねる問題作だが、着実に影響力を増してきた政権内の現実主義者には、追い風となっているようだ。

脚注

  1. 1“Eurasia Group’s Top Risks for 2018”
  2. 2 PHP総研グローバル・リスク分析プロジェクト「2018年版 PHPグローバル・リスク分析」2017年12月、PHP総研
  3. 3National Security Strategy of the United States of America, December 2017, pp.2-3
  4. 4Ibid. p4.