2月24日のロシアによるウクライナ侵略開始以降、軍事作戦に関しては明確な段階分けが存在する。ロシアは当初、首都キーウを標的にし、ゼレンスキー政権の転覆を目指していた。数日で首都を陥落させられると考えていたようだ。
侵略開始からほぼ1ヶ月の3月25日になり、ロシア軍は、第1段階の目標が概ね達成されたとして、第2段階では東部ドンバス地方での作戦に注力すると表明した。キーウ陥落の失敗を認めたわけではないが、実際には方針転換の言い訳だったのだろう。その後、ウクライナ東部さらには南部での戦闘が激しさを増している。
そうしたなかで強く印象付けられるのは、ウクライナによる激しい抵抗である。ロシアがウクライナの抵抗を過小評価していたことは明らかだ。加えて、米国を含むNATO(北大西洋条約機構)諸国も、ウクライナのここまでの抵抗を予測できていなかった。ロシアの侵略意図については正確な分析を行っていた米英の情報機関も、ロシア軍の苦戦とウクライナの抵抗については、評価を誤ったのである[1]。筆者もウクライナの抵抗能力について、当初は極めて悲観的だったことを認めざるをえない。
以下では、こうしたウクライナ戦争の推移のなかでみえてきた大きな転換点として、ウクライナにとって停戦の意味が失われてきていることについて考えたい。
ロシア軍の占領下で何が起きていたのか:明らかになった市民の多大な犠牲
命をかけても守らなければならないものがある。ウクライナの抵抗については、これに尽きるのだろう。つまり、ここで抵抗しなければ祖国が無くなってしまう。将来が無くなってしまう。しかも、このことが、軍人のみならず一般市民にも広く共有されているようにみえることが、今回のウクライナの抵抗を支えている。
さらに重要なのは、抵抗には犠牲が伴うが、抵抗しないことにも犠牲が伴う現実である。ロシアとの関係の長い歴史のなかで、このことをウクライナ人は当初から理解していたのではないか。ロシア軍に対して降伏したところで命の保証はないし、人道回廊という甘い言葉のもとで行われるのは、たとえ本当に避難できたとしても、それは強制退去であり、後にした故郷は破壊されるのである。
首都キーウ近郊のブチャやボロディアンカにおける市民の虐殺は、ロシア軍による占領の代償の大きさを示している。ロシア軍による占領にいたる戦闘で犠牲になった人もいるが、占領開始後に虐殺された数の方が多いといわれる[2]。抵抗せずに降伏しても、命は守ることができなかった可能性が高い。他方で、ブチャの隣町のイルピンは抵抗を続け、一部が占領されるにとどまり、結果として人口比の犠牲者数はブチャよりも大幅に少なくすんだようである[3]。
ロシア軍による市民の大量殺戮を含む残虐行為は、占領下では繰り返されるのだろうし、占領が続く限り実情が外部に伝わる手段も限られる。ブチャの状況が明らかになったのもロシア軍が撤退した後である。
こうした残虐行為に関しては、軍における規律の乱れや、現場の一部兵士による問題行動だとの見方もあるが、組織的に行われていたことを示す証言が増えている。加えて、ブチャ以外にも似たような大量殺戮の事例が明らかになっており、ロシア当局による組織的行為であると考えざるをえない。組織的だったか否かは、戦争犯罪の捜査、さらにはこれが集団殺戮(ジェノサイド)に該当するか否かを判断する際に重要になる。そのため、証拠集めには慎重を期す必要がある。
ジェノサイド条約は、人種や国籍、宗教などを理由に特定集団を組織的に破壊することを、ジェノサイドの構成要件にしている[4]。バイデン米大統領は、「ウクライナ人の存在自体を消そうとしている」として、ジェノサイドであると明言した[5]。
国際法上ジェノサイドだと認定可能か否かにかかわらず、ウクライナ東部を含め、ロシアの支配下にある地域で、ブチャと似たようなことが起きていると考えなければならない。これから占領される場所でも同様であろう。実際、東部の港湾都市であるマリウポリでは、すでに万単位で市民の犠牲者が出ていると伝えられている[6]。
ブチャの虐殺:ウクライナにとっての転換点
こうした現実が明らかになってしまった以上、ウクライナにとっての平和は、ロシア軍が国内から完全に撤退したときにしか実現しないことになる。これは、今回の戦争における構図の大きな変化である。
そして、ロシアに占領されている場所がある限り平和がありえないとすれば、停戦の意味が失われる。停戦とは、その時点での占領地域の、少なくとも一時的な固定化であり、ブチャのようなことが起こり続けるということになりかねない。これを受け入れる用意のあるウクライナ人は多くないだろう。
結局のところ、停戦のみで平和はやって来ないのである。従来は、ウクライナ政府も停戦協議を重視してきた。侵略開始の数日後からすでに停戦を呼びかけたのはゼレンスキー大統領である。しかし、ブチャの惨状が明らかになるなかで、停戦自体を目的視することができなくなった。あくまでも、平和につながる限りにおいて停戦を追求するという姿勢への転換である。
そして実際、3月末のイスタンブールでの停戦協議では実質的な前進が伝えられたものの、直後にブチャの惨状が明らかになり、交渉機運は急速に萎むことになった。その後も停戦協議はオンラインで断続的に行われているようだが、ほとんど表に出てこなくなった。ロシア側もいまは東部における支配地域拡大を優先しているとみられる[7]。
それではウクライナは自らの力でロシア軍を追い出すことができるのか。これが最大の問題である。ゼレンスキー大統領は、4月23日の会見で、ロシア軍が「入り込むところ全て、彼らが占領するもの全て、私たちは全て取り戻す」という方針を強調している[8]。停戦よりも、ロシア軍を追い出すことが先決なのである。
戦争による犠牲が日々積み重なっていくことを考えれば、早期終戦が望ましいこと自体は変わらない。しかし、軍事的にウクライナが勝利する早期決着は現実には想定しえない。そうだとすれば、ウクライナには、抵抗を続け、少しでもロシア軍の占領地域を縮小していくほかなく、NATO諸国を中心とする国際社会は、武器の供与などを通じてそれを支えていくということになる。停戦を唱えるのみでは平和は実現しないのである。
[注記]
本稿は、鶴岡路人「ウクライナの抵抗の行方」『朝雲新聞』(2022年4月21日)をもとに大幅に加筆したものである。
(2022/04/27)
脚注
- 1 “Ukraine: Inside the spies’ attempts to stop the war,” BBC, 9 April 2022.
- 2 “Ukraine: Apparent War Crimes in Russia-Controlled Areas,” Human Rights Watch, 3 April 2022.
- 3 「激戦のブチャとイルピン つながった街で、占領と撃退に分かれた理由」『朝日新聞』(2022年4月9日)。
- 4 ジェノサイド条約の日本語版は、例えばデータベース「世界と日本」に掲載。
- 5 White House, “Remarks by President Biden Before Air Force One Departure,” De Moines, Iowa, 12 April 2022.
- 6 “21K Mariupol civilians dead since start of Russian invasion, mayor says,” Global News, 12 April 2022.
- 7 “Putin abandons hopes of Ukraine deal and shifts to land-grab strategy,” Financial Times, 24 April 2024.
- 8 「ウクライナは武器を受け取り次第、占領地を取り返し始める=ゼレンシキー宇大統領」『ウクルインフォルム(日本語版)』(2022年4月23日)。