対岸の火事から、存亡の危機へ

 2020年に入り、中国・武漢での新型肺炎(新型コロナウイルス感染症:COVID-19)の広がりが国際的に注目されるようになってからしばらく、欧州にとってそれは「対岸の火事」だったといえる。「中国の」ないし「アジアの」感染症という認識だった。自らの問題に発展することへの意識は低く、欧州諸国は感染症対処に追われる中国に対して、小規模ながら物資の支援を行っていた。

 しかし、2月後半以降、まずはイタリア北部を中心に新型コロナウイルスの感染拡大が発覚し、3月10日前後を境に、問題がいっきに欧州規模に拡大した。それまでも、欧州各国で感染者が散発的に出ていたが、欧州内の活発な人の移動などを通じ、感染者の急激な増加が起きてしまった。イタリアやスペインの一部では医療崩壊が発生し、感染者数も犠牲者数も、たとえばイタリア単独で中国の数字を上回る事態に陥った。欧州自体が存亡の危機に立たされているかのようである。

対岸の火事から、存亡の危機へ

 イタリアやスペインにおける医療崩壊や、フランスや英国、ドイツなどでの外出禁止を含む、いわゆる全土のロックダウンの状況については、すでに日本でも広く報じられている。そこで以下では、新型コロナウイルス危機へのEU(欧州連合)の対応、そして今回の事態がEUの将来に及ぼす影響に絞って分析することにしたい。

「どん底」からの出発

 今回の新型コロナウイルスへの対処に関して、EUの役割は当初極めて小さかった。姿が全くみえなかったといってもよい。ただし、それは驚くべきことではなかった。というのも、医療・公衆衛生は各国が対処すべき領域であり、EUの権限が限定的だったからである。他方、技術的側面に関しては、EUの専門機関として欧州疾病予防・管理センター(ECDC)が存在しており、今回の新型コロナウイルスに関しても感染状況や対処方法、一般市民への情報提供などで一定の役割を果たしてきた[1]。

 そして各国は、自国の法制度や対処能力、感染状況に応じて必要な措置を順次講じていった。それでも、学校や飲食店の休業、そして全体的な外出禁止措置に至るまで、結局は多くのEU加盟国で類似の措置がとられることになった。

 自国民の命を守ることは、各国の指導者・政府にとって最重要任務だが、指導者の間でも市民の間でも、EUないしEU内の他国からの支援がなかなか得られないことへの苛立ちと失望は、例えばイタリアにおいて急速に拡大することになった。EUの果たすべき役割の範囲は自明ではないが、当初の想定とは別に、非常時において期待が高まり、それが実現されないときに失望が広がることは、やむを得なかったのだろう。

 そうしたなかで、後述のように、EUよりも先に中国が対イタリア支援に乗り出すという状況が生じた。EUとしては中国の後塵を拝するわけにはいかず、イタリアやスペインといった、多くの犠牲者を出し、医療崩壊を経験している諸国への眼に見える支援が本格化することになった。フォン・デア・ライエン欧州委員長も、「どん底」からの出発になったと率直に認めている[2]。

EUの結束を目指して

 EUとしての最初の措置は、手術用マスクや個人防護器具などのEU域外への輸出を許可制にするとの決定だった[3]。3月14日に同措置が決定される前の段階で、すでにドイツなど一部加盟国がマスク等の(EU域内を含む)国外への輸出を禁止する措置をとっており、EU内での摩擦が高まっている状況にあった。EUとしては、域内の結束を示すためにも、EU域内での輸出禁止のような措置を容認するわけにはいかず、いわば妥協点として、許可制にすることで域外への輸出を抑制し、EU域内については加盟国間で融通し合える体制を目指したのである。しかしこの措置は、「EUファースト」的発想を色濃く示すものだったともいえる。

 さらに欧州委員会は3月16日に、欧州の域内国境管理撤廃の枠組みであるシェンゲン圏の域外からの外国人の入国を原則として禁止する措置を提案し、後に実施に移されている[4]。ただ、これについても、その時点ですでに一部の諸国が外国人の入国禁止措置を講じており、EUとしてそれを追認、ないし徹底する性質のものだった。

 上記決定は域外国境に関するものだが、EU加盟国間でも移動の制限を導入している国が増加し、パンデミック対応とはいえ、EUの単一市場において人の移動が大きく制限される事態になった。人の出入りを制限しつつ、必要な物資の流通をいかに確保するかは大きな課題になっている。

 EU加盟国間での相互支援も、3月下旬以降に本格化することになった。マスクなどの物資がドイツやフランス、オーストリアなどからイタリアやスペインに送られた他、イタリアとフランスから重症患者がドイツ空軍の航空機でドイツに移送されるなどの展開もあった。EUは、汚名返上とばかりにこれらを、EUの結束としてアピールしている[5]。しかし、100万枚のマスクや数万着の防護服の支援、あるいは最大でも数十名といわれる患者受け入れは、今回の危機の規模に照らせば、象徴的なものにすぎないのだろう。

 さらにEUは、共同調達制度(joint procurement agreement)を活用し、マスクや人工呼吸器などの調達を実施することになった。これは市場における調達であり、人道的支援とは規模が異なる。巨大な単一市場の利点を活用する施策であろう。

 経済対策としては、欧州投資銀行を通じた中小企業向けの融資に加え、未執行となっていたEU予算の新型コロナウイルス対策への使用、さらに、各国が産業救済措置をとれるようにするための、国家補助(state aid)に関するEU規則の緩和などがすでに決定され、実施に移されている[6]。特に国家補助については、域内市場における公平な競争条件を維持するために、EUが厳格な規制を行っており、これが緩和されることは、各国による産業救済措置の余地を広げる大きな効果が見込まれる。すでに各国からの具体的申請が承認されている。

 加えて、EU内で大きな争点になっているのが、欧州共通の債券発行提案――通称「コロナ債(corona bond)」――である。フランスが主導し、イタリアやスペインなどが支持し、3月26日の欧州理事会(EU首脳会合)を前に共同提案された[7]。しかし、ドイツやオランダが強く抵抗している。

 典型的な南北対立の図式である。ドイツなどからすれば、イタリアやスペインでの医療崩壊の原因は、これまでの不十分な予算配分であり、そのツケを他国が支払うことは受け入れにくい。他方で、イタリアなどにとっては、まさにEUの結束が問われているということになる。

 この問題は、3月26日に開催されたEU首脳によるテレビ会合でも議論されたが結論が出ず、いかなる財政的措置が可能かについて、ユーロ圏財務相会合に検討を指示することで、議論が継続している状況にある。最終的な妥協点は不明だが、危機の規模に鑑み、何らかの特例的な措置がとられる可能性は高いが、財政負担をする側になる諸国が納得できる範囲内という制約が厳然として存在する。その後、フランスは、「コロナ救済基金」の創設を新たに提案している[8]。

 ただし、今回のこの問題の扱いが厄介であるのは、より直接的に人命がかかっていること、そして、EU では2021年以降の多年次予算枠組み(MFF:Multiannual Financial Framework)交渉が目下大詰めを迎えており、早期に合意を成立させる必要があることによる。「コロナ債」や基金の問題とMMF交渉がパッケージとして交渉される可能性が高いのである。そして、これらにおいて、欧州の結束を示せるか否かは、EUの将来を左右することになる。

EUの結束を目指して

中国による「マスク外交」の衝撃と限界

 こうしたEU内での駆け引きや対立に加えて、新型コロナウイルスによってもたらされた欧州の危機的な状況に関しては、その対外的な側面も無視できない。冒頭で述べたように、当初、今回の感染症は「中国の」問題であり、「中国が世界に迷惑を振りまいている」というのが基本的理解だった。しかし、世界的なパンデミックに発展し、さらに中国よりも欧米の感染者数、犠牲者数が多くなるなかで、中国は、世界を救う側として再出発しようと、その機会を虎視眈々と狙っている。

 他方で欧州は、新型コロナウイルスへの対処に中国以上に苦戦しているようにみえるのが現実である。これは、政治体制や経済・社会モデルの優劣をめぐる議論にもすでに波及しており、欧州は劣勢を強いられているとの見方が拡大しつつある。

 そこで始まったのが中国による「マスク外交」である。中国が、マスクなどの必要物資や医療チームを、欧州を含め、世界に送っている。それ自体は、本来、受け手にとっても悪い話ではない。「猫の手も借りたい」状態の諸国にとっては、ありがたい話であろう。イタリアや、あるいはセルビアなどの一部で、「EUは助けてくれないが、中国だけが助けてくれる」との議論が聞かれたのも不思議ではない[9]。中国から市民の生死にかかわる支援を受けざるを得ない状況に陥ったこと自体、欧州にとっては衝撃であり象徴的だった[10]。

 他方で、「マスク外交」による中国の影響力増大を過大評価すべきではない。第1に、中国による支援を強調する言説の背景には、EU批判が存在する。イタリアでもセルビアでも、従来から反EUの立場だった指導者・政治家が、EUを批判する目的で、中国の支援を持ち上げたのである[11]。例えばイタリアは、中国以上にロシアからの支援を受け入れており、中国のみに肩入れしているわけでもない[12]。

 第2に、中国の「マスク外交」はすでに欧州において懐疑的な視線を浴びている[13]。その背景には、中国による政治的思惑――新型コロナウイルス発祥の地としての汚名を返上するための政治攻勢――が隠しようにない現実が存在する。「マスク外交」という用語自体、中国の「下心」を揶揄したものである。さらに、オランダに輸出された中国製のマスクが性能を満たしていないことが判明した事案や、スペインに輸出されたコロナウイルスの検査キットが使用不能だったことなども広く報じられている[14]。

中国による「マスク外交」の衝撃と限界

「言説をめぐる世界的な争い」のなかのEU

 EUのボレル外務・安全保障政策上級代表は、現状を「言説をめぐる世界的な争い(global battle of narratives)」だと表現している。さらに、「我々はこれには、情報操作を通じた影響力競争や『寛大さをめぐる政治(politics of generosity)』という地政学的側面があることを意識しなければならない。事実を積み重ねることによって、我々は欧州を中傷から守らなければならない」とも述べている[15]。中国側はこれを、中国の善意を踏みにじるものだとして反発しているが、ボレルの評価の方が現実に即しているというほかない。中国とロシアによるディスインフォメーション(偽情報の意図的な流布)に対するEUの警戒感は強い[16]。

 もっとも、中国の意図を炙り出し、警戒・批判することと、「言説をめぐる世界的な争い」にEUが勝利することとの間には大きなギャップが存在する。それでも、欧州側においてボレルのような評価が主流を占めている時点で、イメージ向上や影響力増大という中国の狙いが、少なくとも容易には実現しない見通しであることも事実だろう。

 イタリアでは感染拡大がピークを越えたという分析もあるものの、欧州の医療現場は、引き続き深刻な状況にある。そうしたなかで、市民の命を守り、経済を崩壊から救う施策に加え、言説をめぐるグローバルな争いという多正面作戦を遂行することがどこまで可能なのか。まずは、特に「コロナ債」提案などへの対処に関して、EU内の足並みを揃えることが何よりも求められる。これに失敗すれば、そのダメージは、中国の影響力増大の比ではないだろう。

(2020/04/06)

脚注

  1. 1 ECDCのウェブサイトを参照。
  2. 2 “Von der Leyen: EU faced ‘abyss’ at start of coronavirus crisis,” POLITOCO.eu, 28 March 2020.
  3. 3 “Commission Implementing Regulation (EU) 2020/402 of 14 March 2020 making the exportation of certain products subject to the production of an export authorisation,” Official Journal of the European Union, LI77/1, 15 March 2020.
  4. 4 European Commission, “COVID-19: Temporary Restriction on Non-Essential Travel to the EU,” COM(2020) 115 final, Brussels, 16 March 2020.
  5. 5 例えば現時点で最新(2020年3月28日付の“COVID-19: European Solidarity in Action” を参照。
  6. 6 European Commission, “Temporary Framework for State aid measures to support the economy in the current COVID-19 outbreak,” C(2020)1863 final, Brussels, 19 March 2020.
  7. 7 Sarantis Michalopoulos, “Nine member states ask for Eurobonds to face coronavirus crisis,” Euractive, 25 March 2020.
  8. 8 Victor Mallet and Mehreen Khan, “France proposes EU coronavirus rescue fund,” Financial Times, 31 March 2020.
  9. 9 James Kynge and Hudson Lockett, “From cover-up to global donor: China’s soft power play,” Financial Times, 24 March 2020; “ Jacopo BariGazzi , Italy’s foreign minister hails Chinese coronavirus aid,” POLITICO.eu, 13 March 2020.
  10. 10 この点については、東野篤子「ヨーロッパ・中国関係の変容?――COVID-19がもたらす影響」シノドス(2020年4月2日)参照。
  11. 11 セルビアに関する指摘として、Majda Ruge and Janka Oertel, “Serbia’s coronavirus diplomacy unmasked,” Commentary, European Council on Foreign Relations, 26 March 2020が参考になる。
  12. 12 Henry Foy and Michael Peel, “Russia sends Italy coronavirus aid to underline historic ties,” Financial Times, 24 March 2020.
  13. 13 Laura Zhou, “Coronavirus: why China’s ‘mask diplomacy’ is raising concern in the West,” South China Morning Post, 28 March 2020.
  14. 14 Ankita Mukhopadhyay, “Coronavirus: Netherlands recalls 'defective' masks bought from China,” DW, 29 March 2020; Martin Arostegui,“Chinese Firm Offers to Replace Faulty Test Kits Sold to Spain,” VOA, 28 March 2020.
  15. 15 “EU HRVP Josep Borrell: The Coronavirus pandemic and the new world it is creating,” EEAS, Brussels, 24 March 2020.
  16. 16 “EEAS Special Report Update: Short Assessment of Narratives and Disinformation around the COVID-19 Pandemic,” EUvsDiSiNFO.eu, 1 April 2020.