注目を集めた岸田訪印

 3月20日の岸田首相の訪印のニュースは、さまざまな意味で注目を集めた。第一に、3月2日のデリーでのG20外相会合を林外相が国会対応を理由に欠席した直後に、訪印予定が明らかになった点である。議長国としての面子を潰されたインド国内では、「信じがたい」といった批判や落胆の声が広がっていた[1]。それだけに、その埋め合わせのために首相が行くことになったのでは、といった憶測も出た[2]。第二に、岸田首相訪印直前には、習近平国家主席が同じ20日から、ロシアを訪問するというニュースが飛び込んできた。同時並行で日印と中ロの首脳会談が開催されるということで、地政学的な関心を呼ぶことになった[3]。これと関連して第三は、岸田首相がインドからそのままウクライナへの「電撃」訪問に踏み切った点である。岸田首相は20日夜、同行記者たちに気付かれないようにデリーのホテルを抜け出したと報じられている[4]。インド訪問とあわせて、周到に準備された計画であったようだ。

首脳会談の位置づけ

 日印間では2005年以来、それぞれの首脳が相手国を交互に訪問する関係が基本的に続いてきた[5]。2022年は3月に岸田首相が訪印しているから、今年はモディ首相のほうが日本を訪れる順番である[6]。したがって、今回は年次首脳会談のための訪印ではない。そういったこともあって、外相欠席の埋め合わせだとか、ウクライナ訪問のための経由地にしたのではといった憶測が出たのだろうが、G7議長国としての日本が、G20議長国のインドと、互いの会議成功のために連携し、「腹を割って議論[7]」することは不思議ではないどころか、当然のことといえる。

 首脳会談では、G20議長国としてグローバルサウスと呼ばれる新興・途上国の利益を重視するモディ首相に[8]、岸田首相も理解を示し、開発金融、食料安全保障、気候変動、エネルギーなどについて広く意見交換がなされた模様だ。岸田首相はとくにロシアのウクライナ侵攻を念頭に「法の支配に基づいた国際秩序」の重要性を強調し、これにはモディ首相も同意を表明した[9]。また、モディ首相は5月のG7広島サミットへの招待を受け、出席を約束した。議長国首脳としての率直な意見交換、信頼関係構築という目的を果たすのが主目的だったようで、共同声明のようなものは発出されていない。

「不可欠なパートナー」としてのインドへの向き合い方

 しかし今回の訪印の成果として注目すべきなのは、岸田首相がインド世界問題評議会(ICWA)で行った「インド太平洋の未来」と題する政策スピーチである。日本国内では、①平和の原則と繁栄のルール、②インド太平洋流の課題対処、③多層的な連結性、④『海』から『空』へ広がる安全保障・安全利用の取り組みという4本柱と、具体策としての、750億ドルのインフラ支援を中心に報じられている[10]。

 これに対し、インドでは、岸田首相がインドを「自由で開かれたインド太平洋」のための「不可欠なパートナー」と明言し、ともに歩んでいきたいと訴えたことへの評価が高い[11]。この政策スピーチは、今年1月に米ジョンズ・ホプキンス大学で行ったものと同じく、インドを中心としたグローバルサウスを取り込むことの重要性を強調し[12]、そのための日本の戦略を論じている。

 とくに注目すべきなのは、岸田首相がかつての安倍政権期の「価値観外交」や、民主主義や人権を重視するバイデン米政権とは一線を画す姿勢をみせているように思われる点だ。もちろん岸田首相も価値観を無視しているというわけではない。今回の訪印に際しても現地紙に、インドとは「自由、民主主義、人権、法の支配といった価値や原則」で一致すると寄稿し[13]、政策スピーチでも「インドは世界最大の民主主義国です」と持ち上げた。ところが、その直後の段落では、「この地球上には、多様な価値観、多様な文化、多様な歴史があり、これを完全に理解するのは容易ではないことを謙虚に認めており、相手を尊重し、対話を通じて協力していくことが最善の策であることも感覚的に分かっている国民であると思います」と述べ、西側の価値観を強制しない立場を表明した[14]。

 この立場表明は、モディ政権下での近年の「民主主義の後退」といわれる権威主義的化傾向、それに対する欧米の批判とインド側の反発を念頭に置いたものと思われる。たとえば、2022年4月、ワシントンでの印米2プラス2の際に、ブリンケン米国務長官が、「政府、警察、刑務所の職員による人権侵害の増加を含め、インドで起きている最近の出来事をわれわれは監視している」と共同記者会見で述べると、翌日、ジャイシャンカル印外相は、「われわれも、米国を含め、他国の人権状況について独自の見解をもっている」と反論した[15]。今年に入って英BBCが報じた「インド・モディ問題」というドキュメンタリーにも、インドは「植民地主義的思考」などと強く抗議し、国内での放映・視聴を禁じただけでなく、印国内のBBC支局に大規模な税務捜索をかけた[16]。

 他方で、インドは3月末の「民主主義サミット」にも参加し、共同宣言にもいくつかの留保付きながらも署名したことにも示されているように[17]、自分たちが「民主主義国」であるということには強いこだわりがある。モディ首相は、インドではアテネの都市国家よりも前から民主主義の精神が根付いていたなどとして、インドこそが「民主主義の母」だとまで主張した[18]。こうしたことに鑑みると、インドが「世界最大の民主主義国」であることに敬意を示しつつ、その実質がどうなっているかということには口を出さず、「法の支配に基づく国際 ・・秩序(傍点筆者)」の重要性を訴えるという日本の方針は、外交的には賢明な策だといえるかもしれない。現在と将来のインド太平洋の勢力図を考えれば、インドを引き寄せることは、日本の利益と安全を考えれば不可欠だからだ。

 けれども問われるのは、インドの権威主義化を許すということが、日本とインド太平洋秩序にとって本当に望ましいのかという点である。詳しくは拙著『インドの正体』で論じたが、「上から目線」とみられないように、いかにインドを自由民主主義の理念型に引き戻すかということは考えていく必要があるだろう[19]。

(2023/04/24)

*こちらの論考は英語版でもお読みいただけます。
The Meaning of the Meeting of Kishida and Modi: Developments and Issues in Collaboration between Japan and India as the Holders of the G7 Presidency and the G20 Presidency

脚注

  1. 1 “Japan’s ‘Unbelievable’ move surprises India; Foreign minister to skip G20 meet | Here's why,” Hindustan Times, February 28, 2023.
  2. 2 「首相がインド訪問を調整 林外相のG20欠席受け、重視アピールも」『毎日新聞』2023年3月3日。
  3. 3 C. Raja Mohan, “C Raja Mohan writes: Japanese PM Kishida’s visit to India, Chinese president Xi’s trip to Moscow, and the rearrangement of great power and regional politics,” The Indian Express, March 24, 2023.
  4. 4 「ニューデリーでの夜になにが…首相、ウクライナへ極秘渡航の直前は」『朝日新聞』2023年3月21日。
  5. 5 首脳相互訪問が行われなかったのは、野田首相が解散・総選挙を決断した2012年、インドの国内治安悪化のため、安倍首相が訪印を断念した2019年、そしてコロナ禍の2020、21年のみである。
  6. 6 2022年9月にモディ首相は訪日しているが、これは安倍元首相の国葬儀に出席するためであった。
  7. 7 「岸田総理によるインディアン・エクスプレス紙への寄稿」首相官邸、2020年3月20日。
  8. 8 伊藤融「「グローバルサウス」を強調し始めたインド」国際情報ネットワークIINA笹川平和財団、2023年2月8日。
  9. 9 Suhasini Haidar, “Need to take a common stand on maintaining international order, says Japanese PM,” The Hindu, March 20, 2023.
  10. 10 「岸田首相、インド太平洋地域に9兆円超のインフラ支援表明…ニューデリーで演説」『読売新聞』2023年3月20日「首相、「インド太平洋」で新プラン ルール強調、750億ドル投資も」『朝日新聞』2023年3月20日「岸田首相、インド太平洋のインフラ・安保支援750億ドル」『日本経済新聞』2023年3月20日。
  11. 11 Shubhajit Roy, “Japan PM Fumio Kishida: India indispensable for free Indo-Pacific,” The Indian Express, March 21, 2023.; HT Editorial, “India’s best friend in Asia,” The Hindustan Times, March 22, 2023.
  12. 12 「国際社会の重要なポーションを占めるグローバルサウスから背を向けられるようでは、我々自身がマイノリティとなり、多くの政策課題の解決は覚束ないことになってしまいます」ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院における総理政策スピーチ「歴史の転換点における日本の決断」、2023年1月15日。
  13. 13 「岸田総理によるインディアン・エクスプレス紙への寄稿」首相官邸、2020年3月20日。
  14. 14 「岸田総理大臣のインド世界問題評議会における政策スピーチ」首相官邸、2020年3月20日。
  15. 15 “India Also Has Concerns About Human Rights in US: Jaishankar,” The Wire, April 13, 2022.
  16. 16 “BBC offices in India raided by tax officials amid Modi documentary fallout,” The Guardian, February 14, 2023.
  17. 17 “Declaration of the Summit for Democracy,” US. Department of State, March 29, 2023.
  18. 18 Suhasini Haidar, “India is indeed the mother of democracy, says PM Modi citing Mahabharata and Vedas,” The Hindu, March 29, 2023.
  19. 19 伊藤融『インドの正体―「未来の大国」の虚と実』中公新書ラクレ、2023年。