インドの受けた衝撃と反応

 8月15日はインドの英国からの独立記念日である。この日は毎年、首都デリーの世界遺産、レッド・フォートで首相が内外政策に関し国民向けの演説を行い、それが最大の注目を集めてきた。ところが、今年は異変が起きた。アフガニスタンのガニ大統領が国外へ脱出し、首都カブール入りしたタリバンの勝利宣言という衝撃的なニュースが飛び込んできたからである。翌朝のインド各紙は、いずれもアフガニスタン情勢を一面で大きく扱い、なかにはモディ演説を差し置いてトップで報じるものもあった。現状では国境を接していないとはいえ[1]、南アジア地域協力連合(SAARC)に加盟し、敵国パキスタンの向こう側に位置するというきわめて戦略的に重要な近隣国の政変にインドが無関心でいられるはずはなかった。

 インドの受け止め方として共通することを要すれば以下のようになろう。第一に、ガニ政権崩壊とタリバンの政権奪取の可能性が高まっているとの認識はあったものの、これほど早いとはという驚き。第二に、インドの安全保障と地域戦略にとってきわめて厳しい状況になったという強い不安と危機感である。

困難をきわめる退避プロジェクト

 インド外務省は17日付で「アフガニスタンの現状に関するプレスリリース」を発表して、自国民に国外退避を強く呼びかけるとともにその支援を約束した[2]。インドはこれまでインフラや能力構築、人道援助などを中心にアフガニスタン復興支援に深く関与し、多くの外交・援助関係者、民間人を送り込んできた。しかしタリバンの攻勢が進むなか、アフガニスタン国内4カ所に設置されていたインド領事館は8月上旬までに順次閉鎖され、ついにカブール陥落に伴って大使館も大使を含む館員が出国し、外交・領事業務は機能停止に追い込まれた。それでも正確な数は不明だが、現地には相当数のインド国民が残されている。

 そこでインド政府は空軍輸送機を派遣して退避プロジェクトに奔走することになった。とはいえ、他国同様、空港にたどり着けない者も多く難航している。退避支援の対象としては、自国民だけでなく、大使館等で勤務してきた現地職員、さらにはアフガニスタン国籍のヒンドゥー教徒やシク教徒などのマイノリティなどが想定され、必要に応じて緊急のeビザを発給して対応中である。ジャイシャンカール外相が8月26日に各党代表者に行ったブリーフによれば、これまでに112名のアフガニスタン国籍者を含む計565名を退避させたというが、あとどれだけ退避希望者がいるのかは示されなかった[3]。

「タリバン政権」樹立の動きへの沈黙と今後

 このように、インド政府は自国民と希望者を退避させることに精力を集中する一方、アフガニスタンでの政変に関しては、発生から10日を過ぎてもいっさいのコメントを避けている。先述したジャイシャンカール外相のブリーフに基づくと、インドとしては「事態を見守る(wait and watch)」アプローチをとるのだという。とはいえ、退避プロジェクトが一段落すれば新しいアフガニスタンと地域環境の現実にどう対処するかの選択から逃れることが不可避なのはいうまでもない。以下では、政変から一週間余りの間に展開された元政府関係者や有識者の論調を踏まえて、インドの懸念や課題を整理してみたい。

 まずは来るタリバン体制への向き合い方である。タリバンがパキスタンの軍統合情報部(ISI)によって1990年代に作られたこと、そしてISIが現在に至るまで支援等を通じてタリバンと密接な関係を維持しているということはインドでは周知の事実である。そのためインドはタリバンとの交渉は拒否するというのが従来の立場であった。しかしタリバンの軍事的優勢と米国を中心とした国際社会が対話路線に転じるなか、インドとしても政策転換を迫られるようになる。6月中旬、ジャイシャンカール外相はタリバンとの交渉の窓口となっているカタールの国家安全保障顧問や外相、さらには同国を訪問中だった米国のカリルザード特別代表と相次いで意見交換を行った。さらにインドがこれまで否定してきたタリバンとも接触を始めたとまで報じられた[4]。7月28日のブリンケン米国務長官訪印時には、タリバンとの接触は進めつつも、タリバンが軍事的にアフガニスタンを支配して国際的な承認を得るのを認めないこと、米国が撤退後も関与を継続することなどの方針で一致していた[5]。そして8月12日には、インドはドーハでの多国間和平協議に初参加した[6]。まさにその矢先の事態であった。

 パキスタンと関係の深いタリバンの「力ずくでの」支配という現実に、インドとしてどう向き合うべきなのか。現時点では、この難題に正面から答えようとする論客は見当たらない。インドの代表的戦略家として知られるラージャ・モハン・シンガポール国立大学南アジア研究所長は、パキスタンの思惑通り、タリバンが政権を樹立し、国際社会の承認を得るというのはそんなに簡単な話ではなくまだ不透明であるとして、インドとしては忍耐強く注視する必要性を説く。というのも、1990年代にタリバンが政権を樹立したときとは異なり、いまでは世界がタリバンに強い懸念を有していることを考えると、インドにはまだ十分チャンスがあるからだという[7]。シャム・サラン元外務次官も、パキスタンや中国ですらタリバンをコントロールできるか不明であり、インドとしては新体制への姿勢をすぐに決める必要はないとして、むしろパキスタンや中国の責任をアピールすべきだと提言している[8]。ジャイシャンカール外相の「事態を見守る」という発言と合わせて考えると、インドとしては当面、積極的に結論を出すことは避け、基本的には米国をはじめ、国際社会の出方をみながら、協調行動を模索していくであろう。

テロの危険性と変化する地域情勢への対応

 インドは自国へのテロ・過激主義の増加・激化への警戒感も募らせている[9]。カシミール地方を中心にインドでテロ行為を行ってきたラシュカレ・イ・タイバ(LeT)やジャイシュ・エ・モハンマド(JeM)などのイスラーム過激派は、タリバンやアルカイダと密接な関係を有しているとされる。カシミール問題や印パ関係に詳しいハッピモン・ジェイコブ・ネルー大学准教授が指摘するように、タリバンが政権を掌握し、過激派活動員を刑務所から釈放すれば、こうした勢力が勢いづくのは間違いない[10]。1990年代と同様に、イスラーム過激派の戦いの場がアフガニスタンからインドへと移り、インドの治安が悪化することは重大な懸念である。これに対して、国境警備等を強化するのは当然だが、公式には対話を拒絶しているパキスタンとの関係をどうするのかが課題となろう。ジェイコブが論じるように、和平が無理だとしても「冷たい平和」を構築することがインドの国益の見地からは望ましいことはたしかであるが、ヒンドゥー・ナショナリズムを強める現在のモディ政権にそこへ向けて踏み出すことが「政治的に」可能かどうかは疑わしい[11]。

 そしておそらく最も深刻かつ持続的な懸念と課題は、今後の地域情勢のゆくえである。まずシャム・サラン元外務次官が率直にいうように、タリバンの勝利はパキスタンの勝利、インドの敗北であると認めざるをえない[12]。軍諜報部門のトップを務めたアガルワル元大佐は、タリバン下のアフガニスタンとパキスタンに加えて、イランと中国からなる「クアッド」が結託してインドに脅威を突き付けるかもしれないと強く警鐘を鳴らしている[13]。むろん、新疆ウイグル、パキスタン・タリバン運動(TTP)の懸念を抱える中国やパキスタンがタリバン政権樹立にもろ手を挙げて歓迎しているわけではないことはインドでも認識されている。それでも、中国やパキスタンはタリバンからその点で一定の保証をそれぞれ得ているとみなされており[14]、インドとしては「囲い込まれる」懸念を募らせている。前出のハッピモン・ジェイコブも、地域における中国の優位性が高まり、多くの周辺国が勝ち馬に乗ろうと一帯一路に組み込まれていくであろうこと、そしてインドとの国境問題では中国側がいっそう強硬な姿勢を強めてくる可能性が高いというインドにとって厳しい見通しを示した。彼によれば、そうなるとインドとしては、近年強めていた中央アジアとの関係強化路線は困難となり、結果的に大陸から海洋へ、すなわち「インド太平洋」へ戦略上の重心を移さざるをえなくなるのではないかとまで予測している。これをインドが海洋国家へと転換する好機であるとか[15]、今後は米国がパキスタンを甘やかす理由がなくなったなど[16]、インドにとってマイナスばかりではないとする議論もないわけではないが、中国、パキスタンという陸上からの脅威の高まりから逃れられるわけではない。

 この点でインドにとって、今後カギを握るのはイランとの関係ではないかと思われる。インドはライシ新大統領就任式典にジャイシャンカール外相を出席させたが[17]、イランがタリバン下のアフガニスタン、パキスタン、中国との連携を深めるような事態になれば、モディ政権の進めるチャバハール港開発と南北輸送回廊構想に暗雲が垂れ込めることは間違いない。アフガニスタン情勢が混迷を深めるなか、イランをどう取り込むかがインド外交にとって―さらには日米豪印の「クアッド」にとっても―きわめて重要な意味をもつことになろう。

(2021/09/01)

脚注

  1. 1 インドの主張通り、カシミール地方がすべてインド領となるならば、インドはアフガニスタンとも国境を接することになり、インドの公式の地図でもそのように描かれてはいる。しかし現状ではギルギット・バルティスタンと呼ばれるパキスタン実効支配地域があるため、インドはSAARC加盟国のうちアフガニスタンとのみ実態として接していない。
  2. 2 “Press Release on the current situation in Afghanistan,” Ministry of External Affairs, June 17, 2021.
  3. 3 “India adopting ‘wait and watch’ policy on Afghanistan, says government,” The Hindu, Aug 26, 2021.
  4. 4 Suhasini Haidar, “Indian delegation met Taliban in Doha, says Qatari official,” The Hindu, June 21, 2021.
  5. 5 “Transcript of Press Statement / Media Interaction following India-US Ministerial Meeting,” Ministry of External Affairs, July 28,2021.
  6. 6 Sachin Parashar, “Afghanistan: India looks to play 'constructive' role in Doha for political outcome,” Times of India, Aug 13, 2021.
  7. 7 C. Raja Mohan, “It is Pakistan’s moment of triumph in Afghanistan, but India must bet on patience,” The Indian Express, Aug 25, 2021.
  8. 8 Shyam Saran, “On Kabul, India need not hurry. Let Russia, China, Iran see Pakistan’s control of Taliban,” The Print, Aug 25, 2021.
  9. 9 Devesh K. Pandey , “LeT, JeM terrorists may intensify infiltration bids, warn officials,” The Hindu, Aug 22, 2021.
  10. 10 Happymon Jacob, “The fall of Kabul, the future of regional geopolitics,” The Hindu, Aug 21, 2021.
  11. 11 Shekhar Gupta, “Like them or not, Taliban are a reality. India can deal with them if BJP resets its politics,” The Print, July 24, 2021.
  12. 12 Wire誌によるインタビュー動画
  13. 13 Rajeev Agarwal, “New Dangerous Quad Around India,” Times of India, Aug.23, 2021.
  14. 14 “Afghan Taliban says it sees China as a 'friend', promises not to host Uyghur militants from Xinjiang: Report,” Times of India, July 10, 2021.
    “Taliban assure it won’t allow TTP to use Afghan land against Islamabad: Pakistan government,” The Hindu, Aug 23, 2021.
  15. 15 Shekhar Gupta, “Why India should forget Afghanistan, Pakistan, ‘Terroristan’ & shift strategic gaze to the seas,” The Print, Aug 21, 2021.
  16. 16 Rajesh Rajagopalan, “A US not tied in Afghanistan only helps India deal with Pakistan problem better,” The Print, Aug 23, 2021.
  17. 17 Suhasini Haidar, “Jaishankar discusses Afghanistan situation with Iran President ,” The Hindu, Aug 6, 2021.