1. コロナ第二波の惨状

 大きな油断があったといわざるをえない。インドの新型コロナ感染者数は昨年9月半ばに10万人近くに達して以降減少に転じ、年明け1~2月には1万人前後で推移し落ち着いていた。日本の人口規模に照らせば1000人を下回る水準である。モディ政権は1月から国民への大規模な接種計画を開始するとともに、近隣国と世界へ国内製ワクチンを惜しみなく提供する「ワクチン・マイトリ(ワクチンによる友好)」に乗り出した[1]。国内には楽観ムードが漂い、クンブメーラ祭のような宗教行事、西ベンガル州など各州の州議会選挙での集会には多くの人々が詰めかけた。

 そうした結果、3月に入ると再び拡大傾向を示すようになった新規感染者数は4月初めに10万人を超え、4月末日にはなんと40万人を突破するまでになった。とくに「インド型」のきわめて感染力が強い変異株が猛威を振るっているといわれる。予想だしなかった感染者の急増を受け、インドの医療体制は瞬く間に崩壊した。ベッドの空きがなく複数の患者で共用するも多くの重傷者が入院できず路上で苦しむさま、家族のために医療用酸素を自力で調達せざるをえない状況、さらには道端や駐車場でも火葬せざるをえず、果ては火葬すらままならずガンジス川に多数の遺体が流されている惨状が世界中に報じられた。5月に入っても感染者数は高止まりを続けており、5月7日の死者数は一日だけで4187人に達した。

2. 後退を余儀なくされた大国外交

 未曾有の危機を前にモディ政権の対外関係は大きな後退を迫られた。第一の影響は外交日程にあらわれた。4月下旬から5月上旬に予定されていた日印外務・防衛閣僚会合(2プラス2)、菅総理の訪印、モディ首相の欧州歴訪はすべて延期が発表された。5月上旬、ジャイシャンカール外相はG7外相会合に招かれ訪英を果たしたものの、滞在中に随行者2名に陽性反応が出たため、ロンドンにいるにもかかわらず、日印会談含め途中から「オンライン」参加を余儀なくされた。

 第二には異例の支援要請がある。近年のインドは2004年のインド洋大津波でも各国からの支援要請を断ったように、災害や危機にあっても外国に助けを求めることは回避し、「大国」として自力で対処する方針を掲げてきた[2]。しかし医療の逼迫のなか、ジャイシャンカール外相は4月23日、「インドが世界を助けてきたように、世界がインドを支援しなければならない」として国際社会に支援を求めたのである[3]。モディ政権の危機感が窺えよう。

 インドの要請に世界はいち早く応えた。翌24日にシンガポールから極低温酸素タンクが届けられたのを皮切りに、29日までに米国、ロシア、フランス、英国、ドイツのような主要国だけでなく、アイルランドやルーマニア、タイ、バングラデシュ、ブータンなど中小国、途上国を含む40カ国以上から支援の約束があり、実際に届けられ始めた[4]。国境問題で対立する中国とパキスタンからも申し出があったものの、インドは反応を示していない。しかし中国側の発表によれば、香港経由で酸素濃縮器800台を送っており、このほかにも人工呼吸器5,000台、酸素発生器21,569台をインドに輸出したという[5]。

 第三はワクチン外交の挫折である。国民の1回目の接種率がいまだ10%に届かず(5月8日時点)、ワクチン不足すら指摘されるなかで感染が急拡大し、モディ政権は国内接種を優先せざるをえなくなった。近隣、世界への「ワクチン・マイトリ」は事実上停止を迫られた。再開の見通しはまったく立たない。困ったのは、インドからの入手を当てにしていた近隣国である。3000万回分を購入する契約を結んでいたバングラデシュには700万回分、150万回分契約のスリランカには50万回分しか実際には輸出されていない[6]。

 2014年の発足以来、「世界大国」をめざす野心を隠さなかったモディ政権にとって大きな挫折である。「第二波」で報じられた国内の惨状とそれに伴う対外政策の修正はインドのイメージを大きく傷つけた。

3. 周辺国で高まる中国依存

 インドに頼れなくなった南アジアの国々は中国製ワクチンの契約に走った。というのもいずれの国もインドと大半の国境を接することもあり、インドと時を同じくして第二波に見舞われたからである。接種の遅延は許されないなかで、4月上旬、ネパールは中国から80万回分の無償提供を受けて国民への接種を再開した[7]。昨秋、治験の費用負担をめぐって中国シノバックとの契約が破綻し、インドのコビシールドに切り替えたはずのバングラデシュは、4月末に中国製シノファームの緊急使用を承認した。中国からただちに50万回分を無償で受け取ったバングラデシュは今後4000万から5000万回分のシノファームを購入する予定だという[8]。中国から60万回分の無償提供を受けつつも自国民への接種には慎重な姿勢を崩さなかったスリランカも、5月に入るとWHOの承認を受けて接種に動き出した[9]。インド政府関係者は中国に隙間を埋められることを暗に認めつつも、「インド製ワクチンがまた使えるようになれば、中国のものよりも有効性が高いことがわかるはず」などと強弁する者もいるというが[10]、はたしてどうだろうか。

 ワクチンだけではない。コロナ禍で苦しむ南アジア各国の経済支援でも、中国は存在感を増している。中国はインドが態度を決めていない債務返済猶予の要請や追加融資にも応じている。外貨準備高がとくに危機的な状況に陥ったスリランカには昨年10億ドル、今年4月にも5億ドルを追加融資した[11]。同国のゴタバヤ・ラージャパクサ政権は今年2月、コロンボ港・東ターミナルの日印開発協力計画について、国内の反対運動を理由に中止を表明したが、こうしたことについても中国依存の高まりが背景にあるとみる向きもある[12]。

4. クアッドはインドの苦境を救えるか?

 こうしたなか、インドでは3月12日、オンラインながら初めてとなる首脳会議開催にこぎ着けた日米豪印、「クアッド」に対する冷めた見方が広がりつつある。バイデン米大統領が主導した首脳会議においては、ワクチン協力が主要議題となり、日米豪がインドのワクチン製造と供給を支援するはずであった[13]。ところが、インドでは今回の危機に際し日米豪との連携が機能したといった声はほとんど聞かれない。

 インド側はワクチン製造のための原料輸出を米国が制限してきたこと、さらにWTOでワクチンを「貿易関連知的所有権(TRIPS)協定」の適用除外とすべきというインドの主張に米国をはじめとする先進国が反対していることに不満を抱いてきた。バイデン大統領はインドの状況が深刻化した4月26日にモディ首相と行った電話会談で、前者について応じる姿勢を示し[14]、後者についても5月5日になってインドの案を支持することを表明した[15]。にもかからず米国の反応はロシアなどと比べると鈍く、米国内のインド系団体やシンクタンクなどの圧力があってようやく動いたとこと、そもそも米国務省報道官からインドの苦境について同情の言葉すらなかったなどといった落胆の声すら上がっている[16]。

 自国民を含めインドからの入国を禁じ、違反者には懲役すら科すとしたオーストラリアについてはもちろんだが、日本がインドを危機から救うために役割を果たしたという評価もいまのところ聞かれない。客観的にみても、日本の動きは迅速とはいいがたかった。菅首相はバイデン大統領と同じ日にモディ首相と電話会談したものの、報道やプレスリースをみるかぎり、コロナ対応が中心議題になったとはいえず、そのための具体的協力が約束されたわけでもなかった[17]。日本政府が支援策を発表したのは、米国からの物資が届いた4月末日になってからのことであった。しかも、酸素濃縮器と人工呼吸器を300台ずつという支援内容は、たとえばアイルランドが濃縮器700台、呼吸器365台を供与することに鑑みると見劣りするといわざるをえない内容であった。その後5月5日に、茂木外相はG7外相会合時の日印個別会談で最大55億円規模の追加無償支援を表明したものの、インド国内の報道ぶりは控えめなものにとどまった[18]。

 「第二波」によるインド、南アジアの未曾有の危機に中国が積極的な関与を示すなか、「自由で開かれたインド太平洋」を掲げるクアッドの意義が問われている。

(2021/05/18)

脚注

  1. 1 伊藤融「「ワクチン外交」で中国に反転攻勢を図るモディ政権」国際情報ネットワーク分析IINA、2021年3月18日。
  2. 2 2003年に当時のジャスワント・シン蔵相(インド人民党)が行った予算演説に基づく方針とされ、その後政権を越えて受け継がれてきた。モディ政権も2018年にケララ州の洪水被害に対するアラブ首長国連邦の支援を断った。Rahul Tripathi, “Kerala floods: Why India turned down ‘UAE offer’ — a 2004 policy, its symbolic signal,” The Indian Express, August 24, 2018.
  3. 3 ジャイシャンカール外相のツイッター。
  4. 4 シュリングラ外務次官の会見。“Transcript of Special Briefing by Foreign Secretary on International Cooperation on COVID Pandemic,” Ministry of External Affairs, Government of India, April 29, 2021.
  5. 5 Ananth Krishnan, “Xi Jinping sends message to Modi, offers China’s support and assistance,” The Hindu, April 30, 2021(update May 1, 2021).
  6. 6 Suhasini Haidar, “India unlikely to resume ‘Vaccine Maitri’ for neighbours before July,” The Hindu, April 29, 2021(update April 30, 2021).
    印外務省ウェブサイトの「ワクチン・マイトリ」によると、4月以降、提供数が激減し、4月半ばには停止状態に陥っていることがわかる。 “Vaccine Supply: Made-in-India COVID19 vaccine supplies so far (As on 14 May 2021 at 1800 hrs),” Ministry of External Affairs, Government of India.
  7. 7 “Nepal to administer Chinese vaccines to citizens from April 7,” Hindustan Times, April 5, 2021.
  8. 8 “Bangladesh receives 5,00,000 doses of Chinese COVID-19 vaccine as gift,” The Hindu, May 12.
  9. 9 “China looking at Sri Lanka to fill and finish Sinopharm Covid-19 vaccines,” Economynext, May 8, 2021.
  10. 10 Suhasini Haidar, “India unlikely to resume ‘Vaccine Maitri’ for neighbours before July,” The Hindu, April 29, 2021(update April 30, 2021).
  11. 11 Meera Srinivasan, “China extends $500 million loan to Lanka,” The Hindu, April 12, 2021.
  12. 12 「スリランカ、日印協力の港湾開発を自国のみに転換 対中配慮か」『SankeiBiz』2021年2月4日。
  13. 13 「日米豪印首脳会議 ファクトシート」(日米豪印ワクチン・バトナ―シップ)、外務省、2021年3月12日。
  14. 14 “Telephone conversation between Prime Minister Shri Narendra Modi and H.E. Joseph R. Biden, President of the United States of America,” Ministry of External Affairs, Government of India, April 26, 2021.
  15. 15 「米政府、ワクチン特許の放棄に支持表明」『CNN』2021年5月6日。
  16. 16 Rahul Bedi , “What the Delay in US Help for India Says About the Effectiveness of the 'Quad',” The Wire, May 7, 2021.
  17. 17 “Phone call between Prime Minister Shri Narendra Modi and H.E. Mr. Suga Yoshihide, Prime Minister of Japan,” Ministry of External Affairs, Government of India, April 26, 2021.
  18. 18 “World’s largest cargo plane carries three oxygen plants to India from UK,” Hindustan Times, May 7, 2021.