出口のみえない印中対立

 6月のラダック地方ガルワン渓谷での軍事衝突[1]以来、印中関係は膠着状態が続いている。7月3日にラダックを電撃訪問したモディ首相は、インドの部隊を激励するとともに、「拡張主義の時代は終わった」と名指しはしないものの中国を厳しく批判した。外交・軍当局間の協議に基づいて、7月上旬から実効支配線(LAC)付近の各所で、双方の部隊の撤退が少しずつ始まり、「緩衝地帯」を設けようとする動きもみられるようにはなった。

 とはいえ、安心できる状況ではない。インド側は今回の衝突前の「現状への回復」を求めているが、デプサン(Depsang)平原やパンゴン湖(Pangong Tso)など、従来からしばしば小競り合いの起きてきた戦略上の要衝では、中国軍の撤退はまだ完全には実現していない[2]。印国防省は「現在の対立は長期化しそうである」との厳しい見通しを示している[3]。

Carnegie Endowment for International Peace
出所:Carnegie Endowment for International Peace
(https://images.carnegieendowment.org/images/article_images/202006-Tellis-Map-Corrected.jpg)

 インド国内における反中ナショナリズムの高まりのなか、モディ政権は第1期モディ政権期(2014~19年)に拡大を続けてきた中国からの投資を事実上規制したり[4]、中国製アプリの使用禁止[5]などを次々と打ち出し、経済面で中国への攻勢を鮮明にしている。ただでさえ脆弱なうえ、コロナ禍[6]で疲弊したインド経済にとって、中国とのデカップリングが利益になるのかを問う向きもあろう[7]。しかしそれでも、世論とメディアの大半は、経済的な対中「制裁」を支持しているようだ。

出口のみえない印中対立

「民主主義連合(coalition of democracies)」の政治的意義

 それでは、モディ政権は政治・安全保障面でも、中国への強硬姿勢を鮮明にしたといえるであろうか。いまや対中関与政策との決別を宣言し、「民主主義国同盟」構築の必要性すら唱える米トランプ政権がそれを期待しているのは明らかだ。ポンペオ国務長官は、7月22日、米印経営者会議(USIBC)年次大会に寄せたビデオメッセージにおいて、中国共産党による挑戦に立ち向かうため、「われわれのような民主主義国が共闘することが重要だ」とインドに秋波を送った[8]。

 しかしモディ政権の主要な外交政策を取り仕切るジャイシャンカール外相は、慎重な姿勢に終始している。同外相は7月20日のテレビ番組の討論会で、非同盟は過去の地政学的な概念だったが、それがもつ独立の維持という意義はいまでも変わらないことを強調した。そのうえで米国の影響力後退がインドに及ぼす影響は小さいとし、その理由として「われわれは同盟システムの一部となったことはないし、これからも加わることはない」からだと述べた[9]。さらに同外相は、USIBC年次大会でもポンペオ長官の「ラブコール」の翌日、米国は多極世界の現実と向き合い、同盟思考を「乗り越える」必要性があると指摘した[10]。冷戦期の伝統的な「非同盟」概念には拘らないモディ政権であるが、「同盟」に傾斜すれば、インドの重視する戦略的自律性が損なわれかねないとの認識はこれまでの政権となんら変わらない[11]。

 もちろんモディ政権としても、インドは「対中包囲網」形成に荷担することはないと中国に見透かされてしまうことは避けたい。それは中国に対する抑止力と交渉力を低下させ、インドに対する自己主張の度がいっそう激しいものになる恐れがあるからである。だからこそ、ジャイシャンカール外相は、8月6日に行われたポンペオ国務長官との電話会談で、自由で開かれたインド太平洋の重要性をあらためて確認したのである。著名な戦略家として知られるラージャ・モハンが指摘するように、インドは「同盟」という言葉には躊躇があるとしても、トランプ大統領だけでなく、民主党のバイデン候補も関心を示す「民主主義国首脳会議」などを通じて「民主主義連合」を形成して政治的に中国を牽制することには肯定的な姿勢を示す可能性が高い[12]。

「民主主義連合(coalition of democracies)」の政治的意義

日米豪印枠組みでインドは安全か?

 他方、安全保障協力に関していえば、インド海軍は6月下旬に日本の海上自衛隊と、7月中旬には米海軍と、それぞれ大規模なものではないものの、インド洋海域での演習を実施した。6月初めには、これまでモディ政権が否定的な態度を示してきた日米豪印軍事演習の可能性さえ報じられた[13]。

 しかし日米印のマラバール演習へのオーストラリアの参加を認めるかどうか判断するものとみられていた7月17日の印国防省内での検討会議では、この点での最終決定は先送りされた[14]。モディ政権としては、日米豪印の4カ国枠組みでの演習実施発表が、現在進行中の中国との国境対立に悪影響を及ぼすことを恐れている。もしいま、インドが日米豪に軍事的に傾斜するカードを実際に切ってしまえば、中国は国境での攻勢をさらに強めてくるかもしれない。そもそも日米豪との連携自体は、「インド太平洋」という「海」に焦点があることは明らかであり、シヴシャンカール・メノン前国家安全保障顧問も指摘するように、それ自体はインドがいま直面している中国軍の「陸」での軍事的攻勢を阻止するものにはなるまい[15]。日米豪との連携強化を支持する戦略家のハルシュ・V・パントでさえ、それが中国の攻勢を抑止するのに十分かどうか不明だと認めている[16]。

日米豪印枠組みでインドは安全か

 ここでインドの安全保障上重要な意味をもつのは、ロシア、フランスといった、米国とは一定の距離をとる国との関係である。印中危機の最中、訪ロしたラージナート・シン国防相は、新型自動小銃AK-203や小型双発多用途ヘリKa-226T などの契約促進、さらにはLACにおいて機動性の期待できる軽戦車Sprut-SDM1の供与もロシア側から取り付けたとされる[17]。フランスに対しては、インドの発注した多目的戦闘機ラファール36機の早期引き渡しを求め、ついに7月29日、最初の5機がアンバラ空軍基地に到着した。このようにインドが頼りとするのは、日米豪だけではない。

同盟国をもたないインドの道

 したがってモディ政権としては、中国に対して日米豪への接近の「可能性」をちらつかせつつ、国境問題で相手がどう出てくるかを見極めようとしているものと考えられる。

 これまでに述べたことから明らかなように、モディ政権の中枢は中国の脅威を認識しつつも、だからといって日米豪との「同盟」レベルの連携に安易に傾斜することには依然として慎重である。そもそも米国も、軍事的な意味での同盟をインドに求めているのかは疑わしい。前出のメノン前国家安全保障顧問はそもそも米国もインドの関わる陸上での戦闘には巻き込まれたくないと考えているはずだとし、インド系米国人のアシュレイ・テリス元在印米国大使顧問も、双方が陸海での集団防衛に同意しないかぎりは、米国から同盟を求めることはないとの見方を示した[18]。

 インド国内の「反中感情」の高まりにもかかわらず、モディ政権が中国側の外交・軍事当局との二国間交渉を続けて、なんとかこれ以上のエスカレーションを回避しようとしている背景には、陸上で接する脅威に対して、同盟国無しに自力で対処しなければならないという現実があるといえよう。

(2020/08/24)

脚注

  1. 1 伊藤融「戦略的岐路に立たされるインド:新型コロナ対応と中国の攻勢」『SPF IINA』2020年6月25日。
  2. 2 “China Study Group reviews disengagement strategy,” The Hindu, August 5, 2020.
  3. 3 8月初めに国防省ウェブサイトに掲載された報告書。Abhishek Bhalla, “Defence Ministry removes report of Chinese intrusion from website, looks at prolonged standoff at Pangong Tso,” India Today, August 6, 2020.
    ただし、この報告書はただちに削除された。中国側による「違法な越境行為」が5月から起きていたと認めていたことに対し、野党、国民会議派のラフル・ガンジー前総裁がモディ政権の対応への批判を強めたことが要因と報じられている。Krishn Kaushik and Manoj CG, “MoD note saying China came in is taken off website,” The Indian Express, August 7, 2020.
  4. 4 Prasid Banerjee, “Chinese funding in Indian firms hit by new FDI norms,” Hindustan Times, August 16, 2020.
  5. 5 “As India bans 47 more Chinese apps, memes and jokes flood social media,” The Indian Express, July 29, 2020.
  6. 6 インドは6月に全土ロックダウンを解除して徐々に経済活動を再開したが、その後各地で感染が本格的に拡大し、8月半ばまでには累計感染者数はロックダウン解除前の12倍強、8月17日の時点で250万人にのぼっている(世界第3位)。
    この結果、州によってはロックダウンが再び導入されている。なお、各州政府の対応状況に関しては、つぎの連邦政府サイトで検索されたい。
  7. 7 高橋徹「中国排斥のインド、経済「デカップリング」は可能か」『日本経済新聞電子版』2020年8月11日。
  8. 8 Sriram Lakshman, “India, U.S. should work together to face Chinese challenge: Mike Pompeo,” The Hindu, July 23, 2020.
  9. 9 “India will never be a part of an alliance system, says External Affairs Minister Jaishankar,” The Hindu, July 21, 2020.
  10. 10 Sriram Lakshman, “U.S. needs to ‘go beyond’ alliances, says S. Jaishankar ,” The Hindu, July 23, 2020.
  11. 11 伊藤融『新興大国インドの行動原理―独自リアリズム外交のゆくえ』慶應義塾大学出版会、2020年9月刊行、37-52頁。
  12. 12 C. Raja Mohan, “Global coalition of democracies, amid China’s assertion, could open a range of new possibilities,” The Indian Express, July 28, 2020.
  13. 13 Dinakar Peri and Suhasini Haidar, “India open to including Australia in Malabar naval exercise,” The Hindu, June 4, 2020.
  14. 14 Dinakar Peri, “Government mulls Australia’s entry into Malabar naval exercise,” The Hindu, July 18, 2020.
  15. 15 Suhasini Haidar, “India-China ties will be reset after LAC stand-off, says former NSA Shivshankar Menon,” The Hindu, July 11, 2020.
  16. 16 Harsh V Pant and Premesha Saha, “India’s Pivot to Australia,” Foreign Policy, July 21, 2020.
  17. 17 Dinakar Peri, “Russia agrees to quickly address urgent defence requirements sought by India,” The Hindu, June 28, 2020,
    Snehesh Alex Philip, “Russia offers India Sprut lightweight tanks amid stand-off with China,” The Print, August.3, 2020.
  18. 18 Suhasini Haidar, “China’s aggression pushing India closer to U.S. but alliance unlikely at present: Experts,” The Hindu, August 9, 2020.