新型コロナウイルス感染症が依然として世界的な拡大を続け、国際社会全体の深刻な課題となっているが、コロナウイルスに国際社会が翻弄される中にあって、南シナ海でも情勢の変化が刻々と生じている。本稿は、最近の南シナ海情勢への東南アジア諸国連合(ASEAN)の動きを概観する。

南シナ海での中国の強硬姿勢

 ウイルス禍からいち早く立ち直った中国は、他の国々がウイルス対策に忙殺される間に、南シナ海で攻勢に出た。中国は2020年4月、南シナ海に西沙区、南沙区という新たな行政区の設置を発表し、海域の支配の既成事実化を進めた[1]。また5月には、中国は例年通り8月までの禁漁を一方的に宣言し、海警は操業違反の漁船を厳しく取り締まることを通告した[2]。さらに中国は、自らが管理下に置く島嶼等における新たな研究施設の建設、軍用機の訓練の実施、海上民兵の継続的展開など、いっそうの軍事化を続けている[3]。こうした強硬姿勢や軍事化を背景に、台湾国防省は5月、中国が南シナ海での防空識別区(ADIZ)の設定を計画しているとの観測を示した[4]。

 2020年前半には、中国とASEAN諸国との対峙や衝突事案が多方面で連続的に発生し、中国はこれまでにない強硬姿勢を示した。2020年1月、中国海警の監視船が漁船を引き連れ、インドネシアのナトゥナ諸島北部の排他的経済水域(EEZ)に侵入したとして、インドネシア政府は中国大使を召喚し、抗議するとともに、海軍艦艇や空軍戦闘機をナトゥナに展開した[5]。4月には、パラセル諸島近海でベトナム漁船と中国監視船が衝突し、漁船が沈没する事案が発生した[6]。また同月、マレーシア近海でも中国の調査船とマレーシアの国営石油会社の調査船が対峙する事案が発生した[7]。さらに8月には、フィリピンが自らのEEZ内とし、2016年の仲裁判断で中国の権利の主張が否定されたリード礁近海において、中国の調査船が1週間にわたって活動したほか、中国海軍艦艇が警戒活動を行うフィリピン海軍艦艇に対し、火器管制レーダーを照射する挑発行為に出た[8]。

 中国は、南シナ海のみならず、東シナ海や中印国境でも強硬姿勢をエスカレートさせ、近隣諸国との摩擦が生じている。こうした中国の姿勢をどのように理解すべきか。中国は、コロナウイルスによって米国をはじめとする国際社会が翻弄される中、また米中対立の激化を背景に、こうした状況を米国の覇権の後退としての機会、同時に米国による中国への攻撃が強まる危機ととらえ、中国の強さを見せるべく対外的な強硬姿勢を強めている[9]。そうした姿勢が、南シナ海でも顕在化している。

ASEANをとりまとめる議長国ベトナム

 南シナ海問題に関してASEANの立場をどのように定めるかは、ASEANの長年の難題である。2012年にカンボジアが議長国を務めたASEAN外相会議では、この問題をめぐって議論は紛糾し、ASEANが史上初、共同声明の合意形成に失敗するという不名誉な記録を作った。このようにASEAN諸会議で出される各種声明の文言調整では、加盟国間の複雑なポリティクスが展開されるのが常である。

 2020年のASEAN議長国ベトナムは、南シナ海における中国の強硬姿勢に最も影響を受けている当事国の1つとして、一歩踏み込んだ文言形成に外交力を発揮した。その主眼は、国連海洋法条約(UNCLOS)へ再び光を当てることにあった。2020年6月にオンラインで開催されたASEAN首脳会議の議長声明は、南シナ海への言及において、「土地の埋め立て」(land reclamation)、「最近の展開」(recent developments)といった従来の表現に加え、「深刻な事案」(serious incidents)という表現を付加し、中国の強硬姿勢とASEAN諸国との対峙や衝突に対するASEAN全体としての懸念を表現することに成功した[10]。

 また同議長声明は、UNCLOSについて「我々は、UNCLOSが海洋に関する権利、主権、管轄権、および海域に対する正当な利益を決定するための基礎であり、海洋におけるすべての活動をその枠内で実施しなければならない法的枠組みを定めていることを再確認した」と述べ、2016年の仲裁判断を示唆しつつ、ASEANの統一的立場として法の支配に基づく南シナ海問題の解決を言明した[11]。

 今回ASEANがこのような議長声明を出すことに成功した要因は3つある。第1に、ベトナムは南シナ海問題への関与に最も積極的な当事国であり、議長国としての権限をフル活用し、議長声明取りまとめのイニシアチブをとった。議長声明は建前上、コンセンサスを必要としないが、ASEANにおいては事前に各加盟国に声明案を提示するのが慣例であり、そこでは実質的なコンセンサスを必要としている[12]。第2に、オンライン会議での合意形成は、実際問題として議場外での非公式協議が困難であり、これが逆に、ベトナムがイニシアチブを発揮して自らの意向に近い声明を出す環境を創出した。第3に、前述の通りの南シナ海情勢の悪化があり、中国の強硬姿勢に多くのASEAN諸国が直接の影響を受け、懸念を強めていたことが、今回の声明につながった。

アメリカの対決姿勢とASEAN諸国のバンドワゴニング

 先端技術や貿易、地域秩序をめぐって米中対立が激しさを増す中、南シナ海は安全保障における米中対立の焦点となっている。アメリカは南シナ海での中国の強硬姿勢に強く反発し、対決姿勢を強めている。ASEANの議長声明発表後、ポンペオ国務長官は、南シナ海問題は国際法に則って解決されるべきとして、ASEANの声明を歓迎した[13]。

 2020年7月、ポンペオ国務長官は、2016年の仲裁判断4周年を記念し、南シナ海の領有権に関するアメリカの立場に関する声明を発表した。声明では冒頭部分で「南シナ海のほとんどの海域にまたがる海底資源に対する中国の主張は、資源をコントロールするための同国の恫喝活動と同様、完全に違法である」と述べ、中国の主張を真っ向から否定した。続いて声明は、仲裁判断に言及しつつ、「九段線」をはじめとする南シナ海における中国の主張は国際法上の根拠を何ら持つものではなく、中国は力を用いた恫喝行為によって東南アジアの沿岸諸国の主権を侵害していると強く非難した[14]。オーストラリアは、国連に送付した書簡の中で、UNCLOSに反する中国の主張を、法的根拠を欠くものとして拒否すると言明し、同盟国アメリカの主張を支持する姿勢を示した[15]。

 仲裁判断に依拠し、またアメリカやオーストラリアといった域外主要国の「お墨付き」を得て、ASEAN諸国も、南シナ海における自らの立場を次々と明らかにした。インドネシアは、中国の主張する「九段線」や歴史的権利を国際法上の根拠を欠くものとして拒否する姿勢を明らかにした口上書を国連に送付した[16]。またフィリピンは、仲裁判断4周年に際しての外相声明において、判断は交渉の余地のないものであり、フィリピンは判断の順守と執行を再確認すると言明した[17]。さらにマレーシアは、「九段線」によって囲まれる南シナ海の海域に関し、歴史的権利、主権や管轄権に対する中国の主張を拒否する、と述べた口上書を国連に送った[18]。

ASEAN諸国の中から味方を選別し、個別に働きかける中国

 南シナ海に関する中国の主張を否定する国が続出する中、ASEANの中で南シナ海に権益を持たず、また中国との経済協力関係の深い大陸部諸国を中心に、中国は味方づくりに精を出した。中国はマスクをはじめとする医療物資の供与を中心に、ASEAN諸国に対するコロナ対策支援の「マスク外交」を展開しているが、カンボジア、ラオス、ミャンマーの大陸部3カ国へは医療チームも派遣し、これらの国々に対する支援には特に力を入れた[19]。中国はまた、EUから経済制裁を通告されているカンボジアに対して手厚い経済支援を行っており、近々カンボジアにとって初の2国間自由貿易協定が中国との間で締結される予定となっている[20]。

 フィリピンやマレーシアの軸足も定まっていない。中国の南シナ海での活動に対するマレーシアの警戒感は高まっているものの、一方で中国との経済協力も進んでいる。7月、マレーシアのデジタル・エコノミー公社(MDEC)とファーウェイは、マレーシアをASEANのデジタル・ハブとして開発するための覚書を締結した[21]。マレーシアは中国の「一帯一路」構想の中心拠点の1つであり、中国の「デジタル・シルクロード」開発の重要な一翼を担っている。マレーシアのヒシャムディン外相は国会において南シナ海問題に関連し、「マレーシアは大国間の地政学的競争に引きずり込まれ、囚われ(dragged and trapped)たくない」と述べ、南シナ海で米中対立に巻き込まれ、米中どちらかの側につくよう選択を迫られる状況にマレーシアが陥ることのないよう、警戒する姿勢を示した[22]。

 以前より中国寄りの発言をたびたび行うことで知られたフィリピンのドゥテルテ大統領は、7月に行われた一般教書演説において、南シナ海における中国の既成事実化を認めるかのような発言を行う一方、中国がコロナウイルスのワクチン開発に成功した際には、ワクチンをフィリピンにも供与するよう習近平国家主席に呼びかた[23]。またドゥテルテ大統領は、8月に南シナ海で予定されていた米軍との共同演習に、フィリピン海軍が参加することを突然禁止するなど、米中をめぐるフィリピンの対応も揺れている[24]。

(2020/9/1)

*この論考は英語でもお読みいただけます。
ASEAN’s Growing Concern About China’s Assertive Stance in the South China Sea

脚注

  1. 1 「中国、南シナ海に新行政区を設置 ベトナムは反発」『日本経済新聞』2020年4月20日。
  2. 2 “Summer fishing ban starts in South China Sea,” Xinhuanet, May 1, 2020.
  3. 3 Prashanth Parameswaran, “South China Sea and the Coronavirus: New Vietnam-China Incident Spotlights Old Realities,” The Diplomat, April 6, 2020.
  4. 4 Kelvin Chen, “China to set up ADIZ in South China Sea,” Taiwan News, May 5, 2020.
  5. 5 Stanley Widianto, Agustinus Beo Da Costa, “Indonesia deploys fighter jets in stand-off with China,” Reuters, January 7, 2020.
  6. 6 Khanh Vu, “Vietnam protests Beijing’s sinking of South China Sea boat,” Reuters, April 4, 2020.
  7. 7 A. Ananthalakshmi, Rozanna Latiff, “Chinese and Malaysian ships in South China Sea standoff: sources,” Reuters, April 17, 2020.
  8. 8 Raissa Robles, “South China Sea: Philippine navy chief warns of Chinese ‘Provocation’,” South China Morning Post, August 10, 2020.
  9. 9 山口信治「国際秩序をめぐる競争を激化させる中国 強硬化をもたらすその自己認識」『外交』第62号(2020年7/8月)、118頁。
  10. 10 ASEAN, “Chairman’s Statement of the 36th ASEAN Summit: Cohesive and Responsive ASEAN,” June 26, 2020, para. 65.
  11. 11 Ibid.
  12. 12 Asean leaders cite 1982 UN treaty in South China Sea dispute,” The Guardian, June 27, 2020.
  13. 13 “South China Sea disputes should be resolved in line with international law: Mike Pompeo,” The Economic Times, June 28, 2020.
  14. 14 Michael R. Pompeo, “U.S. Position on Maritime Claims in the South China Sea,” U.S. Department of State, Press Statement, Secretary of State, July 13, 2020.
  15. 15 Andrew Greene, “Australian Government declares Beijing’s South China Sea claims illegal in letter to United Nations,” ABC News, July25, 2020.
  16. 16 Koya Jibiki, “Indonesia says China’s ‘nine-dash line’ puts its interests at risk,” Nikkei Asian Review, June 5, 2020.
  17. 17 Department of Foreign Affairs, Republic of the Philippines, “Statement of Secretary of Foreign Affairs Teodoro L. Locsin, Jr. on the 4th Anniversary of the Issuance of the Award in the South China Sea Arbitration,” July 12, 2020.
  18. 18 Ken Moriyasu, Wajahat Khan, “Malaysia says China’s maritime claims have no legal basis,” Nikkei Asian Review, July 31, 2020.
  19. 19 “International Assistance to South Asia: China’s ‘Mask Diplomacy’,” CSIS, Weekly Southeast Asia Covid-19 Tracker Update, August 5, 2020.
  20. 20 David Hutt, “China, Cambodia trade pact more form than substance,” Asia Times, August 4, 2020.
  21. 21 “MDEC, Huawei sign MoU to spearhead Malaysia as Asean digital hub,” The Star, July 31, 2020.
  22. 22 Amir Yusof, “Malaysia should not be ‘dragged and trapped’ between superpowers in South China Sea dispute: Hishammuddin,” Channel News Asia, August 5, 2020.
  23. 23 Official Gazette, Government of the Philippines, “Rodrigo Roa Duterte, Fifth State of the Nation Address, July 27, 2020,” July 27, 2020.
  24. 24 Richard Javad Heydarian, “Duterte bans exercises with US in South China Sea,” Asia Times, August 4, 2020.