1788年の大英帝国による入植以来、豪州の人々は常に「アジアの脅威」に向き合ってきた[1]。19世紀のゴールドラッシュで大量の中国人が豪州に押し寄せると、有色人種が白人社会を駆逐するという黄禍論が勃興した。その後日露戦争の勝利によって日本が台頭すると、豪州では日本の脅威を念頭に軍事力の強化が進んだ。第二次大戦で日本に勝利してからもしばらくの間、豪州の脅威認識は「日本軍国主義」の復活に向けられていたが、その後冷戦が本格化するにつれ、共産中国が豪州の潜在的な脅威として浮上することになる。
1972年の米中和解は、こうした状況を一変させた。米中和解によって生まれた相対的に安定した国際環境のもと、豪州は中国をもはや脅威としてではなく、経済的な機会もしくは戦略的なパートナーとして見るようになった。1973年に1億5800万豪ドルであった中国との二国間貿易は、1984年に10億豪ドルを突破した[2]。豪州はまた、中国との政治的・文化的、そして限定的ではあれ、軍事的な交流の強化を図った。1981年に豪州は対中援助を開始し、また同年には豪州海軍の護衛駆逐艦が上海の港湾に寄港するなど、両国の防衛交流も限定的ながら開始された[3]。
対中関係を重視する豪州の姿勢は、冷戦後も続いた。労働党のキーティング政権は「アジアからの安全保障」ではなく、「アジアでの安全保障」を求め、中国や東南アジアへの関与を含む地域関与政策を重視した[4]。キーティングの後に首相となった自由党のハワード党首は、豪州がアジアの国と米国との関係の「いずれかを選ぶ必要はない」という立場の上に、強固な対米同盟を維持しつつ、中国との経済的な関係を拡大した[5]。その結果、豪州は対GDP比で1%弱の国防費を維持しつつ、好調な中国の資源需要に裏打ちされた経済的な繁栄を謳歌することが可能となった。
こうした豪州にとっての「幸福な時代」は、2010年代に本格化した米中「パワーシフト」の進展によって終わりを迎えた[6]。中国が米国の地域覇権に挑戦する姿勢を鮮明にする中で、豪州の対中警戒感は徐々にではあれ着実に高まっていた。そうした豪州の対中警戒感は、中国の南シナ海の行動を「アジア版モンロードクトリン」に擬えたマルコム・ターンブル首相の2017年のシャングリラ会合での演説や、翌年のファーウェイの5Gネットワークからの除外などにも現れていた[7]。同じ頃メディア等で報じられた中国による豪州への「内政干渉」疑惑により、豪州の対中警戒感は国民レベルにまで広がりつつあった。
その意味で、2020年の新型コロナウィルス発生をきっかけとした豪中間の対立は、豪中関係悪化の「原因」であると同時に、その「結果」でもあった。豪州が新型ウイルスの起源に関する独立調査を要求した後、中国が数々の「経済的威圧」(農林畜産物の輸入差し止めや関税の引き上げ等)を行うと、豪州は貿易の多角化により中国への経済依存を減らしつつ、同盟国や友好国との関係強化によってそれに対抗した。豪州はまた、香港やウイグルの人権問題などをめぐり他の西側諸国と協調して中国を非難した。
2021年9月に豪英米の首脳が突如としてAUKUSと呼ばれる新たな安全保障協力枠組みを結成したことは、豪州による対中「プッシュバック」を象徴する出来事であった[8]。米中対立の激化や対中脅威認識の増大は、豪州軍の遠方への戦力投射を可能とする原子力潜水艦の魅力を高めた。またAUKUSは一義的には原潜を含む国防技術や先端技術に関する協力であるとはいえ、同時にそれは米英豪の「永遠のパートナーシップ」(モリソン首相)を再確認するものでもあった[9]。
その後中国の軍事的な影響力は、より目に見える形で豪州の周辺地域にまで及びつつある。2022年2月には豪州周辺のアラフラ海で中国の艦船から豪州の哨戒機に対するレーザー照射が行われた。さらに世界がロシアのウクライナ侵略に揺れるなか、4月には中国とソロモン諸島の間で安全保障協定が締結され、翌月には中国の情報収集艦が豪州北西部に異常接近する事態も起きている。第二次大戦時の日本軍による「南進」以来となる直接かつ物理的な脅威の存在が、豪州で再び意識されるようになったのである。
豪州新政権の誕生
豪州で新政権が誕生したのは、まさにこのような時期においてであった。労働党は選挙キャンペーンの段階でクアッドやAUKUSへの支持を強調し、政権就任後も変わらず中国の威圧に向き合っていく決意を示した[10]。5月21日の連邦選挙での勝利後、アンソニー・アルバニージー首相は豪州史上最も早いスピードで政権の引き継ぎを行い、ペニー・ウォン新外相と共に東京でのクアッド首脳会合に参加した。首脳会合の冒頭で、アルバニージー首相は労働党政権が引き続きクアッドを重視していくことを繰り返し強調した[11]。
そもそも第二次大戦後の豪州で、政権交代によって対米関係や対中姿勢が大きく変化したことはない。1972年12月に誕生した労働党のゴフ・ウィットラム政権が対中国交正常化を成し遂げたのは、政権交代というよりも米中和解という国際政治の基本構造の変化によるものであった。また2007年12月に首相となり、日本では「親中派」として知られる労働党のケビン・ラッド首相ですら、人権問題では中国を厳しく糾弾し、中国への対抗という観点から豪州の大幅な軍事力の拡充を求めた2009年の国防白書を承認した[12]。ましてや当時と比べ対中警戒感が格段に高まっている現在の豪州で、政権交代によって対中姿勢が大きく変わることは考えにくい。
その一方でアルバニージー首相は、選挙期間中から再三に渡り豪の安保政策が「国益」に即したものであると主張し、イデオロギーや価値を前面に出していた自由党・保守連合政権との違いを強調した[13]。ウォン外相はまた、中国とソロモン諸島の安全保障協定の締結を「戦後最大の失政」と非難し、労働党政権が重視する気候変動対策などを軸に、太平洋島嶼国への関与の強化を主張した[14]。実際彼女は、東京から帰国するや否やフィジー、サモア、そしてトンガに飛ぶなど、精力的な地域外交を展開している。ウォン外相はまた、東南アジアへの援助の増額を含む関与の強化に向けた包括的な政策を打ち出している[15]。
労働党政権によるアジア関与の強化は、「東」と「西」の狭間にある豪州の独特な立ち位置を再び浮き彫りにするであろう。AUKUSに象徴される西側との連携強化は、中国の脅威に対抗する上での必要条件であっても、十分条件ではない。アジアへの関与を疎かにすれば、中国の影響力が益々高まり、豪州は地域でさらに「浮いた」存在になってしまう。南太平洋における中国の影響力の拡張は、豪州に対する物理的な脅威の増大とともに、そうした豪州固有の問題を再び浮き彫りにするものであった。
日豪協力への含意
以上の問題は、豪州に限らず日本にも多かれ少なかれ当てはまる問題である。かつて国際政治学者の高坂正堯は、中国の台頭が「東洋と西洋の間のアンビバレンス(両面性)」という日本が伝統的に抱えるジレンマを復活させることを予見した。その中で高坂は、日本が米国を含む西方世界との一定程度の関係を維持しつつも、自主防衛力を強化し、かつ「低開発諸国の開発」と「海の開発」に力を注ぐべきことを説いた[16]。高坂にとってそれは、地域における中共の影響力の拡張を防ぐための手段という以上に、「海洋国家」としての日本が軍事力に限定されない広範な分野で独自の「力」を付けるための手段でもあった[17]。
そのことは「自由で開かれたインド太平洋」構想のもと、途上国の能力構築やインフラ支援及び「航行の自由」の確保に力を注ぐ現代の日本の姿にも通ずるものがあろう。そして日本と同じく海洋立国である豪州もまた、インド洋から太平洋に至る広範な海の開発や途上国への支援の再強化に乗り出している。そもそも日本と豪州は、南北問題の解消や地域の平和維持のために、二国間及び多国間の枠組みなどを通じて冷戦時代より緊密な協力を行なってきた。そうした協力が、今ほど求められている時はない。
具体的には、東南アジアや太平洋島嶼国への支援、特に海洋の能力構築支援の分野で、日豪はより大きな役割を果たすことができる。2022年6月に開催されたアジア安全保障会議(シャングリラ会合)の基調演説で、日本の岸田首相は海上安保分野における人材育成・人材ネットワークの強化や、巡視船を含む海上安保設備の供与及び海上輸送インフラの支援等を行なっていくことを表明した[18]。同様に、豪州の労働党政権も太平洋島嶼国の防衛人材の育成や、違法漁業の監視を含む海洋の安全保障協力の更なる強化を打ち出しており、この地域における協力で日豪が更なるシナジーを図ることが考えられる[19]。
日豪はまた、インド太平洋沿岸諸国の港湾の開発やインフラ支援を通じた海洋の連結性支援の分野においても、日米豪やクアッドの枠組みなどを通じて更なる連携を図ることが可能であろう。特に日米豪が共同で出資したパラオにおける光海底ケーブルプロジェクトのようなデジタルインフラの分野で、日豪は相互補完的な役割を果たすことができる[20]。また東南アジア諸国連合(ASEAN)や太平洋諸島フォーラム(PIF)といった多国間の地域枠組みを支えていくことも、アジアに生きる日豪に課せられた重要な課題である。軍事や経済のみならず、あらゆる分野で中国の影響力が一層強まる中で、自由で開かれた秩序を維持するための日豪協力の真価が問われている。
(2022/6/27)
脚注
- 1 豪州と「アジアの脅威」については、拙稿「豪州の安全保障観と『アジアの脅威』」鹿島平和研究所/安全保障外交政策研究会『安全保障研究』第3巻第3号、2021年9月、43-56頁。
- 2 Ann Kent, "Australia-China Relations, 1966-1996: A Critical Overview", Australian Journal of Politics and History, Vol. 42, Issue 3, August 1996, p. 368.
- 3 Max Sulman, "This is the Way it Happened…Swan to Shanghai, 1981: Trials of the Heavenly Duck," The Naval Officers Club of Australia, March 1, 2011.
- 4 ポール・キーティング著、山田道隆訳『アジア太平洋国家を目指して―オーストラリアの関与外交』流通経済大学出版会、2003年。
- 5 Adam C. Cobb, “Balancing Act: Australia's Strategic Relations with China and the United States,” Georgetown Journal of International Affairs, Vol. 8, No. 2, Summer/Fall 2007, p.74.
- 6 「豪州から見た米中関係―『幸福な時代』の終焉」川島真・森聡編『アフターコロナ時代の米中関係と世界秩序』東京大学出版会、2020年、219-229頁。
- 7 Malcolm Turnbull, “Keynote address at the 16th IISS Asia Security Summit, Shangri-La Dialogue,” June 3, 2017; Michael Slezak and Ariel Bogle, “Huawei banned from 5G mobile infrastructure rollout in Australia,” ABC News, August 23 2018.
- 8 拙稿「AUKUS誕生の背景と課題―豪州の視点」笹川平和財団『国際情報ネットワークIINA』2021年9月28日。
- 9 Andrew Tillet, “PM hails new subs deal as ‘forever partnership’,” The Australian Financial Review, September 16, 2021.
- 10 Sarah Martin and Josh Butler, “Labor accuses Coalition of ‘playing politics’ with national security after reports of Aukus snub,” The Guardian, May 16, 2022.
- 11 Prime Minister of Australia, “Opening Remarks of the QUAD’s Leaders’ Meeting,” May 24, 2022.
- 12 Department of Defence, Defending Australia in the Asia Pacific Century: Force 2030 (2009 Defence White Paper), Canberra: Commonwealth of Australia, 2009.
- 13 Anthony Albanese, “An Address by Opposition Leader Anthony Albanese,” Lowy Institute, March 10, 2022.
- 14 “VIDEO: 'Worst foreign policy blunder in the Pacific since the end of WWII': Penny Wong,” ABC News, April 20, 2022.
- 15 Anthony Galloway, “‘New energy’: Albanese and Wong to take South-East Asia and climate policies to Quad meeting,” The Sydney Morning Herald, May 23, 2022.
- 16 高坂正堯『海洋国家日本の構想』中央公論新社、2013年、246頁。
- 17 同上、217頁。
- 18 首相官邸「シャングリラ・ダイアローグ(アジア安全保障会議)における岸田総理基調講演」2022年6月10日。
- 19 “Labor’s Plan to Build a Stronger Pacific Family.”
- 20 村井純「日本人が知らない太平洋の海底めぐる深い事情」アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)『API 地経学ブリーフィング』2021年1月25日。