ロシアによるウクライナ侵攻の開始以前に、プーチン露大統領は「フィンランドとの国境を見渡すと友人が見えるが、フィンランドがNATOに加盟すれば敵が見える」と発言し、フィンランドが中立化政策を放棄しないよう牽制したと伝えられる[1]。従前から、NATOと一定の距離を保ち、加盟国になることを選択しなかった、北欧のフィンランドとスウェーデンが、5月18日にNATO加盟申請書を正式に提出した。その背景には、両国が、ロシアへの軍事的な脅威リスクを強く認識したからだけでなく、近年の北極海やハイノース(北極圏地域[2])の資源や安全を巡る競争が加速する中で、武力侵攻に対する集団防衛や核脅威への共同対処の必要性を広く共有するようになったことがある。ここでは、この北欧二カ国がNATOに加盟する意義や含意について、NATOの対露戦略及び同盟維持の観点から考察する。
封じ込まれるロシア
内陸国ロシアは、その地理的特性から、国家としての生存と成長に不可欠な外洋への出口を確保すべく、不凍港を求めて対外的に膨張する傾向を示してきた[3]。その上で、ロシアにとって、スカンディナビア半島の存在は、外洋への出口を閉ざす自然の障壁に他ならず、その一部であるフィンランドとスウェーデンが中立化し続けることは、地政学上、ロシアの生存にとっての必須要件であった(図1参照)。1991年、ソ連邦の崩壊によって、ロシアは、安全保障上の緩衝地帯を失い、地理的に縮小する一方、NATOは、門戸開放政策(Open Door Policy)による東方拡大を開始し、大西洋同盟の影響圏を東へと延伸していった。今回、プーチン大統領は、ウクライナへの軍事侵攻というリスクを取ることによって、NATOの東方拡大の動きを止めさせ、冷戦時に失った緩衝地帯を取り戻す機会を作為したように見られたが、思わぬ形で、フィンランド、スウェーデン両国が中立国からの脱却を決意したことで、ロシアの努力も水泡に帰しかねない事態に追い込まれている。
では、現実問題として、スウェーデンとフィンランドの両国がNATO加盟した場合、欧州の安全保障、軍事環境にどのような影響が及ぶのであろうか。先ず、NATO諸国とロシアの間の国境が、現在の約1200kmから約2500kmまで2倍以上に延伸することになり、地上において、ロシアは領域警備に関する警戒態勢を更新するため、経済的な負担が大きい軍事資源を新たに投入せざるを得なくなる。次に、バルト海に接する国々がほぼ全てNATO加盟国となるため、同海域が一種のNATOの内海化することで、飛び地であるカリーニングラードへのロシアからのアクセスに不都合が生じると共に、ロシア海軍の活動の自由が制約を受けることが予想される(図2参照)。また、バルト三国の上空では、2004年3月からNATOが領空警備活動を継続しており、加盟国間で戦闘機等を定期的に入れ替え、ロシア軍機を含む識別不明機への空中警戒に当たっている。この作戦活動に、フィンランド、スウェーデン空軍が参加すれば、NATOによる領空警備の実施態様はより多様化し、バルト海上空におけるロシア空軍の運用にも大きな影響を及ぼすであろう。
また、安全保障上の新領域と呼ばれる宇宙、サイバー、認知領域における作戦面でも、ロシアのハイブリッド戦争への影響は大きなものになる。2014年のロシアによるクリミア併合以降、欧州においては、サイバー攻撃、欺瞞・妨害活動、偽情報などの非軍事的手段を伝統的な軍事的手段と組み合わせるハイブリッド(複合混成型)戦争に対して、組織的な対抗措置が図られてきた。その一つとして、新領域からの脅威に対しては迅速かつ有効な具体的措置が有効と考えられる中、相次いで関連する独立した中核的研究機関(Center of Excellence : CoE)が設置され、ハイブリッド脅威への具体的対応に関する研究や手法開発が急速に進められている[4]。フィンランド、スウェーデン両国は、国内に、ハイブリッド脅威に対抗するための専門知識とトレーニングを提供する欧州ハイブリッド脅威対策センター(Hybrid CoE、在ヘルシンキ[5])や、ハイブリッド戦争に関する研究を行う非対称脅威・テロ研究センター(CATS、在ストックホルム[6])を擁しており、その高い技術リテラシーからも、新領域における即戦力としての期待が大きい。欧州連合(EU)との連携や国際的なパートナーシップを重視するNATOが、両国の加盟によって対ハイブリッド戦争の能力向上を図ることは間違いなく、新領域における集団防衛力においてロシアを凌駕し得る可能性も現実味を帯びてきている。
軍事面での新たな課題
今後、NATOは、フィンランド、スウェーデン両国の加盟に応じたロシアの軍事的な対抗措置や戦力の配備転換を考慮しつつ、既存の軍事戦略や戦術を再構築する必要に迫られる。既に、NATOは、2020年に「欧州大西洋地域における抑止と防衛(Deterrence and Defense of the Euro-Atlantic Area:DDA)」を新たな軍事戦略として承認しているが、両国の加盟によって、欧州北東部における集団防衛上の新たな課題に直面することは不可避であり、今後、それら課題への適合のために、NATOとしての軍事態勢を「初期化(リセット)」することが急務となるであろう[7]。
今回、NATOは、両国の加盟に伴って集団的自衛権(5条任務)の適用範囲が拡大することで、北極圏(ハイノースを含む)及びバルト海における新たな脅威への対処義務を負うことになる。北極圏は、北極評議会(Arctic Council : AC)を通じて環境保護や持続可能な開発の対象とされてきたが、地球温暖化によって北極海の海氷融解が急速に進むことに伴い、天然資源や航路開発を巡る関係国間の協力と対立の現場になりつつある。その中で、ロシアは、北極圏における軍事力の増強や軍事活動を活発化させており[8]、NATOは宇宙空間やサイバー空間と同様に北極圏が戦闘領域化することへの警戒感を深め、当事者であるフィンランド、スウェーデン両国の協力を深めつつ、一層の関与を加速するであろう。
一方、バルト海においては、両国の加盟に伴って、オーランド諸島(Åland Islands、フィンランド領)やゴットランド島(Gotland Island、スウェーデン領[9])の戦略的安定性に注目が集まる[10]。歴史的経緯から非武装地帯として扱われてきた両島であるが、NATO分断のための戦略的要衝として、ロシアが軍事的関心を寄せる可能性は高い。万一、この両島が、ロシア軍によって占拠され、そこに核搭載可能な中距離核ミサイル(Iskander-M)などの長射程兵器が配備される事態になれば、NATO諸国は、ロシアの飛び地であるカリーニングラードと同じように、僅か数十キロの先で直接的な軍事脅威と対峙することを強いられることになる。更に、ポーランド・リトアニア国境の僅か104kmの狭い「スヴァルキ・ギャップ(Suwalki Gap)」と呼ばれるNATO防衛の緊要な戦略的回廊がロシアやベラルーシによって占拠される事態が同時に発生すれば、ロシアの友好国であるベラルーシから、スヴァルキ・ギャップ、カリーニングラード、そして、バルト海の占領島嶼を結ぶ形で、ロシアによる長距離の前方防衛線が構築される事態が出現し、バルト三国はその内側に取り残される危険と隣合わせの状態に置かれる(図3参照)。
また、世界的に、全デジタルデータの99%の経路となっている海底ケーブルへの安全上の不安が高まる中[11]、欧州にとって、バルト海における海底ケーブル中継地点としての両島が占領される事態は避けなければならない。何故なら、ロシアがその管轄権を掌握し、ケーブル施設を破壊するような場合、同ケーブルで連接されるNATO加盟国、特にバルト三国へのデジタル上の重大な影響が及ぶ可能性が懸念されるからである。それは、ロシアの物理的な前方防衛線によって、バルト三国が、仮想空間上でもロシアから非軍事的な攻撃を受けることに等しい(図4参照)。更に、NATO内で、作戦、補給、通信面での物理的な分断が生じるのみならず、デジタル上の情報共有や指揮統制機能が喪失する事態への懸念が現実のものとなりかねないおそれがある。
既に、NATOは、2019年7月、北米ノーフォークに新たな統合軍司令部(JFC- Norfolk:Joint Force Command Norfolk)を設置し、大西洋全域での運用態勢を強化し、同盟国およびパートナーとの大西洋横断の絆の強化に着手している。JFC-Norfolkの任務には、北大西洋等の海底に配置された海底ケーブルの保全も含まれ[12]、フィンランドとスウェーデン両国の海軍がJFC-Norfolkの統制下に入ることによって、現実、仮想両空間における相互運用性の一層の強化が図れることが期待される。そして、それらの進化を通じて、北極圏、バルト海におけるロシア軍の攻勢的活動を抑止及び防衛する基盤が醸成されると考えられる。
おわりに
ストルテンベルグ(Jens Stoltenberg)NATO事務総長は、フィンランド、スウェーデン両国が、強力で成熟した民主主義国家であり、NATOの重要なパートナー国であったことから、両国の加盟に向けてのプロセスも順調に進展するとの見込みを明らかにしている[13]。その一方で、加盟に向けては、加盟議定書に係る全加盟国の批准や実務的な加盟交渉等が条件となっており、両国の加盟までには一定の時間的猶予が必要となるであろう[14]。また、トルコのように政治的理由から両国加盟に対して異議を唱えている加盟国もあり、今後の加盟に係る推移について予断は許されない[15]。その一方で、NATOは、1950年代のスエズ危機、2003年のイラク戦争などにおいて、同盟間で摩擦や対立が表面化したことを経験しており、同盟として、それらの危機を乗り越えてきた歴史と自信を有しているとされる[16]。NATOは、それらの経験を通じて、多様性や相違を受容する組織文化を育んできており、フィンランドとスウェーデンが加盟した以降も、同盟内で、米欧同盟を維持するという基本原則において齟齬が生じない限り、時代の変化に適合すべく、政治及び軍事同盟としての変革を継続し、その固有の責任を果たそうとするであろう。
(2022/06/02)
*こちらの論考は英語版でもお読みいただけます。
What Membership for Finland and Sweden Would Mean for NATO’s Evolution
脚注
- 1 John Ringer and Meghna Chakrabarti, “The risks and rationale of expanding NATO,” Wbur on Point, April 28, 2022.
- 2 「ハイノース」とは、南のヘルゲラン南部から西のグリーンランド海と東のペチョラ海(バレンツ海の南東の角)までの陸と海の領域を指す( “The Norwegian Government's Arctic Policy : People, opportunities and Norwegian interests in the Arctic – Abstract,” Government.no, January 26,2021. )。
- 3 The Federal, “Warm-water ports a factor in Russian foreign policy calculations,” The Federal, February 26, 2022.
- 4 NATO Strategic Communications Centre of Excellence, “EU Commission President and NATO Secretary General visit NATO StratCom COE,” November 28, 2021.
- 5 Axel Hagelstam, “Cooperating to counter hybrid threats,” NATO Review, November 23, 2018.
- 6 Josefin Svensson, “Spotlight on hybrid warfare,” Swedish Defence University, March 4, 2022.
- 7 NATO, “News: NATO Secretary General to Allied Defence Chiefs: ‘Reset’ our posture to reflect new reality in Europe,” May 19, 2022.
- 8 Thomas Graham and Amy Myers Jaffe, “There Is No Scramble for the Arctic Climate Change Demands Cooperation, Not Competition, in the Far North,” Foreign Affairs, July 27 2020.
- 9 オーランド諸島は国際法によって非武装地帯とされている。また、ゴットランド島は2004年に非武装化されたが、2017年に再度武装化されている。
- 10 Eoin Micheál McNamara, “Securing the Nordic-Baltic region,” NATO Review, March 17,2016.
- 11 Kurt Kohlstedt, “Underwater Cloud: Inside the Cables Carrying 99% of Transoceanic Data Traffic,” 99% Invisible, June 30, 2017.
- 12 Thomas Nilsen, “As Finland and Sweden join NATO, Norfolk command beefs up readiness in alliance’s northern flank,” The Barents Observer, May 15, 2022.
- 13 NATO, “Press point with NATO Secretary General Jens Stoltenberg and the President of the European Parliament, Roberta Metsola,” April 28, 2022.
- 14 NATO, “Topics: Enlargement and Article 10,” May 18, 2022.
- 15 Anna Kaplan, “Turkey’s Erdogan Told Allies It Will Say ‘No’ To Finland And Sweden’s NATO Bids, In His Most Definitive Statement Yet,” Forbes, May 19, 2022.
- 16 NATO, “Doorstep statement by NATO Secretary General Jens Stoltenberg prior to the meetings of NATO Defence Ministers,” June 7, 2018.