6月、イスラエルで、ベネット首相率いる8党から成る大連立政権が1年を迎えた。成立時点の与党の議員数は61名(定数120)であったが、5月19日にメレツ党所属のアラブ系議員ズアビー氏が与党から離脱し、59議席となった[1]。これにより、与党は6月の予算審議をはじめ国会運営が難しくなっている。また、占領地でのパレスチナ人の抵抗活動も続いており、ベネット政権は正念場を迎えている。
こうした状況のなか、イスラエル軍がおよそ1カ月にわたる大規模総合軍事演習を実施した。本稿では、この演習を踏まえ、イスラエルを取り巻く安全保障環境の変化について分析し、中東地域での軍事衝突の可能性について考察する。
「最大規模」の軍事演習
5月9日から6月2日までの期間、イスラエル軍は国外で演習を実施した。その内容は、陸軍については、①レバノンの地形に似たキプロスのトロドス山脈を利用した敵地の奥深い地点への数百人の兵士の緊急輸送、②田園地帯での要塞化された基地への急襲の訓練などを行った。また、空軍は、①地中海から戦闘機で遠方の標的への攻撃、②長距離飛行を想定した空中給油の演習を実施し、さらにキプロス軍との一部合同演習も行っている[2]。
今回の演習は、軍と政府機関が一体となって実施されており、ガンツ国防相が「ここ数年で最大」と表現する規模の訓練であった[3]。その背景には、イスラエルの安全保障環境の変化がある。
東地中海地域での反イスラエル勢力の共闘への威嚇
この軍事演習実施時期の東地中海地域の主な動きを見ておこう。ロシアのウクライナ侵攻が長引く中、シリア駐留ロシア軍はその戦力を縮小させている。こうした状況下の5月8日、シリアのアサド大統領が最高指導者アリ・ハメネイ師との会談のために3年ぶりにイランを訪問し、イスラエルに対する両国の共闘を確認した[4]。そのことで、イスラエルは、シリア領内への攻撃頻度を高める必要が生じている。
また、レバノンについては、5月15日に総選挙が実施されたが、過半数をとった政党や政党連合はなく、新首相の選出や10月31日に任期満了をむかえる大統領の選出で、政治混乱は続くと見られる。このレバノンで、近年、イランとの関係が深いヒズボラとパレスチナのガザ地区に拠点を置く武装組織ハマスの連携強化の動きが見られている。例えば、カタール、トルコ、シリアなどで避難生活を送っていたハマスの有力活動家がベイルートに移住していることが注目されている[5]。それは、ハマスが、ガザ地区を越えて南レバノンで、ヒズボラとともにイスラエルに対する抵抗活動を強化させていることを意味する。
イスラエルは、この南レバノンでの戦闘を意識し、敵地深部への地上攻勢をかける演習を実施している[6]。それにより、戦闘能力の向上に加え、ヒズボラとハマスの共闘の動きを牽制することができたと考えられる。
イラン核合意復帰阻止の動き
今一つ、イスラエルが懸念するイランの核開発問題は、ウィーンでの核合意復帰協議が3月11日から休止状態となった。これまでイラン側は、バイデン政権に議会や次期大統領が再び合意から離脱しないことを保証するよう求めてきた。また、イランは、その保証ができない場合の「互恵的譲歩」として、国軍であるイラン革命防衛隊(IRGC)を外国テロ組織リストから削除する案を提示している[7]。しかし、バイデン大統領は、4月24日、イスラエルのベネット首相との電話会談で、革命防衛隊の登録抹消をしないことを最終決断したと伝えている[8]。このバイデン政権の決定により、イラン核合意復帰協議は行き詰っている。
その中で、EUはアメリカとイランとの仲介役として交渉の打開に動いており、革命防衛隊を外国テロ組織リストから削除する代わりに、同隊の「アル・クドゥス部隊」を登録することを提案した。5月10日には、EUの核合意交渉の責任者であるモラ氏がイランを訪問し、13日には、ボレル外務安全保障政策上級代表が、交渉再開の可能性を表明している。また、これに合わせるようにカータルのタミム首長のイラン訪問(5月12日)、イランのライシ大統領のオマーン訪問(5月23日)が行われており、アメリカとイランの溝を埋めるためのものと見られている[9]。
こうしたイラン核合意復帰に向けた外交が行われている中で実施されたイスラエルの大規模軍事演習では、空軍が長距離飛行での空中給油を訓練している。それは、イスラエルによる、イランへの攻撃も視野に入れているとのメッセージとも考えられる。6月3日、イスラエルを訪問した国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長に対し、ベネット首相は、「イランの核開発問題が外交的に解決することを望むが、独自の行動をとる可能性もある」と伝えており[10]、軍事演習で得た自信をのぞかせている。しかし、今のところイスラエルは、軍事行動より他の方法でイラン核合意復帰交渉を頓挫させる道を選んでいるようにみえる。
5月22日、イラン革命防衛隊のアル・クドゥス部隊の大佐がテヘランで殺害される事件が起きた。イスラエルは、この殺害はイランに革命防衛隊の国外活動に対する警告だとしている[11]。しかし、2020年にイランの核科学者ファクリザデ博士の殺害後のように、同事件がイランの保守強硬派の核開発推進の声を強める可能性もある。また、イスラエルは、IAEAが5月30日公表の報告で指摘した、イランの未申告施設3カ所から核物質が検出されたことについて、IAEA理事会で明確に取り上げるべきと強調している[12]。こうしてみると、イスラエルはイラン国内と国際社会の双方から、核合意に復帰しないよう圧力をかけているといえるだろう。
以上、イスラエルの大規模軍事演習を踏まえ、同国を取り巻く安全保障環境の変化について検討した。その結果、イスラエルの今回の演習は、シリアや南レバノン戦線での新たな動き、およびイランの核開発の進展によるリスクへの即応能力を向上させただけでなく、親イラン勢力による攻撃を抑止する効果もあったと考えられる。今後、イスラエルで政権争いが再び活発化したとしても、短期的には、この安全保障環境を保つためにイスラエル自身から軍事衝突をしかけるとは考えにくい。また、シリアとレバノン国内の分裂状況の継続や、イランが核合意復帰協議の進展をあきらめないうちは、ヒズボラ、ハマスなどの親イラン勢力も大きな攻撃をしかける蓋然性は低いといえる。
(2022/06/15)
脚注
- 1 この他に、4月ベネット首相の右派政党から議員1人が離反している。“Israel's ruling coalition becomes minority after lawmaker quits,” Reuters, May 20, 2022.
- 2 Yoav Zitun, “IDF wraps up major military drill in Cyprus,” Ynet news, June 2, 2022.
- 3 ibid.また、エルサレム・ポスト紙も演習開始時に「史上最大」との見出しで報じている。Anna Ahronheim, “IDF opens largest training drill in Israeli history,” Jerusalem Post, May 9,2022. なお、演習は2021年に実施予定であったが、1年間延期となっていた。
- 4 Parisa Hafezi, “Syria's Bashar al-Assad meets Ayatollah Ali Khamenei in Tehran,” Reuters, May 9, 2022.
- 5 Mohanad Hage Ali, “Resurrecting Arafat in Beirut?,” Carnegie Middle East Center, April 29, 2022.
- 6 註2に同じ。
- 7 Seyed Hossein Mousavian, “Iran nuclear deal: An interim plan could still salvage the talks,” Middle East Eye, May 31, 2022.
- 8 Alexander Ward and Nahal Toosi, “Biden made final decision to keep Iran’s IRGC on terrorist list,” Politico, May 24, 2022.
- 9 “Iran sees Israeli message on Syria and nuclear talks in assassination,” Middle East Eye, May 24, 2022.
- 10 Dan Williams, “Israel prefers diplomacy on Iran but could act alone, Bennett tells IAEA chief,” Reuters, June 3, 2022.
- 11 “Israel warns against travel to Turkey over Iranian retaliation fears,” Middle East Eye, May 30, 2022. なお、6月3日に、別のアル・クドゥス部隊の大佐が自宅の屋根もしくはバルコニーから転落死する事件が起きている。“Iran reports death of another Revolutionary Guard colonel,” Washington Post, June 3, 2020.
- 12 註10に同じ。