1月20日、アメリカでバイデン氏が第46代大統領に就任した。同大統領は、優先政策として、国内の新型コロナウイルス感染症対策、経済の回復、亀裂の修復などを掲げている。一方、対外政策については、2月4日に国務省でスピーチを行い、「外国政策と国内政策の間にはもはや明確な線引きはない」としつつ、同盟関係の重要性、ロシアや中国に対する政策、イエメン内戦への対応などに言及した。しかし、このスピーチでは、国際社会が注目する対イラン政策についての言及はなかった[1]。
現在、イランの行方をアメリカ以上に懸念しているのは、イスラエルである。1月26日、イスラエル軍のコハヴィ参謀総長が、テルアビブ大学の国家安全保障研究所での演説で「国防軍に対し、既存のものに加え、複数の軍事作戦計画を新たな準備するように指示した」と述べた[2]。また、バイデン大統領は、イランが核合意を順守するより先にアメリカが合意に復帰することはないと表明している[3]。イスラエルとイランとの軍事的緊張は緩和されるのか、それとも高まっているのだろうか。中東地域では、2019年12月にイラン、中国、ロシアがインド洋とオマーン湾で合同軍事演習を行うなど[4]パワーバランスの変化の兆しも見えはじめている。以下では、中東情勢を大きく左右するイスラエルとイランの関係を、イスラエルの安全保障という観点から検討する。
イスラエルにとってのイランの核開発問題
仮に、イスラエルがイランの核施設への武力行使をした場合、(1)航空機による核施設への攻撃だけでは、核開発を数年間遅らせるにとどまる、(2)先制攻撃的な自己防衛は国際的孤立を招く、(3)イランのみならず国外の親イラン組織も加わった報復攻撃が予想され、自国が受ける被害が大きくなるなどの指摘がある[5]。とりわけ(3)については、2006年にイスラエルがレバノンに侵攻した際の、親イラン勢力であるヒズボラとの戦いが苦い教訓になっていると考えられる。
一方、近年のイスラエルの動向を分析すると、同国が考えている対イラン政策は、(1)国際的な外交圧力を用いて核開発を阻止する、(2)イラン国内外の反体制組織を活用して革命体制を崩壊させる、(3)反イランの立場をとるアラブ首長国連邦との軍事・情報分野での関係強化を図る、(4)米軍との共同作戦で一挙にイランの核および軍事施設を爆撃するなどであろう。国連安全保障常任理事国およびドイツ(P5+1)とイランとの外交交渉によって成立した2015年のイラン核合意(JCPOA)は、このうちの(1)が実現したものであった。しかし、核開発規制が一定期間後に終了する(サンセット条項)ため、イスラエルにとっては決して十分なものとはいえなかった。また、JCPOAではイランの弾道ミサイル開発が制限されていない点も、イスラエルにとっては懸念事項である。
トランプ前政権は、こうしたイスラエルの懸念を払拭するかのように、2018年にJCPOAから単独で離脱し、アメリカの国内法を根拠にイランに経済制裁をかけるという「最大の圧力」政策を実施した。しかし、こうした圧力にもかかわらず、イランは兵器開発など軍事力を強化し続け、トランプ政権の末期には、JPCOAの制限を大幅に超えるウラン濃縮活動を行うに至った。このため、イスラエルは新たな対応を迫られることになった。
イランの軍事力強化の脅威
イランは、経済制裁下、ロシアおよび中国との経済関係を強化する一方、ウクライナ、北朝鮮、中国などから軍事産業分野の技術力を得ることでドローンや多種類のミサイルを自主開発し、戦闘機などの航空戦力の不足を補っている[6]。イランは2021年2月1日には、2段に固体推進剤、1段に液体推進剤を使用した3段式衛星ロケット「ゾルシャナーフ」を打ち上げている[7]。このミサイルは地上500kmの軌道上に最大220kgの衛星を運ぶことが可能であるとイランは発表しており、イスラエルにとっては大きな脅威となる。
また、イランの核開発問題では、イラン国会が2020年12月1日に「制裁解除とイラン国民の利益保護のための戦略的措置」法案を可決し、翌2日には監督者評議会で承認され、正式に成立したことで転機を迎えた[8]。イランは、2019年5月から、アメリカの一方的な核合意離脱や、イギリス、フランス、ドイツの合意に関する約束不履行への対抗措置として、合意文書の26条及び36条に基づき5段階で自らの責務の縮小措置をとってきた[9]。同法の成立はその延長線上にある。
12月1日にイラン国会が定めた法は、法の履行責任者を大統領および関連する省庁と定め(8条)、履行を拒否する者を刑罰に処する(第9条)としている。穏健保守派のロウハニ政権は、保守強硬派中心のイラン国会により、政策範囲を狭められたかたちとなった。ロウハニ大統領は同法に従い、第1条のウラン濃縮度を20%に引き上げ、第3条の高性能な遠心分離機IR-6型の設置[10]などを国際原子力機構(IAEA)に通知した上で実施している。これにより、イランが核兵器1個分の核燃料を製造するまでの期間(ブレイクアウト・タイム)は短縮し、イスラエルの懸念は高まった。
イスラエルの懸念はこれらのことばかりではない。現在、イスラエルは、(1)シリアにおけるイラン関連施設およびヒズボラの軍事施設への度重なる爆撃、(2)イランによるイスラエルの公共インフラへのサイバー攻撃への対抗措置、(3)在外公館およびユダヤ人機関事務所に対する警戒強化を行っている。
衝突を抑えていた環境の変化
イランは、トランプ前政権の厳しい経済制裁下でもミサイル開発技術を向上させてきた。2020年1月3日のアメリカによる革命防衛隊アルクドゥス部隊のソレイマニ司令官暗殺に対するイランの報復では、イラクに所在する米軍基地へのミサイル攻撃能力の高さが示された。こうしたイランのミサイル攻撃を恐れているイスラエルは、イランがシリアを前哨基地化することを阻止するため、シリア国内での空爆を繰り返しており、2020年には50回の空爆を実施している[11]。しかし、イランは、シリアの基地への物資輸送を忍耐強く継続している。そのイランとイスラエルとの緊張が、2020年11月、イランの核科学者ファフリザデ氏がテヘランで何者かに暗殺されたことを機に再び高まった。イランはしかるべき時、しかるべき場所でイスラエルとアメリカへの報復をするとしている[12]。
経済制裁、ソレイマニ司令官の暗殺、新型コロナ感染の拡大という危機を切り抜けつつあり、ミサイル開発と核開発をレベルアップしたイランは、中東域内での存在感を増しており、一方のイスラエルはそうしたイランの力を削ごうとしている。今のところ、この両者の衝突がエスカレートしていない理由はいくつかある。第1は、ロシアが、トルコ、イランとの合意のもとでシリアをコントロールしていること、第2は、イランがIAEAの核査察を受けて入れていること、第3は、米国を除く核合意国が合意を果たす意向を示していること、そして第4は、両国とも戦費や国民の支持を失う可能性などの紛争コストを払える政治経済状況にないことなどが挙げられる。
しかし、今後の状況の変化によっては、両者の衝突に歯止めがかからなくなる可能性もある。イラン側の状況変化としては、IAEAのイランの核施設への査察の停止、新型コロナ感染の収束や原油価格の上昇による経済回復、そして6月に予定される大統領選などが挙げられる。また、イスラエル側には、3月の総選挙などの要素がある。さらに、ヒズボラとハマスの接近にみられるような親イラン組織の連携が深化していることも気がかりな要素である[13]。
短期的には、イスラエルとイランの軍事衝突の蓋然性は低いといえる。しかし、冒頭のイスラエルのコハヴィ参謀総長による発言は、バイデン新政権をイラン核合意に復帰させないための単なる牽制とみるには重すぎる内容である。軍の最重要人物が自国の作戦立案を公開の場で述べたという事実は、イスラエルとイランが危機のシナリオを歩み始めていることへの警告として受け止めるべきだろう。
(2021/02/18)
脚注
- 1 “Remarks by President Biden on America’s Place in the World,” White House, February 4, 2021.
- 2 Jeffrey Heller, “Israel's top general says its military is refreshing operational plans against Iran,” Reuters, January 27, 2021.
- 3 Cassidy Mcdonald, “Biden says U.S. won’t lift sanctions until Iran halts uranium enrichment,” CBS News, February 7, 2021.
- 4 “China, Russia and Iran begin joint naval drills,” Al Jazeera, December 27,2019.
- 5 Aaron David Miller and Richard Sokolsky, “Israel's risky rhetoric on Iran,” CNN, February 2, 2021.
- 6 Bogdanov, Konstantin, “Missile and Nuclear Capabilities of Middle East Countries,” in Viatcheslav Kantor ed., Middle East Crisis: Scenarios and Opportunities, International Luxembourg Forum on Preventing Nuclear Catastrophe (International Luxembourg Forum on Preventing Nuclear Catastrophe, 2020) pp.111-119.
- 7 “Iran test-launches new domestically-manufactured satellite launch vehicle,” Press TV, February 1, 2021.
- 8 青木健太「No.110 イラン:『制裁解除とイラン国民の利益保護のための戦略的措置』法案の承認とその意味」中東調査会『中東かわら版』2020年12月7日。
- 9 Tytti Erästö and Tarja Cronberg, “Will Europe’s latest move lead to the demise of the Iran nuclear deal?” SIPRI website, January 21, 2020.
- 10 青木 前掲書。なお核合意での濃縮度の上限は3.67%。
- 11 Sarah Dadouch, “Israel launches unusually intense strikes on Iranian positions in Syria,” The Washington Post, January 14, 2021.
- 12 “Iranian forces will determine time, place of revenge for Fakhrizadeh’s assassination: Top General,” Press TV, January 7, 2021.
- 13 “Nasrallah says he feared for Soleimani’s life prior to assassination,” Middle East Eye, December 28, 2020.