中東地域での新型コロナウイルス感染確認者は、4月24日のラマダン入り後まもない26日時点で27万2485人(9903人)である[1]。感染確認者数の上位5カ国は順に、トルコ10万9773人(2706人)、イラン8万9328人(5650人)、サウジアラビア1万6299人(136人)、イスラエル1万5298人(199人)、アラブ首長国連邦9813人(71人)である(カッコ内は死亡者数)。

 感染確認者数が中東地域の72%を占めるトルコとイランは、中国との関係が深い。また、死亡者数が中東地域の57%を占めるイランは、アメリカの経済制裁下にあり、医療分野の対応が十分ではない状況にある。

 中東地域には、今後も感染症の拡大が懸念される要因がある。第1は、ラマダン期間(1カ月)、7月のメッカ巡礼期間など密集・密接にむすびつく機会が増えることである。第2に、内戦状態にあるシリア、リビア、イエメン、アフガニスタンの検査や衛生状態の悪さである。そのことと関連して、第3に難民・国内避難民キャンプの劣悪な環境が挙げられる。

 以下では、こうした感染症拡大下の中東地域において総選挙を実施したイスラエルとイランの国内政治を踏まえ、両国の対立の焦点となる中東和平問題の行方について検討したうえで、新型コロナ危機後の中東地域では、イラン・イスラエル間の緊張が再度高まる可能性があることを指摘する。

新型コロナとイスラエルの内政

 イスラエルは、ユダヤ教の教えを厳格に守る超正統派の人びとが政府の外出禁止令などの行動制限を守らず、集団感染、家庭内感染が多発したことから、3月21日、緊急感染症対策を発表し都市封鎖を行っていた。

 こうした感染症拡大を前にして、同国の政治家たちは新たな選択を迫られた。3月2日、ネタニヤフ首相は第3回目の総選挙の直後から緊急連立政権を主張し始めた。今回の選挙結果でも、各政党の支持者が固定化されたままで議席数に大きな変化はなく、過去2回の選挙と同様に単独過半数(61議席)をとる政党ブロックは出なかった[2]。このため、中道的立場の「青と白」のガンツ共同代表は、右派与党のリクードを率いるネタニヤフ氏の主張を受け入れ、3月26日に連立協議を行うと表明した。また、労働党の一部からも緊急連立政権への支持が示されことから、ネタニヤフ氏は、国会の過半数を越える賛同者を確保することになった。

 この間、ネタニヤフ氏は感染症の対策の陣頭指揮をとる姿を国民に示すことで存在感を増し、4月20日夜、ガンツ氏とともに「非常事態政権」の樹立の合意を発表した。合意では、最初の1年半はネタニヤフ氏が首相に就き、残りの1年半をガンツ氏が務めることが示されている。また、政策については、中東和平案を除いて、新型コロナ危機対応に集中するとされる。

 ネタニヤフ氏は新型コロナ危機という機をとらえて、ライバル政党「青と白」のガンツ共同代表をとりこんだことで、「青と白」を共同代表のラピッド氏が率いるグループとほぼ真二つに内部分裂させた。これにより、アメリカのトランプ大統領が2020年1月に発表した中東和平案「平和のためのビジョン」に含まれるヨルダン川西岸の約30%にあたる重要地域の併合などを実現する道筋をつたといえよう。

新型コロナとイランの内政

 イランでの新型コロナ感染症の拡大は、2月19日に2人の死者が出たと公表されたことで明らかになった。イランの副保健相は、感染源についてゴム州では中国人の労働者と留学生であり、このウイルスはまた、ウイルスの震源地の武漢から帰国したイラン人学生からギーラーン州北部に広がった可能性があると説明している[3]。同国での感染症の拡大の要因としては、アメリカの経済制裁下で医薬品が不足し、保険医療体制が遅れていることが挙げられる。また、ゴムのファーティマ廟、マシャドのイマーム・レザー廟などへの参詣や、イラン歴の元日にあたるノウルーズ(春分の日)の祝いなどの宗教・伝統行事に関連した多数の人の移動も主要な要因である。

 イランでの新型コロナ感染症対策は、都市封鎖や主要都市の金曜の集団礼拝の中止を含む行動制限措置に関し、経済界や宗教界内で意見が分かれていたが、3月中旬になって、最高指導者ハーメネイ師の介入で、宗教および商業施設の閉鎖、都市間移動の禁止措置がとられた。その後4月11日には、早くも低リスクの商業活動を再開し、首都テヘランでは4月18日から企業や商店の活動も認められている。経済活動の段階的解除を早期に踏み切ったのは、アメリカの経済制裁下での失業者の増加、物価の上昇に民衆が苦しんでいるという背景がある。このため、政府は経済活動解除とともに、低所得世帯を対象とする低利融資計画を発表している[4]。

 イランでは初の新型コロナ感染死者が公表された2日後の2月21日、第11期国会選挙が実施された。投票率は1979年の革命以降で最低の42.57%(内務省発表)となった。また、選挙結果は、護憲評議会の立候補者の審査で多くの穏健派候補者が不適格となったこともあり、保守強硬派が定数290のうち210議席以上を獲得した[5]。この状況では、国会での幅広い議論は期待できない。さらに、感染症の拡大により国会が休会となる中、ハーメネイ最高指導者が新年度予算案の予算委員会承認を持って国会承認とするとの意思を示すことで予算が成立するという出来事が起きた。新型コロナ危機は、感染症対策としての行動制限問題に続き、国家予算についても最高指導者が意思決定に深く関与する事態を生じさせている。

 イランがこのような政治状況にある中、シリアで、イスラエル空軍機によるイラン革命防衛隊関連施設への攻撃が続いている[6]。また、ペルシャ湾では、4月15日に、米艦艇6隻と革命防衛隊の高速戦闘艇11隻との異常接近が起きている[7]。それは、革命防衛隊へのイスラエル・米国の揺さぶりとも考えられる。革命防衛隊はイランのイスラム体制を支える重要な組織であり、感染症対策でも臨時医療施設づくりなどで活躍している。仮に、同組織に大きな被害が及べば、最高指導者はソレイマニ司令官殺害事件の際と同様に報復を選択し、それが実行される蓋然性は高い。

まとめ―中東和平の停滞がもたらすもの

 現在、中東地域の国でも新型コロナ感染症の蔓延による世界経済の低下から原油価格の急落の影響や都市封鎖などにより、著しく経済が悪化する可能性がある。具体的には、エジプト、チュニジア、モロッコ、アルジェリア、ヨルダン、レバノンなどのアラブ諸国である。これらの国がこれまで以上に自国優先の態度をとることで、中東和平の核心であるパレスチナ問題への関与を低下させることが考えられる。

 また、新型コロナ危機終息後の国際社会も自国経済の再建に注力する必要があるとみられるため、トランプ政権の中東和平案に対する代案が示される蓋然性は低い。トランプ政権は、同案でヨルダン川西岸の併合を認めた。また、これに先立つ2019年3月にはネタニヤフ政権のゴラン高原併合を容認している。ネタニヤフ首相の続投が決定したことで、占領地の併合という国際法違反が、トランプの和平案のもとで積み上げられることになる。そのことで、中東和平問題の二国家解決案の実現性は大きく後退することになる。

 保守強硬派が国会の議席の大多数を占め、最高指導者の政策決定への影響力を強めているイランは、新型コロナ危機後も、このようなイスラエルの占領地政策への抵抗姿勢を緩めることはないだろう。軍事的には、4月22日にイランの革命防衛隊が衛星「ヌール」の打ち上げに成功したことにより、イランの戦略情報収集能力とミサイル攻撃能力は高まっている。一方のイスラエルは、安全保障を確保するため、レバノン、シリア、イラクにおけるイラン関連施設や親イラン組織への攻撃を強めるだろう。

 こうして新型コロナ危機後の中東地域では、イスラエル・イラン間の軍事的緊張が高まる蓋然性が高い。それは、大統領選挙を前にしたトランプ政権にとっても、石油価格の上昇を望むサウジにとっても、期待するところといえるのではないか。

(2020/5/1)

脚注

  1. 1 中東地域の区分は日本外務省に基づく。感染確認者数、死亡者数はJohns Hopkins University & Medicine, Coronavirus Resource Centerによる。
  2. 2 3回目の選挙による主要政党の議席数は、リクード36、青と白33、アラブ系政党(ハダッシュと統一アラブ・リスト)15である。なお、リクードを中心とする右派・宗教政党ブロックは2019年4月の選挙では60、9月の選挙では55、今回は58の議席をそれぞれ獲得。議席数はElections for the Knessetを参照。
  3. 3 Yaghoub Fazeli, “Coronavirus spread to Qom through Chinese nationals: Iranian health ministry official,” Al Arabiya English, 25 March 2020.
  4. 4 “Iran to pay loans to 4m households to repair COVID-19 outbreak damages,” Islamic Republic News Agency, April 6, 2020.
  5. 5 誰を保守強硬派とするかは、報道機関によって異なっている。
  6. 6 “Syria says its air defenses shot down Israeli missiles over Palmyra,” Al Arabiya English, 21 April 2020. “Report: 7 killed in Israeli attack in Syria that targeted Iran, Hezbollah,” ynet news, 4.27.2020.
  7. 7 Idrees Ali, “Iranian vessels come dangerously close to American military ships: U.S. military,” Reuters, April 16, 2020.