イランのハーメネイ体制の揺らぎ

 2020年2月21日、イランで第11期国会議員選挙、および第5回専門家会議選挙(5州で7議席)が実施された。国会議員選挙では、290の議席に対し、監督者評議会[1]の資格審査を通過した候補者7157人が選挙戦を繰り広げた。有権者(満18歳以上)5791万8000人が全国の約5万4000カ所に設置された投票所で投票を行った。

 今回の選挙は、昨年11月の政府によるガソリン価格値上げを機に全土に拡大した抗議活動、年明け1月3日のソレイマニ司令官暗殺事件、イラン政府のウクライナ民間航空機誤射隠ぺい事件などの影響を色濃く受けるものとなった。いずれも、国民からロウハニ政権のみならず国家体制自体が問われる出来事であっただけに、投票率とその結果が注目されていた。

 2月23日に報じられた投票率は42.57%と国会議員選挙としては過去最低となった。また、議会の構成では保守強硬派が多数を占める見通しである[2]。投票率の低迷の要因は、国内で新型コロナウィルスの感染が拡大していること、立候補届け出者のうち多数が不適格者――その多くは穏健派と改革派――とされたことで、有権者の選挙への関心が低下したためと考えられる[3]。

 選挙前の2月18日、ハーメネイ最高指導者は、国民の選挙参加は「宗教的義務」であり、「国家の強化を意味する」「アメリカの邪悪な意図を無力化する」として、投票行動により敵対者から国を守るよう呼び掛けていた[4]。ロウハニ大統領、ライースィ司法府長官、ラリジャニ国会議長という三権の長も、投票に際して同様の発言をしている[5]。彼らの発言の背景には、アメリカ財務省が2月20日、立候補者の資格審査を実施した監督者評議会の2人、および選挙監視委員会の3人に対し、公正な選挙の実施を妨害したとして経済制裁を科すなど[6]、選挙の正統性に疑義を投げかけたこととも関係している。

 以下では、トランプ政権が非難する監督評議会の資格審査について過去にさかのぼって概観し、ハーメネイ体制の政治基盤について検討する。

憲法改正と監督者評議会の権限の拡大

 監督者評議会の立候補者審査は、単に選挙の公正性に影響を及ぼすだけではない。イスラム体制を維持するために必要不可欠な制度なのである。

 1989年7月、憲法改正が行われ、憲法改正手続177条が新たに加えられた。改正においては最高指導者の勅令が必要であると条文で明記され、さらに現行の政治制度であるイスラム体制の変更が認められない旨が示された[7]。

 その最高指導者の選出は専門家会議が担ってきた。そして監督者評議会は、1990年、専門家会議選挙の立候補者審査権が付与され、翌91年には、国会議員選挙立候補者の資格審査権も持つに至った。

 それでは、憲法改正および監督者評議会の権限の拡大は、どのような目的で実施されたのだろうか。こうした政治制度の改革は、イラン革命の指導者であり大アヤトラ(高位のイスラム法学者)であったホメイニ師の死亡(1989年6月)にともない、後継者に就任したハーメネイ師の資格問題や戦後復興政策の対立によって体制内の権力闘争が激しくなり、革命により樹立されたヴェラーヤテ・ファギーフ体制(イスラム法学者による統治)が揺らいだことが背景にある。その揺らぎを止めたのが、1989年7月28日に実施された憲法改正の国民投票および第5期大統領選挙である。その結果、憲法改正が承認され、ラフサンジャニ氏が大統領に当選し、ポスト・ホメイニ体制が確立した。

 権力闘争では、ハーメネイ勢力(保守派)とラフサンジャニ勢力(現実派)がまとまり、革命の輸出、私有財産の制限、農地改革を掲げるムサヴィ前首相やモフタシャミ前内相勢力(急進派)の排除が進められた。そして1990年10月の専門家会議選挙では、監督者評議会による資格審査で43%が不適格となり[8]、急進派の勢力は衰退した。

 このように、憲法改正と監督者評議会の権限拡大は、宗教的権威の裏付けが乏しい最高指導者ハーメネイ師にとって、政敵を押さえて政治権力を高める上で必要だったのである。

保守派と改革派の路線対立

 ラフサンジャニ大統領は、戦後復興政策として、①産業の民営化、②先進工業諸国との関係改善、③復興を阻害する制約の除去などの目標を打ち出し、経済開発計画を推進した。しかし、輸入依存体質からの脱却や人口増大対策などの構造改革が進まず、イラン経済は厳しい状況が続いていた。このため、1992年4月にシーラーズで民衆の抗議運動が起き、その後もしばしば地方都市で抗議運動が発生した。

 一方、この時期、イラン社会では、女性のヴェール未着用をはじめイスラム軽視の社会風潮が広がっており、体制内では保守派から改革派への批判が高まった。その中で、1997年5月には、自由化を求める青年層や女性の支持を集め、改革勢力のハタミ氏が大統領に当選した。こうした政治的自由を求める民衆運動の高まりは、ヴェラーヤテ・ファギーフ体制を揺るがす第2の波となった。これに対し、保守派は、政治的自由を主張する政治家への圧力や学生運動の取り締まりを強化した。

 しかし、2000年に第6期国会議員選挙では、改革派が290議席中200議席を確保した。さらに、翌2001年6月の大統領選挙ではハタミ氏が再選を果たした。その後の第7期国会議員選挙(2004年)では、監督者評議会は資格審査で8157人の届出者のうち3605人(44.19%)を不適格者とした[9]。その中には現職の改革派議員83人も含まれていた。選挙の結果、国会で保守派は勢力を回復したが、投票率は50.6%と国会選挙として最低を記録した。

 このようにして、ハーメネイ体制とそれを支える保守派は、国会議員選挙でも監督者評議会の資格審査を活用し、体制を脅かす動きの封じ込めを図った。

ハーメネイ体制の今後

 第11期国会議員選挙は、第7期選挙を彷彿とさせるものであった。しかし今回は、民衆はすでに選挙に対する不満を表明していることに加え、長期的経済の低迷で生活は困窮し、医薬品不足の中、新型コロナウィルス拡散への不安も積もっている。そうした潜在要因が存在する状況では、何らかの引き金要因で、民衆の抗議活動が頻発し続けるだろう。その民衆運動が1997年にハタミ大統領を誕生させたように、次期大統領選挙でイランの政治・社会が自由化へと1歩踏み出す結果が生まれる可能性もある。その一方、ハーメネイ体制と保守派勢力が民衆の抗議活動を止めようとすれば、かえって体制の揺らぎは大きくなるのではないか。

(2020/3/11)

脚注

  1. 1 監督者評議会は、国会で可決された法案がイスラム法に抵触しているか否かを審議する権限に加え、専門家会議のメンバー、国会議員、大統領の各選挙に関し、候補者の資格審査を行う権限を有している。同評議会の構成員は、最高指導者が任命する6人と司法権長が推薦し国会が承認した法曹家6人からなる。任期は6年。
  2. 2 “Over 42% of eligible voters took part in parliamentary elections: Interior minister”Press TV, February 23, 2020.
  3. 3 “Iran votes in general election marred by disqualifications”, AFP, 21, February, 2020.
  4. 4 Parisa Hafezi, “Khamenei says voting in Iran's election 'a religious duty'”, Reuters, February 18, 2020.
  5. 5 「イランの三権の長が投票」Pars Today, 2月 21、2020.
  6. 6 Daphne Psaledakis, Humeyra Pamuk, “U.S. blacklists five Iranian officials for impeding 'fair' elections”, Reuters, February 21, 2020.
  7. 7 吉村慎太郎『イラン・イスラーム体制とは何か ―革命・戦争・改革の歴史から』、2005、書肆心水、230-240頁。
  8. 8 貫井万里「イラン内政の現状分析と課題――ロウハーニー新政権の成立を軸に」国際問題研究所『平成25年度外務省外交・安全保障調査研究事業 総合事業 グローバル戦略課題としての中東――2030年の見通しと対応』、2014年3月、24頁。
  9. 9 吉村慎太郎『イラン・イスラーム体制とは何か ―革命・戦争・改革の歴史から』289頁。