イラクの反政府デモは、10月1日に首都バグダードや南部地域で発生し、一時鎮静化したものの同月25日に再び活発化し、全国的な広がりをみせている。その責任をとるかたちで、10月29日、アブドゥルマフディ首相が辞意を表明し、12月1日に議会で承認された。議会は憲法に基づいて、サレハ大統領が次期首相の指名を行えるように候補者を調整しているが、国内勢力の利害対立から難航している[1]。

 当初、デモ抗議者の政府への要求は、失業の解消、インフラの整備、公共サービスの改善であった。しかしながら、運動の広がりとともに、中央と地方における腐敗した政治家と役人の退陣など、抗議運動の要求は政治構造改革に及ぶようになった。また、11月3日にデモへの参加者がシーア派の聖地のカルバラで、11月27日および12月1日にはナジャフでイラン領事館を襲撃するなど反イラン色が強まっている[2]。

 本稿では、こうしたイラクの抗議運動が政治構造改革に結びつくかについて検討する。 2003年以降、イラク戦争後の米国の占領下で急速に民主化が進められたイラクでは、各種の制度が構築された。その過程では、復興期の勢力均衡を図るため宗派、民族による政治的セクト主義が志向された[3]。

 今回の民衆の抗議運動は、このシステムの変革を促す方向性を示している。しかし、レバノンで10月19日より続く「宗派主義制度」[4]への抗議運動に、既存の政治家たちが改革案を提示できないように、イラクでも既得権益者を改革に同意させることは厳しいといえよう。

首相を辞任に追い込んだイラクの抗議運動の行方

復興プロセスで生まれた政治的セクト主義

 サッダーム・フセイン大統領時代のイラクでは、同大統領に権限を集中させ、重要ポストに親族や地縁者(出生地ティクリートの出身者)を登用し、バアス党と軍を効果的に用いた統治体制が構築されていた。また、宗教的には少数派のスンニー派に属していた同大統領は、石油からの富をシーア派の有力者や部族長に分配することで、彼らを体制下に取り込んでいた。

 フセイン体制はイラク戦争により崩壊し、2003年4月からイラクの占領統治を行った連合国暫定当局(Coalition Provisional Authority :CPA)は、①バアス党員の公職追放、②軍、警察、バアス党の下での治安組織の解体を実施した[5]。このため、イラクの新統治体制は人材難の中でスタートせねばならず、フセイン政権時に国外に亡命していた人物たちが要職に就くことになった。

復興プロセスで生まれた政治的セクト主義

 現在に続くイラクの政治的セクト主義は、このような状況のもと、イラク人の統治への関与の仕組みとしてCPAにより設置された構成員25名からなる「統治評議会」から始まっている[6]。CPAのブレマー行政官は、同評議会の構成員を民族や宗派の人口比によって選定する制度設計を行った。これがきっかけとなり、イラク社会では、宗派や民族への帰属意識にもとづく政治対立が生まれた。その対立は、2004年6月にイラクが主権を回復して以降に実施された複数政党による制憲議会選挙(2005年1月)、憲法草案の国民投票(同年10月)、第1回国民議会選挙(同年12月)の過程で激化した。こうして宗派や民族にもとづく社会集団が政治勢力として固定化し、イラク社会は分極化していった。

 一方で、社会統合が難しい状況において復興を進めるには、集団間の合意形成を図る必要がある。このため、政治的に、閣僚ポストは国民議会の議席の割合を、公務員人事や軍のポストは人口比に対して偏りが出ないよう配分がなされてきた。一方、そのことで、社会において不公平な富の分配、縁故主義、賄賂などが横行してきた。今回の民衆の抗議運動は、こうした不正・不公正の是正、さらには政治的セクト主義の改革を政府に迫るものである。

政治改革の困難さ

 イラクの政治改革にはいくつもの難問があるが、ここでは主な3つの問題点を挙げておこう。第1は、憲法上、県レベルで住民の過半数の賛成があれば自治区を形成することが可能なことである。この制度によって、イラクでは北部3県によるクルド自治区が誕生した[7]。それは、民主化の観点からは歓迎されるべきことではあるが、少数派の政治的発言力が強まったことで国家としての意思決定を難しくした。

 第2も、意思決定に関わることであるが、サッダーム・フセインのような国家統合を図れるような人物が現在のイラクには存在しないことである。多数派であるシーア派の宗教界には、イラクの5つの聖廟の管理者として影響力を持つ大アヤトラのシスターニ師が存在し、今回の民衆の抗議運動を擁護する発言を行っている[8]。しかし、イラクには同師の他に3人の大アヤトラがいるなど、絶対的な権威者とまでは言えない[9]。また、シスターニ師はイランの故ホメイニ師のようにイスラム法学者による統治を提唱していないため、統治に関わることはない。

 第3は、外国勢力の関与である。現在も約2000人の部隊の駐留を続けているアメリカは、イラク当局に対し早期の選挙と選挙制度改革の実施を要請し、デモ隊側に数百人もの死者を出した治安部隊による暴力を終わらせるよう呼び掛けた。[10]。また、11月23日にはペンス副大統領がクルド自治区を訪問し、自治政府のバルザニ議長に米国への協力に対する感謝と、今後も米国がクルド人を支援するというメッセージを伝えている[11]。一方、イランは同国への亡命経験者の人的ネットワークを通して影響力を行使している。とりわけ、議会の第2会派である征服連合を率いるハディ・アル・アミリ氏との結びつきが強いとされている[12]。例えば、新政権の樹立に向けて、イランの革命防衛隊の精鋭コッズ部隊のスレイマニ司令官がイラクを訪問し、政府関係者と協議を重ねている[13]。その協議者の中には、イラク最大の議会会派サーイルーン(変革への行進)を率いているムクタダ・サドル師もいる。一方、アメリカ財務省は12月6日、イラクの抗議デモでの人権侵害を理由に、3人の民兵組織幹部に経済制裁をかけた。このアメリカの対応にはイラクへのイランの関与を阻止する狙いもある[14]。アメリカとイランの対立がイラク情勢を一層不安定なものにする可能性も生まれている。

政治改革の困難さ

 以上でみたように、イラクの民衆が求めている現行の政治的セクト主義の改革は難しいといえる。したがって、新首相が選出され、早期総選挙が実施されたとしても、イラク戦争後に形成された宗派・民族・部族による社会の分断化の解消には至らない可能性が大きい。この分断が続く限り、外国勢力の干渉も減少しない。そのことで、クルド自治区の独立やスンニー派の自治の要求が高まり、イラクの国家統合はより難しくなると考えられる。

(2019/12/13)

脚注

  1. 1 “Iraq unrest: Parliament approves PM Abdul Mahdi's resignation,” BBC, 1 December 2019.
  2. 2 “Iraq unrest: Protesters set fire to Iranian consulate in Najaf,” BBC, 28 November 2019.
  3. 3 この政治システムについて、吉岡明子は「多極共存型民主主義」という用語を用いて詳述している。吉岡明子「イラク―統治体制をめぐる迷路」松尾昌樹・岡野内正・吉川卓郎編著『中東の新たな秩序』、ミネルヴァ書房、2016年、254頁。
  4. 4 レバノンの宗派主義制度とは、公認された宗派の人口比に従って公的ポストを配分する制度をいう。詳細は、青山弘之「レバノンの政治制度、政治体制、政治構造-第二共和政を中心に」佐藤章編『新興民主主義国における政党調査研究報告書-地域横断的研究 調査報告書』、ジェトロ アジア経済研究所、23頁、2008年3月 https://www.ide.go.jp/library/Japanese/published/download/report/pdf/2007_04_15_01.pdfを参照。
  5. 5 この措置により60万を超える人びとが職を失ったとされる。
  6. 6 山尾大「マーリキ―政権の光と影―イラク戦争から「イスラーム国」の進撃まで」吉岡明子、山尾大編『「イスラーム国」の脅威とイラク』、岩波書店、2014年、28頁。
  7. 7 吉岡明子、「イラク―統治体制をめぐる迷路」255頁。
  8. 8 シスターニ師派党派対立に巻き込まれないよう慎重な発言を続けているが、11月11日に国連イラク支援団のジャニン・ヘニス・プラスハルト代表との会談で、当事者が改革できないなら代替経路を検討すべきとの考えを示している。Harith Hasan, “The Subtle Power of Sistani,” Carnegie Middle East Center, November 14, 2019.
  9. 9 その他の3人は、シスターニ師の後任と目されているムハンマド・サイード・アル・ハーキム師(アラブ人)、ムハンマド・イサク・アル・ファイヤド師(アフガン人)、バシー・アル・ナジャフィ師(パキスタン人)。Harith Hasan, “Religious Authority and the Politics of Islamic Endowments in Iraq,” Carnegie Middle East Center, March 29, 2019.
  10. 10 “Statement from the Press Secretary,” The White House, November 10, 2019.
  11. 11 Jeff Mason“On Iraq visit, Pence reassures Kurds and discusses protests with prime minister,” Reuters, November 23, 2019.
  12. 12 ハディ・アミリ氏の征服連合は、シーア派の法治国家連合から分離した政党で、支持基盤は元シーア派民兵などである。同氏は人民動員部隊に含まれる親イランのバドル機構の司令官も務めている。
  13. 13 “Iranian general Qassem Soleimani visits Baghdad as Iraq PM resigns: Sources,” Al Arabiya, November 30, 2019.
  14. 14 John Davison and Daphne Psaledakis, “Washington blacklists Iran-backed Iraqi militia leaders over protests,” Reuters, December 7, 2019.