10月17日、フリージャーナリストの安田純平さんが3年4カ月にわたるシリアでの拘束から解放されたもようとの報道が流れ、同月25日、無事帰国に至った。このことで、シリア情勢は再び日本のメディアでも注目されるようになった。そこで本稿では、シリア内戦開始以降、約562万8000人の難民と、およそ660万人の国内避難民を出しているシリアの現状と今後についてとりあげる。[1]ここでの問いは、(1)シリア情勢は、国際社会にどのようなリスクをもたらしているのか、(2)シリアの和平プロセスの進展をどのようにはかるべきかの2点である。

 結論から先に述べれば、(1)については、今後のシリア情勢いかんでは、国際社会にリスクの連鎖をもたらすイスラエルとイランの軍事衝突やクルド民族運動の過激化が起きる可能性がある。(2)については、10月27日にイスタンブールで開催された、シリア問題に関するロシア、ドイツ、フランス、トルコ4カ国首脳会議は和平への一つの可能性を示した。この4カ国が国連と連携し、コーディネーターとしての役割を果たせれば、先に挙げたリスクの低下が期待できる。

国境を越える影響

 シリア内戦の国際社会への影響としては、①シリア領内におけるイランの拠点の存在とそこからのイスラエルに対する軍事行動、②北東シリアでのクルド民族国家樹立の動き、③「イスラム国」(IS)の活動、④周辺国およびEUへのシリア難民の流入が挙げられる。

 この中で④の難民問題は、シリアでの戦闘が鎮静化しつつあることから、郷土への帰還が進んでいる。③のIS問題については、8月13日の国連の報告では2~3万人の戦闘員がイラクとシリアに存在するとされている。[2]しかし、9月11日からシリア北部で、米軍主導の有志連合の支援を受けたシリア民主軍によるテロ駆逐作戦などが展開されるなかで、ISの弱体化が進んでいる。その一方、①と②の問題はより深刻である。

イスラエルによるイラン脅威論

  イスラエルのネタニヤフ政権は、イランによる安全保障への脅威を声高に国際社会に訴え続けている。イスラエルが問題視しているのは、シリア領内からのイランの革命防衛隊とシーア派民兵による軍事行動だけではない。イランとともに「反イスラエル戦線」の一翼を担うレバノンのヒズボラおよび、パレスチナのハマスとイスラム聖戦機構もイランに支援されて動いており、それらがシリア情勢と絡んでいるとして非難している。例えば、10月26日にイスラム聖戦機構がガザ地区からイスラエルに向けて発射したロケット弾はシリアから運ばれたものであり、イスラエルはシリア政府とイランの革命防衛隊に責任があるとしている。[3]

 

また、イスラエルはしばしばシリア領内への軍事作戦を実施している。9月17日の北部ラタキアへのイスラエル空軍機によるミサイル攻撃では、シリア軍によるロシア軍機撃墜(乗員14人が死亡)という誤射事件が起こった。この事件を受け、ロシアがシリアに防空ミサイルシステムS300(3基およびミサイル100発)を無償供与した。そのことで、イスラエルのシリア領に対する軍事行動は制約されることになったと考えられる。このことはイスラエルにとって、シリア領内からの攻撃や、ヒズボラ、ハマス、イスラム聖戦機構にシリアから武器が流れるリスクが高まったことを意味する。これに対応するため、イスラエルはさらに国際社会を巻き込んでイランに対する圧力を強めていくだろう。

シリアのクルド問題

 

クルド問題には、トルコの動きが大きくかかわる。それというのも、トルコの反体制派組織のひとつであるクルド労働者党(PKK)がシリア領内の北東部に拠点を置き、シリアのクルド人を中心とする人民防衛隊(YPG)と深く結びついているからである。

 10月15日、シリアのムアッリム外務在外居住者大臣兼副首相が、同国を訪問したイラクのジャアファリ外相との共同記者会見で、いかなる連邦制も受け入れず、イドリブ県の解放後はユーフラテス川東岸の統治を進めると述べた。また、トルコ軍のシリア領への侵攻を非難した。[4]そのトルコは、10月17日、エルドアン大統領が同国を訪問したポンペオ国務長官と会談し、アメリカがアレッポ県のマンビジ市一帯からYPGを排除しない場合は自力で行動する旨を伝えている。[5]

 一方トランプ政権は、シリアとトルコからの圧力を受けているYPGに対する武器支援の継続とともに、YPGの政治母体である「シリア民主評議会」を国連が進める憲法委員会に参加させようとしている。こうしたアメリカによるYPG支援の目的は、ISを完全に敗北させるとともに、イランとシーア派民兵をシリアから排除させることにある。[6]したがって、アメリカは今後もシリアのクルド勢力を支援し続けると考えられる。

 他方で、クルド民族の分離独立の動きは、クルド自治区の住民投票が実施されたイラクだけでなく、トルコやイランでも活発化している。クルド勢力は1枚岩ではないが、仮にイラクとシリアのクルド勢力が国境を越えた広域連合を目指す方向に動けば、国際社会は再び「未承認国家」にどのように向き合うかが問われることになる。

モザイク国家シリアと国家統合

 ISが登場して以降、シリアは、テロとの戦いを名目に外部勢力の軍事介入の舞台となった。そして、ISが衰退した現在のシリアでは、①反体制派の処遇、②イラン問題、③クルド問題に関する関係国の利害対立が前面に押し出されてきている。

 シリアの国民的対話プロセスを通して政治解決をはかる動きは、2012年6月のジュネーブ・プロセスの合意からはじまっていた。このプロセスにはコフィ・アナン、アブダル・ブラヒミなど国連を代表する要人が、特別代表としてかかわってきたが、進展をみなかった。そして、2014年7月に就任したデミストラ特別代表も、11月をもって退任する。この行き詰まりの原因の一つは、和平プロセスに必要な政治、経済、治安の3分野のバランスにおいて、政治分野を優先させて動かそうとしてきたことにあると考えられる。それは、宗教、民族のモザイク国家であるシリアでは、憲法制定や議会選挙の日程作成などの政治的合意がない状況で非武装地帯の設置という部分停戦が進むと、対立が固定化されシリアという国家が分裂することが懸念されたためである。しかし、その政治プロセスは協議の参加者の選定や議題という出発点から難航し、解決を見いだせないまま今日に至っている。

非武装地帯の設置

 そのなか、2015年9月にアサド政権の要請で軍事介入したロシアの提案で、2017年1月にカザフスタンの首都アスタナでシリア和平会議が開催された。同会議では、部分停戦を実施する方式がロシア、トルコ、イランにより合意され、非武装地帯の形成が動きはじめた。部分停戦で注目されるのは、ヨルダンとも国境を接するシリア南西部と、YPGが勢力拡大を図っている北東部である。両地域ともアメリカの関与が深く、停戦合意が成立してもアサド政権の再統治は難しい状況にある。

 非武装地帯の進展は、2018年9月7日にテヘランで開催されたイラン、ロシア、トルコの3カ国首脳会でみられた。同会議の最終声明には、①シリアの独立、②主権の維持、③領土保全、④軍事的解決の否定が盛り込まれた。[7]そして同月17日にはロシアのソチでロシアとトルコの首脳会談がもたれ、シリアの反体制派が立てこもるイドリブ県で10月15日までに非武装地帯を設置することが合意された。[8]このソチ合意に沿って、重火器の武装解除がほぼ実現し、非武装地帯が予定通りに設置されたが、戦闘意志を有するイスラム過激派グループは現在も同地域内に残っている。こうしたソチ合意について、アサド政権は、これは一時的な措置であり、イドリブ県も政府の統治がおよぶシリア国家の一部であるとの見解を示している。[9]

 現在、シリアの分裂を避けつつ、このイドリブでの停戦をシリア内戦の終焉に結びつける方法が模索されている。10月22日にはモスクワでロシア、トルコ、イランの外務副大臣レベルの会議が開催され、同月27日にはイスタンブールでトルコ、ロシア、ドイツ、フランスの首脳会談がもたれた。この4首脳会談では、①シリアの領土の統一、②主権の維持、③難民の帰還の促進、④憲法委員会の年度内の設置などが合意された。[10]

 この合意のなかで注目されるのは、憲法委員会のメンバー案をロシア、トルコ、イランが作成し国連に提示することになった点である。これまで、同委員会のメンバー案はデミストラ・シリア問題担当国連特別代表が3度提示し、シリア政府から拒否されてきた。仮に、3カ国が提示する150人の委員リストで各国の合意が得られれば、その中から15人の新憲法草案の起草者が選ばれることになる。この憲法委員会設立による政治プロセスと、トルコ、ロシア、フランス、ドイツによる武力衝突回避の働きかけがうまく噛み合えば、シリアの分裂は回避され、全面停戦の道が見えてくる。そのことで、イスラエル・イランの軍事衝突、クルド独立の過激的な動きも低下すると考えられる。その意味で、4カ国首脳会議への米国の反応が注目される。

 (2018/11/07)