バイデン政権の対パレスチナ支援再開

 1月26日、リチャード・ミルズ・アメリカ国連代理大使は、中東に関する国連安全保障理事会において、パレスチナとの関係を回復し、人道開発援助を再開する旨述べた[1]。

 また、バイデン政権に多くの人材を送り込んでいるワシントンのシンクタンク、新アメリカ安全保障センター所長(CEO)のリチャード・フォンテーンは、2月8日付フォーリンアフェーアーズ・オンライン版で、国際問題の「解決よりも管理」を行うべきとし、中東和平、就中、イスラエル・パレスチナ和平については、和平の望みは捨てないが、和平が可能となる両者の一致した利益が生まれるまで漸進主義(incrementalism)受け入れ、問題を管理していくべきと述べている[2]。

 昨年12月の本サイトへの寄稿「トランプ後の中東和平-イスラエルの生存権確保の今後」[3]において、私は、「バイデン・アメリカ次期大統領を取り巻く中東情勢は、一筋縄ではいかないものになって」おり、アメリカであっても中東和平を進めることは困難であり、そのような中、日本は、「平和と繁栄の回廊構想を静かにかつ着実に実行」し、パレスチナ人の社会経済能力を向上させるべき、と主張した。これは、上記フォンテーン氏の主張と軌を一にするものと思われる。アメリカがパレスチナへの人道・開発支援を再開し、そのやり方が、イスラエル、パレスチナ双方の利益にかなう形で進めて行くというものであれば、和平を下支えする環境を創っていくことになる。また、湾岸戦争後に開始された中東和平交渉の際のように、アメリカが主導して日本を含む民主主義諸国が一致してイスラエル・アラブ間の信頼醸成に努めることになれば、中東和平を支える基礎を強化することになる。日本の平和と繁栄の回廊構想は、このような動きが生まれれば、すぐにも呼応でき、「静かに」ではなくとも着実に実行していくことができるであろう。

ワクチン接種と仲介者としてのアメリカ

 バイデン政権の人道開発支援は、そのスタートにおいて、今最も深刻と考えられる新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の世界的広がりの文脈で考えるのが、直接・間接の当事者、更には民主主義各国に受け入れられ易く、かつ訴えの効果が高いと考えられる。

 現在、中東地域では、人道的観点から見過ごせない状況が生まれている。昨年外交関係を樹立したイスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)が、住民のワクチン接種率、世界1,2位[4]であるのに対し、イスラエルの占領下にあるパレスチナ自治区は、イスラエルが併合を宣言した東エルサレム以外、ワクチン接種は行なわれていない[5]、と言われている。

 ワクチンを共同購入し途上国などに分配する国際的な枠組みであるCOVAX(COVID-19 Vaccines Global Access)[6]は、各途上国・地域の人口の20%をカバーするべくワクチンを供給する計画であり、これはパレスチナ地域にも適用される。本年2月23日に開催されたパレスチナ自治を支援する国際的枠組みであるAHLC(Ad Hoc Liaison Committee)[7]でウェネスランド国連パレスチナ問題特別調整官は、短期的にパレスチナの人道・開発上の状況改善改善の最も効果的な方法は、可及的速やかかつ安全にワクチン接種を進めることであり、全ての利用可能な能力をこの感染症との戦いに動員・調整すべきだとした[8]。

 今次AHLC会議に出席した外務省関係者によると、COVAXがパレスチナ人口の20%分、ロシアのスプートニクが400万回分、アストラゼネカが200万回分、中国のシノファームが10万回分をパレスチナに供給することを表明している。人口約500万人のパレスチナ自治区の住民をほぼカバーすることのできる量のワクチンである。一方で、アメリカは、2月最大40億ドル(約4200億円)をCOVAXに拠出すると発表している[9]。

 フォンテーン氏は上記論考の中で、バイデン政権は、トランプ政権に援助を切られ、イスラエルのワクチン接種からも除外されているパレスチナ人の日常生活の改善に、焦点をおき、パレスチナの民主主義諸機関を深化拡大させ、アブラハム合意[10]を拡充し得る、としている。再開するアメリカのパレスチナ支援に方向性を与える示唆である。

 アブラハム合意の1つであるイスラエル・UAE間の協定[11]を見れば、パレスチナは、the Israeli-Palestinian conflictという文言で前文において言及されているのみである。しかし、この合意で、イスラエルとUAEは、中東における和平、安定、繁栄の大義を前進させ、15の分野での二国間協定を結ぶとしている。この15の分野の1つとして挙げられているのが、医療分野であり、同合意付属においては、医療分野の各種協力に加えて、緊急時対応と準備も記されている。

 AHLCで、イスラエルは、同国保健省とパレスチナ自治政府保険庁との間の協力を強調し、2000回分のワクチン供与することを述べた[12]とのことである。また、イスラエル国内のパレスチナ人労働者へのワクチン接種を3月8日に開始し、同月18日までに10万人以上に接種したとの由[13]である。

 イスラエル及びUAEは、両国のアブラハム合意に基づき、人道的観点からパレスチナ自治区住民へのワクチン供与・接種に協力することができる。アブラハム合意運動の主宰者であり、両国合意の仲介者であるアメリカは、この点を指摘し、両国にパレスチナ人へのワクチン接種を働きかけることは可能である。

 イスラエルの立場からすれば、自国と国境を接し、更に大部分のパレスチナ自治区の行政と治安を担い多くのイスラエル人を配置しており、ワクチンを同自治区住民に接種することは、同国の防疫及び人道支援を行なっているという観点から、利益こそあれ、何ら不利益になることはない。また、UAEの立場からしても、イスラエル・パレスチナ和平の環境醸成のため、アラブの同胞としてワクチン接種に協力するという大義名分も得られる。

 アメリカは、パレスチナ支援の再開とCOVAXへの貢献を表明しているが、まだ対パレスチナ政策は具体化していない。しかし、上記のように国際的な対パレスチナワクチン支援の動きが高まっていること及びアブラハム合意下のイスラエル・UAEの状況を踏まえれば、機は熟していると考えられる。アメリカが、漸進主義的支援をより明確にし、民主主義各国、国際機関、更には関係NGOなどに伝え連帯と連携を行うとともに、アブラハム合意の主宰者として、イスラエル、UAEにこの連携に参加することを促していけば、対パレスチナワクチン接種への国際的関心が高まり、次のステップ、社会経済状況の改善に向けての国際的協力の環境が醸成される。対パレスチナワクチン接種支援にアメリカが明確なメッセージを送ることが期待される。

結びにかえて

 もし、パレスチナ自治区の住民へのワクチン接種が進み、人道分野において信頼醸成が進み、連帯と連携関係が築かれれば、フォンティーン氏の論ずる漸進主義的アプローチの一つの成果となる。この成果は、国連パレスチナ問題特別調整官がAHLCで述べている[14]、社会的保護プログラム、インフラプロジェクト、経済開発の支援に直接つながるだろう。

 中東和平の解決という観点からは、パレスチナ自治区住民へのワクチン接種が直接的にイスラエル・パレスチナ関係好転や和平交渉への動きにつながるとは言えない。しかし、国連パレスチナ問題特別調整官が上記課題に続き述べる[15]、ガザ地区労働者の往来や自治区全体に対する貿易やアクセスの制限の緩和など政治的な課題を取り組んでいく上での環境醸成づくりにはなるはずである。

 人道支援、社会経済開発支援を切れ目なく続けていく最終的な目的は、パレスチナ自治区住民の民生及び経済の向上と、その基盤となるイスラエルとの和平である。それを達成するために日本の平和と繁栄の回廊構想での着実な進展は、大きな貢献となる。日本は、このことを念頭に、JICA研修で育てたパレスチナ人医療関係者らを支援する形でCOVID-19対策を支援するとともに、これまで行ってきたJICA支援の資産を活用し、民生・経済開発支援を積極的に行っていくべきであろう。

(了)

(2021/04/20)

脚注

  1. 1 Ambassador Richard Mills, “Remarks at a UN Security Council Open Debate on the Situation in the Middle East (via VTC),” United States Mission to the United Nations, January 26, 2021.
  2. 2 Richard Fontaine, “The Case Against Foreign Policy Solutionism,” Foreign Affairs, February 8, 2021.
  3. 3 拙稿、「トランプ後の中東和平―イスラエルの生存権確保の今後」『国際情報ネットワーク分析IINA』笹川平和財団、2020年12月24日。
  4. 4 “Cumulative COVID-19 vaccination doses administered per 100 people,” Coronavirus Pandemic Data Explorer, Our World in Data, March 6, 2021.
  5. 5 「イスラエル、人口の半数が新型コロナワクチン1回接種」『ロイター(日本版)』2021年2月26日。
  6. 6 「COVAX(コバックス)とは ワクチン共同購入し分配」『日本経済新聞』2021年2月20日。
  7. 7 AHLCとは、1993年パレスチナ自治を支援する国際的枠組みとして発足した。“AHLC & Socioeconomic Reports,” UNSCO, The Office of the United Nations Special Coordinator for the Middle East Peace Process.
  8. 8 “UN Special Coordinator Wennesland's Remarks to the Meeting of the Ad-Hoc Liaison Committee (AHLC),” UNSCO: The Office of the United Nations Special Coordinator for the Middle East Peace Process, February 23, 2021.
  9. 9 註6に同じ。
  10. 10 “Abraham Accords” U.S. Department of State, Sepember 15, 2020.
  11. 11 “Abraham Accords Peace Agreement: Treaty of Peace, Diplomatic Relations and Full Normalization Between the United Arab Emirates and the State of ISRAEL,” U.S. Department of State, September 15, 2020.
  12. 12 2021年2月23日のAHLC参加の外務省関係者の話。
  13. 13 同上。
  14. 14 同上。
  15. 15 註8に同じ。