アメリカ大統領選挙でバイデン氏がトランプ大統領に勝利し、トランプ政権は退場の見通しとなった。しかし、過去4年間のトランプ大統領の対中東外交は、中東の平和と安定に大きな影響を与えた。特に、中東和平、つまりイスラエルと中東諸国との和平に対しては、エルサレムのイスラエル首都としての承認、イランとの核合意からの離脱と対イラン制裁強化、更には、最近のアラブ首長国連邦(UAE)等4か国のイスラエルとの外交関係樹立など、2国家共存解決に向けて進んできた中東和平の流れを大きく変える可能性を秘めたものになった。

 ここでは、イスラエルの中東における生存権確立努力の中で2国家共存解決に向け進んできた中東和平の流れが、トランプ中東外交とイランの中東和平への実質的介入により変化してきている現状を踏まえ、今後の中東和平の見通しにつき考察していく。

中東和平についての歴史的経緯

 そもそも、中東和平とは、中東地域においてイスラエルという国家をアラブ諸国が承認し、平和な関係を構築できるかという問題である。当初、アラブ諸国は、イスラエルという国家の存在を認めないという立場であった。イギリス委任統治領パレスチナを分割し、イスラエル国家とアラブ国家を創設するとともにエルサレムを国際管理下の都市とするという1947年の国連総会決議181に対して反対の立場であり、翌年のイスラエル独立にあたっては、エジプトを始めとする周辺アラブ諸国がパレスチナに攻め入り第1次中東戦争を引き起こした。イスラエルは、この戦争において欧米諸国の協力と自らの力で独立を守り、その後のイスラエル国家の基盤をつくったが、アラブ諸国に如何に自国を承認させるかが、中東における生存の鍵となった。

 その後の累次の中東戦争を経て、イスラエルは1979年にエジプトと平和条約を締結した。アラブ最大国家がイスラエルの生存を承認したことはイスラエルにとって大きな勝利であった。1991年の湾岸戦争後に始まったアメリカ主導の中東和平交渉に対して、イスラエルは、平和と土地の交換を基本姿勢として参加した。この結果、1993年オスロ合意が結ばれ、敵対してきたPLOにイスラエルを承認させ、更に1994年にヨルダンと平和条約を締結した。オスロ合意では、自治が認められたパレスチナの最終的地位を5年以内に確定することを規定しており、アラブ・パレスチナ国家の樹立が、中東和平の大目標となった。5年以内の最終的地位確定はならなかったが[1]、2002年には、アラブ連盟が、アラブ和平イニシアティブ[2]を提案し、更に2003年に中東和平カルテットによるロードマップ[3]が提示され、イスラエルとパレスチナという2国家共存解決に向けて当事国・当事者及び国際社会が協力していく気運が生まれた。

トランプ外交が残したもの

 冒頭で述べたように、トランプ大統領の対中東外交は、イスラエルの生存権確保に大きく貢献したが、一方で、2国家解決へ向けての流れを大きく変えた。4年間を振り返れば、トランプ外交が中東で行ったことは、対イラン強硬外交のために、アメリカ、イスラエル、サウジアラビア・UAE等湾岸諸国の連合を作り出すということであったし、その結果、中東和平の流れも変わったということもできる。

 トランプ大統領は、2017年12月、エルサレムをイスラエルの首都として承認した[4]。イスラエルは、エルサレムを独立1年後から首都としてきたが、国際社会は承認してこなかった。オスロ合意では、和平交渉によりエルサレムの地位は決定されるとしており、トランプ大統領の決定は、これらの立場から大きく離れるとともに、イスラエルの立場を支援するものとなった。

 2018年5月、トランプ大統領は、イラン核合意からの離脱を発表した[5]。また、対イラン制裁を復活させ、本年になってからは、イランの18の銀行を制裁の対象に加えた[6]。これによりイランは経済的に大きな打撃を受けたが、他方でイラン核合意に反対していたイスラエル及びサウジアラビア等湾岸アラブ諸国を勇気づけた。

 2020年9月、イスラエルは、トランプ大統領の後押しでUAE及びバーレーンとの外交関係を樹立した[7]。また、10月及び12月に、トランプ大統領が、イスラエルとスーダン及びモロッコとの間でそれぞれ国交樹立の合意がなされたことを発表した[8]。UAE及びバーレーンについては、イスラエルとの対イラン協力が、アメリカの仲介により表に出たものであり、また、スーダンにとっては、アメリカのテロ国家指定解除を獲得する上で必要なものであったであろう。更に、モロッコにとってアメリカが西サハラの同国領有権を承認したことは極めて重要である。しかし、イスラエルにとって、自国を承認するアラブ国家が2カ国から6カ国に増大したことは、生存権を確保する上で大きな成果となった。

中東和平のステークスホルダーとしてのイラン

 イランは、そもそも中東和平の当事者ではないが、イスラム革命直後からイスラエル国家の存在を否定してきた。この立場が21世紀に入り変化してきた。同じ立場のレバノンのヒズボラやガザのハマスを支援することを通じて、また、シリア内戦で、直接、間接にイスラエルと戦闘を行うことによって、中東和平のステークホールダーとなった。

  イランの核開発は、イスラエルからすれば、自国の生存を一瞬にして消滅させる能力を、自国の消滅を企図する国家がもとうとしているということであり、座視できない問題である。ここに至り、イスラエルの生存権を脅かすものは、周辺アラブ諸国のみならず、イランも加わった。イランに対しては、シリア内でイラン革命衛隊を空爆し、イラン国内で核開発関係者の暗殺等を繰り返し、最近では、イランの核兵器の父とも称されるファクリザーデ氏を暗殺した[9]。

 また、同様にイランの脅威に悩むサウジアラビアを始めとする湾岸アラブ諸国との協力を行い、その結果として、UAEとバーレーンとの外交関係樹立に行きついた。サウジアラビアとは、外交関係樹立には至っていないし、筆者は外交関係樹立には至らないと考えるが、ネタニヤフ・イスラエル首相がサウジアラビアを密かに訪問したのではないかとの記事[10]が出ることに見られるように、水面下での協力関係は築かれていると考えるべきであろう。

バイデン外交の可能性と日本の外交

 イスラエルは、国際的には仲間や味方を増やし、イランについても核開発能力に打撃を与えてきている。国内的には占領地区の支配を強化している。国内においてはパレスチナ自治区との間に長く高い壁を構築するとともに、フィリピン等非中東諸国からの労働者を増やし労働力のパレスチナ人依存を激減させた。

 他方、パレスチナ側は、西岸ではファタハ、ガザではハマスが支配するという現状が継続しているとともに、パレスチナ自治区内のイスラエル支配の強化と入植地の増加で、結束力と対応力が弱体化している。そのため、イスラエルは、パレスチナ側の現状から同側との和平交渉を行う意思はない。パレスチナ側からの脅威は、たまさかのテロとガザからの攻撃に抑えられている。2国家共存解決は捨てられたわけではないが、イスラエルにとって現状は居心地の良いものとなっており、遠ざかっている。

 このような状況を打開する力があるのは、アメリカであるが、バイデン・アメリカ次期大統領を取り巻く中東情勢は、一筋縄ではいかないものになっている。同次期大統領は、イラン核合意への復帰を考えているようだが[11]、ファクリザーデ暗殺へのイラン側の対応次第では、戦闘の応酬があり、険しいものとなり得るとみられている[12]。また、エルサレムのイスラエル首都承認を取り下げることは国内政治上難しいであろう。更に、UAE、バーレーン、スーダンのイスラエル承認を確実にし、承認国を増やす努力も要請されるであろう。オバマ政権下、バイデン副大統領は、中東和平を担当しながら成果を残しておらず、アラブ諸国、イスラエル双方からの信頼に疑問が残る。

 以上を踏まえれば、イスラエルは、バイデン次期政権からの働きかけがどのようなものであろうと中東和平、特にパレスチナとの交渉に熱心になるとは考えられない。バイデン政権は、まずイランをめぐる現状の中でアメリカの新たな位置を築かなければならない。中東和平は、そのはざまで、イスラエルにとってより都合の良い状況のまま進むと考えられる。

 ここで、日本が行うべきことは、平和と繁栄の回廊構想[13]を静かにかつ着実に実行することである。和平交渉は進められないが、パレスチナ人の社会経済能力を向上させることは可能である。イスラエルが、UAE及びバーレーンと国交を結んだ以上、貿易も盛んになるはずだ。イスラエルの製品や農産物は、両国に販売されるだろうが、サウジアラビアを始めとした他の湾岸諸国には販売できない。しかし、パレスチナの製品や農産物はイスラエルが作ったルートを超えて全中東諸国に販売できる。日本は、パレスチナ製品や農産物の品質向上と市場拡大に大きく寄与できるだろう。その成果が、パレスチナ人の結束を高めるのに寄与するとともに、アメリカを始めとする国際社会に着目され、和平交渉を下支えする可能性が生まれるのではないだろうか。

(了)

(2020/12/24)

脚注

  1. 1 2000年にクリントン・アメリカ大統領の仲介の下、アラファトPLO議長とバラク・イスラエル首相の間で交渉が行われたが、成立しなかった。
  2. 2 イスラエルが、全アラブ占領地からの撤退、パレスチナ難民問題の公正な解決、及び東エルサレムを首都とする主権を有するパレスチナ国家樹立を受けいれれば、イスラエルとの紛争終結・和平合意、及び正常な関係構築を実施する、というもの。詳細については、外務省「よくある質問集 中東」問7。提案内容の全文については、The Arab Peace Initiative, ” The Arab Peace Initiative, 2002”を参照のこと。
  3. 3 カルテット(アメリカ、EU、ロシア、国連の4者)がイスラエルとパレスチナの平和的な二国家共存に向けて、イスラエル側・パレスチナ側の双方が実施すべき措置を段階に分けて行程表の形で整理して発表した文書のこと。外務省「よくある質問集 中東」問6。ロードマップ全文については、“The roadmap,” BBC NEWSを参照のこと。
  4. 4 「トランプ米大統領、エルサレムをイスラエルの首都と承認」BBCニュース、2017年12月7日。
  5. 5 「トランプ大統領、イラン核合意からの離脱を発表 欧州説得実らず」BBCニュース、2018年5月9日。
  6. 6 U.S. Department of the Treasury, “Treasury Sanctions Eighteen Major Iranian Banks,” Press Release, October 8, 2020.
  7. 7 「イスラエル、UAE・バーレーンと国交正常化に署名 トランプ氏が称賛」BBCニュース、2020年9月16日。
  8. 8 「イスラエル・スーダン、国交正常化に合意 米が仲介」『日本経済新聞』、 イスラエル・モロッコ国交、米の見返りで駆け込み合意: 日本経済新聞 2020年10月24日。
  9. 9 “Brazen Killings Expose Iran’s Vulnerabilities as It Struggles to Respond,” The New York Times, November 28, 2020(updated November 28, 2020).
  10. 10 「ネタニヤフ首相がサウジを極秘訪問か イスラエル報道」『日本経済新聞』、2020年11月23日。
  11. 11 David E. Sanger, “Assassination in Iran Threatens Fate of Nuclear Deal,” The New York Times, November 28, 2020.
  12. 12 Ibid.
  13. 13 外務省「平和と繁栄の回廊」。