2024年7月5日、第5回IINA公開フォーラム「混迷する中東情勢とアメリカ」が開催され、(動画のリンクはこちら)筆者は登壇者の1人として「混迷する中東情勢の地政学への影響」と題する報告を行った。本稿ではその内容をもとに、10月7日以降のいわゆるガザ・イスラエル紛争を起点として流動化する中東情勢の地政学的影響を、イスラエル・パレスチナ周辺地域、広域、そしてグローバルという3層に分けて分析する。

ガザ・イスラエル紛争の周辺地域への影響

 ハマースなどによるイスラエル攻撃が発生した10月7日以降(実際にはそれ以前から)、東エルサレムおよびヨルダン川西岸地域ではパレスチナ住民とイスラエル軍の衝突が激化しており、イスラエルによる入植活動や同治安部隊によるパレスチナ住民への人権侵害も拡大している。スモトリッチ財務相とベングビール国家安全保障相を筆頭に、ネタニヤフ政権における右派勢力の影響力が増していることから、この動きは当面継続し、イスラエル・パレスチナ双方の歩み寄りを困難にすると予想される。

 イスラエル北部と国境を接するレバノンでは、シーア派武装勢力ヒズブッラーによるロケット、対戦車砲、迫撃砲などを用いたイスラエル攻撃が激化しており、これに対してイスラエルによるレバノン攻撃も拡大している。下図を見れば明らかな通り、双方による攻撃は国境地帯にとどまらず、レバノン南部、イスラエル北部に広がっている。7月以降は、イスラエルが占拠するシリア領ゴラン高原周辺に対するヒズブッラーの攻撃も頻発しており、戦域が拡大している。

 ネタニヤフ政権は、ガザ地区における軍事作戦に一定の目処がつけば、次の攻撃対象としてヒズブッラーを狙うとの姿勢を示しており、今後のエスカレーションが懸念される[1]。実際に7月30日には、イスラエル軍がレバノンの首都ベイルート郊外を爆撃し、ヒズブッラー幹部を殺害した。ただし後述の通り、7月19日以降にイスラエル軍とイエメンのフーシー派の間での攻撃の応酬が激化しており、この動きがガザ地区やレバノンにおけるイスラエル軍の作戦に与える影響が注視される。

図1:イスラエル・レバノン国境地帯での攻撃と被害状況

出典:Mohammed Hussein, “Mapping 7,400 cross-border attacks between Israel and Lebanon,” Al Jazeera, June 27, 2024.

広域的影響

 ガザ・イスラエル紛争の影響はイスラエル・パレスチナ周辺にとどまらず、より広域に影響をもたらしている(図2)。拙稿でも論じたとおり[2]、イエメンのフーシー派は「パレスチナ支援」を掲げてイスラエル南部に弾道ミサイル攻撃を行ったほか、紅海を航行する船舶へのミサイル攻撃や拿捕を続けている。これに対して、米国主導の連合海上部隊(CMF)、EU海軍部隊(EUNAVFOR)などが紅海・アデン湾で警備・護衛・監視活動を行うほか、米英が個別的自衛権の行使としてフーシー派拠点への攻撃を続けている[3]。

 7月19日、フーシー派がイスラエル・テルアビブ中心部を無人機で攻撃したことを受けて、翌20日にイスラエル軍はイエメン西部ホデイダのフーシー派が支配する石油・ガス輸出施設および同港の石油貯蔵施設を空爆したと発表した。これに対し、フーシー派はイスラエル南部に向けて弾道ミサイルを発射し、イスラエル軍が迎撃したと報じられた。イスラエルとフーシー派による攻撃の応酬が今後どのように展開するか、予断を許さない。

 シリア・イラク周辺ではシーア派武装組織による米軍基地への攻撃が相次いでおり、2024年1月28日にはヨルダン北東部で、イランのものと思われる無人機攻撃により米軍の拠点が攻撃され、米兵3人が死亡、40人以上が負傷した[4]。イランは関与を否定したものの、米軍は報復として、2月2日にイラクとシリアのイラン革命防衛隊および関連組織の拠点を空爆した[5]。以降、しばらく米軍への目立った攻撃は行われなかったものの、7月にはイラクのアイン・アサド米軍基地を標的とした無人機攻撃が報じられた。なお、イラクの武装勢力による米軍への攻撃は、パレスチナとの連帯よりも米軍の排除という目的に基づいて実行されていると指摘される[6]。ただし、親イラン武装組織「イラク・イスラーム抵抗」は、フーシー派との合同作戦によるイスラエルを標的とした攻撃をたびたび実行したと発表しており[7]、イラク国内の勢力間でも温度差がある点には注意が必要である。

図2:紛争当事諸国および紅海周辺地域

出典:Mapchartをもとに著者作成

 イスラエル・イラン間の緊張も高まっている。イスラエルはシリアのイラン関連施設や親イラン民兵組織への攻撃を繰り返しており、2024年2月2日には首都ダマスカスへのミサイル攻撃によってイラン革命防衛隊幹部を殺害した。さらに4月1日、イスラエルはダマスカスにあるイラン大使館領事部を空爆し、同月14日にはイランが報復としてミサイルおよび無人機によってイスラエルを直接攻撃した。ただし攻撃の大部分はイスラエルや米国によって迎撃され、大規模な被害は出なかったとされる。この後、同月19日にイラン中部のイスファハーンで大きな爆発があり、イスラエルによるドローン攻撃と報じられたものの、イラン側は大きな被害は出ていないとして報復せず、事態は一旦沈静化した。

 一連の直接攻撃の応酬は、イスラエル・イラン双方が相手国の本土を攻撃する能力を示して抑止を機能させつつもエスカレーションを避けるための、抑制的かつ計算された措置であったとされる。とはいえ、冒頭紹介したIINA公開フォーラムにおいても田中浩一郎教授が指摘した通り、両国が双方の領土を直接攻撃したことは、今後の攻撃に対する閾値を下げ、将来的な衝突やエスカレーションのリスクを高めたと言える[8]。

 イランはハマース、レバノンのヒズブッラー、イエメンのフーシー派、イラクのシーア派民兵組織など、周辺国の非国家主体を支援しているが、これらの組織は高い戦略的自律性を有しており、イランの完全な指揮統制下にはない。非国家主体がイランの意図や利害と一致しない軍事行動を取り、その結果イランが衝突に引きずり込まれる事態は生じ得る。なお、イランではロウハーニ大統領の事故死を受けて、7月の選挙を経て改革派のペゼシュキアーン元保健相が第14代大統領として選出された。ペゼシュキアーン元新大統領は「(交渉による)制裁解除」を公約に掲げて当選したが、新体制発足後のイランがどのような外交・安全保障政策をとり、ガザ戦争やイスラエルにどのように向き合うか、動向を注視する必要がある。

 イスラエルは10 月7日の攻撃によって破られた抑止の回復を最優先させており、大規模な人道被害を顧みずにガザへの軍事侵攻を継続するほか、イランへの直接攻撃や軍幹部の暗殺に加え、周辺地域での戦闘を拡大させている。この背景には、イランおよび非国家主体による反撃を促し、米国を軍事的に引きずり込むことで、脅威を排除すると同時に広域的な抑止力を高める狙いがあると推測される。しかし、これらのイスラエルによる軍事行動は情勢の予測不可能性を高めており、エスカレーションへのリスクをさらに高めている。

グローバルな地政学的影響

 現時点では、ガザ・イスラエル紛争が国際秩序やグローバルな安全保障構造を根本的に覆したとは言えないものの、地域間の統合や接続性向上に向けた取り組みを停滞させる効果をもたらしたと指摘できる。例えば、イスラエル・インド・米国・アラブ首長国連邦(UAE)による協力枠組みI2U2や、2023年9月のG20サミットで発表された、インドから中東を経由して欧州へ到達する「インド・中東・欧州経済回廊(IMEC)」構想は、ガザ戦争および中東情勢の不安定化によって先送りや修正を余儀なくされるであろう。現在の緊張状態が継続すれば、より広い地勢戦略であるインド太平洋構想・戦略や「一帯一路」構想への影響も増していくものと考えられる。

 また、米国の国防・安全保障戦略にも大きな影響を与えた。米国は、中東における兵力を削減しつつ、サウジアラビア・イスラエルの国交正常化および両国の能力強化によって中東の戦略環境を安定させ、イランを抑止するというオフショア・バランシング戦略を追求してきた。しかし、10月7日以降、イスラエル防衛および抑止力強化を目的として、大規模な部隊を紅海・地中海東部に展開せざるを得なくなった。また、合意間近と言われた米国の仲介によるサウジ・イスラエル間の国交正常化交渉が暗礁に乗り上げたことも、バイデン政権にとっては痛手となった[9]。

 ジェイク・サリバン米大統領補佐官(国家安全保障担当)は2023年9月末に寄稿したフォーリン・アフェアーズ誌の論文「米国の力の根源」において、「今、中東は過去20年で最も平穏」であり、バイデン政権は得られる利益の少ない中東問題や対テロ戦争から手を引き、大国間競争に注力してきたと述べていた[10]。ただし、同補佐官の発言から10日も経たないうちにハマースがイスラエルを攻撃し、その後のイスラエルによるガザ地区への大規模侵攻によって情勢が大きく混乱したことを踏まえれば、バイデン政権は中東地域の不安定化リスクを軽視し過ぎていたと評価せざるを得ない。

 これに対して、第1期トランプ政権期に同じく大統領補佐官を務めたロバート・オブライエンは、2024年6月に「力による平和の復活」と題する論文をフォーリン・アフェアーズ誌に寄稿した[11]。同論文は、中国に対抗するため、米海兵隊を中東・北アフリカ地域から太平洋に再配置し、太平洋地域における米軍基地の防衛能力を強化するために資源を再配分すべきだと主張している。一方で、イランを「中国とロシアと共に、反米独裁国家枢軸の新たな一角となった」「中東における騒乱の真因はイランの神権体制にある」と批判し、イランに対して「最大限の圧力」をかけ、封じ込めることによってイスラエル・パレスチナ問題も解決可能だと述べている。

 イスラエルのネタニヤフ首相は7月下旬、「10月7日」以降初めて米国を訪問し、バイデン大統領、ハリス副大統領、トランプ前大統領と個別に会談したほか、米議会でも演説を行った。ガザ戦争は2024 年米大統領選挙の重要イシューになっており、米国内政と深く絡んでいる以上、バイデン政権にとって取り扱いの難しい問題となっている[12]。

 ガザおよびウクライナにおける2つの戦争の早期収束が困難な中、(アジア太平洋における)第3の戦争の抑止が、バイデン政権のみならず米国の次期政権と、その同盟国にとって極めて重要な課題となるだろう。

おわりに

 ガザ保健省によれば、7月下旬時点でパレスチナ人の死者は3万9千人を超えたとされ、人道状況はますます深刻化している。7月23日、ヨルダン川西岸でのパレスチナ系住民への暴力に関して、日本政府はイスラエル人入植者への経済制裁を決定した[13]。

 本稿執筆中にも情勢は一層流動化している。7月30日にはイスラエル軍がレバノンの首都ベイルート郊外を爆撃し、ヒズブッラー幹部を殺害、さらに31日未明にはテヘランにおいてハマースのハニーヤ政治局長が暗殺され、イスラエルの強い関与が疑われている。イランのハーメネイー最高指導者はイスラエルへの報復を宣言しており[14]、今後のイランおよび「抵抗勢力」の行動によっては、軍事衝突が米国や中東域内諸国を巻き込んで拡大していく可能性も否定できない。

 8月2日、オースティン米国防長官はイスラエル防衛を強化するため、弾道ミサイル防衛能力を持つ巡洋艦と駆逐艦の派遣を命じた[15]。4日にはヒズブッラーがイスラエル北部に数十発のロケット弾による攻撃を行い、この報復としてイスラエル軍はレバノン国内にあるヒズボラの施設などを空爆した。

 広域的かつ重層的な視点に立てば、ガザ・イスラエル紛争は日本にも潜在的に大きな地政学的影響を与えていることが見えてくる。拙稿において論じたエネルギー供給途絶や紅海周辺の航路の不安定化にとどまらず、米国がガザ・イスラエル紛争に一層引きずり込まれることは、同国の外交・安全保障戦略にも大きな影響を与えるだろう。日本としては、中東域内の複雑な政治・安全保障ダイナミクスを理解した上で、緊張緩和やエスカレーション防止に向けて関係諸国・アクターに関与することが求められる。

(2024/08/07)

脚注

  1. 1 Lauren Izso and Mohammed Tawfeeq, “‘Intense phase of war with Hamas about to end,’ focus to shift to Lebanon border, Netanyahu says,” CNN, June 24, 2024.
  2. 2 拙稿「ガザ情勢が及ぼすエネルギー供給への地政学的影響 ―中東のエスカレーション・リスクと紅海地域の不安定化」国際情報ネットワーク分析 IINA、2024年4月。
  3. 3 中村進「ウクライナとガザにも繋がる第三の戦場-紅海・アデン湾――商船攻撃を続けるフーシ派 vs 商船保護作戦で対抗する諸外国海軍部隊」国際情報ネットワーク分析IINA、2024年6月19日。
  4. 4 C. Todd Lopez, “3 U.S. Service Members Killed, Others Injured in Jordan Following Drone Attack,” DOD News, U.S. Department of Defense, January 29, 2024.
  5. 5 Joseph Clark, “U.S. Strikes Targets in Iraq and Syria in Response to Deadly Drone Attack,” DOD News, U.S. Department of Defense, February 2, 2024.
  6. 6 吉岡明子「ガザ戦争と「抵抗の枢軸」が揺るがすイラクの安全保障環境-米軍駐留問題に与える影響を中心に-」『中東動向分析』Vol. 23, No. 3、1-12頁、2024年6月21日。
  7. 7 ただし、攻撃やフーシー派との連携に関する実態は不明である。
  8. 8 この点については、以下も参照。NHK「イラン イスラエルに無人機やミサイルで大規模攻撃」2024年4月14日。
  9. 9 他方で、サウジ・イスラエル間の国交正常化交渉は白紙撤回となったわけではない。サウジにとって、イスラエルとの国交正常化の見返りとして求めてきたとされる米国との防衛協定、原子力協力、さらなる武器購入などは極めて重要であり、国内で反イスラエル感情が高まったとしても捨て切れるものではないだろう。
  10. 10 Katie Rogers, “Jake Sullivan’s‘ Quieter’ Middle East Comments Did Not Age Well,” The New York Times, October 26, 2023.
  11. 11 Robert C. O’Brien, “The Return of Peace Through Strength,” Foreign Affairs, June 18, 2024.
  12. 12 Ellen Knickmeyer, Ashraf Khalil, and Farnoush Amiri, “Netanyahu is in Washington at a fraught time for Israel and the US. What to know about his visit,” AP, July 24, 2024.
  13. 13 外務省「報道発表:暴力的行為に関与するイスラエルの入植者に対する資産凍結等の措置について」2024年7月23日。
  14. 14 “Iran’s Khamenei vows ‘harsh punishment’ for Israel after Haniyeh killing,” Al Jazeera, July 31, 2024,
  15. 15 U.S. Department of Defense, Deputy Pentagon Press Secretary Sabrina Singh Statement on Force Posture in the Middle East, August. 2, 2024.