インド太平洋地域のディスインフォメーション研究シリーズ掲載のお知らせ
この度、IINA(国際情報ネットワーク分析)では、笹川平和財団プロジェクト「インド太平洋地域の偽情報研究会」(2021年度~)において同地域のディスインフォメーション情勢について進めてきた調査研究と議論の成果を「インド太平洋地域のディスインフォメーション研究シリーズ」として連載いたします。IINA読者のご理解のお役にたてば幸甚です。
3.国際社会における評価
ところで、このようなディスインフォメーション対策の特質は、国際社会ではどのように評価されているのであろうか。
ディスインフォメーションが民主主義の基礎である自由な世論の形成、選挙を通じた世論(民意)の政治への反映という過程を毀損し、政治や政治家・政党への信頼を低下させて民主主義自体を脅かしているということについては、多言を要しないであろう。
他方で、前述したように、インド太平洋地域諸国におけるディスインフォメーション対策は、欧米を中心とした先進民主主義国家におけるディスインフォメーション対策とはかなり様相を異にする。ディスインフォメーション対策が表現の自由や知る権利などの民主主義を構成する主要な権利をかえって抑圧する恐れがあることに対して、特に民主主義を守るという観点からディスインフォメーション対策を進めてきた欧米は、どのように反応しているのであろうか。
ディスインフォメーション対策のあり方に関するアジア太平洋諸国と欧米諸国との認識の相違が表面化した一例は、2021年の第76回国連総会において採択された「人権と基本的自由の促進と保護のためのディスインフォメーションへの対応」決議の審議過程であろう。
この決議は、総会における採択に先立ち、まず社会開発や人権問題を取り扱う第3委員会において2021年11月110日にディスインフォメーションに関する決議案(アジェンダ項目(74b))[1]として採択された。
同決議案は「人権の促進と保護:人権の効果的な享受を改善するための代替的なアプローチを含む人権問題と基本的自由」と名付けられ、さまざまな問題を含んでいるが、その一環として「人権と基本的自由の促進と保護のためのディスインフォメーションへの対応」と題する決議が行われたものである。
同決議案は、ディスインフォメーションの急速な普及と拡散に対する世界的な懸念を強調し、それにより、事実に基づく、タイムリーで、明確で、アクセス可能な、多言語の、証拠に基づく情報の普及の必要性を高め、すべての関連するステークホルダーがディスインフォメーションの課題に取り組む必要性を強調した。またデジタル技術の利用により、国家および非国家主体が、政治的、イデオロギー的、あるいは商業的な動機から、意図的に虚偽の、あるいは誤解を招くような 情報を作成、流布、増幅するための新たな経路が、驚くほどの規模、速度、到達度で可能になることや、SNSを含むオンラインプラットフォーム上でのディスインフォメーションの拡散について懸念を表明している。他方で、ディスインフォメーションの拡散への対応は、国際人権法および合法性、必要性、比例性の原則に従わなければならないことを強調し、自由で独立した複数の多様なメディアの重要性、ディスインフォメーションに対抗するために独立した事実に基づく情報へのアクセスを提供・促進することの重要性も強調されている。
ディスインフォメーションに対抗するための努力は、個人の表現の自由、情報を探し、受け取り、伝える自由を促進し、保護し、侵害しないようにする必要があることを再確認し、メディアと情報関連技術のリテラシーは、独立した自由なメディア、意識向上、人々のエンパワーメントに焦点を当てることを通じて、これを達成するのに役立つことを指摘した。
具体的項目として挙げられているのは18項目であり、表現の自由と知る権利の重要性を強調し国際法その他の規範を遵守すると共に、オンラインプラットフォームに対しては自主的な対応を求め、事務総長及び国連各機関に対してディスインフォメーション対策を進めると共に2022年9月に開催される第77回総会にディスインフォメーション対策に関する報告書の提出を求めるとした。
もっとも、各国ともにディスインフォメーション対策の重要性は認めつつも、その具体的内容については温度差が見られ、決議案も、最終的に採択に至るまでに修正が加えられている。決議案を提出したのはパキスタンであり[2]、修正過程で中央アフリカ、コートジボワール、エルトリア、ロシアが提出者として同調した。パキスタン政府国連代表部のTwitterには、パキスタン代表による提案の様子の動画が掲載されている[3]。パキスタンのメディア報道[4]によれば、パキスタン代表はこの決議が全会一致で採択されたことに感謝の意を表し、パキスタンは、他の加盟国や国際機関と協力して、この決議を完全に実施し、世界的にディスインフォメーションと闘う努力を続けていくと述べたという。
これに対して、欧米諸国はディスインフォメーション対策の重要性を認めつつも、表現の自由をはじめとする基本的人権の尊重、メディアの自由の保障が必要であると指摘し、決議案ではこのような自由に対する配慮が不足しているとした。実際に決議案を当初の案と比較すると、ディスインフォメーションが女性の権利を侵害すること、ディスインフォメーション対策では表現の自由が尊重されなければならないこと等に関する記述が追加されている。
アメリカ代表は決議案に対して次のように意見を表明し、各国が表現の自由をはじめとする人権を尊重しなければならないとすると共に、ディスインフォメーション対策におけるマルチステークホルダーによる取り組みの重要性を指摘している[5]。
ディスインフォメーション対策は、人権の尊重に基づき、政府、独立メディア、市民社会、学界、民間部門の協力関係を促進する、総合的なアプローチをとることが重要です。ディスインフォメーションに対抗するための努力において、各国は国際的な人権に関する義務、特に表現の自由を尊重しなければなりません。ディスインフォメーションに対抗するためのアプローチは、オンライン、オフラインでの表現の自由を含め、自由で開かれた社会を支える人権と基本的自由を不用意にミスリードしたり、侵害したりするものであってはなりません。
またアイスランド、リヒテンシュタイン、ニュージーランド、ノルウェー、スイス及びオーストラリアを代表して意見を述べたオーストラリア代表は、次のように決議案の内容に対する不満を表明している[6]。
本決議案は第3委員会に提出されたものであるため、慎重にバランスのとれた文章を作成し、国際人権法の枠組みの中でディスインフォメーションとの戦いに焦点を当てることが重要であると考えています。(中略) 私たちはこの文書のコンセンサスに参加する一方で、この決議の進め方については遺憾に思っています。L.7[7]のタブリングは時期尚早であり、特にこの文書が初めて第3委員会に提出されたことを考えると、公開協議による第2読会のための十分な時間を確保することが望ましいと考えます。(中略)ディスインフォメーションに対抗しつつ、人権の促進と保護に関する文言を追加すれば、さらにバランスのとれた文章になったはずです。(中略)私たちは、意見、表現、情報の自由は、独立した自由なメディアに加えて、民主主義国家に不可欠な要素であると考えています。
オーストラリア代表の意見では、国家主権を盾として国内の人権問題に対する国際的な調査を阻むことに対しても、次のように釘を刺している。
この重要な問題に取り組むためには、オンライン、オフラインを問わず、意見の自由や表現の自由を含む人権を尊重することが重要であることを強調します。国境内の人々に対する行動に関する調査から国を隠すために、国家主権を用いることはできません。
このような見解の相違は、ディスインフォメーション対策における欧米を中心とした民主義諸国とその他の国々との基本的な理念の相違が、国連の議論の場にも反映されたものとみることができよう。
なおアジェンダ項目(74b)では、「民主化の促進と定期的かつ公正な選挙の強化における国連の役割の強化」[8]も採択れているが、その中でも次のようにディスインフォメーションに対して言及されている。同決議は、アメリカ、ヨーロッパ諸国、中央諸国も含む多くの民主主義国家によって提案されているが、逆に権威主義国家や社会主義国家で加わっているものは少ない。
(総会は)内外の関係者による伝統的なメディアやソーシャル・メディアを利用したディスインフォメーションの蔓延と拡散が拡大していること、また投票システムの操作、選挙の枠組みにおけるインターネット遮断やマスメディアの停止を利用した意図的かつ恣意的なインターネットへのアクセスやオンライン上での情報発信の妨害は、世界の民主主義国家にとって喫緊の課題となっていることに、深い懸念を表明し、(以下略)
このように、国際機関において民主主義国家が主導する場面ではディスインフォメーション対策の名を借りたインターネット遮断やメディアへのアクセスの制限、情報発信の制限は、ディスインフォメーションと同様に民主主義に対する脅威となり、公正な選挙の実施を脅かすものであることが強調されている。民主主義を守るという観点からは、ディスインフォメーション対策は、あくまでも表現の自由と知る権利の保障を前提とした上で実施することが必要とされているのである。
4.おわりに
本稿では、インド太平洋地域諸国におけるディスインフォメーション対策が、欧米を中心とする先進民主主義国家におけるディスインフォメーション対策とは目的や理念を異にしていることについて考察を加えてきた。
日本においても、政府・公的機関がディスインフォメーション対策を行うことが急務となりつつある。2022年12月に公表された国家安全保障戦略[9]の中では、「(4)我が国を全方位でシームレスに守るための取組の強化」の中の「オ 我が国の安全保障のための情報に関する能力の強化」の項において「健全な民主主義の維持、政府の円滑な意思決定、我が国の効果的な対外発信に密接に関連する情報の分野に関して、我が国の体制と能力を強化する」、「偽情報等の拡散を含め、認知領域における情報戦への対応能力を強化する。その観点から、外国による偽情報等に関する情報の集約・分析、対外発信の強化、政府外の機関との連携の強化等のための新たな体制を政府内に整備する。さらに、戦略的コミュニケーションを関係省庁の連携を図った形で積極的に実施する」と明記された。
さまざまな対応も始まりつつあり、たとえば総務省では2023年7月にあらたに情報流通適正化推進室が設置された。ディスインフォメーション対策に関連する研究開発に対する公的な支援も進んでおり、たとえば科学術振興機構(JST)の社会技術開発研究センター(RISTEX)(国研)では、2023年度から「情報社会における社会的側面からのトラスト形成」をテーマとした研究開発提案を募集している[10]。
国家安全保障戦略で「健全な民主主義の維持」が挙げられているように、日本におけるディスインフォメーション対策はあくまでも民主主義を守るためのものであるべきで、権威主義体制国家や社会主義国家のようなものであってはならない。このため、国民の情報発信自体に対する直接的な規制は極力、抑制的であるべきであり、政治的介入・選挙介入・世論誘導意図をもった海外からのディスインフォメーションへの対抗に注力することが、民主主義国家としての日本のディスインフォメーション対策の在り方としては望ましいように思われる。すなわち、「外国からの選挙介入を狙ったディスインフォメーションや選挙運動におけるディープフェイクに対する規制など、民主主義の維持や選挙の公正の確保のために必要な範囲に対象を限定した規制」[11]の検討を行うべきであろう。
そのためには、韓国などの事例を参考として選挙管理機関の体制を強化すると共に、公職選挙法だけではなく、電気通信事業法、プロバイダ責任制限法、個人情報保護法、特定プラットフォーム法などさまざまな既存の法律の規定を参酌して、「誰が、何のために、誰からの資金によって、どのような手段で、誰を対象として」ディスインフォメーションを行っているかを公的に明らかにする方策を検討する必要がある。その際、技術的にはアメリカの国防高等研究計画局(DARPA)が進めてきたメディア・フォレンジックス[12]、セマンティックス・フォレンジックス[13]が参考となると思われる。また、アメリカでは2018年に発出された大統領令13848(米国の選挙に対する外国の干渉があった場合に一定の制裁を課す命令)により、国家情報長官は連邦選挙(大統領選挙、連邦議会議員選挙)の後、外国政府、または外国政府の代理人として行動する人物が、「その選挙に干渉する意図または目的を持って行動したことを示す情報の評価」[14]を行うことが義務付けられている。さらにディスインフォメーションを選挙へのサイバー攻撃として捉え、安全保障機関のサイバーセキュリティ部隊にも対策に関与させておりが[15]、2018年中間選挙においてはロシアが試みたインターネットを通じた選挙干渉に国家安全保障局(NSA)と連携して干渉を阻止したとされている[16]。このようにインテリジェンス機関や安全保障機関を活用することが日本に親和的かどうかについては、議論の余地があろう[17]。
日本のサイバーセキュリティ施策は、近年急速に充実してきている。しかし、知的財産や重要インフラ、製品やサービスに係わるサプライチェーンのような「目に見える」資産だけではなく、それが利活用される社会全体の基盤である民主主義という理念・制度を守る[18]ためのサイバーセキュリティ施策が求められている点が強調されるべきであろう。
(2023/09/26)
脚注
- 1 UN General Assembly, “Countering disinformation for the promotion and protection of human rights and fundamental freedoms,” UN Doc. A/C.3/76/L.7/Rev.1, November 10, 2021.
- 2 UN General Assembly, “Countering disinformation and promotion and protection of human rights and fundamental freedoms,” UN Doc. A/C.3/76/L.7, October 7, 2021.
- 3 Permanent Mission of Pakistan to UN, NY, November 16, 2023.
- 4 “Pakistan resolution to counter disinformation adopted”, TRIBUNE, December 27, 2021.
- 5 Nicholas Hill, “Explanation of Position for the Countering Disinformation for the Promotion and Protection of Human Rights and Fundamental Freedoms Resolution,” U.S. Mission to the United Nations, November 15, 2021.
- 6 Australian Government Department of Foreign Affairs and Trade, “Explanation of Position: Countering Disinformation and Promotion and Protection of Human Rights and Fundamental Freedoms,” November 16, 2021.
- 7 注2参照のこと。
- 8 UN General Assembly, “Strengthening the role of the United Nations in the promotion of democratization and enhancing periodic and genuine elections,” UN Doc. A/C.3/76/L.45/Rev1, November 10, 2021.
- 9 国家安全保障会議・閣議決定「国家安全保障戦略」2022年12月16日。
- 10 科学技術振興機構社会技術研究開発センター(RISTEX)「SDGsの達成に向けた共創的研究開発プログラム(情報社会における社会的側面からのトラスト形成)について」
- 11 成原慧「インド太平洋地域におけるディスインフォメーションの流通とその対策―米国政府とプラットフォーム事業者による対策に着目して―」国際情報ネットワーク分析IINA、2022年12月5日。
- 12 “Uncovering the Who, Why, and How Behind Manipulated Media,” Defense Advanced Research Projects Agency (DARPA), September 3, 2019.
- 13 “DARPA Announces Research Teams Selected to Semantic Forensics Program,” DPRPA, March 2, 2021.
- 14 https://www.presidency.ucsb.edu/documents/executive-order-13848-imposing-certain-sanctions-the-event-foreign-interference-united
- 15 拙稿「アメリカにおける選挙セキュリティの観念」『ガバナンス研究』19号、2023年、35-56頁。
- 16 土屋大洋『サイバーグレートゲーム』(2020年、千倉書房)69頁以下。
- 17 日本においては、そもそもインテリジェンスを目的とした情報収集活動自体、活動を行う組織法的な根拠は存在するものの、活動内容に関する明確な法的根拠を欠くという大きな問題が存在する。このため、自衛隊の情報保全活動の一環としての情報収集と分析が、「組織規範は,情報収集等が可能な範囲を画するものにすぎず、積極的に情報収集等の目的,必要性等を基礎付けるものではない」として違法とされた判例もある(仙台地判平24・3・26判例時報2149号99頁)。インテリジェンスの専門家からは、インテリジェンス機関によるディスインフォメーションへの積極的な対抗に関して慎重な見解もある。小林良樹「インテリジェンス組織構築に何が必要か」外交80号(2023年)71頁。
- 18 この点に関して、近時のサイバーセキュリティでは、あらゆる事態の発生を予期してサイバー攻撃から完全に防御することは困難であり、むしろサイバー攻撃を受けて障害が発生してもすみやかに平常時の体制に復旧させて事業やサービス提供の継続を優先させるレジリエンスが強調されている。しかし、民主主義体制は、いちどそれが壊されてしまうと復旧に長い時間がかかること、民主主義に復帰できない場合もあることは歴史の教訓が教えているところであるから、民主主義を守るという観点でのディスインフォメーション対策は防御に主眼を置かざるを得ないであろう。