はじめに

 2024年8月27日、海上保安庁は2025年度予算の概算要求を発表した。予算要求額は2,935億円と過去最大規模で、対前年度比1.12倍である。特に注目されたのは、長さ約200m、総トン数約3万トンの多目的巡視船の建造計画だった[1]。この船の規模は、最新鋭で高い能力を有するF-35B戦闘機が運用できるように改修された海上自衛隊最大級のいずも型護衛艦(長さ248m、総トン数約2万トン)を凌駕する。さらに12月20日に官邸において「海上保安能力強化に関する関係閣僚会議」が開催され、より具体的なイメージが公表された[2]。海上保安庁は、大規模災害(物資輸送、被災者支援等)、 有事における国民保護活動(住民避難等)、その他、警備実施や領海警備などの対応のため、高い輸送能力と指揮能力を持つ巡視船が必要だと説明している。

 ところで、3万トン級の巡視船は、既存の巡視船としては例を見ない規模である。例えば、現在の海上保安庁の最大級の巡視船「あきつしま」は、全長150m、約6,500トンである。中国海警で最大級の趙頭級(Zhaotou級)は、全長165m、1万トン級、米国でも沿岸警備隊の最大級の巡視船(Legend級)は、全長127m、4,500トンである。これらと比較しても、多目的巡視船の規模は突出している。

 このため多目的巡視船は、その巨大なプレゼンスが脅威と見なされ地域的な緊張を高める可能性がある。中国の趙頭級の海警船2901と5901は76ミリ速射砲などを装備し、南シナ海では「モンスター船」と呼ばれ周辺国の脅威となっている[3]。尖閣諸島周辺においても2024年の11月に海警2901が付近を航行した際には大きく報道された[4]。

 今般、海上保安庁が要求した多目的巡視船の規模は、このモンスター船を大きく上回る。東アジア地域の複雑な安全保障環境を背景に、中国はこの多目的巡視船が尖閣諸島周辺海域の警備のために建造されたと主張し、そのプレゼンスを中国に対する脅威とみなす可能性がある[5]。その結果、中国が大型巡視船を尖閣周辺に追加派遣すれば、結果的に海上での緊張がエスカレートするリスクとなる。

 多目的巡視船は新たな脅威となりうるのであろうか。本稿では多目的巡視船の目的や設計から、その導入の意義について検討し、新たな脅威や建造競争には結び付くものではないことを論ずる。

図:公開された大型多目的巡視船のイメージ図

出典:海上保安庁「海上保安能力強化の取組状況」2024年12月20日、8頁。

なぜ今、多目的巡視船が必要なのか?

 日本の周辺における海洋安全保障環境は依然として厳しい状況が続いている。海上保安庁は、例えば、尖閣諸島周辺海域の領海警備、日本海における外国漁船による不法操業の未然防止、北朝鮮のミサイル発射、無許可の外国海洋調査に加え地震などの自然災害など複雑多岐にわたる業務に対応してきた。このように安全保障環境が複雑化する中で、2022年12月の関係閣僚会議で「海上保安能力強化に関する方針」が定められ[6]、 政府として海上保安能力をさらに強化していくことが決定された。この方針では、強化するべき分野として尖閣領海警備能力のほか、「大規模・重大事案同時発生に対応できる強靱な事案対処能力」など6分野が挙げられている。多目的巡視船の予算要求はこの事案対処能力の強化を目的として計上されている[7]。

 ここで言う「大規模・重大事案」とは何か。海上保安能力強化に関する方針では、具体的にテロや北朝鮮の脅威、外国漁船による違法操業、大規模災害が例示されている[8]。海上保安庁は大地震などの陸上での大規模災害においても大きく貢献しており、例えば、2024年の1月に発生した能登半島地震においても発災直後から巡視船艇と航空機により人命救助を優先しつつ被災状況の確認、支援物資の輸送、七尾港や輪島港において給水支援などを行なった[9]。災害支援の際には、陸路のほか海路や空路を使った物資や人員輸送の有効性が確認されており[10]、より輸送能力の高い巡視船が求められる。

 こうしたニーズを踏まえ、多目的巡視船は輸送能力が大幅に強化されている。船内の広いスペースには1,000人程度の避難民を収容して安全を確保することができるほか、被災地で給水する機能を備える。さらに船内に十分な車輌収用スペースを備え、フェリーのようなランプウェイを装備し、バスやトラックなど大型の車両が船内へ走行して出入りすることができる。また、被災地付近の港に接岸できなくても、多数の搭載艇やヘリコプターを同時に運用する機能により、避難民や大量の支援物資を輸送することができる。

 このような輸送能力は、例えば台湾危機の際にも活用できる。危機が発生した際には、南西地域の住民を安全にかつ迅速に避難させる輸送手段が必要となる。台湾に最も近い与那国島は台湾の北端から約111kmの距離にあり、人口は1,689人(1,028世帯)である[11]。2023年の4月に定められた統制要領の資料によれば、国民保護活動は海上保安庁が行なう任務の一つとされているが[12]、海上保安庁の輸送能力には限界があった。今般の多目的巡視船は、住民避難を迅速かつ安全に行うための高い輸送能力を持つ。

 また、大規模な海上警備を行う場合の指揮船としても活用できる。2023年5月に広島県の臨海部で開催されたG7サミットのように[13]、先進主要国の首脳など要人が参加する会議が開催される場合には、暴動や犯罪行為などを未然に防ぐため、全国から巡視船艇・航空機を派遣し、大規模な海上警備を実施する。これまでは海上保安庁の最大級の巡視船を指揮船としてきたが、その指揮機能を遂行するスペースや能力は限られていた。多目的巡視船の導入により巡視船艇・航空機を指揮する能力が大幅に増強されることが期待される。

多目的巡視船は脅威となるのか?

 ところで多目的巡視船は戦略的脅威となりうるのか。多目的巡視船は、海上での指揮能力、ヘリコプターや搭載艇の運用能力、大型車両や人員の輸送能力に特化している点に特徴がある。さらに従来型の巡視船と異なり、多目的巡視船に武器を搭載する計画がない。海上保安庁の6,500トン型の巡視船は40ミリ機関砲を装備し、200トン型の小型の巡視船でさえ20ミリ多銃身機関砲を装備する。武装の観点からは、中国の海警2901と5901が大型の76ミリ速射砲を武装していることを考えれば、この様な重武装をしない多目的巡視船は戦略的脅威には結びつかない。

 また、多目的巡視船の就役が、量的・質的に戦略的脅威に結びつくものではない。多目的巡視船を含む巡視船等の建造は、海上保安能力強化に関する関係閣僚会議などに基づき進められる。その決定によれば、海上保安庁の巡視船整備計画は、令和11年度(2029年度)でも91隻であり、そのうち多目的巡視船は1隻である[14]。中国海警の大型船159隻(令和5年(2023年))[15]には及ばない。さらに、海上保安庁は武力紛争事態にあっても戦闘行為には参加せず、法執行、海上における安全の確保、捜索救助などの任務を行う文民海上警察の地位を維持することが確認されている[16]。したがって海上保安庁の巡視船が戦闘行為に参加することもない。

おわりに

 多目的巡視船は海上保安庁に必要な能力や機能を積み上げた結果から設計されたものであり、大規模な災害対応、国民保護活動やサミットなどの警備実施を念頭に導入される。多目的巡視船は最大の海警船よりも大型だが、指揮・輸送・災害支援に特化した巡視船であり、武装を持たず軍艦として運用されることもない。また巡視船の整備は関係閣僚会議に基づき透明性を持って計画されていることから、巡視船の建造競争を惹起するものともならない。このため、直接的な戦略的脅威とは言えないが、一方で、周辺国が多目的巡視船のプレゼンスをどのように受け止めるかについては、慎重なモニタリングが必要である。日本政府は、透明性のある情報公開を通じて、国際社会にその非軍事的性格を明確に伝えることが求められる。特に、中国や東南アジア諸国との対話を継続し、信頼醸成措置を強化することが、地域の安定にとって重要となる。

 最後に海上保安庁は多目的巡視船の海外派遣には言及していないが、国外の災害対応や人道支援のための派遣を行うことを検討するべきであろう。日本はこれまで災害対応や人道支援を通じて、インド太平洋地域において積極的な役割を果たしてきた。そこで地震・台風・津波などにより被災した地域に多目的巡視船を派遣することにより、大規模で効率的な支援活動を行い、国際協力の深化に貢献し地域の安定を支えることができれば、国際貢献の重要な手段となるだろう。

(2025/02/10)

*こちらの論考は英語版でもお読みいただけます。
Why the Japan Coast Guard Needs a Large, Multipurpose Patrol Vessel

脚注

  1. 1 海上保安庁「令和7年度海上保安庁関係予算概算要求概要」2024年8月。
  2. 2 海上保安庁「海上保安能力強化の取組状況」2024年12月20日。
  3. 3 “Philippines alarmed after China sends 'monster ship' to disputed shoal,” Reuters, January 14, 2025.
  4. 4 「中国海警局の最大級巡視船、6月に尖閣諸島を周回…アメリカ巡視船が沖縄を出港後」『読売新聞』2024年11月3日。
  5. 5 Ashish Dangwal, “Battle of Coast Guard Vessels: Japan Plans To Construct Its Largest-Ever Patrol Boat To Counter China in SCS,” The EurAsian Times, June 8, 2024.
  6. 6 首相官邸「海上保安能力強化に関する方針について」令和4年12月16日、海上保安能力強化に関する関係閣僚会議決定。
  7. 7 海上保安庁「令和7年度海上保安庁関係予算概算要求概要」。
  8. 8 首相官邸「海上保安能力強化に関する方針について」4頁参照。
  9. 9 海上保安庁「海上保安レポート2024」2024年5月。
  10. 10 自衛隊は災害派遣要請を受け、輸送艦やエアクッション型揚陸艇(LCAC)を使った重機の海上輸送やヘリコプターによる被災民や支援物資の航空輸送を行っている。
  11. 11 与那国町「人口と世帯数」令和6年(2024)年12月31日。
  12. 12 内閣官房、国家安全保障局、外務省、海上保安庁、防衛省「海上保安庁の統制要領」2023年4月28日。
    内容の詳細は、拙稿「『海上保安庁統制要領』策定の意義と課題」国際情報ネットワーク分析IINA、2023年7月10日。
  13. 13 昨今は広島サミット(2024年)、伊勢志摩サミット(2016年)、北海道洞爺湖サミット(2008年)、九州沖縄サミット(2000年)など臨海部が会場となることが多い。
  14. 14 海上保安能力強化の取組状況「参考資料」参照。
  15. 15 海上保安レポート2024「CHAPTER II. 尖閣諸島周辺海域の緊迫化」参照。
  16. 16 拙稿「『海上保安庁統制要領』策定の意義と課題」。