緊張が高まる南シナ海

 南シナ海における中国とフィリピンの緊張が高まっている。中国は南シナ海のほぼ全域を「九断線」で囲み、内側の島嶼の領有権と海底資源の権利と管轄権を主張する。周辺国は、このような主張が国際法、とりわけ国連海洋法条約と合致しないとして争いが起きている[1]。このような中、以前より中国の海警局の所属船(海警船)や海上民兵の船がフィリピン沿岸警備隊(PCG)の巡視船や補給船に接近し、かろうじて衝突を回避するケースが多く報じられてきた。そのような中で、2023年の2月に海警船がPCGの巡視船にレーザー光線を照射し、一時的に乗組員の視界が遮られたと報じられた[2]。その後8月には中国海警がPCGの巡視船に対して放水銃を使用する事件が発生した[3]。さらに9月には中国が南シナ海のスカボロー礁に全長300メートルにも及ぶ網状の障害物を設置し、フィリピン漁民の漁業や船舶交通の安全に支障をきたす事件が発生した。この障害物は、のちにPCGのダイバーによって撤去された[4]。

「中国政府が主張している「九段線」」
出典:The Pennanent Mission of the People's Republic of China to the United Nations, Note Verbale(CML/19/2007).

 そして10月には、ついにフィリピン海軍がチャーターした補給船と中国海警船が衝突し、続けて中国民兵船がPCGの巡視船に衝突する事件が発生した。これまで海警船や海上民兵船がフィリピンの船舶と衝突しかねない距離まで接近することはあったが、衝突そのものは発生していなかった。12月にも中国海警が放水によりPCG巡視船の機器に損傷を与え、長距離音響発生措置(LRAD)を使用しPCG乗組員の耳に不快感を与えたと報じられ、さらに船舶同士が衝突しPCG巡視船に損傷を与える事件が発生している[5]。これらの中国海警船による新たな機材の使用や衝突により南シナ海における中国とフィリピンの緊張が一気に高まったのである。

 そこで本稿では、ますます緊張感が増す南シナ海において発生した中国海警船とPCG巡視船の衝突事件に焦点をあて、フィリピンが実行している政策と日米が取るべき政策について検討する。

中国とフィリピンが争うセカンド・トーマス礁とシエラ・マドレ号の補給

 衝突事件の背景から確認していこう。衝突は南シナ海のセカンド・トーマス礁(フィリピンではアユギン礁、中国では仁愛礁と呼ばれる)付近で発生した。セカンド・トーマス礁は南シナ海のスプラトリー諸島の中央付近に位置し、領海などの海域の基準となるフィリピンのパワラン島の群島基線から約104海里(約192キロ)、中国の海南島の基線からは約598海里(約1,107キロ)の距離にある低潮高地である[6]。フィリピンはその基線から200海里以内であるため、国連海洋法条約に基づき、その排他的経済水域の一部であると主張し、中国は国際法上の根拠を明確にしないまま中国が管轄権を有する海域であるとの主張を行なっている。

 そこでフィリピン政府は1999年にセカンド・トーマス礁周辺海域の実効支配を強化するため、シエラ・マドレ号を座礁させ、フィリピン軍の駐留施設として使用している。もともとシエラ・マドレ号は第二次世界大戦中に建造された米海軍の戦車揚陸艦であり、その後ベトナム戦争後にフィリピン海軍に移管されたものであった。フィリピンは駐留している軍関係者の交代とその要員に定期的に水や食料、船体の補修のための資材を補給する必要があり、フィリピン側は定常的な業務として実施している。今般の衝突もこの補給と補給船のエスコート中に発生した。なお、中国外務省はフィリピンがシエラ・マドレ号を撤去すると約束が守られていないと主張しているが[7]、一方のマルコスJr.大統領はそのような約束は承知していないと主張している[8]。まさにセカンド・トーマス礁とそこに座礁するシエラ・マドレ号は中国とフィリピンの権益が交錯する場所であり、放水やレーザーの使用、そして衝突事件が発生した背景である。

フィリピンの対応と進む国際連携

 それではフィリピンの対応は如何か。まず、フィリピンは南シナ海で発生した事案について写真や動画を公開し積極的な情報開示を実施している。10月の衝突事件に関しても、PCG 巡視船に乗船した報道関係者により、いち早く内外に動画と共に事件を公表するとともに、中国側に抗議を行っている。このような客観性と透明性のある報道は信憑性が高く、国際社会の支持を得るのに役立っている。衝突が発生した翌日には日本の外務省も深刻な懸念を表明した[9]。米国の国務省も現場海域はフィリピンの排他的経済水域であることを指摘した上で、危険な操船や衝突によりフィリピン乗組員を危険に合わせたとして非難し、米比相互防衛条約の発動に言及し中国側を強く牽制した[10]。事件発生直後に日本と米国が連携して迅速に対応したことは極めて意義深い[11]。

 日本や米国はフィリピンの海洋ガバナンス能力向上をますます強力に支援している。日本はこれまで2013年に円借款により巡視艇10隻の供与を決定、また2016年には大型巡視船2隻の追加供与で合意し、それぞれ2018年と2022年までに引き渡しが完了した。さらに日本政府は政府安全保障能力強化支援(OSA)を活用した沿岸監視レーダーの供与を行うことのほか[12]、大型巡視船5隻を追加することで合意した[13]。

 さらにPCG職員の能力向上に関する協力も進む。海上保安庁はこれまで実施してきた能力向上支援[14]に加え、2023年6月3日から4日間、海上保安庁と米国沿岸警備隊とPCGの三者で初の合同訓練を実施した。この訓練は米国と連携し机上訓練のみならず海上における船隊運動と捜索救助訓練を実施し実務的な効果を狙って行われた。国際協力機構(JICA)もフィリピンのほかインドネシア、マレーシア、ベトナムを対象とした海上保安当局に対する長期的な支援を行う方針を固めている[15]。また米国はPCG職員を対象に米沿岸警備隊士官学校(US Coast Guard Academy)などの機関での教育や訓練を受け入れているほか[16]、南シナ海において訓練のほかに米比合同パトロールも実施し、実務的な連携も強化している[17]。

 純然たる平時でも有事でもないグレーゾーンにおける中国の南シナ海における威圧的行為にフィリピンが対抗するには、これら日米ほか有志国の連携を強化し、力による一方的な現状変更を許容しないという姿勢を強化していく必要がある。米国はフィリピンとマニラで「2プラス2」を開催する調整に入り[18]、オーストラリアはフィリピンとの首脳会談で海洋安全保障での協力強化を確認した[19]。日本は、さまざまな機会を捉えて有志国との連携を強化し、南シナ海周辺国の海洋ガバナンス能力強化を実施し、ルールに基づく国際秩序(rule-based international order)の維持と強化に努めるべきであろう。

(2024/04/04)

脚注

  1. 1 このような中国の主張に対してフィリピンは国連海洋法条約の解釈に反するとして常設仲裁裁判所に訴えた。仲裁裁判所はフィリピンの訴えをほぼ認める判決を下した。The South China Sea Arbitration (The Republic of The Philippines v. The People’s Republic of China), PCA Case 2013–19, Award, 12 July 2016.
  2. 2 「南沙領有権、高まる緊張 中国船がレーザー、フィリピン抗議」『朝日新聞』2023年2月15日。
  3. 3 「中国海警局の船、南シナ海でフィリピン船に放水…比のEEZ認めた「仲裁裁の判決は無効」」『読売新聞』2023年8月9日。
  4. 4 「中国、南シナ海に障害物 フィリピンが除去」『日本経済新聞』2023年9月26日。
  5. 5 「中国・フィリピン、南シナ海で連日緊迫 放水や衝突続発」『日本経済新聞』、2023年12月12日。
    なお、2024年に入ってからも引き続き衝突事件が発生している。「フィリピン船、中国船と衝突 比政府「軽傷者も」」『日本経済新聞』、2024年3月6日。
  6. 6 例えば、2013年に中国とフィリピンが争った南シナ海仲裁裁判においても、セカンドトーマス礁は低潮高地であると判示されている。The South China Sea Arbitration (The Republic of The Philippines v. The People’s Republic of China), PCA Case 2013–19, Award, 12 July 2016. Paras. 379~381, 643~647.
  7. 7 Ibid. paras. 1116, 1122, 1125.
  8. 8 Feliz Solomon, “Water Cannons and Lasers: South China Sea Standoff Around World War II-Era Ship Heats Up,” The Wall Street Journal, August 17, 2023.
  9. 9 外務省報道発表「最近の南シナ海における緊張の高まりについて」令和5年10月23日。
  10. 10 The U.S. Department of State Press release, “U.S. Support for our Philippine Allies in the Face of Repeated PRC Harassment in the South China Sea,” October 22, 2023.
  11. 11 在フィリピン欧州連合代表部もフィリピンに賛同した。「船衝突、中国を一斉批判 米欧日「南シナ海、法順守を」」『日本経済新聞』2023年10月24日。
  12. 12 外務省「日・フィリピン首脳会談」2023年12月17日。
  13. 13 「フィリピンに大型巡視船5隻追加 日本の供与発表」『日本経済新聞』2023年11月5日。
  14. 14 詳しくは拙稿「中国の海上秩序への挑戦がもたらした海上保安庁のキャパビル(能力構築支援)の新たな役割」国際情報ネットワーク分析 IINA 、2021年7月1日。
  15. 15 「政府 東南アジア4か国の海上保安当局に長期的支援の方針固める」『NHK』 2024年2月12日。
  16. 16 拙稿 “Seeking Further Cooperation for Strengthening the Rule-Based Order at Sea in Asia,” Sasakawa USA, September 2020.
  17. 17 前掲記事「中国・フィリピン、南シナ海で連日緊迫 放水や衝突続発」。
  18. 18 「米とフィリピン、春に「2プラス2」 マニラで初開催案」『日本経済新聞』2024年1月30日。
  19. 19 「豪比首脳会談、海洋安全保障で協力強化 中国に対抗」『日本経済新聞』2024年3月1日。