本稿前編でみたように、ポスト安倍時代の我が国の対ロシア外交の輪郭はまだ見えていないが、安倍政権の対ロシア外交には、平和条約締結だけではなく、中国の急速な大国化を念頭に、日米同盟を基軸としつつ、ロシアとの関係も強化し、日本に有利な戦略環境を構築するというもう一つの目的があったことを忘れてはいけない。

 日本が考えるべきは、インド太平洋地域を主要舞台として高まりつつある米中大国間競争においてロシアがどのような立ち位置を取ろうとしているのか、それが我が国の戦略的利害とどの程度まで合致するのかの確認作業であろう。

 2021年3月、米バイデン政権が公表した『暫定国家安全保障戦略指針』によると、同政権は中国を米国にとって唯一の長期的な戦略的競争相手と位置付ける一方、ロシアもまた依然として米国並びにその同盟国にとって問題を起こし得る存在と見なしている[1]。また、ここ数年、ロシアは中国との戦略的な関係を急速に深めていることも事実だ[2]。

 一方で、2021年6月16日に開催されたバイデン政権下で初めての米露首脳会談が米国側の呼び掛けで実現したことに象徴されるように、同政権は中国を唯一の長期的な戦略的競争相手と位置づけ、ロシアとは安定的で予測可能な関係の構築を目指している[3]。また、ロシアが中国と国境紛争を抱えているインドやベトナムとも緊密な関係を維持していることからも明らかなように、同国のインド太平洋地域における戦略的利害は中国のそれとは完全には一致しない。従って、我が国が中国の急速な大国化を念頭に、日米同盟を基軸としつつ、ロシアに対して戦略的な関与政策を継続する余地はあると見る。

露ヴァルダイ・クラブとの日露専門家対話

 このような状況下、2021年7月8日、笹川平和財団は露大統領府の管轄下にあるシンクタンク「ヴァルダイ・ディスカッション・クラブ」との間で日露専門家対話を実施した。

 SPFの笹川陽平名誉会長とヴァルダイ・ディスカッション・クラブ発展支援基金のアンドレイ・ビストリツキー議長の開会の辞から始まった同対話は「バイデン政権下の日米中関係」と「バイデン政権下の露米中関係」という2つのセッションを設け、その中で「米中大国間競争の中での日露関係」についても議論をおこなった。

 日本側から次のような発言があった。

  • バイデン政権誕生後、中国との関係において、米国が単独でインド太平洋地域をコントロールすることは難しくなる。各国との協力が必要になる。
  • 日本の「自由で開かれたインド太平洋」構想は、強圧的な姿勢を強める中国を封じ込めるのではなく安定的な路線へと中国を持っていくことを目指し、それに地域の様々な国を巻き込もうという多角的なものである。日本はこれを米国よりも早く提唱してきた。
  • インド太平洋地域にはベトナムなどロシアと関係の深い国が多い。中国との関係で勢力均衡(バランス・オブ・パワー)を構築する上で、インド、ベトナム及びロシアが、日本にとって戦略的に重要になる。

 これに対して、ロシア側からは次のような発言があった。

  • バイデン政権による中国孤立化の努力にもかかわらず、インド太平洋地域における米中の力関係は徐々に中国に有利になりつつある。
  • 露日関係は現在一時停止状態にある。安倍政権時代は、露日関係は活発だった。しかし、平和条約問題については露米関係の悪化とロシアの国内要因により、近い将来の解決は難しいことが明らかになった。
  • ロシア外務省はインド太平洋というコンセプトについて、米国主導の中国封じ込めの戦略であるとしてこれを批判している。このような状況は露日関係に対する更なる挑戦を生み出している。
  • ただ、露米首脳会談を経て露米の競争関係がより制御可能なものになれば、露日関係についても、より選択の幅、戦略的協力の余地が広がる。ここで重要なのは、ロシアにとって日本とインドはインド太平洋地域において利害の一致を見出し、安全保障・経済・エネルギーの分野でプラクティカルな協力を行い得る2カ国であるという点である。
  • ロシアとしては、米国と中国の何れの国もインド太平洋地域において圧倒的な立場になることを望んでおらず、多極的な秩序を望んでいる。ここに露日間の協力の可能性がある。

インド太平洋地域の新たな勢力均衡の中での日露関係

 従来、米国がヘゲモニーを維持してきたインド太平洋地域の勢力均衡(バランス・オブ・パワー)が中国の急速な大国化によって揺らいでいる。この新たな戦略環境において、日露双方ともにインド太平洋地域の勢力均衡の在るべき姿を描いており、その勢力均衡の文脈でお互いをどう位置付けるべきか、模索中である。

 但し、日本とロシアが描くインド太平洋地域の勢力均衡の在り方は異なる。日本はインド太平洋地域における米国の圧倒的な立場が揺らいでいる現状に危機感を感じている。中国に対する勢力均衡を維持する為にも、「自由で開かれたインド太平洋」を掲げ、日米同盟を基軸しつつ、米日豪印のクワッドによる協力を推進している。この戦略的文脈の中でロシアとの関係も強化したいと考えている。

 一方、ロシアは米国がインド太平洋地域において圧倒的な立場を失いつつある現状を、自国の同地域への関与の余地が高まると考え、基本的に歓迎している。但し、インド太平洋地域のヘゲモニーが米国から中国にそのまま移行することを望んでいる訳ではない。中国とは良好な関係を維持しつつ、長期的なインド太平洋地域における自らの戦略的独立性を維持する為にも、かねてから緊密な関係にあるインドやベトナムは勿論、日本とも関係を強化し、多極的な地域秩序を構築したいと考えている。

 このような米中対立の中でのロシアの立ち位置を踏まえれば、あくまで日米同盟を毀損しないという前提条件は付くが、我が国がロシアとの戦略的関係を高める余地はまだあると言えるだろう。

 岸田新首相は政権発足直後の2021年10月7日、早速プーチン大統領と電話会談を行い、平和条約締結問題を含め、日露関係全体を互恵的に発展させて行きたいとの意向を伝えた[4]。そんな岸田新政権にとって、領土問題の解決を伴う平和条約締結は長期的な目標として保持しつつ、当面はこれを無理に追い求めず、また、日米関係を損なわない範囲内でロシアへの戦略的関与を継続するというのは、ポスト安倍時代の対ロシア外交の一つの選択肢であろう。

 なお、我が国がロシアに対してこのようなアプローチを取るに当たっては、米バイデン政権のインド太平洋戦略の中にロシアがどのように位置づけられているかの確認作業も不可欠である。バイデン政権のインド太平洋政策の鍵を握るカート・キャンベル国家安全保障会議インド太平洋調整官兼大統領副補佐官は、オバマ政権時でヒラリー・クリントン国務長官の下で国務次官補(東アジア・太平洋地域担当)を務め、中東地域からアジア太平洋地域へのピヴォット政策の策定に中心的な役割を果たした人物である。そのキャンベルがオバマ政権から離脱後の2014~16年にかけて、ピヴォット政策の文脈の中でロシアや日露関係に一度ならず言及しているのは注目に値する[5]。

 なお、今回の専門家対話において日露双方からインド太平洋地域の新たな勢力均衡を形成する上で重要と名前が挙がったのがインドである。とすれば、日米豪印のクワッドとは別トラックで日本がインドと協力してロシアに戦略的な関与を行うというのは、岸田新政権の対ロシア外交の一つの方向性として十分に検討に値するだろう[6]。

(2021/11/1)

(前編)

脚注

  1. 1 “Interim National Security Strategic Guidance”,The White House, March 2021, pp.7-8.
  2. 2 畔蒜泰助「新段階へと突入する露中関係」『Voice』2020年2月号、pp.88-95を参照されたい。
  3. 3 “Readout of President Joseph R. Biden, Jr. Call with President Vladimir Putin of Russia,” The White House, April 13, 2021.
  4. 4 「プーチン・ロシア大統領との電話会談についての会見」首相官邸、2021年10月7日。
  5. 5 例えばKurt M. Campbell and Ely Ratner, “Far Eastern Promises – Why Washington Should Focus on Asia-,” Foreign Affairs, May/June 2014, pp.106-116. キャンベルのインド太平洋戦略とロシアの位置づけについては近々、稿を改めて詳述する予定である。
  6. 6 これに関連して、SPFは印オブザーバー・リサーチ財団、モスクワ高等経済学院付属総合欧州国際研究センターとの間で日印露3か国戦略対話プロジェクトを実施し、インド太平洋地域の新たな戦略環境下における3か国協力の可能性について議論を行っている。