1.NPTを基軸とした核秩序の危機

 2021年夏に予定されていた第10回NPT[1]運用検討会議は、新型コロナウイルス感染拡大が収束しないことから、2022年初頭に延期された。延期は二度目で、本来は2020年4月から5月にかけて、NPT発効50年の節目に実施される予定だった。

 運用検討会議は5年に一度開催され、同条約の履行状況、とりわけ第6条に定められた「核軍縮交渉を誠実に行う義務」[2]について締約国間で検証する場である。

 第9回会議が開催された2015年以降、核軍縮をめぐる情勢は悪化している。二大核兵器国である米国、ロシア間の国際条約の一つである中距離核戦力全廃条約(INF条約)[3]が2019年2月に失効し、さらに、二国間、多国間を問わず、核兵器国の軍縮に関する条約はひとつも締結されていない[4]。核兵器国及び核の傘に安全保障を依存する国[5]と非核兵器国間の対立は深まり、非核兵器国は核廃絶の新たなアプローチとして核兵器禁止条約(Treaty on the prohibition of nuclear weapons: TPNW)を締結した[6]。

 このように、NPTを基軸とした世界の核秩序は揺らぎつつあり、第10回会議は核軍縮におけるNPTの役割を問い直す機会となる。運用検討会議が決裂した場合、核兵器の性能向上や迎撃能力の向上を目的に宇宙やサイバー、AIなどの新領域での軍拡競争にも歯止めがかからなくなる恐れがある。

 こうした背景を踏まえ、本論考では、核兵器国と非核兵器国の近年の動向を概観するとともに、唯一の戦争被爆国であり、米国の核の傘の下にある日本が、第10回NPT運用検討会議にどのように対応するべきかを考察する。

2.核兵器国と非核兵器国の動向

 核軍縮の停滞は、世界の核弾頭の9割を占める米国、ロシア(表1参照)、さらには中国が、国際的な安全保障環境を理由に核兵器の役割を重視していることが一因である。

 米国政府は、トランプ政権時代の2018年2月、8年ぶりに「核態勢の見直し」(Nuclear Posture Review : NPR)を議会に提出した。この報告書は冒頭で、「クリミア半島の奪取や米国同盟国への核の威嚇と相まって、ロシアは大国間競争へ回帰した。中国も特別の国家安全保障目的を達成するため、新しい核能力を追求している」と指摘している。さらに、中ロ両国によるサイバー攻撃など新しい脅威を挙げ、米国は非核攻撃にも核兵器を抑止力として使用すると明記している[7]。2019年2月には、米ロ間で無期限条約として締結されていたINF条約について、米国がロシアの条約違反を理由に一方的に離脱し、同条約は失効した。両国は低出力でより使用しやすい小型核兵器の開発・配備を進めている。

表1:世界の核弾頭数(2021年6月現在)

国名 全弾頭数 作戦配備
ロシア 6,260 1,600
米国 5,550 1,800
中国 350 0
フランス 290 280
イギリス 225 120
パキスタン 165 0
インド 160 0
イスラエル 90 0
北朝鮮 40 0
合計 13,130 3,800

長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)『世界の核弾頭一覧』(2021年度版)を元に筆者作成

 国家安全保障を最優先するこうした核大国の動向に対し、非核兵器国は、核兵器がもたらす人道上の重大な結果を回避し人類の安全保障を構築するという新たなアプローチを掲げ、TPNWを制定した。同条約は2021年1月に、批准国が50カ国に達し、発効した[8]。条約前文で、「使用されない唯一の保証として核兵器の完全な廃絶」を訴えている。

 TPNWは使用だけでなく核による威嚇も禁止し、核抑止の概念を否定している。そのため、核兵器国のみならず、日本など核の傘に依存する国々は「現実の安全保障環境に立脚せず、核削減への具体的な道筋も示していない」として同条約に署名していない。

3.核軍縮に向けた機運醸成:核の先制不使用

 核兵器の役割が再び増大する中、第10回運用検討会議で核軍縮への機運を高められるかどうかをめぐり、米国のバイデン大統領の動向に関心が集まっている。オバマ政権時代の2010年、核の役割を核攻撃への報復に限定する目標を追求したNPRの策定に、副大統領として同氏が深く関与したためである[9]。

 バイデン大統領は在任中にトランプ政権時代のNPRを改訂し、核軍縮に取り組む意向である。2021年2月にはロシアと新戦略兵器削減条約(新START)[10]の5年間の延長に合意し[11]、同年6月には、プーチン大統領との首脳会談において、核軍備管理の協議開始を確認している[12]。大統領就任前のフォーリン・アフェアーズ誌への寄稿では、「米国の核使用の唯一の目的を核攻撃への反撃に限定する信念を実行に移すため努力する」と決意を語っている[13]。

 バイデン大統領の決意が強固であっても、次期NPRで核の先制不使用に言及することは容易でない。ロシア、中国が核軍拡の動きを強める中、国防総省や同盟国は米国の核抑止力を低下させかねない先制不使用の方針に警戒心がある[14]。

 しかしながら、バイデン大統領の呼びかけにより、核兵器国間で核の先制不使用を協議できる環境が整えば、核兵器の役割を低減させることになり、核軍縮を促す効果を期待できる。日本を含む同盟国にとっては、米国による最低限の核抑止力を維持しつつ、中国、ロシア等の核の脅威は低減される。非核兵器国も核廃絶に向けた第一歩として歓迎する可能性が高い。

 一方、TPNWにも、核兵器国や核の傘に依存する国が協力できる余地はある。同条約には、広島、長崎のほか、核実験も含めた核の被害者に対する援助、汚染地域の環境改善への支援を定めた条項(第6条)が存在する。そのため、スイスやスウェーデンは同条約に署名していないものの、第1回締約国会議(2022年3月)にオブザーバー資格で参加する意向を表明している[15]。北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、米国の核の傘に入っているベルギーも、TPNWへの参加の可能性を議論している[16]。ベルギーの参加は、核兵器国と非核兵器国間の橋渡しとなる可能性がある。

4.第10回運用検討会議に向けた日本の対応

 日本もまた、橋渡し役を果たせる立場にある。米国の核抑止に依存する一方、唯一の戦争被爆国として、人道上の重大な結果を経験し、核兵器国と非核兵器国、双方の主張を理解できるためである。実際、菅義偉総理は2021年8月6日、広島市で行われた原爆死没者慰霊式において「次回NPT運用検討会議において意義ある成果を収めるべく、各国が共に取り組むことのできる共通の基盤を見いだす努力を粘り強く続ける」と表明した[17]。

 総理の意思とは裏腹に、第10回運用検討会議において、日本が核軍縮に向けた建設的な提案を行うことは困難な情勢になっている。中国や北朝鮮の核戦力への抑止確保をはじめとする日本の安全保障環境を理由に、日本政府は、米国による核の先制不使用方針を支持せず[18]、TPNWへの署名、あるいはオブザーバー参加にも消極姿勢を貫いている。核軍縮への日本のこのような姿勢は国内および国際世論の理解を得ることが難しい[19]。

 日本はまず、第10回検討会議に向けた米国バイデン政権の核の先制不使用に関する議論を注視する必要がある。そのうえで、同政策が採用された場合の核抑止の在り方について同盟国として検討するとともに、どのような条件がそろえば、中ロ両国および他の核兵器国に核の先制不使用に関する議論を呼び掛けられるか、外交戦略を構築すべきではないだろうか。

(了)

(2021/08/31)

脚注

  1. 1 核兵器不拡散条約(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons : NPT)は、1968年7月1日に署名、1970年3月5日に発効した。日本は1970年2月に署名、1976年6月に批准した。2021年5月現在、締約国数は191か国・地域。核兵器を保有しているとみられるインド、パキスタン、イスラエルは加盟していない。外務省「核兵器不拡散条約(NPT)の概要」。
  2. 2 NPT第6条「各締約国は、核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、並びに厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について、誠実に交渉を行うことを約束する。」長崎大学核兵器廃絶センター「核兵器の不拡散に関する条約」。
  3. 3 米国とソ連が1987年11月8日に署名。射程500~5500キロメートルの中距離核戦力を廃棄することを定めている。(『軍縮辞典』日本軍縮学会、信山社)320-321頁。
  4. 4 黒澤満『核不拡散条約50年と核軍縮の進展』信山社、2021年、291-323頁。
  5. 5 核の傘とは、核報復の威嚇により、同盟国、友好国に対する第3国からの武力攻撃を抑止する概念。日本軍縮学会『軍縮辞典』信山社、101頁。
  6. 6 “UN treaty banning nuclear weapons set to enter into force in January,” United Nations, UN News, Global perspective Human stories, 25 October 2020.
  7. 7 Office of the Secretary of Defense, Nuclear Posture Review, February 2018, pp.1-15.
  8. 8 白岩ひおな「核兵器禁止条約が発効 米国や日本は不参加」『日経新聞』2021年1月22日。
  9. 9 U.S. Department of the Secretary of Defense, Nuclear Posture Review, April 16. 2010.
  10. 10 米国とロシアが2010年4月に調印し、2011年2月に発効した。2018年までに両国とも、戦略核弾頭の配備数を1500~1675の範囲内に、ミサイルや爆撃機などの運搬手段の総数を500~1,100以内に削減するよう定めている。『軍縮辞典』日本軍縮学会、信山社、256-257頁。
  11. 11 U.S. Department of State, New START Treaty.
  12. 12 高野遼、喜田尚「米ロ首脳、軍備管理協議開始で合意 会談後の会見は別々」『朝日新聞』2021年6月17日。
  13. 13 Joseph R. Biden, Jr “Why America Must Lead Again: Rescuing U.S. Foreign Policy After Trump” Foreign Affairs, March/April 2020.
  14. 14 金杉貴雄「核兵器の先制不使用案は「日本の反対で断念」 オバマ政権元高官が証言」『東京新聞』2021年4月6日。 黒澤満『核不拡散条約50年と核軍縮の進展』信山社、2021年、386頁。
  15. 15 「第1回核禁条約会議 未署名のスイスとスウェーデンが参加へ オブザーバーとして」『毎日新聞』2021年1月24日。
  16. 16 “Belgian government shifts stance on TPNW,” The International Campaign to Abolish Nuclear Weapons (ICAN)
  17. 17 「「原爆の日」特集:菅義偉首相あいさつ」『中国新聞』2021年8月6日。
  18. 18 脚注14参照。
  19. 19 例えば日本世論調査会の全国郵送世論調査によると、TPNWに対しては71%が日本の署名、参加を支持している。「核禁条約「参加を」71% 全国世論調査」『中日新聞』2021年8月1日。