前編で、国内における治安維持に軍を使用することに対してトランプ大統領以下、政治任用の政府幹部は前のめり、軍は慎重という違いについて指摘した。国内最大の実力組織である軍が銃を構えて国民に対峙すること、すなわち軍が市民社会と対立する勢力になることをどう捉えるかという姿勢の違いでもある。米国における市民社会と軍との関係に直結するこの問題を考える上で、その背景にあるアメリカ特有の制度を把握しなければならない。その上で重要なことは、アメリカの歴史、特に独立戦争と南北戦争に起因する問題を概観して、歴史的な背景を理解することだ。

 この点、第一に承知しておかねばならないのはポッセ・コミタタス/民警団法(Posse Comitatus Act of 1878)の成り立ちだ。この法律は、保安官が要請する場合には、一般市民が凶悪犯の追跡・逮捕などの法執行活動に参加することを定める一方、連邦軍がそのような法執行活動に参加することを禁止している。

 第二に、憲法上市民が武装することを是とした歴史的背景についても触れておく必要がある。市民が武器を保有していることを前提とした社会でなければ、そもそもポッセ・コミタタスという制度そのものが成り立たない。

 第三に、連邦と州の権限、連邦軍(Federal Force)と州兵(National Guard)との関係についても整理しておかなければならない。そうでなければ、連邦が州の権限に踏み込むというトランプ政権がやっていることの含意を見逃すからだ。

ポッセ・コミタタス(民警団)という制度と連邦軍

 第一次トランプ政権後半、連邦軍を国内の法執行活動に参加させることを巡って政府首脳と国防総省との間の緊張が高まった。2020年5月にミネアポリスで黒人男性ジョージ・フロイドが白人警官に殺害された事件を発端として抗議デモが拡大する中、当時のエスパー国防長官は、鎮圧のために連邦軍を動員しようとするトランプ大統領の方針を「支持しない」と明言して大統領を激怒させたのだ[1]。エスパーは、1986年に陸軍士官学校を卒業した後、2007年に中佐の階級で除隊するまで21年にわたって軍籍にあった職業軍人だ。大統領に公然と反対を唱えた背景にある要因の一つに、連邦軍の法執行活動関与を禁止するポッセ・コミタタス法(Posse Comitatus Act of 1878)に通暁していたことがあると考えてよい[2]。

 Posse Comitatusはラテン語で郡の治安部隊(force of county)の意、英国の慣習法を米国が導入し[3]、具体的には、保安官が法執行のために動員する一般市民のグループを指す[4]。西部劇で、保安官が(武器を持った)市民を募って重罪人を追跡する場面がしばしば見られるが、これがPosse Comitatusあるいは劇中では単にPosseと呼ばれる一団にあたる。1878年のポッセ・コミタタス法は「合衆国軍(筆者注:連邦軍の他大統領の指揮下に置かれた州兵部隊を含む)の一部をポッセ・コミタタスその他の形態で法令執行目的に従事させることは、憲法または連邦議会による法律で明示的に許可された場合を除き、一切合法としない」[5]と規定している。一般には、反乱や内乱のような非常事態を除き、連邦軍を法執行に参加させてはならないと理解されている[6]。

 ここで注目すべきは、この法律が成立した1878年は、南北戦争後の南部再建が終了した1877年の翌年にあたるということだ。敗北した南部諸州は、1865年の戦争終結後1877年まで、連邦軍すなわち北軍の占領統治を受けた。北軍の司令官で戦後大統領として南部再建にあたったユリシーズ・グラントは、1875年1月の演説の中で「(南部統治にあたった)軍は弁護士で構成されている訳ではなく、法や秩序を維持するにあたって、個々の場面でどこまでやって良いのかを判断する能力を欠いていた」[7]として、軍による統治に問題があったことを認めている。南部諸州にとってポッセ・コミタタス法は、連邦軍による統治が終了した後、再び同様の占領統治が行われないことの保証でもあった。トランプ政権が度々連邦軍あるいは連邦の指揮下に置かれた州兵部隊を治安維持にあたらせようとするのは、州の自由を尊重し、連邦の干渉を嫌うアメリカの伝統に反する行為だ。

市民の武器保有を是認する伝統

 イギリスとアメリカはともに市民の武装を是認する伝統を持つ。イギリスは、君主国でありながら、暴君に立ち向かうために市民が武装する権利を認めている[8]。アメリカ合衆国憲法第2修正は「規律ある民兵団(militia)は、自由な国家の安全にとって必要であるから、国民が武器を保有し携行する権利は、これを侵してはならない」と規定している[9]。アメリカ合衆国の建国後も、専制政治が生じる危険は排除できず、その場合には市民が武装して自衛のために戦うことが必要と考えてのことだ。

 アメリカ独立戦争(American Revolution)自体、一般市民の志願兵が主力となって戦われた。1775年、ボストン郊外のレキシントン・コンコードで独立を求める植民地軍と英軍の武力衝突が本格化して以降、特にアメリカ北東部のニューイングランド地方では、民兵が活躍した。民兵の多くは比較的裕福な自作農家で、平素は、銃を傍らに置きながら農作業に従事し、指揮官に招集されれば1分で準備を完了することからミニットマンと呼ばれた。本格的な軍事訓練を受けていないため、平地での正規戦闘は苦手だったが、地形に通暁していることと、狩猟経験が豊富で射撃技術が高かったことから山岳や森林地帯でのゲリラ戦闘の能力は高く、英本土から派遣された正規軍を翻弄した。日本では考えにくいことだが、アメリカでは市民が武装する権利が尊重される。暴政に抵抗することを正統とするイギリスの伝統を継いでいると同時に、その英本国から独立するために比較的裕福な市民が自ら武器をとって戦い抜いたというアメリカ建国の精神に由来してのことだ。

連邦と州/連邦軍と州兵

 千年以上にわたって中央集権の色合いの強い統治を経験してきた日本人にとってアメリカという国の成り立ちについて馴染み難いことの一つは、連邦(合衆国)と各州との間の関係だ。日本という国家、その下部機構としての都道府県があるという構図ではない。英国の植民地であった13州が合議の上で合衆国を建国した歴史を勘案すれば、むしろ州が築いた連邦という形に近い。このこともあって、アメリカ建国以来、連邦の権限と各州の権限の間には一種の緊張感がある。

 アメリカの歴史全体を見れば、合衆国大統領や連邦議会の権限が徐々に強くなってきたと言える。とはいえ、州の権限に属する事項も多い。前述の通り、市民が銃を保有する権利は合衆国憲法で保証されているが、銃の保有許可や携行の方法などに関する規制は、それぞれの州によって異なる。筆者が一時滞在したマサチューセッツ州は、規制が厳しく、州の許可がなければ所持できないし、取り扱いのライセンスも必要だが、隣接するメーン州では州の許可やライセンスといった制度そのものがない。

 個々のアメリカ人の州に対する帰属意識と合衆国に対する帰属意識に関しても、後者が徐々に強くなってきた。第三代アメリカ合衆国大統領トマス・ジェファソンが生前から準備していた墓碑銘には「ここに埋葬されているのは、トマス・ジェファソン アメリカ独立宣言の起草者 バージニア州宗教の自由に関する法規の起草者 そしてバージニア大学の創設者」とある。アメリカ合衆国大統領という経歴には一才触れていない。ジェファソンにとって墓碑銘に刻むほどのことではなかったのだろう。

 ところで、ジェファソンの時代「アメリカ合衆国(the United States of America)」という英単語は文法上複数扱いだった。州(States)に重きを置いた表現と言える。南北戦争でエイブラハム・リンカーンが率いる北部が勝利し、連邦の分裂を防止した1865年を境に「合衆国」は単数扱いとなる[10]。州の集合体という緩い概念からより強固に結束した連邦国家という形に変化したのだ。

 一方、憲法上連邦(大統領)の権限と州(知事)の権限の間には明確な境界があり、特に連邦が州の権限に過剰介入することには強い抵抗がある。この関係は、連邦軍(Federal Forces)と州兵(National Guard)の間にも適用される。実は連邦軍たる陸軍部隊と州兵の部隊に装備や編成、さらには緊急事態に際する出動の時期などに差異はない。ただし、建前上州兵は平時知事の監督下にあり、例えば治安維持や災害救援に際して知事の命令で行動する仕組みになっているが、連邦軍の部隊は(任務遂行を目的として)州に立ち入ることはできない。冒頭でポッセ・コミタタス法を説明する際に引用したDave Roosの論文の題名「連邦兵士の州立ち入りを禁止した1878年の法律(The 1878 Act That Barred Federal Troops from States”)」[11]が示唆する通り、州の縄張りに連邦軍の入る余地はないのだ。この項の冒頭で述べた通り、アメリカ合衆国建国の歴史を勘案すれば、州に対して一定の自由と権限を認めることはその民主主義の根幹にあると言える。トランプ政権が往々にして州の権限を軽んじているように見えることには、この考え方に対する挑戦という含意がある。

終わりに

 冒頭に述べたポッセ・コミタタス法は、南北戦争に敗北した南部諸州が連邦軍すなわち北軍に占領統治されたトラウマから生まれた制度だと言える。ただし、そもそも軍隊は法執行のための組織でなく、兵士は警察活動に必要な訓練を受けている訳でもないということを考えれば[12]、この法律の精神は正しいように思える。強大な国家権力で国民を抑圧する図式は民主主義に馴染まない。トランプ政権がしばしば連邦軍を治安維持に出動させようとするのは、アメリカ民主主義の伝統に反する行為だし、行きすぎれば、国を分裂させる恐れすらある。

 この点、自衛隊はデモの鎮圧に軍隊を使うことの深刻な意味を実際に体感したことがある。1960年、安保騒動の拡大・激化に際して、防衛庁・自衛隊がデモ鎮圧のため出動を要請された時のことだ。同年6月19日に予定されていたアイゼンハワー大統領訪日を前に、日米安保条約改定に反対するデモが拡大し、国会議事堂周辺に数十万のデモ隊が集結する事態となった。同15日には、デモに参加していた東京大学在学中の樺美智子氏が機動隊との衝突で圧死する。この頃、岸信介首相は自衛隊の治安出動を求めたが、赤城宗矩防衛庁長官をはじめとする防衛庁・自衛隊や警察幹部が自衛隊の出動に強く反対したこともあって出動には至らなかった。赤城長官は、首相の要請に対して「(出動する自衛隊が)武器を持ったら日本人を殺すことになる。反発が強まってデモは全国に広がり、抑えられなくなる。武器を持たなければ逆にデモ隊におしつぶされてしまう」と応じたと記録にある[13]。武器を使用することで国民の敵になるか、使用せずに潰されて国民の信頼を失うかの選択を迫られることになる。

 第一次トランプ政権発足以来、アメリカは分裂を深めているように見える。とは言え、その分裂はあくまで保守とリベラルの政策を巡っての政治的な対立だ。軽々に連邦軍を使用することでデモ参加者や鎮圧部隊に死者が出るような事故が起きれば、軍と国民そして連邦と州の対立が拡大し、また、武器の使用にまでエスカレートする危険を否定できなくなる。ポッセ・コミタタス法が成立した背景とその精神に意を用いるべきだ。

(2026/02/24)

脚注

  1. 1 「トランプ氏、エスパー国防長官を解任 人種差別抗議デモ鎮圧で対立 アメリカ大統領選」『東京新聞』2020年11月10日。
  2. 2 筆者の現役自衛官時代に勤務・観察していた米国では、米軍人が災害救援を含め国内での活動に慎重な態度を示した例は枚挙に暇がない。2005年に米南東部を襲ったハリケーン・カトリーナの災害対処に際してイラク戦争派遣のために州兵が不足する中、連邦軍の部隊派遣の敷居が高かったという指摘もあった。
  3. 3 米国が英国の慣習法によるPosse Comitatusを法令化したもの。
  4. 4 Dave Roos, “The 1878 act that barred federal troops from states,” History (by A&E Networks), September 3, 2025.
  5. 5 Joseph Nunn, “The Posse Comitatus Act Explained,” Brennan Center for Justice, October 14, 2021(updated September 29, 2025).
  6. 6 Dave Roos, op. cit.
  7. 7 Speech by President Ulysses S. Grant, “January 13, 1875: Message Regarding Intervention in Louisiana,” University of Verginia, Miller Center, accessed on February 15, 2026.
  8. 8 1689年に制定された英国の「権利の章典」第二部が規定する国民の権利13項目中、第7項は「新教徒である臣民は、法の許す範囲内で自衛のため武器を持つことができる」としている。
  9. 9 「合衆国憲法日本語抄訳」神戸大学、2026年2月25日アクセス。
  10. 10 Willamson Murray says that “before 1861 Americans said ‘the United States are’; after 1865 they said ‘the United States is’” in his “The Industrialization of War” in Geoffrey Parker’s (edit), The Cambridge History of Warfare, Cambridge University Press, 2005, p.238.
  11. 11 Dave Roos, op. cit.
  12. 12 Ulysses S. grant, op. cit.
  13. 13 水島朝穂「反戦デモは『グレーゾーン事態』か?―――2020年陸幕記者会見資料と『60年安保と治安出動』」『平和憲法のメッセージ』2022年4月18日。