トランプ政権の国防総省幹部や軍首脳の人事を巡る動きには「解任」「更迭」「早期退任」などといった穏やかでない言葉がつきまとい、これまでになく騒がしい。これらの解任劇はいずれも政権中枢と軍首脳の関係が不調和であることの顕れだが、三つカテゴリーに分類できる。その第一は、D E I(多様性、公平性、包括性)推進政策によって過度に優遇され軍のトップクラスに昇任したと見なされるマイノリティ出身者の更迭だ。二つ目は、軍を国内治安維持任務に従事させることに消極的な政府高官や高級軍人を排除するための人事措置だ。三つ目はその他個別の政策や戦略に関してトランプを中心とする政権中枢と意見が合わない、あるいは対応が十分でないという理由で政権に対する忠誠心が欠けていると見なされた場合にあたる。

 本論考の前編では、まずトランプ政権の政治家と軍首脳、言い換えれば政府と軍の関係を観察して、どのような変化が起きているのか、また、その含意はどのようなものなのかという点を考察する。後編では、前編第二のカテゴリーで扱う問題、すなわち連邦軍あるいは大統領の指揮下にある州兵を国内治安維持任務に従事させることに関する議論を掘り下げる。この問題の歴史的な背景を概観すれば、アメリカ市民社会と軍との間にある独特な関係を理解する糸口が得られるからだ。

DEI推進のためのマイノリティ優遇措置への反発

 とりわけ、上述の第一のカテゴリーは最も頻繁に報道され、また、軍のトップクラスの将校に対する人事処置なので際立って見える。大統領就任式の翌日、1月21日には動きがあった。バイデン政権下で沿岸警備隊初の女性司令官に任命されたリンダ・フェーガン大将が解任されたのだ[1]。解任理由には、国境管理に失敗したこと、多様性・公平性・包括性(D E I)を過度に重視したことなどが挙げられた。

 フェーガン大将は、米軍を構成する六つの軍種、すなわち陸海空軍、海兵隊、宇宙軍及び沿岸警備隊において初めてトップに立った女性だった。ついで2月21日には、女性として初めて海軍の制服組トップすなわち海軍作戦部長のポストに就いたリサ・フランチェッティ大将が四年任期の半ばを待たずに解任された[2]。同日に解任された統合参謀本部議長チャールズ・ブラウン空軍大将は、トランプ政権の一期目でアフリカ系アメリカ人初の空軍参謀長として抜擢され、バイデン政権下で軍のトップに立つ統合参謀本部議長に昇格した人物である[3]。女性二人と一人のアフリカ系アメリカ人、マイノリティ三人の大将をバイデン政権によるD E I推進政策の残滓として排除したことになる。

国内における治安維持に軍を使用することへの姿勢の違い

 二つ目のパターンは、個別の政策や戦略に関する見解の違いが原因となるケースの中でも、特に軍を治安維持任務に就かせることの是非・可否をめぐっての立場の違いが背景になる場合だ。トランプ大統領にとっては、第一次政権の後半にアフリカ系アメリカ人に対する差別を巡る騒乱に際して顕在化した問題[4]の再来でもある。

 そもそも、アメリカ社会には、知事の指揮下にある州兵が国内での任務に従事することを例外として認める以外、国内で軍が実力行使することに対しては強い抵抗がある。この問題を巡る議論、特に歴史的な文脈を含む詳細については、本論考の後編に任せることとしたい。概して国防総省文官を含む軍首脳をはじめ、軍そのものは極めて慎重な姿勢を貫いてきた。例えば、トランプ大統領第一期目半ばに政権入りしたマーク・エスパー国防長官は、暴徒化したデモを鎮圧するために軍に使用することには一貫して反対だった[5]。国内の治安は警察や沿岸警備隊など法執行機関の任務であり、国防に任ずる「(連邦軍の)現役部隊を治安維持の役割で使うのは最終手段」という認識がその背景にある[6]。これに対してトランプ大統領は当時、軍による実力行使を真剣に考えていた模様で、ミリー統合参謀本部議長に対して「撃てないのか?足を撃つとか何かできないか?」と質問したそうだ[7]。軍を治安維持のために使うことに対する認識に大きな違いがあることがわかる。このような経緯をきっかけとしてトランプとの関係が悪化したエスパーは政権末期に解任され[8]、ミリーは第二次トランプ政権発足直後に要人警護の対象から外される[9]などの報復を受けた。

 第二次トランプ政権発足からまもない2月下旬、ヘグセス国防長官は、陸海空軍のトップ法務官を更迭する旨を明らかにした[10]。その理由は明らかにされていないが、軍が行動する上での法的制約をより緩やかに解釈する法務官を据えることによって政策遂行を容易にしたいという意図があることは想像に難くない。国内の法執行活動に軍を使用することについての敷居をできるだけ下げることも狙いの一つであろう。実際、トランプ大統領は、9月30日に米軍幹部をクワンティコ海兵隊基地に集合させた場で、国内都市への部隊派遣を「軍の訓練場」として利用する考えを明らかにしている[11]。

個別の政策に関する相違が忠誠心の欠如と見なされる場合

 これまでに述べた解任劇の二つのパターンは、トランプ政権ならではと言える問題が背景にある。一方、そもそも政治指導者と軍首脳の間に個別の政策や戦略に関する見解の違いがあるのは不思議ではなく、軍事に対する政治の優先、すなわちシビリアン・コントロールの下では、軍首脳が解任され、あるいは高級軍人が職を辞して政策への反対を表明することは珍しくない。

 最近の米国では、ブッシュ政権下でラムズフェルド国防長官、ウオルフォウィッツ国防副長官が当時の陸軍参謀長エリック・シンセキ大将を冷遇した例がある。イラク戦争開戦直前の上院公聴会で、イラク制圧後の支配に「数十万の兵力が必要」と発言したのがきっかけだった。直後の報道でウォルフォウィッツ副長官は「全く的外れ(wildly off the mark)」とこき下ろした。できるだけ小兵力(十数万)で電撃的に作戦することを目指していた長官、副長官にとって、シンセキ大将はその方針に楯突いたとみなされたのだ。その後のイラクの戦況をみればわかるとおり、結果としてシンセキの指摘は正鵠を射たものであったが、解任こそされなかったものの、退役の1年半前に後任が指名されてレームダック化しただけでなく、退役のセレモニーには長官及び副長官が慣例に反して欠席するという展開となった[12]。

 トランプ第二次政権で目に付くのは、国防総省の情報トップが解任された経緯だ。ヘグセス国防長官は、8月22日、国防情報局(D I A: Defense Intelligence Agency)局長ジェフリー・クルーズ空軍中将を解任した[13]。イランの核施設に対して今年6月21日に米軍が行った爆撃に対する評価をめぐってのことだった。大統領自身ソーシャルメディアで「歴史上最も成功した攻撃の一つ」と自画自賛するこの作戦に関するD I Aの評価は手厳しいものだった。メディアは「イランの核関連計画を壊滅できず、せいぜい数ヶ月ほどの遅れをもたらした程度」とするD I Aの初期評価を報道した[14]。トランプ大統領は、自身の肝煎りの作戦だっただけに激怒した上で作戦の成功を喧伝した。第二次世界大戦中、我が国における軍の戦果発表が多くの場合、国民の戦意を維持するための誇大宣伝であったことを彷彿とさせる[15]。国民に対して政府が恣意的に情報を操作することの危険を意識する必要がある。

結びにかえて―米国の政軍関係を観察する上で留意すべき点

 これまでに述べた軍首脳人事を巡る政・軍間の緊張関係から、米国における政軍関係を観察する際に留意すべき点がいくつかある。第一の点だが、三つのパターンのうち最初に取り上げたD E I推進政策に起因する政軍間の軋轢について言えば、バイデン政権の軍首脳人事がアメリカ社会のリベラル側に相当寄ったものだったことを勘案する必要がある。トランプ政権発足直後まもなく解任されたフランチェッティ海軍作戦部長は、オーステイン国防長官の候補者リストのトップにはなかったが、バイデン大統領自身が他の候補者の中から抜擢したと言われる[16]。D E I推進論者が振りかざす一種の正義感を「woke(覚醒した)」と 揶揄するトランプやヘグセスにとっては、まさにwokeな選択だった。この海軍作戦部長解任劇は、バイデン政権下でのリベラルな政策に対する保守側の反撃ということもできよう。

 第二の点は、一般論として政治と軍事の間に一種の緊張感があるのは当然だということだ。両者の役割と性格が異なり、前者に任ずる政治指導者と後者に任ずる軍人の価値観や使命感も異なるからだ。プロシアの軍事思想家クラウゼヴィッツは、『戦争論』の中で「戦争がそれ自身の文法を有することは言うまでもない。しかしながら、戦争はそれ自身の論理を持つものではない」と述べた[17]。言い換えれば戦争の目的と手段の関係でもある。戦争の論理すなわち目的を規定するのはあくまで政治指導者の役割であり、軍人は目的を達成するための手段たる軍事力行使の文法に専念する。ここで大切なのは両者が戦争の目的についての認識を共有することだが、これが容易ではない。

 南北戦争の初期、リンカーンが直面した問題の一つはこのことだった[18]。1861年の開戦以来北軍はワシントンの南に隣接するバージニア州に度々侵攻し、その州都であり南部の首都でもあるリッチモンドに迫ろうとするが、ロバート・E・リー将軍の采配に翻弄され、その都度撃退された。1863年7月ゲティスバーグで北軍が南軍の主力に決定的な損害を与えるまでの1年半の間に、リンカーンは3人の司令官を更迭した。ジョージ・マクレラン(1862年11月7日解任)、アンブローズ・バーンサイド(1863年1月26日辞任)、ジョセフ・フッカー(1863年6月28日辞任)だ。

 ジョージ・ミードは、1863年7月1-3日のゲティスバーグの戦いでリー将軍に勝利するものの、追撃に移行するのが遅れたために南軍を捕捉し損ない、撃滅・終戦に至る成果を得ることはできなかった。リンカーンにとっては、南部が合衆国から分離することを阻止することが最大の使命だった。そのためには、南部の軍を撃退するだけにとどまらず、その主力を殲滅して合衆国への回帰を強要することが最低条件であったが、このことを正確に理解していたのは、ゲティスバーグの戦いの後に北軍の最高司令官となるユリシーズ・グラント将軍だった。グラントとその右腕とも言えるウィリアム・シャーマンは、戦争継続のための産業基盤や経済力にも決定的なダメージを与える必要性を深く認識しており、南部の軍事力だけでなく経済基盤をも破壊して戦争終結に寄与した[19]。第二次世界大戦でアメリカがドイツと日本に対して無条件降伏を求めたのと同様、中途での講和という選択肢はなかった。

 第三の点は、マイノリティを包摂しようとするアメリカ社会の倫理観に関する問題だ。リンカーン大統領が奴隷解放を宣言したのは南北戦争2年目の1862年のことだ。以来、1964年にアフリカ系アメリカ人の公民権が法律によって担保されるまで一世紀を要した。1950年代以降キング牧師をはじめとする公民権運動推進者が払った努力によるところが大きかった。女性の社会参画も同様の長い道のりを辿って現在に至る。トランプ政権によってこの動きに水がさされたのは確かだが、トランプ大統領自身、心底マイノリティを見下しているのではないことに期待したい。

 そもそも、4月に解任されたブラウン統合参謀本部議長をアフリカ系アメリカ人初の空軍参謀長に抜擢したのは第一期のトランプ大統領だったという事実はポジティブな材料として見ることができるのかもしれない。政軍関係におけるマイノリティを巡る問題を含め、これからのアメリカ社会がリベラルと保守の間で振り子のように行きつ戻りつするのか、あるいは、トランプ政権が示唆する方向に振り切れるのか、予断を許さない時期に来ている。

(2025/12/22)

脚注

  1. 1 Idrees Ali, Phil Stewwart and David Shepardson, “Trump removes U.S. Coast Guard Chief: Official Cites DEI Focus,” Reuters, January 22, 2025.
  2. 2 Jon Harper, “Trump fires Franchetti as chief of naval operations,” DEFENSESCOOP , February 21, 2025.
  3. 3 Ibid.
  4. 4 中村亮「米国防長官、軍動員に反対 デモ巡りトランプ氏と相違」『日本経済新聞』2020年6月4日。
  5. 5 Ibid.
  6. 6 Ibid.
  7. 7 Michael Martin and Tinbete Ermyas, “Former Pentagon chief Esper says Trump asked about shooting protesters,” NPR, May 9, 2022; Gregg Jaff, “In pursuit of a “Warrior Ethos,” Hegseth Targets Military’s top Lawyers,” The New York Times, February 22, 2025.
  8. 8 Rebecca Shbad and Carol E. Lee, “Trump tweets that Defense Secretary Mark Esper has been ‘terminated.’” NBC NEWS, November 10, 2020.
  9. 9 「米国防長官、トランプ氏の敵に「報復」 元制服組みトップの警護剥奪」『毎日新聞』2025年1月29日。
  10. 10 Hugo Lowell, “Pete Hegeseth to overhaul US military lawyers in effort to relax rules of war,” The Guardian, March 13, 2025.
  11. 11 Bernd Debusmann and James FitzGerald, “US cities should be military training grounds, Trump tells generals,” BBC, October 1, 2025.
  12. 12 Nicholaus Mills “The General who Understood Iraq from the Start,” Dissent, April 25, 2008.
  13. 13 Rachel Muller-Heyndyk, “Pentagon fires intelligence agency chief after Iran attack assessment,” BBC, August 24, 2025.
  14. 14 Ibid.
  15. 15 このような日本軍の誇大広告は「大本営発表」と呼称され、終戦後「政府や有力者などが発表する、自分に都合がよいばかりで信用できない情報」を指す言葉として用いられることとなった。「大本営発表」コトバンク、2025年12月11日アクセス。
  16. 16 Lara Seligman, et.al., “Inside Biden’s decision to nominate the first female Joint Chief,” Politico, July 21, 2023.
  17. 17 Carl von Clausewitz, On War, trans. & eds. Michael Howard and Peter Parret, Princeton University Press, 1984, p.605.
  18. 18 リンカーンにとっては、南軍を撃滅し、南部の戦争遂行能力に決定的なダメージを与えるという目的を共有できる司令官を探し求める時期だったと言える。マクレランは、アンティタムの戦場で初めてリー将軍に勝利したが、その後の追撃を怠ったため、戦果を決定的なものとできず、責任を問われて解任された。後任のバーンサイドは、フレデリックバーグに南軍を追い詰めながら稚拙な攻撃のせいで自軍に大きな損害を出した責任をとって辞任した。フッカーは、北部に侵入した南軍を追って決戦に持ち込むようリンカーンに指示されるが、ワシントン近郊の基地警備兵力増強を要求して受け入れられなかったために辞任した。ミードは、ゲティスバーグの戦いの3日前に司令官となる。リーの部隊は、高地に陣取った北軍に対して大規模な歩兵による突撃を敢行するが、北軍陣地からの射撃で大損害を出して戦闘力を失うこととなる。そのミードも追撃を求めるリンカーンの意図、すなわちこの機会に南軍を徹底的に叩くことの重要性を理解しておらず、その機会を逸する。
  19. 19 サムエル・モリソン、西川正身(翻訳監修)『アメリカの歴史第3巻』集英社文庫、1997年、511-517頁。