繰り返す軍事衝突

 2025年5月から、タイとカンボジアの間で国境をめぐる軍事衝突が起こっている。両国は、「軍事衝突→停戦合意→国境地域で再び緊張の高まり→再度の軍事衝突」の悪循環を繰り返している。大きな衝突は7月と12月に起こり、銃撃戦から始まりタイは戦闘機を用いてカンボジアの軍事施設を爆撃し、軍事的に劣勢なカンボジアはドローンによる攻撃で対抗するなど、衝突のレベルも高まっている。交戦によって民間人を含め百人単位の死者が出たほか、約80万人の避難民が生じ、国境を介した社会経済活動は途絶した。

 実は、こうした大規模な軍事衝突は今回が初めてではない。国境地域での争いは歴史的な経緯があり、係争地の1つであるプレアビヒア寺院遺跡については、1962年に国際司法裁判所がカンボジア領との判断を下した。しかし、2008年にカンボジアが同遺跡を世界遺産への登録を申請すると、これがタイ国内で政争の火種となり、ナショナリズムが煽られ、国境地域で両国間の緊張が高まる結果となった。両国軍の対峙は散発的な衝突に発展し、重火器を用いた戦闘で死者も出た。

 今回の衝突のきっかけも、タイ国内の政治対立であった。政権側がカンボジアと合意した国境地域での共同開発に関する合意がタイ側の領土喪失につながりかねないとして野党が攻撃を始め、ナショナリズムを媒介して政治対立が激化した。タイの政争によってカンボジアも態度を硬化させ、国境地域での緊張が高まった[1]。一方カンボジア側のナショナリズムと反タイ感情も高まりを見せ、フン・マネット政権も国防力強化の政策を進めた[2]。

ASEANの仲介努力と米中の関与――1回目

 タイとカンボジアが属する東南アジア諸国連合(ASEAN)は、域内紛争の解決に関する制度を複数有している。1976年に締結された東南アジア友好協力条約(TAC)第4章「紛争の平和的解決」では、第14条で紛争処理を目的とした高等理事会(High Council)を設置する旨規定している[3]。また2008年に発効したASEAN憲章第23条は、解決の手段を斡旋(good offices)、調停(conciliation)、仲介(mediation)の3つに区分し、紛争当事国はASEAN議長国か事務総長にその役割を依頼することができると規定している[4]。さらに紛争解決手段の詳細規定として、2010年4月に「紛争解決メカニズムに関するASEAN憲章議定書」が定められた[5]。

 しかし、これらの紛争解決制度はこれまで適用されたことがない。タイ・カンボジア間の前回の衝突の際、カンボジアはASEANによる仲介を求めたが、タイがこれを拒否した。紛争当事国の一方がこれを拒否すれば、メカニズムは作動しない。ASEANの公式の制度が動かなかったため、当時の議長国インドネシアが非公式に仲介外交を展開し、両者はASEANによる停戦監視団の派遣に合意した。だが、派遣も実現には至らなかった。両国間の緊張が緩和したのは、タイの政権交代でカンボジアへの態度が軟化し、かつタイで起きた洪水被害によって同問題に対する国民の関心が低下したことによる。最終的な解決は、2013年に国際司法裁判所が再びプレアビヒア寺院をカンボジア領と確認し、タイ軍撤退を命じた判決によってもたらされた。この事案は、ASEANが域内紛争を解決する能力の限界を浮き彫りにした。

 今回も、ASEANの公式の制度は全く活用されていない。かろうじて機能したのは、やはり議長国マレーシアによる仲介である。2025年7月に両国間で戦闘が激化すると、マレーシアのアンワル首相はカンボジアのフン・マネット首相とタイのプームタム首相代行にそれぞれ即時停戦を訴えた。カンボジアは同意したものの、タイはマレーシアの仲介を拒否した[6]。しかし、「平和の使者」を自認するアメリカのトランプ大統領が仲介に乗り出し、それぞれの国と進行中だったアメリカとの関税交渉を引き合いに出し、「アメリカは紛争が終わるまで両国との関税交渉を進めない」と関税と停戦協議をディール化した。トランプのディールは効果絶大であり、これまでマレーシア、そして中国の仲介の申し出すら拒否していたタイは折れ、停戦協議の開始に同意した[7]。

 2025年7月28日、マレーシアが主催し司会を務める特別会合が行われ、マレーシア、カンボジア、タイの首相級が参加した。米国は共催の形をとり、中国も参加し、両国からは大使館関係者が参加した。会合でタイとカンボジアは即時無条件の停戦、現地司令官間の非公式会合の開催と、総合国境委員会の開催で合意した。またマレーシアは停戦監視団の派遣を提案した[8]。その後マレーシアで開かれた総合国境委員会でタイとカンボジアは、両国に駐在するASEAN各国武官からなる停戦監視団の受け入れで合意した[9]。

 10月にマレーシアでASEAN関連会合が開かれた時、状況は一歩進展した。一連のASEAN会合の際、タイとカンボジアの首相が出席した和平協定の調印式が行われ、両国はASEANの停戦監視団受け入れを再確認すると同時に、事態の鎮静化に努力を払い、信頼関係の再構築に努めることを約束したのである。調印式にはトランプ大統領も出席し、「平和の使者」ぶりを国際社会にアピールした[10]。

 調印式を主催したアンワル首相は、域内紛争に役割を果たすASEANの姿を国際社会に示すことに成功したと言えよう。また調印式を「誘い水」としてASEANの会合に興味のないトランプ大統領をクアラルンプールに招くことに成功したことも、ASEANの多国間枠組みの有効性を示す議長国としての務めを果たしたことを意味する。実際には、トランプ政権の中東政策をめぐってトランプ大統領の招へいにはマレーシア国内の批判が強かったことからも、アンワル外交の成果は完全なものではなかった。しかし、トランプ招へいを機にマレーシアは米国との2国間の貿易協定の調印を果たし、マレーシアの経済的な実利の観点からも招へいの意味は大きかった[11]。

2回目の仲介

 しかし、事態はすぐに再び流動化する。11月末に国境地帯でタイ軍兵士が地雷で負傷する事案が発生し、タイはカンボジアが敷設したものとして和平合意履行の停止を宣言した。12月に入ると散発的な衝突が再び起きるようになり、タイ軍はカンボジアでの空爆の範囲を拡大した。米中がタイ・カンボジア両国それぞれに事態の鎮静化を促す一方、マレーシアも再び仲介に乗り出し、12月22日にはASEAN外相特別会合がクアラルンプールで開催された。会合にはアンワル首相も出席し、両国は再度停戦を促された[12]。会合での合意に従い、12月27日両国は一般国境委員会の特別会合を行い、事態の鎮静化で合意した[13]。

展望――仲介のモメンタムは次期議長国に引き継がれるか?

 12月末の合意以後、事態のエスカレーションはかろうじて生じていないが、両国はそれぞれ他方が停戦合意の内容を誠実に履行していないとして非難を続けている。タイ内政の状況としては、2026年2月に総選挙が予定されており、ナショナリズムの高まりを受け、選挙が終わるまで各政党はカンボジアへの態度を軟化させることは困難である。また選挙後も、ここ20年守旧派と改革派の争いが続くタイ政治の構造が変化し、安定する可能性も低い。カンボジア側のナショナリズムの高まりもあり、両国間の関係が即座に改善する見込みは薄い。

 公式の紛争解決機能は相変わらず全く活用されることはなかったが、ASEAN議長国マレーシアはできる限りの仲介役を果たしたといえる。アンワル首相の粘り強い働きかけで、クアラルンプールでの両国の話し合いはその都度事態の鎮静化と停戦合意に至った。ASEANは、公式の制度ではなく非公式の仲介によって域内紛争を処理することはできた、という意味で、安全保障共同体としての面目をかろうじて保った。ただ、第3国の仲介に消極的であったタイを交渉のテーブルにつかせたのは、実際にはアメリカ、特にトランプ大統領の強力な働きかけによるものであり、また中国もタイ、カンボジア両国に強い影響力を持つ大国としての面目をかけ、積極的な仲介外交を行った点も無視できない。

 2026年からはフィリピンが議長国を務めている。南シナ海での中国との緊張の高まり、というフィリピン自身の安全保障情勢を背景に、同国はASEANと中国の枠組みにおける南シナ海問題の前進、特に行動規範(COC)の協議を進めることに意欲を示している。それゆえ、タイ・カンボジアの国境紛争についてはこれを米中に任せ、自らがイニシアチブをとることには消極的になるのではないかとの憶測もある[14]。そのため、まずは軍事衝突が再び起こらないよう両国への働きかけを続けることが、ASEANには求められているのである。

(本稿の見解は筆者個人のものであり、筆者の所属組織の公式見解ではない)

(2026/02/09)

脚注

  1. 1 青木(岡部)まき「タイ・カンボジア国境衝突――その背景と展望、タイ国内政治からの示唆」アジア経済研究所『IDEスクエア』2025年6月。
  2. 2 初鹿野直美「カンボジア・タイ国境問題――カンボジアの影響と対応」アジア経済研究所『IDEスクエア』2025年9月。
  3. 3 ASEAN, “Treaty of Amity and Cooperation in Southeast Asia,” p. 5.
  4. 4 ASEAN, “Charter of the Association of Southeast Asian Nations,” p. 23.
  5. 5 ASEAN, “Protocol to the ASEAN Charter on Dispute Settlement Mechanism,” April 8, 2010, pp. 5-7.
  6. 6 Panu Wongcha-um, “Exclusive: Thailand favours direct talks to end Cambodia conflict, rather than mediation,” Reuters, July 25, 2025.
  7. 7 Panu Wongcha-um and Poppy McPherson, “Exclusive: Trump’s call Broke deadlock in Thailand-Cambodia border crisis,” Reuters, July 31, 2025.
  8. 8 Prime Minister’s Office of Malaysia, “Joint Press Conference on the Special Meeting Hosted by Malaysia to Address the Current Situation between Cambodia and Thailand,” July 28, 2025.
  9. 9 Ministry of Foreign Affairs, Kingdom of Thailand, “Joint Press Statement Extraordinary General Border Committee (GBC) Meeting Kuala Lumpur, Malaysia on 7 August 2025,” August 7, 2025.
  10. 10 Ministry of Foreign Affairs, Kingdom of Thailand, “Joint Declaration by the Prime Minister of the Kingdom of Cambodia and the Prime Minister of the Kingdom of Thailand on the outcomes of their meeting in Kuala Lumpur, Malaysia,” October 26, 2025.
  11. 11 Tang Siew Mun, “Trump in Kuala Lumpur: Upstaging ASEAN?” Fulcrum, October 24, 2025.
  12. 12 ASEAN, “ASEAN Chair’s Statement Special ASEAN Foreign Ministers’ Meeting on the Current Situation between Cambodia and Thailand,” December 22, 2025.
  13. 13 ASEAN, “ASEAN Chair’s Statement on the Outcomes of the Third General Border Committee (GBC) between Cambodia and Thailand on 27 December 2025.” December 29, 2025.
  14. 14 Sam Beltran, “Why Philippines as Asean chair may leave Thai-Cambodian peace problem to US, China,” South China Morning Post, January 6, 2025.