トランプ2.0の発足から1年余り。既存の特定の大国の意向に左右されることなく、多くの国と連携して実利を引き出してきた「インド外交」[1]が、試練の時を迎えている。

 2025年5月の印パ交戦を自身の仲介で停戦させたとのトランプ大統領の主張をモディ首相が受け入れなかったことを機に印米関係は危機に陥った。トランプ氏はパキスタン軍トップのムニール元帥をホワイトハウスで歓待したほか、同国の関税を大幅に引き下げるなど、インドの敵国を優遇する一方、インドに対しては関税引き下げどころか、ロシア産原油購入を理由に懲罰関税を上乗せし、計50%もの関税を課した[2]。2025年10月末の米中首脳会談後にトランプ氏が米中を「G2」と発言したことや、同年内にインドで開催されるはずであった日米豪印(クアッド)首脳会合も日程すら決まらず見送られたことなどから、この4半世紀にわたって続いてきた米国のインド重視路線がいまや放棄されたのではないかとの観測が広がった[3]。

突然の貿易協定合意発表

 そうしたなかで2026年2月2日、トランプ大統領はモディ首相と電話会談を行い、自身のSNSで「貿易協定に合意した」とし、インドへの相互関税を「25%から18%に減らす」と発表した[4]。直後にモディ首相もXでその事実を認めた[5]。ただし、トランプ氏の投稿にはインドにとって懸念すべき事項が含まれていた。それは第一に、「モディ首相がロシア産原油の購入を停止し、米国産の購入、将来的にはベネズエラからも大幅に購入することに合意した」という点。第二に、「インド側も米国に対する関税及び非関税障壁をゼロまで削減する方向で進める」という点。そして第三に、「モディ首相が5000億ドルを超える米国産エネルギー・技術・農産物・石炭等、米産品購入の大幅拡大を約束した」という点である。モディ氏はこれらのいずれにもついても、肯定も否定もせず沈黙を続けた。

 数日後に発表された「共同声明」では、今回の首脳合意の性格が貿易に関する「暫定協定」のための「枠組み」であると位置付けられ、今後、相互に有益な二国間貿易協定(BTA)締結に繋がる暫定協定の最終決定に向けて取り組むと記された[6]。つまり、まだ入り口段階での合意に過ぎないわけであるが、先の発表と合わせ、モディ氏がトランプ氏の圧力に屈して大幅な譲歩を強いられたのではないかとの疑念がインド国内で広がった。

 共同声明とともに、トランプ氏は上乗せ25%の「懲罰関税」を撤廃する大統領令にも署名した[7]。これにより、「相互関税」分と合わせた50%の関税が、一挙に18%に引き下げられることが明らかになった。それ自体はインドにとって歓迎すべき話ではある。しかしインド国内で懸念されたのは、インドがロシア産原油の輸入を「再開」したと商務長官が認定した場合には、関税が再課されることも大統領令に明記されている点であった。

 インドは農産物を含む関税の撤廃・削減、さらにはロシア産原油の購入停止に同意したのか?と野党や農業団体、メディアは政府を厳しく追及した。依然として人口の半数近くが第一次産業に従事するインドでは農産物は「聖域」である。今年も各地で州議会選挙があることを踏まえると、農民を犠牲にしたとの印象を与えるわけにはいかない。現に政府は、対米に限らず、EUとの貿易交渉も含めて、農業では譲歩していないと表明してきた[8]。また原油購入に関しては、原油の調達は市場原理とエネルギー安全保障の観点から判断するとの立場をモディ政権は繰り返し表明してきた[9]。米側の主張が事実ならば、モディ政権のこれまでの立場と矛盾し、米国への降伏に等しいではないか[10]。野党やメディアからの批判に晒されることとなったのだ。

米最高裁判決とイラン情勢の衝撃

 モディ政権をさらに困惑させたのは、共同声明発表から2週間後の2月20日に出された米最高裁判決である。国際緊急経済権限法(IEEPA)を根拠にトランプ大統領が各国別に課してきた「相互関税」は違法とされた。トランプ氏はただちに別の根拠法(1974年通商法第122条)に基づき、世界一律に10%の関税を課すとし、翌日には15%に引き上げる考えを示した。インドの場合は、50%から合意した18%への引き下げどころか、さらなる引き下げが自動的に実現したのだから、喜ぶべきかもしれない。しかしこれは野党やメディアから、トランプ関税が法的争議下にあるのはわかっていたのに、なぜ合意を急いだのかとの批判を招くこととなった[11]。

 たしかに合理的に考えるとインドが米国に大きな譲歩をする理由は見当たらない。50%関税が半年続いていたが、物品・サービス税(GST)引き下げによる内需喚起策や輸出先の多角化を進めたことが功を奏し、繊維や宝飾品などの一部分野を除けば、インド経済は堅調であった[12]。そのうえ新たに、英国やオマーン、ニュージーランド、そしてEUと自由貿易協定(FTA)で合意し、さらなる多角化の道が開けていた。それゆえ、米側がインドに譲歩するなら理解できるとしても、印側が合意を焦る必要はない。野党からは、モディ氏に近い新興財閥トップのアダニ氏が米国で起訴されていることや、エプスタイン文書でモディ政権との関わりが指摘されていることなどで、何らかの弱みを握られているのではないかと訝る声も上がった[13]。

 そこから一週間後の2月28日に始まった米国とイスラエルによるイラン攻撃は、モディ政権をさらに困惑させることになる。インドにとってパキスタンの向こう側に位置するイランは地政学的に重要なパートナーであり、モディ政権は同国のチャーバハール港の開発を進め、その権益を確保するなど戦略的関係を強化してきた。しかし同時にモディ政権は米国との関係は言うまでもなく、反イスラム(過激主義)思想で共鳴するイスラエルとも、安全保障と経済の両面で急速に関係を強化してきた[14]。攻撃直前の25~26日にも、モディ首相がイスラエルを訪問して改めて対テロでの連帯を表明するとともに、ネタニヤフ首相と両国関係の「特別戦略的パートナーシップ」への格上げを決定したところであった[15]。加えて、イランによる報復攻撃を受けたサウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)などもインドにとっては経済・エネルギーなどで欠かせないパートナーである。UAEとは1月に「二国間戦略的防衛パートナーシップに関する意向書」に署名したばかりでもある[16]。

 難しい方程式のなか、モディ政権は立場を明確にしないことを選択した。モディ氏はネタニヤフ氏との電話会談では「現在の地域情勢」に対するインドの懸念を伝え、民間人の安全が最優先事項でなければならないとし、戦闘の早期終結の必要性を表明した[17]。しかし、米イスラエルのイラン攻撃で、最高指導者ハメネイ師が死亡したことについてはコメントを避け続けた[18]。他方、報復攻撃の被害を受けた周辺国に対しては、イランの名指しは避けながら攻撃の行為を非難した[19]。米イスラエル、イラン、アラブ諸国のいずれにも配慮を示さねばならなかったのである。

 3月4日に起きた米潜水艦によるスリランカ沖でのイラン艦艇撃沈事件は、モディ政権をさらに苦しい立場に追い込んだ。インド海軍主催の国際演習MILANからの帰途にあった当該艦艇が、こともあろうか「インドの裏庭」で攻撃されたのである。インド海軍は事件から36時間後にインドもスリランカ主導の救出活動を支援したとの声明を発表した。しかし海軍のみならず、首相や閣僚からは、この件に関する米国への抗議や非難のコメントはおろか、犠牲になったイラン人乗組員に向けた哀悼の意も示されなかった[20]。

 イラン情勢悪化に伴う原油価格高騰を受け、3月5日、ベッセント米財務長官は、突如としてインドに対し、ロシア産原油購入を30日に限って許可すると発表した[21]。それ自体はインドにとって歓迎すべき展開ともいえる。しかし、そもそも米国から「許可」してもらう、というのは筋違いであり、インドの戦略的自律性は危機にあるとの批判が高まった[22]。

インドは米国に屈するか?

 ハーバード・ケネディスクールの国際政治学者であるスティーブン・ウォルトはトランプ2.0の米国が同盟を軽視し、仲間に対しても圧力をかけて取引し、譲歩を引き出す「捕食的覇権」に転じたと論じる[23]。モディ3.0のインドはまさにその現実に直面しているといえよう。インドはその餌食になり、戦略的自律性を放棄して米国に追従するのだろうか?

 インドの大国意識と自律志向、さらにはモディ首相の標榜する「世界のグル」という言説を踏まえると、その可能性は低いように思われる。米最高裁判決を受け、モディ政権は予定されていた印米暫定協定の最終文案策定交渉を延期すると発表した[24]。法的根拠が事実上失われた以上、インドとしてはあらゆる約束を再評価すべきだとの声も上がる[25]。そもそも共同声明には、いずれかの国が合意した関税を変更した場合、約束を変更できるという文言もあることから、インドはこの条項を利用して協定からの離脱、交渉の延期、あるいは新たな条件の要求のいずれかを選択し、より公平な貿易協定を求めるべきとの主張もある[26]。

 インドの地政学的利益を考えれば、イラン情勢への対応は慎重にならざるを得ないところがあるのはたしかだ。とはいえ、国民に対し、「強い指導者」像を演じてきたモディ首相としては、トランプ大統領に屈したわけではない、という成果をアピールする必要があるだろう。トランプ氏が関税を「武器」として利用することが困難にになったいま、貿易協定交渉では巻き返しを図っていくのではないかと思われる。

(2026/03/17)

脚注

  1. 1 拙著『新興大国インドの行動原理―独自リアリズム外交のゆくえ』慶應義塾大学出版会、2020年、157-189頁。
  2. 2 拙稿「インドで急速に進む対米不信と印米関係の危機――トランプ・モディの友情の限界」笹川平和財団『国際情報ネットワーク分析 IINA』2025年8月7日。
  3. 3 Suhasini Haidar, “Trump-Xi bonhomie and reference to G-2 may impact India and Quad,” The Hindu, October 31, 2025.
  4. 4 トランプ大統領のTruth Social への投稿 、2026年2月3日。
  5. 5 モディ首相のXへの投稿、2026年2月3日。
  6. 6 The White House, “United States-India Joint Statement,” February 6, 2026.
  7. 7 The White House, “Modifying Duties to Address Threats to the United States by the Government of the Russian Federation,” February 6 ,2026.
  8. 8 Shivangi Acharya「インド・EUがFTA最終合意、自動車・ワインなど関税引き下げ 農産物除外」『Reuters』2026年1月27日; ゴヤル商工相のXへの投稿 、2026年2月7日。
  9. 9 Ministry of External Affairs, “Statement by Official Spokesperson,” August 6, 2025.
  10. 10 “Not a deal, but surrender: Congress alleges Indo-U.S. trade pact 'betrayal' with India,” The Hindu, February 7, 2026.
  11. 11 “All pain, no gain: Congress slams India-US trade deal amid Trump's tariffs chaos,”India Today, February 22, 2026.
  12. 12 “Rational response: On U.S.’s tariffs and statements, India’s response,” The Hindu, August 30, 2026.
  13. 13 “Rahul Gandhi links India-US trade deal to Epstein files and Adani case – ‘Sold the country’,” The Indian Express, February 25, 2026.
  14. 14 拙稿「インドのモディ政権 なぜイスラエル支持か」『正論』2024年1月号、76-83頁。
  15. 15 Ministry of External Affairs, “India - Israel Joint Statement,” February 26, 2026.
  16. 16 Kallol Bhattacherjee, “India, UAE deepen ties with mega defence plan, LNG deal,”The Hindu, January 20, 2026.
  17. 17 “After Backing UAE, Modi Calls Netanyahu, Urges Early End to Hostilities,” The Wire, March 2, 2026.
  18. 18 ようやく3月5日になってミスリ外務次官がデリーのイラン大使館を弔問記帳のため訪問したのみである。Kallol Bhattacherjee, “India condoles Khamenei death as Foreign Secretary Vikram Misri visits Embassy of Iran,” The Hindu, March 5, 2026.
  19. 19 Kallol Bhattacherjee, “Modi speaks to Saudi Crown Prince, Jordan, Bahrain Kings,”The Hindu, March 3, 2026.
  20. 20 “Lanka Shelters Second Iranian Warship, Sailors as Questions Mount Over India’s Delay After US Sank IRIS Dena,” The Wire, March 5, 2026.
  21. 21 ベッセント財務長官のXへの投稿、2026年3月5日。
  22. 22 “Strategic autonomy at risk: Congress on Russia oil waiver,” The Times of India, March 6, 2026.
  23. 23 Stephen M. Walt, “The Predatory Hegemon: How Trump Wields American Power,” Foreign Affairs, March/April 2026.
  24. 24 “India, U.S. to reschedule chief negotiators meet on interim trade deal: Sources,” The Hindu, February 22, 2026.
  25. 25 T.C.A. Sharad Raghavan, “What happens to India’s Russia oil imports and target of $500 billion imports from U.S.?” The Hindu, February 23, 2026.
  26. 26 Mukesh Jagota, “India, US defer meeting on trade pact,” Financial Express, February 22, 2026.