はじめに:月は前哨戦―深宇宙覇権を巡る米中の闘い

 2026年4月2日(日本時間)、NASAはアルテミスⅡの打ち上げに成功した。4名の宇宙飛行士を乗せた宇宙船オリオンは、アポロ17号以来53年ぶりとなる有人による月近傍通過飛行(NASA's first crewed lunar flyby)を実現し、地球から約40万6841kmという人類史上最遠到達の記録を打ち立てた。今回のミッションは月面への着陸を伴わない飛行実証であったが、2028年のアルテミスⅣによる有人月面着陸に向けた重要な一歩となったことは間違いない。

 宇宙強国の建設を国家目標に掲げる中国も、2030年までの有人月面着陸の実現への歩みを続けている。2026年5月11日には無人補給船「天舟10号」の打ち上げと宇宙ステーション「天宮」へのドッキングに成功し、有人宇宙活動の持続的な運用能力を世界に誇示した。加えて、2026年8月には無人探査機「嫦娥七号」を月南極に向けて打ち上げる計画を控えており、永久日影クレーターでの水氷探査を通じて有人月探査の実現へ向けて邁進している。

 こうした月面活動を巡る両国の競争は、単なる国威発揚にとどまらない。深宇宙探査と資源獲得を巡る次なる競争の前哨戦でもあり、2030年までにどちらが先に月面有人活動の拠点建設に着手するかという問いを焦点にして、未来の大国間競争の行方そのものを左右しかねない様相を呈している[1]。

5億年前の教訓:宇宙で繰り返される競争と進化の連鎖

 約5億4千万年前のカンブリア紀に、わずか数十種類の生物の種が突如として爆発的に増え、多様化が一気に進むカンブリア爆発(Cambrian explosion)が起きた[2]。そこでは環境・遺伝・生物学的要因が複雑に絡み合う中、特に生物の視覚能力の獲得が決定的な契機となった。比較的平和だった海底において、眼を持つことで取得できる情報量(データ)が爆発的に増大し、環境認識と情報処理能力が飛躍的に向上したのである[3]。これが生物間の捕食・被食競争を激化させ、硬い殻や棘による防御構造、神経系や四肢の高度化、さらには細胞間の情報伝達能力の進化など、相互連鎖的な多様化を引き起こした。注目すべきは、視覚という情報獲得能力の飛躍を起点として、攻撃・防御・認知・伝達という複数の層において同時多発的に生物としての能力が加速したという点である。競争が競争を呼び、進化が進化を生む連鎖、それがカンブリア爆発の本質である。

 現代の宇宙空間もまた、この構造的連鎖と本質的に同じ現象の中にある。衛星センサーの高度化・増大、人工知能(AI)によるデータ処理能力の向上、量子技術による暗号・通信の革新が複合的に重なりあい、宇宙を巡る競争と新興・破壊的技術(Emerging and Disruptive Technologies:EDTs)[4]の進化が同時多発的に起きている。まさにこの現象が、「宇宙のカンブリア爆発」と呼ぶべき時代の到来を告げている。

 そして、国際公共財として誰もが平和かつ自由にアクセスし利用し得るはずであった宇宙空間は、新たな国家・民間プレイヤーの増加と宇宙利用の汎用化・依存度の高まりによって、競合(Competitive)、敵対(Contested)、混雑(Congested)する3C領域へと変貌しつつある[5]。また、通信、測位、気象観測、金融決済など、現代社会の基盤的な重要インフラの多くが宇宙システムへの依存を深める中、宇宙空間は戦略的優位性を左右する官制高地(Commanding Height)[6]としての性格を強めている。そのような「制宙権」(Space Superiority)[7]を巡る争いが激しさを増す中で、ASAT(衛星破壊兵器)、衛星妨害電波、サイバー攻撃、さらにはレーザーや電磁パルスなど、多様な攻撃形態が次々と開発・実用化されている[8]。

 このように攻撃手段が多様化すれば防御もまた多層化を迫られ、防御の高度化がさらなる攻撃手段の開発を促すという、カンブリア爆発での捕食・被食競争の連鎖と本質的に同じ構造が宇宙空間で再現されるであろう。宇宙空間はもはや国家間の探査・開発競争の一領域を超えて軍拡競争の新たな舞台となっており、この攻防に終わりは見えない。

揺らぐ米国優位と多極化する宇宙:制宙権争いの新局面

 宇宙における米国の優越性は高いものの、中国の猛追により将来にわたってその地位が保障されるとは限らない。米国では、宇宙政策の推進に議会の承認、予算配分、世論の支持が不可欠であるなど、民主主義国家の戦略としての一貫性と継続性に構造的な不確定要因が内在していることから、民間主導の宇宙開発が主流となっている。これに対し、中国は共産党による一元的な意思決定構造のもと、宇宙政策を国家戦略として強力かつ計画的に推進できるという制度的優越性を持つ。こうした米中の非対称な競争構造が存在しながらも、民間企業の新規参入や欧州・日本・インドなど新たな国家プレイヤーの台頭が加わることによって、技術革新の多極化と加速化は不可逆の流れであり続ける。

 国家間競争の舞台はすでに低軌道を超え、地球と月の間の宇宙空間(シスルナ空間)[9]へと移りつつあり[10]、解決すべき安全保障上の課題も山積している[11]。ビッグデータへの対処、AIを活用した軍事作戦の意思決定、適時適切な防衛作戦の遂行をシームレスに行うには、領域横断的な統合作戦態勢の加速、防衛資源の再配分、同盟・有志国との協力・調整メカニズムの構築が不可避の課題となる。技術革新が人類の予想を超えるスピードで進めば進むほど、制度的・人的基盤整備が追いつかないというジレンマはより深刻さを増す。宇宙のカンブリア爆発は、人類に技術革新の恩恵と様々なリスクを同時にもたらすという意味において、まさに諸刃の剣に他ならないのである。

おわりに:変化に適応した種が生き残る、宇宙のカンブリア爆発と日本の選択

 宇宙空間における技術革新の加速と安全保障の急激な変化に対応するため、日本には月を超えた火星・深宇宙への進出を見据えた戦略・政策の調整、新興・破壊的技術(EDTs)の積極的導入および同盟国等との相互運用性の確保が求められる。その根底には、優れた技術を持続的に生み出し活用し続ける、国家としての知的体力をいかに鍛えるかという、より深い問いが横たわっている。この問いに応えるには、宇宙教育の裾野を初等教育から広げ、固定観念にとらわれない柔軟な宇宙への発想を社会全体に根付かせることが出発点となる。その上で、EDTsなどの先端領域に精通した専門人材を、官民一体となって組織的かつ横断的に育成・確保する仕組みの構築が期待される。

 将来、技術そのものは導入できても、それを使いこなし進化させ続ける人材なくしては、宇宙に係る安全保障の持続的実現はあり得ない。カンブリア爆発において生き残ったのは、最も強い種でも最も賢い種でもなく、変化に最も柔軟に適応した種であった。宇宙のカンブリア爆発の時代を切り拓く上で、こうした人材の確保が最優先されるべきである。

(2026/06/01)

脚注

  1. 1 Tim Ventura, “Red Moon Rising: Greg Autry and the New U.S.-China Space Race,” Medium, March 20, 2026.
  2. 2 トッド・E・ファインバーグ、ジョン・M・マラット、鈴木大地(訳)『意識の進化的起源 : カンブリア爆発で心は生まれた』勁草書房、2017年、59頁。(原著はTodd E. Feinberg and Jon M. Mallatt, The ancient origins of consciousness: how the brain created experience, The MIT Press, 2016.)
  3. 3 Andrew Parker, In the Blink of an Eye: How Vision Kick-started the Big Bang of Evolution, Perseus Publishing, 2003; repr., Natural History Museum, 2016, pp. 268-279.
  4. 4 NATOによれば、新興技術とは、2020年から2040年の間に成熟することが期待される技術を指すが、現在一般に普及するまでには至っておらず、これからも軍事、安全保障、経済面での影響は未知数とされる。他方、破壊的技術とは、2020年から2040年の間に、軍事、安全保障、経済面で大きく、革命的な影響を与えると予想される技術が想定される。NATO Science & Technology Organization, “Science & Technology Trends 2020-2040,” March 2020.
  5. 5 General Assembly, “Reducing space threats through norms, rules and principles of responsible behaviors,” United Nations, July 13, 2021.
  6. 6 Howard Wang, Gregory Graff and Alexis Dale-Huang, “China's Growing Risk Tolerance in Space,” RAND, June 24, 2024.
  7. 7 ここでは、宇宙空間で自由に移動できる権利を確保しつつ、敵対勢力には同様の権利を否定することを指す。Secretary of the Air Force Public Affairs, “USSF defines path to space superiority in first Warfighting framework,” April 17, 2025.
  8. 8 Carlo Trezza and Stefano Borgiani, “Anti-satellite weapons: a clear and present danger,” NATO Defense College Foundation, June1, 2020.
  9. 9 福島康仁『宇宙と安全保障 -軍事利用の潮流とガバナンスの模索』千倉書房、2020年、193頁。
  10. 10 Courtney Albon, “Space Force Sets Up Office to Coordinate Cislunar Programs,” Air and Space Forces Magazine, April 22, 2026.
  11. 11 Namrata Goswami, “The Second Space Race: Democratic Outcomes for the Future of Space,” Georgetown Journal of International Affairs, January 25, 2022.