モディ常勝神話の終焉

 ナレンドラ・モディが初めて負けた。しかしモディ率いる与党連合は辛うじて勝利を収めた。2024年6月4日に開票された第18次インド連邦議会議員選挙(総選挙)の結果を端的に表現するならば、こういうことになるだろう。

 これまで、選挙におけるモディの強さは折り紙付きのはずだった。2001年に西部グジャラート州の州首相に就任すると、翌2002年の州議会選挙から3回連続で、自らのインド人民党(BJP)を州議会の単独過半数に導いた。2014年総選挙において、国政で10年間野党に甘んじていたBJPの首相候補として登場すると、BJPは党史上最多の282議席を獲得した。2019年に現職首相として戦った総選挙では、その記録をさらに更新する303議席という圧勝ぶりだった。今次総選挙直前の2月の連邦議会でモディは、「BJPだけで370議席、与党連合の国民民主連合(NDA)で400議席を獲得する」との自信を示した[1]。事前の世論調査、ならびに最終投票日後に発表された出口調査も、BJPの大勝を予測していた。

 これに対し、筆者はインドの選挙は仕組まれた茶番ではなく、蓋を開けてみないとわからないと繰り返し述べてきた[2]。とくに選挙戦が本格化するなかで、失業と物価高騰の問題が選挙の争点として浮上し、これがモディ政権への逆風になる可能性が高まっていたからである[3]。それでも、田中角栄的な庶民性と小泉純一郎張りの巧みな弁舌で、多数派ヒンドゥーを中心にした国家、世界のなかで飛躍するインド(バーラト)という夢を実現してくれるカリスマとしてのモディへの人気が圧倒するとの見方が支配的であった[4]。

 実際にはそうではなかった。モディのBJPは、370どころか、全543議席中240議席とこれまで2度の総選挙で獲得した議席数から大きく後退し、単独過半数を失った。NDA全体でも400に遠く及ばない293議席にとどまった。重苦しい雰囲気が漂う開票日の夜、ようやく党本部に現れたモディは、3回連続となる「NDAの勝利」を宣言した[5]。「BJPの勝利」とはとても言えなかったのである。

 なぜ、こんな接戦になったのか?モディのブランドよりも、目の前の経済生活の不満が上回ったから、と考えたくなるだろう。たしかに、発展途上社会研究センター(CSDS)の投票後調査によると、野党に投じた有権者は、計57%が物価高騰と失業を投票行動の理由に挙げた[6]。しかし、BJPの全国での得票率の低下は前回比で1%にも満たない。モディ支持者が減ったとは単純には言えないのである。モディが繰り返し遊説に入った南部タミルナードゥ州などではBJPは得票率を伸ばしたが、小選挙区のため議席獲得には至らなかった。その一方で、最大州で前回BJPが圧倒したウッタル・プラデーシュ州などでは得票率が減少し、多くの議席を失った。州ごとに事情は異なるとはいえ、総じてこれら大票田で野党の選挙協力・戦略は前回とは比べ物にないほどしっかりしており、それが野党の大幅な議席増に寄与したのは間違いない。

 CSDSの投票後調査で注目すべきなのは、まず、前回から6%ほど低下したとはいえ、依然として投票者の59%が現モディ政権に満足していると回答したことだ。にもかかわらず、実際にBJPとNDAに投票したのは「完全に満足している」とした者でも78%、「ある程度満足している」者になると51%にとどまった点である[7]。このことを踏まえると、10年間のモディ政権に対し、「もっとできたはずだ」と感じる有権者が野党に入れた可能性が高い。さらに政権の実績に満足していても、野党に一定の票が流れたということは、政権長期化に対し、健全な民主主義を回復しようという有権者のバランス感覚が働いたとも考えられる。

政権を揺さぶる地域政党

 なにはともあれ、3期連続で首相を務めるのは、初代首相のジャワハルラール・ネルー以来の快挙である。ネルーの娘、インディラ・ガンディーは非常事態宣言を発令するなど権威主義化が批判され、3期連続を狙った1977年の総選挙で敗れた[8]。これに対し、今回、同様に権威主義化が指摘されていたモディは、なんとか政権にはとどまった。

 しかし、モディの政権基盤の性質と強度はこれまでとはまったく異なり、ネルーのそれとは比べようもない。BJPとして単独過半数を失ったいま、連立パートナーの不可欠性はいっそう高まった。彼らの支持を失えば、即座に政権崩壊につながるからだ。とくに重要なのは、先述の勝利演説において、モディ自身がわざわざ感謝の言葉を述べた指導者、南部アーンドラ・プラデシュ州でテルグ・デーサム党(TDP)を率いるチャンドラバブ・ナイドゥ州首相、北部ビハール州でジャナタ・ダル統一派(JD(U))を率いるニティッシュ・クマール州首相だ。NDA内でTDPは16議席、JD(U)は12議席をそれぞれ占め、両方が同時に野党連合に寝返った場合はもちろんのこと、どちらかだけでも、他の小政党やBJP内非主流派と組んで反旗を翻せば、政権は信任を失うのである。そうしたことはこれまでのインド政治で、何度となく起きてきた。とりわけニティッシュ・クマールは、これまでのモディ政権の10年間で野党→与党→野党→与党と渡り歩いた風見鶏として知られる。

 モディとBJPがこれから5年間の任期を全うしようとするのであれば、この厳しい現実に向かい続けなければならない。すなわち、NDA内の地域政党のさまざまな要求を聞き、協議して、彼らを説得し、一定程度の満足を与えながら政権運営をしていくことが求められる。交渉上のレバレッジを得たTDPやJD(U)からは、閣僚ポストや開発支援などの要求を選挙直後から早速突きつけた[9]。

 モディ自身もその現実はじゅうぶん認識しており、「コンセンサス」での決定の重要性を強調した[10]。しかし、州首相時代からつねにBJP単独過半数のもと、トップダウンで政策決定してきたモディに、そうした調整型政治の経験はない。1998年から2004年のBJP中心の最初の本格的な連立政権の経験者は、モディの周りに誰もいない。モディ自身がこれまでの政治スタイルを変えなければ、この政権は短命に終わる可能性が高い。モディにその意思と能力があるのかどうかは未知数である。

「NDA政権」下でのインドと西側

 このように脆弱な政権基盤の上に立つ政権であるから、まず考えられるのは、クアッドを含め西側が期待するような、投資環境改善のための経済改革はさらに停滞する可能性が高いということであろう。それはモディ政権が推進しようとしてきた製造業育成、サプライチェーン強靭化の足かせになるかもしれない。

 しかしとくに米欧では、英誌『エコノミスト』が報じたように、今回の微妙な選挙結果を「インド民主主義の勝利」として歓迎する声が強い[11]。それは、クアッド強化、西側との連携に前向きなモディ政権の継続を喜びつつも、とりわけ第二期モディ政権での「民主主義の後退」や「ヒンドゥー国家化」には懸念を強めていたからである。カシミールの自治権撤廃や市民権法改正法の制定と施行、モスクを破壊したアヨーディヤの跡地でのヒンドゥーのラーマ寺院建設など、反イスラムを強め、それに異を唱える野党やメディアなどを容赦なく弾圧する動き、さらには「テロリスト」とレッテルを貼った者をカナダや米国で殺害した(しようとした)のではないかとの疑惑などに、西側には眉を顰めてきた。その意味では、インドでこの10年進んだ「モディ化」現象[12]に、とりあえずは「待った」をかけた選挙結果に安堵しているのである。

 もちろん、生粋のヒンドゥー・ナショナリストであるモディが、自身の夢を放棄するという保証はない[13]。けれども、モディ自身が今回の選挙戦でも掲げた「先進国インド(Viksit Bharat)」の道を進もうとするのであれば、日本を含め、西側との協力は不可欠である。自由と民主主義を重んじる「先進国インド」が、われわれにとっても望ましいことは言うまでもあるまい。その方向へインドが向かうような積極的関与がいまこそ求められている。

(2024/06/13)

*こちらの論考は英語版でもお読みいただけます。
India Returns to Coalition Politics: What Will Change under the National Democratic Alliance?

脚注

  1. 1 Nistula Hebbar, “BJP alone will get at least 370 seats and NDA will cross the 400-seat mark: PM Modi,” The Hindu, February 6, 2024.
  2. 2 たとえば以下での論考やコメント。伊藤融「『最大民主主義』インドの分水嶺」『信濃毎日新聞』2024年4月21日。 葉月しら「現地突撃ルポ―有権者10億人が熱狂する『インド総選挙』が面白い!!」『週プレNews』2024年5月29日。 伊藤融「インド総選挙『世界最大の民主主義国』のゆくえ」『世界』2024年7月号。
  3. 3 途上国社会研究センター(CSDS)が、4月の第1回投票日直前に行った世論調査によれば、今次総選挙の投票で最も重視する争点として、失業が27%、物価高騰が23%にのぼり、あわせて半分を占めた。これに対し、モディ首相が1月に執り行ったヒンドゥーのラーマ寺院建設式典やヒンドゥー至上主義を挙げた者はあわせて10%、インドの国際イメージ向上との回答もわずか2%にとどまっていた。Sanjay Kumar and Nirmanyu Chouhan, “CSDS-Lokniti 2024 pre-poll survey; Issues that are likely to dominate the Lok Sabha election,” The Hindu, April 11, 2024.
  4. 4 “CSDS-Lokniti 2024 pre-poll survey; BJP has an edge, but a tough fight is possible,” The Hindu, April 14, 2024.
  5. 5 Narendra Modi, “PM Modi addresses Party Karyakartas at BJP HQ after NDA win in 2024 Lok Sabha Elections,” June 4, 2024.
  6. 6 Devesh Kumar and Rishikesh Yadav, ”CSDS-Lokniti post-poll survey: Despite discontent NDA given another chance,” The Hindu, June 6, 2024.
  7. 7 Vibha Attri and Naman Jaju, “CSDS-Lokniti post-poll survey: Evaluating government’s performance and its impact on voting patterns,” The Hindu, June 6, 2024.
  8. 8 インディラ・ガンディーは1980年の総選挙で勝利を収め、再び首相に返り咲いたので、通算では3期務めている。
  9. 9 Ajoy Ashirwad Mahaprashasta, “BJP's Internal Rumblings, Naidu-Nitish Pushback on UCC, Agniveer and 'Special Status' Challenge Modi,” The Wire, June 6, 2024.
  10. 10 Neelam Pandey and Shanker Arnimesh “Consensus key to run govt, Modi says at NDA meet. Naidu, Nitish bat for ‘regional aspirations’,” The Print, June 7, 2024.
  11. 11 “A Triumph for Indian Democracy,” The Economist, June 5, 2024.
  12. 12 湊一樹『「モディ化」するインド―大国幻想が生み出した権威主義』中央公論新社、2024年。
  13. 13 Christophe Jaffrelot, “The roads to India’s redemocratisation, the challenges,” The Hindu, June 6, 2024; Siddharth Varadarajan, “Modi Stands Defeated But He’s Not Giving Up His Destructive Plan for a 1000-Year-Reich,” The Wire, June 6,2024.